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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2018年9月

今日も9時起床。昨日はぶちぶち目が覚めたような気がする。なんでだろう。午前中はなんだかだるくてずっと横になっていた。眠りが浅かったせいか。この雨のせいか。

緑内障の自分は定期的に視野検査を受けなければいけないのだが、今日はその検査日。外は超土砂降り。これはちょっとやばいのではないか、と思ったが予約なので行かねばならぬ。今日はキャンセルして予約を取り直したいところだが、視野検査の予約はなかなか取れないので、今日行かざるを得ない。覚悟して家を出る。

緑内障になると、視野がだんだん狭くなる。外側から視界が狭まってくる、というのではなく、見えない部分が増えていく、という感じ。そして最悪の場合は失明に至る。と言ってもちゃんと治療していればまず大丈夫とのこと。

視野検査は、まず左目に眼帯をして右目で検査機器を覗く。視野全体が白くて、真ん中に緑色の十字があり、そこから視線を外さないように指示される。そして「ピ・ピ・ピ」という音とともに、いろんな場所がいろんな明るさで一瞬光る。光ったのが見えたら手元のスイッチを押す。ここで疲れるのが、視線を動かしてはいけないこと。常に中心の緑十字を見続けなくてはいけない。光に反応してその方向を見てしまうこともあるが、それはそれでいい。その光に反応する瞬間は中心を見ていたわけだから。しかし素早く視線を中心に戻さないといけない。こういうのが疲れる。電子音とともにどこかが光るのだが、ダミーで音だけ出てどこも光らないこともある。集中力が必要で正直疲れる。

それを片目5分、両目合わせて10分。でも今は検査機器も進化して5分で済んでるが、昔はもっと時間がかかった記憶がある。最初に受けた2001年は片目30分くらいかかったっけ。めちゃくちゃ疲れた。

今日の結果は良好。眼圧は両方とも12mmHgとまあまあ。視野も前より良くなっていると言うが、良くなることはないはずなのだが。多分前に検査したときに、疲れてて集中力がなかったんだな。

視野検査は高いし、薬も高い。今日は7,570円もかかってしまった。千円札に羽が生えて飛んでいく。はあ。

9時過ぎ起床。午前中は音楽を聴きながらPCに向かってダラダラ過ごす。この無為な時間はなんだ。もっと生産的なことをしなさい、と自分でも思う。

昼過ぎに妻と一緒にTSUTAYAへCDを返しに行った。あっという間に用事は終わったので、ついでにどこか行こうか、そうだ来年閉店になる西口のダイエーにでも行こうか、と思ったのだが、明日は視野検査なのであまり疲れないほうがいいんじゃない?と妻に言われてやめた。ダイエーの方に行くと結構疲れるのだ。

結局ヨドバシに寄ってウォークマンの偵察をして帰った。自分のiPod nanoがそろそろやばいのだがもう生産中止になっているので、買い換えるとしたらウォークマンかなあ、と思ってちょいと見に行ったのだ。ラインナップがいくつかあって何がどう違うのかわからない。店員が寄ってきていろいろ説明してくれたので、ふんふんと話を聞いて、では持ち帰り検討します、と仕事のようなことを言って帰ってきた。地下1階の入口付近では、iPhoneXSが発売されたばかりとあって、どこのキャリアも必死だった。販促員が多くて必死に宣伝していたが、みんな何を言ってるのかさっぱりわからなかった。とにかくやかましかった。

今日はあまり疲れなかった。少しずつ慣れてきたかな。

昨日もよく眠れて9時起床。本当は今日は朝7時半から団地の清掃があったのだが、見事に起きれなかった。妻がひとりで出た。すまん、妻よ。

今日はいい天気でまた気温も上がった。最近上がったり下がったりで、それはそれできつい。午前中から昼過ぎまでずっと音楽を聴いて過ごす。昨日借りたアルバムはどちらもいい。それはそうと液晶がやばいiPodはいつまでもつだろうか。

今日の外出はどうしようかな、また公園にでも行こうかな、と思っていたら、妻が商店街にお買い物に行くというので荷物持ちでついていった。コンビニと激安衣料品店とドラッグストアをまわって、袋が3つとティッシュペーパにトイレットペーパー。こういうときくらいは役に立たなくては。最近何もやってない。

ずっとテンションが低い。鬱ではない。疲れているわけではない。妻もどういうパターンか読めないようだ。自分でもよくわからん。とにかくぼ~っとしてずっと考え事をしている。そのためか、最近ドジが多い。朝食後の薬を飲み忘れていたことが2回あった。インスタントラーメンを作って、そのままガスの元栓を閉めたはいいが、その前にコンロの火を切り忘れていた。めっちゃ危ないではないか。自分はどうしてしまったんだろう。先週の同窓会から帰って来てからどうもおかしい。抜け殻になったのか。

昨日は良く眠れた。最近では一番良く眠れたのではないだろうか。寝付きもよく、夜中もすごく深く眠れたような気がする。9時半までノンストップで寝ていた。何かが浄化されたような気がする。

午前中はちょっと空模様が怪しかったが、午後から晴れていい天気。引きこもってるのもなんだから外に行きたいな、と思ったが、どこへ行こうか思いつかない。妻がTSUTAYAへ行こう、と言うので15時頃に家を出てバスで横浜へ。

土曜日の横浜駅周辺は人だらけ。そう言えば今日から三連休だっけ。なんとかTSUTAYAはまりん横浜店まで辿り着いてお目当てのCDを探す。店内をさまよいながらも米津玄師と宇多田ヒカルのアルバムを探し当て、妻はゲスの極み乙女。のアルバムを2枚持ってきて、4枚をレンタル。TSUTAYAに来たのは何年ぶりだろう。いつの間にかセルフレジなんて仕組みになっていてすっかり浦島太郎。

妻はもう少し見て回りたかったようだが、私が疲れたサインを出したので早々に退散することに。すっかり人に酔ってしまった。まだまだ、だな。帰りも横浜駅の東西連絡通路の人混みには閉口。もう少しストレス耐性をつけないといけないなあ。

寂しい。

同窓会が終わって1週間弱。普段妻と医者くらいしか話し相手がいない自分にとっては、夢のように楽しい時間だった。それが終わってまたいつもの日常に戻り、淡々と元の生活を送っていた。

しかし、ときどき発作のように寂しさがこみ上げてくる。寂しくてたまらなくなる。寂しい。寂しい。寂しい。この寂しさを埋めるにはどうしたらいいんだろう。

昔は、いつも自分の周りには仲間がいた。高校の部活や大学のサークル、その後もいろんな合唱団やらアンサンブルグループやら山岳会に入ったりして、いつもわいわいやっていた。それが好きだった。それが当たり前だった。それが幸せだった。

今ではこんなわけのわからない病気になって、人生台無しになって、仕事も趣味の活動もなんにもやってない。仕事なら仕事で、事務的なことだけかもしれないが何らかの会話は発生するし、それだけでも人とコミュニケーションを取ることができる。人と接することができる。

が、今の自分には何もない。周りには誰もいない。誰とも話さない。もちろん妻はいつもそばに居てくれるし、それはとても幸せなことだ。だけど、やはり寂しい。先週は楽しかった。あんなに楽しみにしていたのにもう終わってしまった。話したかった人ともあまり話せなかった。次は何年後になるのだろう。それまで自分は一人ぼっちなのだろうか。また会いたい、みんなに。発作的にそんな思いが込み上げてきて泣きそうになる。自分はとても寂しがり屋なのだ。

昔なら気軽に電話でもかけて「よう、暇か?」なんてこともできたが、今ではそういうこともできない。みんな家庭を持って、仕事に家事に育児に忙しいのだ。自分のように暇を持て余してブラブラしているわけではない。取り残された自分がここにいる。

あの頃にはもう戻れない。そんな事はわかりきっているのに、あの頃は良かった、あの頃は良かった、あの頃は良かった。そんな郷愁に浸ってばかりいる。そんなことはもう終わりにしなければ。心の中で必死に叫ぶ。

「顔を上げろ。前を向け。自分」

自分の声が自分に届かない。