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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2020年8月14日

気がつくと記事数が5,000を超えていた。これが5,001番目の記事である。次は6,000を目指そう。無駄にたくさん書けばいいというものではないが。

昨日は22時に寝た。BGMはベートーベンの「ミサC-dur」。C-durというのはハ長調のことである。これは3回生の時に定期演奏会で歌ったミサ曲。懐かしいと思って聴いてると、Agnus Deiが終わってKyrieに戻った。リピートにしておいたからだからだが、この曲は30分くらいだったか、それだけしか入ってないCDだったのか。今調べたら44分のようだ。2回目のKyrieは覚えているがその後は覚えてない。1時間以内には眠れたようだ。

朝は7時の目覚ましで目が覚めて、何度も何度も何度も何度も起きようとしたが、どうしても起きれない。やっと起きることができてやれやれ、と思ってふと気がついたらまた寝ていた、という夢を何回か見た。この夢は昔からときどき見るが、よほど何かプレッシャーを感じている証拠。プレッシャーの正体はわかっている。また来週から作業所通いが始まり、そうすると7時台には起きないといけないのに、ここ最近9時過ぎまで寝てたりするからだ。なんとしてでも早く起きなければ、と焦っているのに、体は動かない。8時半になってやっと起きれた。作業所に行くのには9時に家を出るから、超急いで支度をしてぎりぎりか。

今日は10時から某福祉施設でマインドフルネス講座。去年も4回の特別講座があったのだが、最初の1回だけ出た。今年は3回あるが予約制とのことで、最初は3回とも参加予約したのだが、すぐにキャンセルした。密にならないようにするため定員が5名だけなのだが、最近体調が悪いので朝動けないことも多く、欠席してしまうと申し込もうと思ったのに定員オーバーで諦めた人がいたらその人に申し訳ない。いい加減に申し込むのはちょっといかがなものか、と思ったのだ。当日の朝になって、行ってみて枠があいていたら参加しようということにしていて、昨日センターで職員に聞いたところ、今の所1人分だけ枠があいていたので今日行ってみた。

マインドフルネス講座は、むむむ、よくわからない。要は禅であり瞑想なのだが、う~む、難しい。難しく考える必要はないのだが、難しい。認知行動療法は完全に理論的なものなので実践はともかく理解はしやすいし、SSTはテクニックなのでこれもまたわかりやすい。しかしマインドフルネスは感覚的なもので、ちょっと自分は今日1日で悟りは開けなかった。それはそうか。でもまあこういうアプローチもあるのはおもしろいなと思った。とにかく過去や未来のことを考えず、「今」に注意を向けるのだ。スティーブ・ジョブズもやっていたし、Google、Facebook、Yahoo!といった企業でも取り入れてるとか。そういうので近年一気にブームに火がついたそうな。

福祉施設のプログラムがいろいろ動き出した。通年でやっているリカバリー系プログラムも再開したし、こういう特別プログラムも再開した。今月はマインドフルネスだが10月にNLP、12月にSSTをやるという。おおお、ついにNLPが出てきた。NLPとは「神経言語プログラミング」といって、ちょっと胡散臭いとも言われているのだが、まあなんというか、乱暴に言えば「脳を騙す」的な感じのやつだったと思う。私は昔友達に、NLPを使えば記憶を上書きできると聞いた。ほんまかいな?

お買い物をして帰ってきた。それにしてもあっついな~。中華料理屋のランチメニューのゴーヤチャンプルーに惹かれたが、お買い物をして生ものとか持っていたから、しかたがなく帰ってきた。

お昼ごはんを食べてしばらくしてから、ふと「今日はユニクロの米津玄師Tシャツの発売日じゃないか」と気づく。米津玄師は歌だけでなく絵も描く。MVには自身が描いた絵もたくさん登場する。その米津玄師デザインのTシャツが今日発売されると予告されていたので、これは買わなくては、と思っていたのでユニクロのオンラインショップにアクセスしたら、見事に全種類売り切れ。あああ、やっぱ人気があるのか。残念。次はいつ入るのだろう。もう売らないのかな。

その後は昨日借りてきた「モナドの領域」を読み進める。なんだろう、この小説。最初はミステリーかなんかだと思って読んでいたのだが、どんどん話が斜め上に進んでいく。途中から何の話かさっぱりわからなくなった。筒井康隆が登場人物に喋らせるセリフを読んでると、ときどき自分の化けの皮を剥がれたような気がしてドキッとすることがある。人間の本能をえぐられるような感じがするのだ。なんというか、大脳新皮質を1枚1枚剥がされて、いつの間にか大脳辺縁系が剥き出しにされているような感覚だ。

16時半くらいに読み終えたが、奇々怪々な小説だった。無理にジャンル分けする必要はないが、最初はミステリーなのかと思ったが、そうではなく、なんというか哲学的SFとでもいう話なのか?しかしまあ、筒井康隆の博学ぶりとボキャブラリーの豊富さ、特に哲学の知識には舌を巻く。最初は意味がわからない単語を調べたりしていたが、きりがないので途中から調べるのも放棄した。この話はいったいどこに着地するんだろう、という感じで話は進む。いきなり話がメタレベルになったりもする。その辺はやっぱり筒井康隆。「この世界はいったいなんなのか」「ここは小説の中の世界だよ」「それを言っちゃおしまいやん」みたいな会話が。最後にはこんな論理式まで飛び出すが、まるで意味がわからない。論理学なんてまるでわからないので、もうなにがなんやら。これはでたらめなの?

論理式

最後の最後で、一応自分がぎりぎり理解できる範囲で話は着地した。こういう話を書けるというのは筒井康隆しかいないのではないだろうか。