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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2003年7月11日

昨日の睡眠の状況

 21:00 就寝
 22:59 中途覚醒
 01:47 中途覚醒
 02:50 中途覚醒 追加眠剤
 04:30 起床

中途覚醒は3回と最低記録をマークした。よしよし、この調子だ。できるだけ寝る前の眠剤でひっぱるために、目が覚めてもすぐに追加眠剤はもらいにいかず、3時前までねばっていた。2時50分に目が覚めたときに追加眠剤をもらいに行ったら、リミットぎりぎりなので看護婦は「微妙〜」としぶい顔をしていたが、なんとかもらって寝たところ、1時間半眠れて4時半に起きれた。この調子で、今度は中途覚醒はあっても、できるだけ最初の眠剤で引っ張って、追加眠剤なしで眠れるようにしていこう。薬は少ない方がよい。

朝一の体重を量る。最初の1ヶ月で4キロほど落ちたが、ここ1週間ほど停滞している。ダイエットは最初はぐぐっと落ちるが、ある程度落ちたらそこからなかなか減らないという。停滞期に入ってしまったか。これだけ運動して食事もダイエットメニューにして間食もいっさいしていないのに、体重が減ってくれないとは。私はもともと筋肉質で、手足には余分な脂肪は全くついてない。腹だけがみっともないのだ。ここを削るのは一番苦労するだろう。

朝4時半に起きたときは目が冴えていたのに、朝食前後あたりからまた頭がぼんやりし始めた。なんだろう。眠剤が残っているのだろうか。このまま寝てしまいそうになるが、それでは入院前のパターンと同じだ。どうすればよいのだろう。

なんか頭がぼんやりして気が乗らないので散歩は行かずに寝ていた。こういうときは無理矢理でも散歩に行った方がいいのだろうか。こうやってもう一度二度寝することが悪循環の始まりとなってしまうのか。それとも体の指令にしたがって休んだ方がよいのか。ケースバイケースなのかもしれないが、実生活に戻ったときに、どう判断すればよいか入院中につかめるようになっておきたい。

9時になったので作業棟へ行く準備をし、ストレッチを入念に行って作業棟へ。体力テストではなんと、「6段階中の6。非常にすぐれている」が出た。はじめてである。毎日運動しているからと言って、そんなに簡単に体力があがるものなのだろうか。日によってコンディションは違うだろうが、機械もひょっとしたら当てにならないかもしれない。とは言ってもけっこう高性能なマシンなのだがなあ。以前私が通っていたスポーツジムにあるのと同じ機種だが、ジムに通っていたときですら最高値は5だったのに。

それじゃあ、一般トレーニングもかなりいい値が出ると思いきや、普通だった。普通と言っても消費カロリーが198kcalとかなりいい方だが、以前200kcalを超えたときがあったことを考えると、もうちょっと高い数字が出るかと思った。初期負荷値がかなり高かったので、前半でばててしまったようだ。やはりたった10分の体力テストでは、ロングスパンの持久力を正確に出すことは難しいのかもしれない。

エアロバイクを終え、すぐにデイケアに合流。今日の午前は私の得意な卓球でトーナメント試合をするという。優勝はもらったと思っていたのに、今日はめちゃめちゃ不調で、凡ミスを連発して2回戦で素人に負けてしまった。素人と言っても運動神経のいい人で、長年デイケアで卓球をやっているからそこそこ上手だが、負ける相手ではなかったのに。サーブミス、スマッシュミス、平凡なショートのミス、数え上げたらきりがない。まあこんな日もあるさ。

午後のデイケアはフリータイム。将棋を指している人もいれば、ただお喋りしている人もいる。私もずっとソファに座ってお喋りしてたが、何かしようということになって、久々にUNOをやる。う〜ん、何年ぶりだろう。そんなこんなで昼のプログラムの時間は終わった。前は毎日スタッフが何らかの企画をしていたが、最近は「活動内容をメンバーの自主性に任せる方向にシフトしてく」とか言ってプログラムの内容が変わってしまった。スタッフが何か企画するのは水曜日だけ。後はミーティングだけとかセミフリーとかフリーとか、よくわからないプログラムになっている。メンバーはみんな単なるスタッフの手抜きだと言っている。

病棟に戻ると彼女が面会に来ていた。15時の約束だったが午後のプログラムが少し長引いたのだ。というかUNOが長引いたのだが。彼女とは結婚に向けていろいろ話をした。実は、こんなところに書くのもなんだが、まあ自分の日記だからかまわないのだが、自分が退院したら彼女と二人で住んで籍を入れようということになっている。式はあげない。自分がこんな状態なのでそれどころではない。できるだけ手間と金をかけずに実質的なことだけやってしまおう。式なんぞ後からでもできる。自分の中で一人暮らしというのがやはりどこかでネックになっていると感じていたし、彼女も一緒に住みたいと前から言っていたので、自分が退院したら調子がよくなろうが悪くなろうが一緒に住むことにしたのだ。それは先週父が来たときにも伝えたし、彼女の母親も同意してくれている(父親は亡くなっている)。ただ、自分がこういう状態なので彼女の母親はやはり心配なようだ。私の状態について私の主治医に直接話を聞きたいらしい。私の方から主治医に話を通しておくので、彼女の母親に直接病院に電話して主治医との面接を申し込んでもらうことにした。

彼女の中には不安はないらしいが、私の中には不安がある。ちょっと前まではそんなに不安はなかったのだが、本当にやって行けるだろうか。自分の計画では、長くてもあと2ヶ月くらいで退院してデイケアにちゃんと通い、区切りのいいところで来年の4月から職場に復帰したい、という心づもりである。それまでは会社の健保から支給されている傷病手当金で食いつないでいかないといけない。もう2年以上も会社を休んでいる私にはあまり経済的余裕はない。引っ越しするだけでも金がかかるし、財形を崩してでもなんとかやっていかなくてはならない。それまで金がかかることは極力控えよう。今年の春から合唱団Pに復帰して、8月には合宿、9月には演奏会があってちゃんと参加するつもりだったのだが、それも見送ることにした。どっちも金がかかるのだ。今は本当に100円単位で節約している。しかし、また調子を崩して再入院することになったら、復職できなかったら、その後の生活をやっていけるのか。先のことを考えると考えるほど悪い方向へ思考が行ってしまう。そんな先のことを心配するより、まず今の自分の課題を一つずつクリアしていくことを考えなければ。結果はあとからついてくるはずだ。う〜ん、男の自分がマリッジブルーになってどうする。