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鬱るんです
躁鬱病の元ITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、派遣のエンジニアをやったり小さなIT企業でほそぼそと働いたり、Web制作事業を立ち上げようとしたりしたが、今は就労継続支援B型事業所でリカバリーを頑張っている毎日。

昨日の睡眠の状況
 21:50 就寝
 01:47 中途覚醒
 02:59 中途覚醒
 03:10 中途覚醒 追加眠剤
 04:23 起床
昨日は早目に寝た。今日は朝に病院に戻らないといけないので、夜更かしは避けた。そして、最近は追加眠剤を使っていなかったが、そうすると朝に頭がぼんやりしてしまい、もう一度寝てしまうことも多かったので、昨夜は追加眠剤を使った。おかげで目はばっちり覚めた。しかし、追加眠剤のサイレース2mgが1時間くらいしかもたないとは。外は雨がけっこう強く降っている。今日も早朝散歩は無理そうだ。引越しに向けて捨てないといけないゴミだけでも捨てなければ。とりあえず傘をさしてゴミを捨てに行く。他にも紐でしばった書籍や紙袋につめたCDがあるが、これらは晴れの日に捨てよう。それにしても、少し頭がぼんやりしている。追加眠剤が残っているのか。もう少し眠れたかもしれない。あわてておきる必要はなかった。

朝はデイケアに出るには8時過ぎに家を出ればいい。が、朝早く起きたので暇だったから7時過ぎに家を出た。バスの本数が少ないので病院まで行くバスを15分ほど待つ羽目になったが、8時50分くらいに病院に着いた。今からなら作業棟へ行ってエアロバイクを漕いでからデイケアに合流することもできる。が、やめておいた。ちょっと調子がよくなったからと言っていきなりあれもこれも、と詰め込みすぎるのは自分の悪い癖だ。今日はちゃんと朝起きて、昨日の疲れも残さずに病院に来れただけで充分。デイケアの時間までちょっとゆっくり休もう。そう、今日もリラックス、リラックス。満員電車の中でもリラックス、リラックスで乗り切った。これから病院の中でも、何の活動をしていても常にリラックスを心掛けていって、自分の心の癖にしてしまおう。あせらずに、ゆっくりと、ゆっくりと。そう言えば、前回の入院のときから、2泊3日の外泊を疲れずに乗り切ったのははじめてだ。今回の外泊は成功だと言えよう。やっと前に進み出した。前にに光が見えてきた。

デイケアに行き、しばらく調子よくお喋りしていたのに、デイケア担当医が来てメンバーの訃報を知らされ、愕然となる。ショックでしばらく口もきけなかった。先週まであんなに元気に飛び回っていたのに。しばらく落ち込んで何もやる気が起こらなかったが、デイケアのプログラムは通常通り行われた。卓球と三角ベースをやって、少しは気が紛れた。でも病棟に戻って昼食を食べてると、またやるせない思いがこみ上げてくる。なぜなんだ、なぜ彼が死ななければならないんだ。なぜなんだ。

午後のデイケアはミーティング。朝はメンバーが少なかったので、ここであらためて師長からメンバーの訃報について話があり、お通夜や告別式の日時が知らされた。私もかけつけたいところだが、なにせ入院中のため夜の外出もできなければ喪服もない。退院したらお墓参りにでも行ってお線香をあげよう。いつもは明るいデイケアも今日は雰囲気が暗く重たかった。しばらくはこの状態が続くかもしれない。私もそうだが、本当に身近な人の死というものに直面したのははじめての人が多く、みんな相当ショックを受けている。みんなで彼の死を乗り越えて、また明るいデイケアに戻していきたいものだ。

デイケアの後はカウンセリング。自律訓練法を毎日やって、外泊では1日ごとに疲れをためないように注意したこと、そのために常にリラックス、リラックスを心掛けていたら、疲れを感じなく、ずっと調子が良かったことを話す。そして「流動的思考」を試してみて、入ってくる情報をため込まずにどんどん流していったことも話した。カウンセラーは「非常にいいやり方をしましたね」と言った。まずリラックスだが、リラックスするというのは副交感神経が優位に立つことだ。しかし、「リラックスしなければ」という思いに駆られると、その「しなければ」と言うのが自分にとっての命令となり、それは交感神経を優位に立たせること、つまり体を緊張状態に導くのだ。だから「リラックスしなければ」と思うのは矛盾していることだと言う。では私の場合なぜうまくいったかたと言うと、「リラックスしなければ」という命令ではなく、ずっと「リラックス、リラックス」とぶつぶつ自分で言っていたからで、それは命令ではなく、自己暗示となって無意識下に刷り込まれる。だからうまくいったのだと言う。そして「流動的思考」も、禅で言うところの「無」と同じことで、必要な情報を追いかけない、追い払わない、自然体で、そのままで、というのに通じるものがあるという。人はあることにとらわれると、それにかかり切りになってしまう。が、そのとらわれを除いてやれば無の境地になれるそうだ。何かを追いかけていることにとらわれていることは割と自覚しやすいが、何かを振り払おうとしていることは自覚しにくいという。禅をやっていて「何も考えではだめだ。ああ、こんなことが頭に浮かんできた。だめだだめだ」これは「「振り払おうとしている」とらわれだという。そして、電車の騒音や人混みなどの刺激を自分に素通りさせて流していくことは、この「振り払うとらわれ」から逃れることだと言う。カウンセラーにそう指摘されて、また少し自信がついたような気がする。睡眠に関しても自分は「眠れない、眠れない、なんで眠れないのだろう」ととらわれていたような気がする。今は眠剤の量は多いものの、夜中に3回くらい目は覚めるけど、ちゃんと眠って昼間活動している。それでいいじゃないか。とらわれを捨てると、また状態も自然によくなってくるかもしれない。

病棟に戻り、今度は主治医と面接をする。外泊がうまくいったことや睡眠の状況を伝える。あと何回か外泊を繰り返して退院ですかね、という感じだった。よし、順調にいけばあと1ヶ月くらいで退院できるぞ。来週は3連休で月曜日が休みなので、3泊4日にして火曜日の朝に帰ってくる、という外泊訓練をやりたい、と言うと認めてくれた。よし、外泊時だけでなく病院にいるときもリラックスと「流動的思考」を心掛けて、心と体の癖にしてしまうぞ。そして、報告という訳ではないが彼女と結婚することを話し、彼女の母親が私の状態について直接聞きたいので面接をお願いしたい、という話をしたら承諾してくれた。

明日の14時から15時までの間に服薬指導があるので病棟にいてくださいと言われた。明日は亡くなったデイケアのメンバーのお通夜がある。外出は16時までなので、入院しているから行けないと思っていたが、外泊届けを出せば行ける。看護婦に相談し、外泊届けを書く。15時までの間、と言っても時間がおして服薬指導が長引いたら、お
通夜に間に合わないかもしれない。うちから病院まで遠いので、家にいったん帰って服を着替えてくるのに時間がかかるのだ。喪服なんか病院に持ってきているはずない。看護婦さんと相談し、服薬指導を延期できないか明日の朝に聞いてもらうことにした。


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