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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2003年1月2日

今日も寝正月。

朝からずっと寝まくる。食事もとらずにひたすら寝る。そもそも食うものもない。今日は彼女と初詣に行く約束をしていたが、とても行けそうにない。家の電話が鳴って目が覚めたが動く気がせず、留守電になって切れた。その後携帯が鳴ったがやはり動く気がせず放っておいた。切れてからのろのろと時計を見ると昼前だった。携帯を見ると彼女からの不在着信と、いつの間にかメールが届いていた。メールの着メロには気づかなかったようだ。「今日、行けそう?」と書いてあるがもちろん無理である。そのまま電話すればいいものを、また寝てしまった。

昼過ぎになってようやく起き出す。昨日の昼に横浜でハンバーガーを食べて以来何も食べてない。コンビニでも行こうと思って外に出たら、すぐ近くの弁当屋があいていたので弁当を買ってきて食べた。他には酒屋、パチンコ屋、薬屋があいていた。酒屋とパチンコ屋はわかるが、なぜ薬屋が2日から営業するかな。

食べ終わってまた寝てしまった。寝てばかりだが、浅い眠りなのでよく夢を見る。自分の夢にはよく実家や家族が出てくる。その他には昔の友達なんかもよく出てくる。いずれも普段はほとんど忘れているものばかりだ。普段の生活でよく目にする場所や人などはあまり出てこない。深層心理の一部を垣間見る時間だ。そして布団に入ってぼ〜っとしているとき、眠っているわけではないが、ふと最近に見た夢の一場面を思い出したりする。ああ、なんでこんなところが出てくるのか。何でこんな懐かしい人が出てくるのか。自分でも不思議でたまらない。そして夢の内容を反芻しているうちに、以前に見た夢のかけらが次から次へと頭に浮かんでは消える。自分の頭の中には夢で見る世界が独立して存在しているのだろうか。普通に起きているときはその中身は見えないが、眠ったり瞑想状態に入るとその扉が開かれるのだろうか。これからまた夢の中へ旅立とうか。いい夢が見れるといいのだが。