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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は23時過ぎに寝たっけな。3時に一度目が覚めてトイレに行き、また寝た。そして朝になって彼女の目覚ましが鳴って目が覚めたが、私はしばらく寝ていた。結局起きたのは7時10分。ちょいと眠い。それでもデイケアに行く準備をして朝食を食べ、家を出る時間までテレビを観ていたところ、腹が痛くなってトイレへ。そしてしばらくしてまたトイレへ。いかん、腹をこわしてしまった。トイレから出ても腹痛が止まらない。もう家を出ないといけないが、正露丸を飲んでしばらく様子を見ようと布団に横になった。そしてそのまま意識を失った。

気がつくと10時。腹の痛みはなくなっていたが、いつの間にか寝過ごしてしまった。私はリーダーなので午前中のスポーツを仕切らないといけないが、当然間に合うはずもなく、電話して遅れる旨を伝える。そしてそのまま行こうと思ったが、なんか眠たくてまた寝てしまった。次に起きると昼の12時。なんだなんだ、朝はそうでもなかったのに、やたら眠たい。結局彼女がバイトにでかける12時40分に一緒に家を出た。今日は月曜日なのでカウンセリングがあるが、それがなければ休んでしまおうかと思うくらい眠たかった。

病院についたら2時20分くらい。ミーティングの真っ最中だった。10月の外出イベントで行くところの最終決定をやっていたが、私が出した「マザー牧場」の案は既に落とされていて、「日帰り箱根温泉ツアー」か、「目黒寄生虫博物館」か、「矢切の渡し&柴又帝釈天」の3つから選ぶところであった。結局矢切の渡しになった。なんか今回は渋いなあ。

その後はカウンセリング。この時点でもずっと眠い状態が続いていて、眠いながらも先週から今週にかけての様子を話す。カウンセラーの話では、私はだいぶ自分のことを把握してコントロールしていけるようになってはいるが、やはり自分に求める理想像、目標が高く、そのギャップを埋めようと無意識に焦ってしまっているという。そのギャップが広がればまた悪循環に陥る可能性があるという。

「焦っている」という行動のあらわれの象徴的なことが、先週の土曜日、前の週に映画を観てその後調子を崩したにもかかわらず、そして夜に自分の結婚を祝ってくれる会があるにもかかわらず、その日の昼に「映画を観る」というイベントを入れたことだという。

普通なら先週映画を観て調子悪かったんだから、今日は夜に大事な会があるのなら今週は控えておこう、と思うはずだろう。しかしあえてそういう予定を入れてしまったのは、やはり「こんなはずじゃない。先週はだめだったけど今週は大丈夫だ」という、自分の中でリベンジしたい、というような思いがあったから。それは「映画くらいで疲れたりしない自分」という理想像に対するギャップを一刻も早く消し去ろうという無意識の決断である。

今回は映画を観てもそんなに疲れを感じずに夜の飲み会に出られたからよかったものの、これが逆の結果になっていたらどうなっていたか。今週もだめだったという失望の思いと、それに加えてもし夜の会に出席できないほど疲れてしまってパスしてしまような状態になっていたら、相当な自責の念が生まれ、そのギャップはますます大きくなり、悪循環に陥る恐れがあっただろう。

こう書くとあきらかに焦っている。焦っていないつもりだけど行動を見ると無意識に焦っている。このギャップを縮めるためには、もう自分で「焦っている」という事実を受け入れるしかない。「焦っている自分」を無意識から意識の表面上にもってくるのだ。無意識の領域にあるものはコントロールできないが、意識の上に出てきたものはコントロールできる。

日曜日に一日中寝ていたのも、今日もこんなに眠たいのも、やはり疲れが自分の予想以上に残っているからかもしれない。それはやはり今の自分の状態、つまり「これくらい活動したらこれくらい疲れて、そして回復にこれくらいかかるだろう」という見積もりに甘さがあるのだ。

自分の状態はまだ自分で思っているほど回復していない。自分のキャパシティがわかっていないから過活動になってしまい、疲れをあとに引きずってしまうのだろう。これからはもっと慎重になって、とりあえずこのギャップを広げないようにしないといけない。焦ってはいけないが、現に自分は焦っている。これを素直に認めるのだ。

カウンセリングが終わって帰るときもくたくただった。途中横浜でおいしいシュークリームを買って帰る。夕食後食べたらうまかったのだ。ささやかな楽しみである。


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