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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は22時に寝た。YouTubeでなくスマホのRocket Playerで手持ちの曲をかけようと思って、ブラームスのドイツレクイエムを聴きながら寝た。その後のことはよく覚えていない。すんなり眠れたような気もするが、眠れなくて「もう1時間も経ったのか」と思った気もする。プレイヤーのタイマー機能で60分経ったら切れるようにしていたが、途中で切れたっけ?それは前の日だっけ?というあやふやな記憶。しかし23時頃に妻が入ってきたらしいが、それを覚えてないから前日の記憶だったのか。

ふと目が覚めると0時過ぎ。のどが渇いたのでキッチンへ行って牛乳を飲んだ。おまけに今日のおやつにととっておいたピーナッツを食べてしまった。あやうく1袋あけてしまうところだった。危ない。これは前のチョコクリスピーのように「たまたま目に入って食べたくなった」ではない。布団から出る時に「そう言えばピーナッツがあった。あれが食べたい。よし、あれを食べよう」と思って起きた。確信犯である。夜中に食べたらいかんと言ってるのに、なぜそう思ってしまうのか。いや思っても「いやいや太るからだめでしょう」と自分に言い聞かせられないのか。やはり眠剤が効いていると抑制が効かなくなるのか。

朝はつらくてつらくて、なんとか8時40分に起きたのだが、起きても頭はしばらくぼんやりしていた。朝食を食べて少しだけPCに向かった後、また横になった。昼前にいったん起きて布団の上で本を読んでいたが、内容がぜんぜん頭に入らない。相変わらず靄がかかっている。昼食を食べてからまた寝室に籠もる。それにしても暑い。今日からしばらく35℃が続く。今日は全国で東京が一番やばいらしい。

熱中症予報

14時まで亀のごとくゆっくりと本を読んでいて、その後妻と一緒に家を出た。今日は皮膚科へ通院。病院に着いて受付しようとしたら、「本日の受付は終了しました」と言われてびっくり。午前中から患者が殺到し、夕方までかかってやっと診れるという人数にまで達してしまったので、午後はもう受付を終了したという。う~ん、こんなことははじめてだ。いや、まあ10時に受付して17時に診察というのはあったか。しかしここまで混んでるのは久しぶりだ。コロナ対策のために診察を終了するのも早めてるらしいし、ここ最近はずっとこんな感じだったとか。ここはむちゃくちゃ混む皮膚科なのだが来月で閉院してしまう。我々を含めたここの患者たちはどこへ行ったらいいのだろう。今日は幸い薬だけ処方はしてもらえた。来月は午前中に行こう。

他の患者さんと看護師が話しているのを盗み聞きしたところ、このクリニックは9月にいったん閉院するが、12月からまた別の場所で開業するみたいなのに、看護師もまだそれがどこで、というのを知らされてないらしい。来月になれば多分わかるかも、ということのようだ。看護師とか事務の人たちも気が気でないかもしれない。いったん解雇されるのだろうが、また雇ってもらえるのだろうか。

昔通っていたメンタルクリニックが、どういう事情かわからないがそこの医者(多分雇われ)が別のところに開業して、自分たちを含めた元の病院の患者の一部をそっちに持っていったこともある。その医者について行って病院を変わったのだ。「みんなを連れていけるわけではないから内緒にしておいて」と言われたが、ああいうのはありなのだろうか。自分で自分に紹介状を書いたわけなのだが。新しい病院に行ったら、そこの医療事務のスタッフが前の病院と同じ顔ぶれだったので驚いた。患者だけでなくスタッフごと持ってきた。どういう理由かわからないが、ちょっと不思議だった。

何時間も待つかも、と思って覚悟したのだが、結局あまり時間がかからずに済んだ。お買い物をして帰ってきたが、皮膚科の時はいつも遅くなるので近くの中華料理屋で夕ご飯を食べて帰るのがルーティーンと化していたので、早く終わってそこがなんだかショボーン。いや、食べたかったら食べに行けばいいのだが、時間が早すぎるし、いったん家に帰ってきたらもう外に出る気はしない。

昨日扇子を買ったが、家用にもう1つほしくなったから100円ショップでまた買った。昨日の日記に書いた龍の柄だが、思ったほどヤンキーぽくはなかった。

扇子

帰ってきてからまた「これからの「正義」の話をしよう」を読む。曇った頭は相変わらずだ。夕飯の前までかかってやっと読み終えた。最後の方は読んでてさっぱり理解できず、同じところを何度もぐるぐる読んで、よくわからんから次へ進む、ということが多かったのだが、これは最初の方より内容が難しかったのか(より抽象的になっていったような気はする)、自分の頭が悪くなったのかどちらだろう。頭脳がずいぶん退化している。まあ、なんとなくはわかった気にはなったのでいいとしよう。

この本はアメリカの本なので、日本とはいろいろ歴史、宗教観、文化的なものも違えば、10年前の本なのでそれからアメリカ自身も変わってきているだろう。で、読み終わったけど、ん~結局正義って何かわかんない、という感じか。まあこれは結論を出す本ではない。しかしながら、いろんなものの見方をする人がいるんだなあという子どものような感想を残しておこう。個人的にはアリストテレスの考え方が好きなのだが、古い人間なのだろうか。笛は吹かれるためにある。だから笛はもっとも上手に吹ける人に与えられるべきだ。私は何のために存在しているのか。何に、誰に資するために生きているのか。自問自答する。

ところでこの本のもともとのタイトルは「Justice: What’s the Right Thing to Do?」だったらしいが、それに「これからの「正義」の話をしよう~いまを生き延びるための哲学~」と邦題をつけた人は天才だと思う。思わず手に取りたくなるもん。


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