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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:相続関連

そう言えば父の形見をいくつかもらってきたが、それを載せてなかったな。ばたばたしていたので少しだけだし、あまり形見っぽくもなく「これまだ使えるやん」てな感じでもらってきた。

システム手帳。自分が使っているのはぼろぼろだが、これはほとんど使った形跡がなく、立派なものだったので頂戴した。「父の形見」っぽいのはこれくらいか。

システム手帳

応接間にあった時計。どうやら貰い物らしく、なぜか応接間には3個も時計があった。うちのリビングの時計がいつも遅れていていまいちだったので、これも他の兄弟に断ってもらってきた。

置き時計

薄型コンパクトキーボード。父のものを整理してたくさん出てきたのがPCの周辺機器。79歳にしてPCとiPhoneを使いこなしていたというのはちょっと凄い。何しろ新しいモノ好きな人だった。別に技術者とか理系とかではなく、経済学部卒で家電メーカーで広報の仕事をやっていたので、そういうのが専門ではないのだが。いや、家電メーカーで広報をやっているから電気製品に詳しいと言ってたっけか。

キーボード

手鏡。スタンドミラーにもなる。未使用だったのだが、どこからか出てきた。父のではなくおそらく母が誰かからもらったものだと思われる。写真を撮って妻に送って「ほしい?」と聞いたらほしがったので持って帰ってきた。

手鏡

これくらいなんだよな・・・。大量に物があったので、もっといろいろ貰えばよかった。昔はやったUMPC(ウルトラモバイルPC)なんかもあったのだが。

実家に行って私物を整理し、父の荷物整理もして形見の品をいくつかもらったが、母の形見というのもある。9年前に亡くなった母は象が好きで、象の人形をコレクションしていて、それはそのまま実家にあった。そのコレクションは、処分するのではなく好きなものをみんな取って、残りは兄の家で保管することになった。

象のコレクション

私は別に象は・・・と思ったけど、妻が何か欲しがるかもしれないので写真を送ってみたら、1個だけピックアップしたのでもらって帰ってきた。

青い象

玄関にまねきねこ君たちと一緒にコラボしてみましたよ。

まねきねこと象

昨日は寝るのが夜遅くなってしまった。やっと布団に入ったはいいが、ぜんぜん眠れない。体は疲れてるのに神経が高ぶってまるで眠気が来ない。諦めてスマホをいじって、こうなったら徹夜でもしてやろうと開き直っていたら、1時半頃に眠気が来て寝た。眠りが浅く何度も目が覚め、朝になると体がばきばきに痛くて疲労困憊。まあ予想されたことではある。しかし寝坊することもなくなんとか7時に起きれた。ベッドから起き上がったら腰にピキッと痛みが走った。腰は大丈夫だと思ってたのに、全く年齢ってのは油断がならん。

とりあえず起きてだらだらと朝食を食べ、その後昨日時間切れだったのとみんな疲れていたのとでできなかった形見分け。とは言っても兄弟揃って「これはどうする?」とかもうできないので、私がほしいと思った物の写真を撮って、「これ、もらって帰ってもいい?」とLINEに流した。そんなに数があるわけでもないのですぐに済んだ。弟からは「全部持って行っていいです」とすぐに返信が来たので持って帰ることにした。幸い軽くてかさばらない物ばかりなので、全部カバンに入る。おととい部屋を捜索してとっておきたいと思った物は、子どもの頃のアルバム2冊を加えたらけっこう重くなったので、兄に宅急便で送ってもらうことにして昨日預けた。

実家の自分の部屋

さらば、自分の子ども時代のかけらよ。ここでたくさん遊んで、ここでたくさん学んだ。

10時過ぎに実家を後にした。兄や弟はまだまだ来て作業をしないといけないが、私はこれが本当に見納めである。

実家

さよなら、僕のふるさと。さよなら、僕を育ててくれた場所。今までありがとう。「さようなら」ではなくてなんとなく「さよなら」な気分。「さようなら」だとまた会う機会がありそうだけど、「さよなら」は今生の別れという感じがして「もう二度と会えないんだ感」が大きい。両親も亡くなった、そして実家もなくなるというのは、自分が帰るところが本当になくなってしまったので、急に寂しくなった。ついこの前まで「別にあんな家、売っぱらってしまってちょうどいい」などと思っていたのに、本当にこれでおしまいだと思ったら急に名残惜しくなった。別れ話をした直後にやっぱり別れなければよかったと思ったものの後戻りできなくなって去っていく元カノの背中を見送ったときの気分はこういうものか(最後は過去の経験のようだが意味不明)。

それにしてもカバンが重くて難儀した。しまった、全部送ってもらったらよかった。時すでに遅し。この重いカバンを持って20分歩いて駅に行くのはしんどいので、1時間に1本だけのバスに乗り(バス停は目の前)、他の駅から今度は京阪の急行バスで京都駅へ。こっちの方が荷物を下げて歩かなくて済むので帰りは京都経由にした。こっちのバスも1時間に1本で待ち時間が35分くらいあったが、お世話になった人と電話で話してたらあっという間に時間が過ぎて時間つぶしができた。

バスに揺られること35分くらい。京都駅に着いたらおなかがすいていて、どこでご飯食べようかと思ったら、なんとマックが店内で食べれるようになっているではないか。横浜ではまだテイクアウトのみなのかな?つい最近全店舗でイートイン可能になったのだろうか。これ幸いと入ってビッグマックセットを注文。

ビッグマックセット

関西に帰って食べた物は、結局ラーメンと寿司とマックである。日常と変わらん。

切符を買おうと券売機で便を選ぼうとしたら、ダイヤがすかすか。まだまだ間引き運転。

新幹線ダイヤ

京都駅に入ったら、おや、がらがらで人が少ない。おとといの新大阪はけっこういたのだが、やはり週末と平日ではだいぶ違うようだ。新大阪と京都でも違うのかな。

京都駅

とりあえず家と作業所へのお土産買うべ、と思ってお店を見る。お土産屋さんも見たことがないほどがらがらで、店員が手持ち無沙汰な状態。何にするか選ぶのがめんどくさかったので、「阿闍梨餅ありますか?」と聞いたら「ありますよ」と案内してくれた。ラッキーである。阿闍梨餅とは八つ橋なんかよりも断然うまい京都みやげで、私の母校の大学の近くに本店があり、そこではできたてを買って食べたりできる。前は普通に土産屋で手に入ったのに、最近なぜか知らないがかなり知名度が上がり、1日に生産できる数にも限りがあって、入手困難になったのだ。少なくとも夕方の新幹線に乗ろうと思ったら、まず京都駅の土産屋では売り切れで買えない。今日は昼間だったのとコロナで人が少なかったので無事買えた。

阿闍梨餅

新幹線の乗車率は行きと同じ25%~30%くらいか。いつもはA席を取るのだが、今日は天気がいいのでE席を取った。A席は3列席の一番窓際で、すいているときには隣2席に乗客が座ることはまずないので一番くつろげるが、富士山とは反対側である。天気が悪いとどうせ見えないが、今日は期待できるかもしれないと思って反対側の窓際にしてみた。静岡に入ったら、晴れてはいるのに山沿いには白い分厚い雲がかかっていてみごとに見れなかった。うちのベランダからだとよく見えるのだが、手前の家の屋根がじゃまなのである。あれどうにかしてくれないかな(と無茶を言う)。あの雲の向こうあたりに富士山があったのだろうか。

静岡の空

定刻通り新横浜駅に着き、タクシーで家に帰ってきた。まだ昼だしそんなに疲れを感じてもいなかったのたが、いかんせん荷物が重い。地下鉄とバスでも帰れそうな気がしたが、無理をせずに今回も帰りはタクシーにした。今回はついに最初から最後まで一度も現金を使わずにキャッシュレスで乗り切った。新幹線はクレジット、あとはPayPayとモバイルSuicaだから財布すら出さなくていい。最後のタクシーでクレジットしか使えなかったのがちと残念。PayPayとか使えるタクシーもあるのかな。

家に帰って、とりあえず風呂に入った。これからの季節は暑さがつらい。明日からまた作業所だ。非日常から日常に切り替えられるだろうか。

昨日は21時半に寝ようと思ってたのだが、兄から電話がかかってきて今日のことやらその他兄弟で話し合わないといけないことなどについて話していたら遅くなってしまい、その後もいったん寝ようとしたが眠れず、結局寝たのは23時半頃になっただろうか。眠りは浅く、朝は7時過ぎに起床。

予定では10時スタートだったが、弟が8時半に来たので作業に取りかかった。たくさんの粗大ゴミを出さないといけないが、その前に本棚やら机の引き出しやらその他の棚やら、とにかく家具が大量にあって、まず中身を出していかないといけない。最初は種類別に分別して段ボール箱に「○○関係」などど書いて入れていってたが、だんだんいちいち中身を見ながら作業していたらいくら時間があっても足りない、という感じになって、とりあえず外に出して分別はまた後日に、ということにしてとにかく箱に放り込んでいった。

こんな大量の粗大ごみを運べるんかいな?と思っていたが、弟が運送会社に勤めているプロなので、ちゃちゃっと階段の手すりを取り外して、中身が空になった家具からどんどん毛布に載せて引きずって2階から降ろしていく。腰が腰が、と心配していた私や兄は呆気にとられていて、いやまあそういう時間もなくただひたすら故人の私物を取り出しては箱に入れていった。ひとつ「形見」という箱を作って、「これは誰かほしがるかも」というのを入れていった。

形見

さすがプロで、いろんなものが準備されていた。こんなプロ仕様のグローブまで。

手袋

いろいろなものが出てきたが、こういうの困るんだよなあ。どうしたものやら。他人の断捨離というのはそれはそれで難しい。

トロフィー

作業をしていたら、弟が「隣の家の私の同級生がいる」と教えてくれたので、ちょっと行ってみた。お互いびっくり。2000年にやった小学校の同窓会以来である。10分くらい立ち話して、また同窓会でもやりたいな、次は還暦の時くらいか、みたいな話をして別れた。思わぬ収穫だった。

腰が大丈夫か心配だったが、自分はほとんど物は運ばず、ひたすら物を出して積み上げたり段ボール箱に詰めるだけだったので無事痛めずに済んだ。ほぼ全ての荷物を弟1人で運んで、玄関を出て台車に乗せて門を抜けて別の台車に乗せて少し離れたガレージに押し込めるという大仕事をやってのけた。

ガレージ

ガレージに入れた42個の粗大ごみ。明日の15時半に収集に来るという。それまでに片づかなかったら明日も引き続き作業の予定だったが、見事に終わった。それにしてもプロフェッショナルというのはすごい。実に多種多様なノウハウがあるものだ。

夜になってから、兄と弟と兄の奥さんと弟の子ども2人の6人で回転寿司に行ったのだが、なんと、超混み混みで受け付けしたら20分待ち。会計の前の待合所は超密である。もうこんな状態に戻ってるの?これでよく大阪は新規感染者ゼロを更新してたなあ。昨日と今日は1人出たようだが。妻にLINEしたら、横浜も今日は混んでいたらしい。大丈夫なのか?という自分達も来てしまってるのだが。

サーモン

かつお

うどん

関西のうどんはうまい。いや、関東のがまずいというわけではないが、関西のうどんはうまい。

きなこもち

デザートはきなこもち。和菓子派の私である。昨日もきなこのなんちゃらを飲んだことは忘れた。

たらふく食って帰ってきたらもうばてばて。今日は本当に疲れた。でももう明日は帰るだけだ。何時に帰ろうかな。まあ、目が覚めてちょっとゆっくりしたらさっさと実家を後にしよう。もう思い残すことはない。今夜はゆっくり寝よう。眠れるだろうか。

昨日も21時半に寝たが、やはり眠れずにいったん起きて、なんだかんだして1時間くらいしてまた寝た記憶がある。夜はよく眠れて朝は6時15分に自然に起きれた。朝食を食べてから大阪に行く準備をする。昨日のうちにパッキングはほぼしているので、当日の朝に詰めるものだけさっさかさっさか詰めていった。

早く起きれたので、作業所の焼肉の企画書をパワポで作り始めてしまった。なんでこんな時にこんなことしてるんだろうなあ。これから旅に出るというのに。

9時に家を出てバスに乗り、地下鉄に乗り換え。電車に乗ってびっくり。けっこうな密ではないか。前は「隣り合って座るの嫌だなあ」てな感じだったが、今日は立ってる人がいっぱいいる。いやまあこれがふつうの光景なのだが、いつの間にか街は普通の光景に戻りつつある。それでもまだ横浜市は完全に封じ込められてはいない。毎日1桁代ではあるが、感染者が出ているのだ。

新横浜駅に着いて切符を買い、ホームへ。もっと閑散としているかと思ったらそうでもなかった。そこそこ人はいる。

新幹線

新幹線に乗ってみたらまたびっくり。3月に乗ったときは1両に数人しかいないというすかすかなレベルだったのに、今日はけっこういるぞ。乗車率30%くらいか。それでも30%かよ、と突っ込まれそうであるが、30%というと横1列に1人か2人は誰か座ってるという状態である。3月はこんなことなかった。土曜日だからだろうか。でも3月も日曜日に来て土曜日に帰ったんだけどな。一応指定席にしておいてよかったかもしれない。自由席はどんな感じだっただろう?

新幹線に揺られて定刻通り12時21分に新大阪に着き、友達と合流。せっかく大阪に行くので、と思ってお茶でもどう?声をかけてみた。とりあえず新大阪の駅ナカのラーメン屋で腹ごしらえ。

ラーメン

そしてお茶をしようとスタバに行ったら、対面で話をできないようになっていた。テーブル席はいすが片方しかない。それはちょっと、と思ったので他を探したら、もうひとつカフェがあったのでそっちに入った。

カフェ

こっちは対面で座れるようになっていて、がらがらだった。お値段高めだったが、穴場?くろみつきなこなんちゃらというのを頼んだ。

くろみつきなこなんちゃら

友達とは最近LINE でよくやり取りしているのだが、会ったら会ったで話は尽きず、いつの間にか16時を回ってしまった。4時間近く喋ってしまった。いつのまにそんなに時間経ったんだ?てな感じだ。友達とさよならしてちょっと予定時刻をオーバーして実家へ。おおさか東線ができて実家に行くのがとても便利になったのに、実家に行くのはこれが最後になるのだ。

実家の最寄り駅で降りてからコンビニで弁当を買って実家に行き、食事をしてから自分の部屋の私物整理。父親が自分たちの荷物を勝手に断捨離していたというので、たいしたものは残ってないだろうが、自分の持って帰りたいものだけでもないか、と思って捜索を始めると、意外と懐かしいものがたくさん出てきた。と言っても持って帰っても仕方がないので、片っ端から写真に撮って捨てることにした。学生時代のサークル時代のものは思い入れが強すぎて困る。定期演奏会のパンフとかどうしようかなあ。持ってても仕方がない、とはわかっているのだが、自分が人生で一番楽しかった頃の思い出なのだ。捨てるに忍びない。まあすぐに帰るわけではないし、卒業の時の色紙とか「これは持って帰る」と決めたものと、とりあえず一緒に置いておいてまた後で考えよう。

なぜか中学時代のナウシカのペンケースが捨てられずに持って帰ることにした。

ナウシカのペンケース

卒論はあった。これがあるのはわかっていた。他のものは全部ない。そう思ってたけど。

卒論

偏差値70オーバー時代の黒歴史。

模試の結果

明日は44個の粗大ゴミを運ばないといけない。老体にむち打って頑張ろう。