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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

受診から静養まで

初めての精神科

しばらく好調が続いていたが、3ヶ月くらい経って、再び徐々に調子を崩し始め、会社に行けない、午後から行く、ということが増えた。そしてようやく、産業カウンセラーの勧めで私は精神科の門を叩いた。そしてそこで初めて「うつ病」と診断された。自分が医者に診断されてからまず聞いたのは、「うつ病ってなんですか?」だった。1999年6月、最初の症状が出てから2年のことである。

その頃は今ほど「うつ病」や「メンタルヘルス」などの言葉や概念は広く認知されていなかったし、理解もされていなかった。今から思うと、もっと早く病院に行くべきだったのだが、そもそも「病院に行く」という発想すら頭になかった。

捜索願い

トンネルの中通院を始めて服薬も始めたが、状態はなかなかよくならなかった。ノイローゼのようになって、自分で電話線もひっこぬいて一日中布団をかぶって寝ていたこともあった。その状態で3日間無断欠勤したら、会社から実家に連絡が行き、あわてた両親が捜索願いを出し、警官が大家さんとともに部屋へ踏み込んできた。私の不調について両親が知ったのはそのときがはじめてだった。親にも兄弟にも相談できずにいた。

短期間の静養

私の状態に上司も気をつかってくれて、年末年始の休みを含めて2週間休暇をもらい、実家に帰って静養した。しかし、実家でも寝てばかりで状態は改善せず、会社に戻ってきても以前と同じ状態で、遅刻や欠勤を繰り返しながら仕事をしてた。

産業カウンセラーからも上司からも、また会社を休むように言われたが、なんとか頑張りたいと主張し続けてきた。IT業界は進歩が早い。一度現場を離れると、ついていけなくなるのが怖かった。頑なに静養するのを拒んでいた。