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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2006年11月28日

昨日は22時半に寝ようとした。しかし、眠れない。妻も眠れないようで、30分くらい2人で喋っていただろうか。いつもなら喋っているうちに寝てしまうのだが、昨日は眠れなかった。23時を過ぎてから妻にマッサージをやらった。そして再び寝ようとするも、2人とも眠れない。「ミルクティーでも飲もうかな」と妻が言うので自分の分もいれてもらい、ミルクティーと、久々に追加眠剤を飲んだ。

その後、ちょっとネットをしていて、結局寝たのは0時半をまわってからだっただろうか。それからはすぐに寝つけたと思うのだが、朝がお起きれなかった。今日は失業認定日で、9時半までにハローワークへ行かなければならいから、7時に絶対起きよう、と目覚ましをセットして、7時になんとか必死に起きた。起きてPCを起動してメールチェックしたところで力尽きた。天井がぐるぐる回っている。だめだ、起きていられない。体を縦にしていることができない。やはり調子が悪いのだ。無理やり早く起きて動いても、体がストップをかけている。とにかくいったん寝た。

9時頃起きて、とりあえず着替えるだけ着替え、妻と一緒にタクシーを拾ってハローワークへ。なんとか9時半に間に合って、失業認定を終えた。その後みどりのコーナーに行って障害者担当のお姉様(と一応書いておこう)に近況報告。2回連続、書類で落とされたと話したら「やっぱあなたのキャリアが凄すぎて、みんなひいちゃうんじゃないの?」と言われた。そうなのかなあ。それとも履歴書や、私が「精神障害者の現状をわかってもらいたい!世間に訴えたい!」と思って書いた職務経歴書の書き方がまずいのかなあ、と思ってお姉様に見てもらった。

お姉様曰く、履歴書は「ちょっと高飛車に思える」とのこと。もっと低姿勢で書かないといけない。自分ではそんなつもりではなかったのだが、そう読み取れるらしい。「勤務地は横浜近辺以外は厳しい」ではなく「横浜近辺を希望」と書いた方がいい、とかそういうことである。

そして職務経歴書はもっとだめ出しを食らった。単なる自分の職歴だけでなく、いかにうつ病患者が、精神障害者が理解されずにいるか。どれだけ苦労してきたか書いている。「自分は病気だけでなく、社会の無理解とも闘ってきた」などと書いているのだ。

自分は訴えたかった。社会に向かって訴えたかった。そして最初に特例子会社を受けたとき、面接でこの職務経歴書は誉められたのだ。私が「型破りの職務経歴書になってしまいましたが」と言うと「いや、これはこれで現状がわかって非常にいいです」と言われたのだ。だからその職務経歴書を今まで出してきた。

しかし、それは特例子会社だから評価されたのであって、お姉様曰く「この内容では前の会社や社会に対して反感を持っている、という人間と見なされて、そういう人は敬遠されるのじゃないかしら」とのこと。うむ、やっぱそういうことなのか。実は妻からもそれは言われていたのだ。でも私の中では、ここまで書いて、それを受け止めてくれた上で雇ってくれるところでないとやっていけない、と思っていた。だからあえてこれでやって来た。

その他いろいろと精神障害者のことについて話をした。ハローワークの職員にも精神病になった人がいて、実際に一緒に働いてみるとすごく苦労したとか、企業の方もやはりまだまだ理解が浅いとか、精神障害者が社会に理解されるには、まだまだ時間がかかるだろうという話をした。それから、今日も調子が悪くて朝タクシーで来たことを話すと「時間が決まっているのは効率よくさばくためなので、別に遅れてもいいの。体調が悪かったから、て一言言えばいいから、とにかく失業認定日には17時15分まで来ればいいから」と言われた。なんだ、そんな焦ることもなかった。妻に代理で行ってもらうことは可能か尋ねたら、それはだめとのこと。

ここに来て私は方針変更した。履歴書と職務経歴書は全面的に内容を見直して書き直す。昨日書いたのは全部没だ。用紙をまた買ってこなければ。しかし、急ぐ必要はない。ここでいったん求職活動は休止だ。今日みたいに7時に無理やり起きても、実際に動くことができない今では、就職が決まってもまともに出勤できない。とりあえず朝から動けるように体調が回復してから再開しよう。お姉様もそれでいいと言っている。「失業認定日にさえ来ればいいのよ、障害者は」とのことだ。

とりあえず、今は回復を待とう。