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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2002年1月

最近睡眠は割と調子がいい。寝付きがよくなった。昨日はCDをかけなかったが、割とすぐ寝入ったような気がする。昨日読んだ本に書いてあった、「呼吸にあわせて数える」というのを試していた記憶があるが、それで眠ってしまったのだろうか。自分が息を吐くのにあわせて「ひとーーーー」吸いながら「つ」。けっこういいかもしれない。夜中目が覚めたが、そのときは時計は見なかった。次に目が覚めたら4:00。その後もけっこう眠れた気がする。5:30をまわってから洗面所がざわつき始め、それからはずっと起きていた。6:00ちょっと前に起きて洗面に行った。

喘息の治療のためYK病院に通院。8:30の予約なのに40分くらい待たされた。年始なのでかなり混んでいるようだ。でも9:30くらいには終わった。

病院へ戻る。今日はいろいろあった。

昨日は序文しか日記を書いてなかった。まあこんな日があってもいいや。昨日は割と寝付きはよかったのかな。けっこうぐっすり寝たような気がする。目が覚めて時計を見たら4:00だったので、それまでは割と熟睡していたようだ。うすらうすら、あれ布団がおかしくなってるぞ、と思った記憶はあるが。その後も割とよく寝たようで、洗面所の音で目が覚め、もう5:30を過ぎていた。それからうつらうつらで、6:00の起床の放送で「目覚めのヨーガ」をやって寝た。

昨日は就寝時刻近くになってから、FWさんが窓から飛び降りようとしたらしく、準夜勤のT看護婦とI看護士が大慌てで、FWさんを保護室に入れるためにMNさんに2人部屋に移ってもらい、その部屋で寝ていたMZさんを起こしてうちの部屋に連れてくるという移動が21:00を過ぎて行われた。MZさんもこっちもいい迷惑だ。保護室ってのはいざというときのためにあけておかないといけないんじゃないのか。保護室を本来の目的以外で使ってるんじゃないか。

今日は体重測定があった。いつもなら第一水曜日だが、先週は年始だったのでなかったようだ。61.4kgで、先月から0.6kgしか減ってない。この体重計は低めに数値が出るが、年末の外泊に出る前は通常の体重計でこの数字以下の値が出ていたので、いったん減った体重が年末年始でまた増えてしまったようだ。作業棟へ行って計っても、1kgくらい増えた気がする。でも、体脂肪率はなぜか減っている。筋肉がついたのか?そう言えば昨日KNさんに背中に乗ってもらっているときに、すごい筋肉質だと言われた。脂肪が全くついてない。実は中についているはずなんだが、それも落ちたのだろうか。足も太いと言われた。今日自分で見てみると、確かに太くなっているような気がする。

昨日から読んでいた「自分でもユーウツになる『その性格』を変える」を読み終えた。いろんな性格を「脳の癖」と称して大脳生理学的に様々な神経伝達物質の名前を出してはメカニズムを解説し、これらの物質を薬でコントロールしても一時的に症状は改善されるが、生活習慣や心の持ちようを変えることによっても、それらをコントロールし、自分の性格を変えることができる、というのが主な内容だった。「恋愛することが、脳を若返らせ、精神を安定させる」と書いてあり、思わず付箋を貼ってしまった。そういやこの本の前半部分で、人間の最も大きな欲求は性欲で、それは食欲や睡眠欲よりも大きい、と書いてあった。恋愛はその性欲を刺激するのであろう。性欲が他の欲求よりも強いのは、食欲や睡眠欲が「個体」としての生存のみに関わるのに対して、性欲は「種の保存」に関わるからではないだろうか。

入浴後、同じ講談社+α文庫の「やる気の健康医学」を読み出した。目次を見ているとなかなかおもしろそうなテーマを扱っているが、読み出してみると森田療法の本だった。東京新聞に連載されたものをまとめた本らしく、一つ一つのトピックは短く、いかにも新聞の連載、という感じだ。ときにはネタにつまって苦しまぎれに書いたのでは、と思うものもある。まあ、今までいろんな本を読んできた私にとっては軽い読み物程度の感覚だ。うつ病のような精神病でなく、テーマとしては「森田神経症」を主に扱っている。神経症は性格的なものだそうだ。

おなかが張って痛い。また便秘気味だ。夜に1回出たものの、量は少ない。下剤を飲んでもあまり効果はない。最近この傾向が続いている。なんとかならんのかなぁ。

昨日はchemistryのCDを聴きながら寝たが、少し寝付きが悪く、時間がかかった。が、CDが全部終わるまでには寝付いたようだ。最初に目が覚めたのは1:00頃だったか。いつもの通り、時計を見るまではもっと時間がたっているかと思った。その後は3:00頃だったかな。後はよく覚えてないが、4:30頃からうとうとを繰り返していたような気がする。6:00の起床のアナウンスで「目覚めのヨーガ」を軽くやり、起きて洗面に行く。

昨日は尾崎豊のCDをかけながら寝たが、多分寝付きはよかったと思う。夜中目が覚めると3:00だった。その次は4:30くらいだったか。HNさんの寝言がすごかった。その後は割と眠りが浅かったが、起床のアナウンスまでうつらうつら寝ていた。久々に「目覚めのヨーガ」を軽くやって起きた。

今日はなんかだるいので作業療法はパスしようと思って寝ていた。が、Mちゃんが病棟に来ているよ、とS君に言われ、ホールに出ていった。Mちゃんには年賀メールが来ていたので、返事で出しておいた。「作業棟で陶芸やってるから」と言って彼女は行ってしまったので、自分もチャリ漕ぎはパスして適当に何かしていようと思い、オカリナを持って作業棟へ行った。

その後はピアノを弾いたり外でオカリナを吹いたり、中でギターを久しぶりに弾いたりして、10:30頃病棟に戻ってきた。

3週間ぶりのカウンセリングでは、新年会で躁状態から鬱状態に陥ったことを話した。N氏から「CD止めていい?ちょっといらいらしてきた」と言われて、自分では我に返ったと思っていたが、そうではなくて、「周りが見えてない」状態は変わらず、逆転しただということを指摘された。つまり、はしゃぎまわっていたのに、いきなり静かになって固まってしまって、逆にその場の雰囲気が気まずくならないか、言った本人も「言い過ぎたかな」と思ったりしないか、そういう風に「周りに気をつかう」ことができていなかった、ということだ。その問題について徹底的に話した。

結局自分のパターンの一つなんだろうが、そこで周りが見えなくなる、後から話をしているときには頭でわかっていても、その時に思考が停止するのは、強い感情によって思考が遮られているからだろうということだ。その感情とは何だろうか。私にとっては、それによって失うものがよっぽど大きいのだろうとカウンセラーは言っていた。それは自分の完璧主義とつながる。一つの欠点でも指摘されると、全否定された気分になり、自分にとってマイナスの感情が自分を支配し、自己嫌悪に陥り、鬱になる。そこでその感情を流すことが今はできていない。これからの課題の一つだな。

朝は7:30頃に起きた。結構よく眠れた。朝から大忙しだ。何をやっただろうか。年賀状の返事を印刷して一言書いたり、まだ捨てられる段ボールをたたんで整理したり、昨日買ってきたCD-RWドライブの箱もたたんだり、ちょこちょこ掃除機をかけたり。

病院へ戻る。予想以上に体が疲れていて、帰ってから夕食まで、そして夕食後もしばらくは横になっていた。準夜勤に交代したY看護婦が病室に来た。私の外泊報告書を読んで、新年会でハイテンションになって鬱が来たことを知っていたようだ。「自責の念から鬱が来る」と言う自分の心境を話すと、Y看護婦は「わかるような気がする」と言っていた。彼女もうつ病で入院したという噂を聞いたことがあるが、あの噂は本当なのかもしれない。

夜にKさんと話をした。はじめに新年会で鬱が出た話をしたら、「誰だってテンション高くなることはあるし、迷惑を全くかけないで生きられるわけなんかないから、それで人に何か言われても、あ、そうか、で流せるように自分を変えていかないといけないよ」そう言われた。