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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

序章 幼少時から学生時代にかけて

この記録は1997年の発症から2009年くらいまでの記録を以前にまとめたものです。

序章 幼少時から学生時代にかけて

子供の頃、私はどんな子供だっただろう。笑い上戸で泣き虫で怒りん坊、そして一つのところにじっとしていられない、そんな情緒不安定な子供だったような気がする。躁鬱ヒストリー

中学生の頃、普段はこつこつと勉強をしているのに、定期テストの直前になるとどうしても勉強をする気が起きない、机に向かっても何も手もつかない、参考書を広げても問題集を広げても、同じ箇所をぐるぐる読んでいるだけでちっとも内容が頭に入ってこない、そういうことがたびたびあった。なぜなんだろう?なぜなんだかわからないが、自分のこういう性格というか性質は、将来自分にとても悪いことをもたらしそうな、そんな漠然とした予感を感じていた。

高校3年生のときだった。共通一次まであと数ヶ月という受験勉強の追い込みの頃、母親が病気で入院した。父親は単身赴任で週末しか帰って来れなかった。母親は10時間以上かかる手術に耐え、無事うちに帰ってきたが、自分はその間にアトピーが悪化して体中真っ赤になっていた。そしてこれはつい最近まで両親も知らなかったことだが、母親が入院していたその間、少しの間であるが自分は不登校を起こした。どうしても学校に行く気にならなかった。誰も咎めなかった。誰も知らなかった。

大学生のとき、サークルの仲間と1泊2日の小旅行に行った。電車で2時間たらずの小旅行。私はなぜかはしゃぎまくっておもむろにお城の壁を登ったりしていた。しかしその次の朝、なぜだかすごく体が重くなって動けなくなり、みんなより先に帰途につくことになった。「ペース配分のできない男」サークルの仲間は私のことをそう呼んだ。

その性格が、今の自分の状況につながったのだろうか。