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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

以前所属していた山岳会の仲間であるNさんが、関東を離れるということで、送別会に来ないか、というお誘いが先日きた。とても行きたかったが、17時から錦糸町で、ということで、まずそこで躊躇した。

横浜から錦糸町なんて、以前はそんなに遠くは感じなかったが、今では電車でずっと立っていくのはしんどい。(座れれば別だが)
それくらい自分は弱ってしまっている。

それに、今では経済的に切り詰めているところ。飲み会に行くとなると、数千円。以前はそんなに高くは感じなかったが、今ではそれだけのお札が出て行くのはしんどい。(稼げれば別だが)
それくらい自分は困窮してしまっている。

とても行きたかったが、そこはぐっと我慢、と思って、泣く泣く以下の返事を返した。


お誘いありがとうございます。

Nさんとも久しく会ってないので、ぜひ行きたいところですが、ちょっと無理そうです。いろいろと理由はあるのですが、

・17時から錦糸町となると、行くのはいいけど、途中でしんどくなっても帰ってくるのが大変。

・夜遅くに帰ってくると、次の日の体調に影響が出る可能性がある。

・経済的に切り詰めているので、飲み会への出席は困難

な状況です。

特に経済的なことに関しては、区役所の生活保護担当の方から、
「今のうちからできるだけ生活を切り詰めてください」
と言われており、生活保護になった場合を想定した生活をしているので、今後飲み会などはご遠慮させていただこうと思っています。

経済的にはまだ若干の余裕があるのですが、このままだともう時間の問題です。家計簿とにらめっこしていると、今の生活では生活保護になったときに赤字になってしまう月が多いので、妻と相談して、「お金があるうちに・・・」と言うのは極力やめて、本当に何か必要になったときの臨時出費だけにすることにしたのです。

一昨日は電子レンジが壊れて、痛い出費があったところ(T_T)

今後もいろいろ不義理をすることがあると思いますが、どうかご容赦ください。

それでは、皆さまによろしくお伝え下さい。


その送別会が昨日だったのだが、そのときの写真をNさんがfacebookに10枚もアップしていた。

それを見て、とても後悔した。

とても懐かしい仲間がそこにたくさんいた。
10年以上会ってない顔がそこで笑っていた。
自分もその輪の中にいたかった。

無理は禁物、と思ってはいるのだが、「ここぞ」というときには、多少の無理は覚悟したり、出し惜しみをするべきではないのだろうか。思い出はなにものにも代えがたい。万難を排して、いや万難があろうと行くべきだったのか、それとも行きたいのを我慢して正解だったのか。

そもそも正解などない。そんなことはわかっている。自分が最善と思ったとおりに行動する。常にバランスを考えて行動する。それらを見極める感覚を身につける。

「山は逃げない」と山屋の間ではよく言われる。仲間にも、生きていればまたいつか会えるだろう。だから、次に会えるその日まで、なんとしてでも生き延びるのだ。たとえ這いつくばってでも。

今朝、起きたら鬱だった。
何の前触れもなく鬱だった。
何の心当たりもなく鬱だった。

メンタルクリニックの通院日なのに、行くことができなかった。妻に薬だけもらいに行ってもらった。

昨日までは、外に出るのが億劫だとか、いまいち気力がないとか、気が重いとか、「鬱」とまでいかないレベルだった。これらは一般的に言われる「鬱」の症状のように思えるかもしれないが、自分の中では「鬱」ではなく、まだまだ「憂鬱」のレベルである。何度も何度も何度も何度も書いてきたが、「鬱」と「憂鬱」は全く別物である。

どう違うと言われても、説明できない。はじめて「鬱」に陥った時、自分の心身に何が起きているのか、全くわからなかった。今まで体験したことのない感覚であり、それ故に何かに例えることができなくて、言語化することもできなかった。今でも人には説明できない。「鬱」はあくまでも「鬱」なのだ。他の何者とも違う心と体の状態である。

鬱に陥ったのは、おそらく去年ODしたとき以来だろう。なにがトリガーになっているかもわからない。季節の変わり目などに、ホルモンのバランスがちょっと崩れただけで、だだだっと体調を崩すことが多いが、鬱もまたその一つに過ぎないのだと思っている。

鬱は22時を過ぎて、少し落ち着いてきた。それまでは布団にくるまって、目をぎゅっとつぶり、眉間にしわを寄せて、妻に「ごめんよ、ごめんよ」と言っていた。何にもないのに罪悪感や自己嫌悪を感じたり、「自分なんて死ねばいいのに」という希死念慮が出るのも、鬱の特徴である。ちょっとややこしいが、「死ねばいいのに」は「死にたい」と少し違う。違うからこそ去年は油断した。

外では嵐のように凄まじい風が吹いている。自分の鬱も、この風とともに吹き飛んでしまえ。

前回の記事の続きで、昨日参加した心理ワークショップで、「気」を送ってもらった後の話。

カウンセリングの受講生の実習が催眠療法ということで、被験者なる自分は催眠療法を受けた。自分は自律訓練法を昔からやっているので、催眠に対する誤解もないし、その辺の話は早い。まずは先生が自律訓練法を私の左手の温感で行ない、トランス状態に誘導し、言葉で潜在意識に働きかけてきた。

と書いたが、大半の人は???かもしれない。

自律訓練法というのは、たとえば「右手が重たい、右手が重たい」とか「右手が温かい、右手が温かい」とか、頭の中でつぶやきながら、その部位に意識を集中させる、という自己催眠である。この例で言うと、実際に右手がずしんと重く感じたり、本当に温かくなったりする。体をリラックスさせ、心身のバランスを取る効果がある。

自己催眠というと胡散臭そうに思うかもしれないが、医療現場でも用いられている、れっきとした治療法である。スポーツ選手なども取り入れていると聞く。私が教わったのは、ボイストレーニングの先生である。レッスンの最初に必ずこれをやらされた。

その後、受講生の実習として、再び催眠療法を受けた。その前に自律訓練法を行ったばかりだったからか、すぐにトランス状態に入ったような気がする。ヒーラーの話がオーケストラの話だったのだが、オケ伴で合唱曲を歌ってた頃のいろんな場面が、かなりはっきりとしたイメージとして視覚的に頭の中に出てきた。

自律訓練法では体をリラックスさせることはできても、それ以外の暗示を自分にかけることは難しい。訓練すればできるものなのだろうか?

昨日は、1月からお誘いを受けて参加している、心理ワークショップに行ってきた。友人Fがカウンセリングの講習を受けていて、その実習の場として無料で治療を受けている。いわゆる被験者の立場であるのだが、受講生だけでなく先生も治療に加わってくれるので、そこは安心している。

霊的ヒーリングやら気やら、まだまだ自分にはよくわからない世界だが、わからないものはわからないまま、とりあえず受け入れて、自分の反応を見ている、てな状態。

今回は、先月のように「ネット越し」ではなくて、直接「気」を自分に送ってもらった。しかし、正直言って、

「よくわかんない」

状態である。

ただ、3人のヒーラーのうち、1人が私の胸に手を当てた時、なんか「あったかい」を感じた。これは体温の温かさなのか、それともこれが「気」というものなのか、自分には区別はつかない。

私は理系だからなのか、それともそういう性格なのか、ときどき「理屈っぽい」と言われる。(本人の自覚はあまりない)
しかし、以前にも書いたが、「気」というものも含めて、非科学的、超自然的なことやスピリチュアル系のものに関して、頭ごなしに否定するわけではない。納得の行く説明がなくても、「これは自分の役に立つ」と思ったものは取り入れるというスタンスである。レメディーもまたその1つである。

東洋医学やらスピリチュアル系やら、いろんなところで出てくる「気」というものに関して、興味はあるし、実際に自分が体感できればおもしろそうだと思っている。しかし、今のところよくわからない。「気を送っています」と言われても、それを体感できないのだ。

ただ、その後に「ちょっと何かよくなりましたか?」と聞かれると、言われてみるとよくなったような気もする。文字通り「気」のせいなのか、それとも単なる気のせいなのか。

プラシボ的なものかもしれないが、自分自身は「プラシボでも、効けばそれでいいじゃないか」と思っている。まあこれはこれでそのうち、何かを感じ取れる様になるかもしれないし、ならないかもしれない。それはそれでいい。とりあえず続けてみるべ。

先週、寝る前のデパスを抜いたら眠れなくなったので、いったん元に戻して眠れるようになった。その後、再び抜いてみたら、今度は眠れた。そのままデパスなしでここ数日眠れている。

しかし、夜は眠れていても、日中はぐったりである。少しでも外に出たいのに、ものすごく気が重くて出られない日が続いている。先日は自治会の常任委員会があったが、あれは夜だったし、自治会館がすぐそばだったから行けたようなものだ。そのときでさえ、行くまではかなりしんどかった。

今日もいい天気だし暖かいし、外に出て散歩でもウィンドウショッピングでもしたいところだ。したいのに、外に出る、と考えただけで、ものすごく気が重い。どうしたらよいのやら。何か目的があって、どこかに行く用事があれば出られる、ということもあるが、最近はそれすら危うい。

先週は入院していた友人の面会に行こうと思っていたのだが、全く動けず。今週末には心理ワークショップがあるのだが、先月は行くことができなかった。今月も行けるかどうか、今からかなり不安である。

今までもこういう時期はいくらでもあったが、どうやって切り抜けていただろう。思い返すと、無理をせずに調子が上がってくるのを我慢して待つしかなかったような気がする。

一体いつまで待てばいいのやら。