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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は尾崎豊のCDをかけながら寝たが、多分寝付きはよかったと思う。夜中目が覚めると3:00だった。その次は4:30くらいだったか。HNさんの寝言がすごかった。その後は割と眠りが浅かったが、起床のアナウンスまでうつらうつら寝ていた。久々に「目覚めのヨーガ」を軽くやって起きた。

今日はなんかだるいので作業療法はパスしようと思って寝ていた。が、Mちゃんが病棟に来ているよ、とS君に言われ、ホールに出ていった。Mちゃんには年賀メールが来ていたので、返事で出しておいた。「作業棟で陶芸やってるから」と言って彼女は行ってしまったので、自分もチャリ漕ぎはパスして適当に何かしていようと思い、オカリナを持って作業棟へ行った。

その後はピアノを弾いたり外でオカリナを吹いたり、中でギターを久しぶりに弾いたりして、10:30頃病棟に戻ってきた。

3週間ぶりのカウンセリングでは、新年会で躁状態から鬱状態に陥ったことを話した。N氏から「CD止めていい?ちょっといらいらしてきた」と言われて、自分では我に返ったと思っていたが、そうではなくて、「周りが見えてない」状態は変わらず、逆転しただということを指摘された。つまり、はしゃぎまわっていたのに、いきなり静かになって固まってしまって、逆にその場の雰囲気が気まずくならないか、言った本人も「言い過ぎたかな」と思ったりしないか、そういう風に「周りに気をつかう」ことができていなかった、ということだ。その問題について徹底的に話した。

結局自分のパターンの一つなんだろうが、そこで周りが見えなくなる、後から話をしているときには頭でわかっていても、その時に思考が停止するのは、強い感情によって思考が遮られているからだろうということだ。その感情とは何だろうか。私にとっては、それによって失うものがよっぽど大きいのだろうとカウンセラーは言っていた。それは自分の完璧主義とつながる。一つの欠点でも指摘されると、全否定された気分になり、自分にとってマイナスの感情が自分を支配し、自己嫌悪に陥り、鬱になる。そこでその感情を流すことが今はできていない。これからの課題の一つだな。


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