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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

発症から躁転まで

うつ状態発症

ある日突然、朝起きても何もできない状態になった。落ちていく

頭では「会社に行って今日はあれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」と思っているのに、どうしても動くことができなくなり、自分でもわけがわからなかった。その状態はずっと続き、欠勤や午後出勤が多くなった。その状態が半年ほど続き、見るに見かねた上司が「とりあえず近い寮に移れ」と言って、自ら人事部にコンタクトをとってくれた。

自分の勤務状態について上司が人事部に話したためだと思われるが、その翌日に人事部から「面接をするので来てほしい」と連絡が来た。面接で「かなりストレスが溜まっている状態です」と話した。そして半月後の人事異動の発表で、それまでの部署を離れて勤務地も元の場所に戻ることになった。通勤時間は40分、電車に乗っているのはそのうち20分足らずという楽な状態になった。

鎮静化、そして軽躁状態

異動になった部署の業務内容は元いた部署とはかなり違っていたが、自分のスキルを活かせる職場で、存分に仕事に打ち込めた。いつのまにか症状も治まって「あれはいったい何だったんだかわからないが、治ったからまあいいや」と思って元気に働いていた。それからしばらくは普通に働いていた。

しかし、元気になったのはいいが時々テンションが上がりすぎたような感じがして、自分では理解不能な非常識な行動をとってしまうようなことも起こるようになってしまった。趣味で入っていた合唱団を、ネットでそれこそ「ありえないような暴言」を書き散らして辞めてしまう、というようなこともしてしまった。なぜそんなことをしてしまったのか、自分でも理解できずに謝りたくてもずっと謝れないでいた。あれは軽躁状態だったのだろう、そう気がついたのはずっと後のことである。

再発

異動から1年半ほど経ってから着手したプロジェクトが、使用している別会社のアプリケーションプログラムの不具合などで暗礁に乗り上げ、前に進めなくなった。何とか自力で解決しなければ、と焦って一人で頑張っていたら、また以前と同じように「朝に動けなくなる」などの症状が出るようになってきた。状態は悪化していき、上司に勧められて、産業カウンセラーのもとを訪れた。産業カウンセラーが会社にいるなんてそのときはじめて知った。それからそのカウンセラーと定期的にカウンセリングを行うようになった。

躁転

一瞬の輝きところがカウンセリングを開始してからすぐにいきなり調子がよくなり、ばりばり仕事をこなすようになった。その間に寮を出て一人暮らしを始めた。少しでも負担が軽くなるように、そしていつでも出動できるように、勤務地から徒歩20分のワンルームマンションを選んだ。夜中でもトラブルで電話がかかってきて、すぐに駆けつけないといけない仕事だった。乗りに乗って猛烈に働いた。自分がなんでもできるような気がした。前回よりもレベルアップして元気な気がしていた。やはりそれは明確な躁状態だった、そう気がついたのはまた後々のことである。