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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日の作業所が終わって帰ろうとしたときに、職員2人から「無理しないでね」と言われた。今回のお花見で、私がお弁当を10種類くらいから選べるようにしてみんなから注文を聞いたり、イラスト付きのチラシを作ったりしているのを見て「頑張りすぎてる」と思ったらしい。と言うか前々からそう思っていたようだ。「全部自分でやる必要ないよ」「もっと適当でいいよ」「手を抜くのも仕事だから」「適当に私たちに振ればいいんだよ」と言う。それはわかっている。全部自分でやってしまうのが悪い癖で、適当に人に振れば自分が楽になるのはわかっている。だけどそれが下手なのだ。

なぜ下手なのか。それは「自分の仕事を細かく分割して、その一部を切り出して外に出すこと」ができないからである。それは自分の頭の中で仕事の一連の流れが整理整頓できてないからだと思う。だから全部自分でやってしまう。よく自分では「自分でやった方が早いから」という言い方をするが、本当は「他の人に任せる部分を切り出せないから」なのだ。これは「ノーと言えない」というのとはまた別物。どうしたらいいのかな。ずっと昔からの課題だ。

他の人から「この部分やってあげるよ」と言われたら楽かもしれないが、それは主体的な任せ方ではないし、それに頼っていたら「自分で任せられるようになる」という学びもない。それに、自分から手放した部分に関しては、いったん自分の目から見えないところに行ってしまい、それを管理するというのがめんどうになる。自分はマネジメントがからきしだめなのだ。自分を管理できない人が他人を管理できるわけはない、とはよく言われるが、自分で管理できてないから人に任せる(人を管理する)のができないのか。考えれば考えるほどわけがわからなくなる。

家に帰って妻にこの話をしたら、「完璧主義者なのかもね」と言われたが、それとはちょっと違う気がする。完璧主義なら、「徹頭徹尾自分でやる」という信念が最初からあるのだが、そうではなくて「手を抜くところがわからないから結局全部自分でやる」ことになってしまっている。

まだまだ修行が足らんなあ。


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