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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年8月18日

昨日も寝つきはよかった。0:30、1:30、2:30と3回中途覚醒があったが、割とよく眠れた方だった。昨日、一昨日は中途覚醒したら、なにがなんでも追加眠剤をもらいにいっちゃる、ということにしてたが、両日とも1回目の追加眠剤は効かなかったので、戦法を変えてみることにした。0:30に目が覚めたときは、目が覚めたものの熟睡感があり、また眠れそうなのでそのまま寝た。1:30に目が覚めたときも同じである。だが、2:30に目が覚めたときは、どうも1時間ごとに目が覚める状態になっていて、このままだとやばい、と思ったので追加眠剤をもらいに行った。その後、4:00までぐっすり眠れた。結局、途中で3回起きたものの、21:00から4:00まで7時間は熟睡できた感じなので、朝は頭がすっきりしている。いつものように4:00から喫煙所で早朝覚醒組によるひそひそ話。ひそひそ話といっても別にやばいことをしゃべっているわけでなく、まだ寝てる人がたくさんいるから、というだけだが。

おじいさんがぼそぼそ歌を歌っている。どっかで聞いたことがある曲だけど、なんだったっけなあ、と思ってよく聞いてみると、慶応の学歌ではないか。懐かしい。と言っても私は別に慶応出身ではない。大学時代の合唱団で、有名な大学の学歌を遊びで歌っていたのでよく覚えているのだ。

9:00頃、病室にいたら卓球をやっている音が聞こえてきた。昨日教えたO嬢が、「一週間でA君に勝ちたい!」とS君相手に練習していた。私も加わって、S君と一緒にコーチする。バックハンドのサーブはけっこう決まるようになってきて、フォアの打ち方とショートを教える。やっているうちにさまになってきて、簡単な球を返してあげると、ラリーは続くようになってきた。だが彼女はまだフォアハンドのサーブを知らない。

卓球をやった後、妙に疲れた。そうだ、ここに入院して一週間は午前中は寝たきりで、徐々に調子があがってきているところだった。だけどまだ完全じゃない。今の自分は、何かにパワーを使った後、その反動が来ることをすっかり忘れていた。それで今まで、ちょっと調子がよくなったと思ったときに、今までの分を取り戻してやろう、とぐわ~っとなんでも一気にやろうとして、また調子を崩す、というパターンを繰り返していたのだった。ようやく調子があがってきたばかりの午前中に、いきなりこんなに動くのは不用意だった。昼食まで時間があるので、横になって心と体を休める。この辺は自分の状態を客観的に観察しながら、うまくコントロールしていかなくてはならない。今は恵まれた環境でストレスのない生活を送っているから、そういうコントロールをする余裕があるが、ストレスだらけの社会に復帰しても、同じように自分をうまくコントロールできるだろうか?

ちょうど昼食時に、大学の合唱団の同期のHとKが面会に来てくれた。お願いしていた山岳雑誌「山と渓谷」を持ってきてくれた。食事が終わるのを待ってもらって、しばらく病室で話し込む。なぜか話題は私の持っているWindowsCE端末と、Hの持っているザウルスの話に。病室には他に誰もいなかったのでそこでしゃべっていたが、Iさんが戻ってきてお休みモードに入ったので、外へ出ることにした。いつもの丘に案内してしばらくしゃべった後、暑いので日陰を探して散歩。病棟と病棟の間の廊下でまたしばらく話しこむ。今度はなぜかコンピュータウィルスの話やWindowsやMacの仕組みが話題に。なぜこういう話ばかりになったのだろう?散歩の規定時間である1時間がせまってきたので、2人に別れを告げ、病棟に戻る。

病棟に戻ると、週末のカラオケ大会をやっていた。いつもは古い演歌しかないが、今日は別の病棟から新しい曲の入ったディスクを借りてきたらしい。予約リストがいっぱい入っていたが、今戻ってきたということで、「次歌っていいよ」という言葉に甘えて、尾崎豊の「I Love You」を歌わせてもらった。「裏声がじょうず~」と看護婦さんが誉めてくれた。だてにヴォーカルアンサンブルをやってるわけではない。ヴォイス・パーカッションとヴォイス・トランペットを披露すると、うけてくれた。看護婦さんはアカペラが好きだそうだ。

大学時代の同期と後輩からメールが来ていたので返事を書く。最近、たくさんお見舞いメールをいただいて返事を書くのがなかなか追いつかない状態だ。とても嬉しい悲鳴をあげている。また「今まで誰にも言えなかったけど、自分もストレスでうつ病になりかけたことがあった。あの時はとても辛かった」という告白メールももらった。そうなんだ、苦しいんだけど、つらいんだけど、人に言えない。それでどんどん自分で悩みを抱え込んでいってしまうのが、悪循環の始まりなのだ。今はメールをもらうたびに「こんなに自分には頼れる仲間がいるんだ」と改めて実感する。「一人で頑張りすぎて、心が風邪をひいてしまった」自分にとって「支えてくれる」「見守ってくれる」仲間がいるということが実感できることがとても嬉しい。友達は一生の財産だ。さんざん迷ったが、カミングアウトしてよかったと思った。

土曜日は外泊が多く、夕食時も閑散としている。みんな家族の元へ帰るのだろう。帰るところがある人はうらやましい。私には帰るところがない。帰るところといえば、散らかって埃だらけの自分の部屋だけだ。医者は「一週間に一回くらいは外泊して、徐々に社会復帰の訓練をした方がいいかもしれないね」と言っていたが、あの部屋に戻って一人で一晩過ごす、というのは今の状態ではまだきついと思う。先週は眼科の検査のために外泊して、そのときは平気だったが、その次の日にものすごく疲れてしまった。一人でいることが精神状態を不安定にする。そのときは自分で気づいていなくても、それは後から襲ってくる。人混みの中を1時間歩いただけで疲れ果ててしまったのだから。しかし、いずれはあの部屋に戻って一人暮らしを再開し、ストレスフルな社会に復帰しなければならない。それを考えると、まだまだ道のりは遠いような気がする。

他の患者といろいろ話をしていて、「趣味をたくさんお持ちのようですね。趣味を持ってる人はうつ病になりにくいと聞きますが」と言われた。どうも一般的にはそうらしい。趣味がストレス発散になっているからだ。ではなぜ私の場合は趣味を楽しんでるのにうつ病になったのか。それは、一つには私の一番の趣味が「コンピュータ」であり、その一番の趣味を職業に選んでしまったから、ということかもしれない。私は趣味は持っていたが、仕事人間でもあったのだ。

小学生の頃からコンピュータでプログラムを作っていて、大学でも情報工学を専攻し、コンピュータを専門に勉強していた。会社に入ると即戦力扱いされて、ばんばん仕事を与えられて、それをこなしていった。が、あるときどうしても解決できない問題にぶちあたり、なんとか一人でそれを解決しようと頑張り、徹夜をくり返したり、かなり無茶をやったにもかかわらず、一向に問題は解決できなかった。一人で問題を抱え込んでしまうこと、そして自分の一番の得意分野であるコンピュータで解決できない問題にぶちあたった挫折感、そういうことが私の「心の風邪」をひきおこしていったのだ。

外出していたKさんが戻ってきたとき、看護婦に呼ばれてナースステーションに入っていき、何やら話をしていた。と思ったら、また外に出て行った。その後しばらくKさんの姿が見当たらないな、と思ったら、19:30にようやく喫煙所に姿を見せた。外出時に酒を飲んできたため、しばらく外に放り出されていて18:30に病棟に入らせてもらったものの、アルコールの匂いが消えるまで部屋から一歩も出るな、ということだったらしい。ここにはアルコール依存症で入院している患者もいるため、院内はもちろん、院外でも飲酒は厳禁である。外に出されていたのもアルコールの匂いがするからだったそうだ。Kさんにはしばらく外出禁止例が出た。

私は酒があんまり強くなく、好きな方でもないのであまり心配はないが、別にアルコール依存症で入院しているわけでもない患者にとって、入院中いっさいの飲酒を禁止されるのはさぞかし辛いだろう。私は大学の一年のときに、急性アルコール中毒で救急車で運ばれた経験があり、つきあいで飲むときも無茶はしないことにしている。でも中には、「体質的にアルコールがだめな人間がいる」ということをどうしても理解できない人種がいる。いわゆる「俺の酒が飲めないのか」タイプの人間で、私がこの世で最も最低の人種だと思っている。そういう人間に出くわして飲酒を強要されたときは、「私は大学生のときに先輩に無理やり飲まされて、急性アル中で病院に運ばれたことがあります。もし私が死んだら、あなた私の親にどう言って謝りますか」と言ってつめよる。ここまで言うとさすがに相手はたいていひいてしまう。実はこちらは「してやったり」と思ってるのだ。

夜は卓球してまた汗をかいた。アトピーなので汗をかくたびに塗らしたタオルで体を拭き、シャツを取りかえる。けっこう面倒だが、自分の体はきちんと自分で管理しなければ。卓球は少しずつ勘を取り戻してきて、「腰でボールを運ぶ」感覚と、ドライブのひっかける感覚が戻ってきた。

20:00になった。また5種類の眠剤を飲んで、パジャマに着替えて洗面。その後消灯時間まで、ホールでおしゃべりを楽しむのが日課になっている。今日は人が少なくて寂しいだろうな。