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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は21:00前にもう眠気がきた。これは入院してはじめてだ。このチャンスにベッドに潜りこみ、眠りに入る。目が覚めると0:30。相変わらずこのくらいの時間に目が覚める。でもまた眠れそうだったのでそのまま寝る。今度は2:00過ぎに目が覚め、また眠れるかな、と思って寝ようとしたが、今度は眠れない。2:45に追加眠剤をもらって飲んだところ、ようやく眠れて4:45起床。少し頭がぼんやりしているが、「どうでっか?」「まあ、ぼちぼちでんな」というところだ。

暖かいものが飲みたいのでコーヒーを入れようとしたら、ポットに水を入れたばかりでまだ沸いてない。Tさんがポットの前でお湯が沸くのを待っていたので、隣に座って同じく待つ。その間Tさんと話をした。彼女は今は鬱と拒食症だが、過食のときの癖で、ものを食べるとすぐに吐いてしまい、ほとんど病院の食事を食べてない。カロリーメイトの缶やウィダー・イン・ゼリーなどの流動栄養食で栄養分を補っているが、体力がとても落ちているそうで、すぐに立ちくらみが起こるらしい。リストカットはもう何回もやって、病院に入ってもやったらしいが、その前は自殺未遂も2回したという。大量に薬を飲む、いわゆるODというやつである。本当に死のうとしてやったらしい。「でも、睡眠薬じゃ何百錠も飲まないと死なないんだよ」と、「完全自殺マニュアル」が発売されて話題になった頃に興味本位で読んだときの知識でしゃべると、「うん、だから完全自殺マニュアルに書いてある、死にやすい薬を飲むの」とこたえた。びっくりした。私は学生時代に興味本位で読んだだけだったが、本当に「自殺の手段を知るため」に読んで実行する人が、やはりいたのだ。病院では薬は服用ごとに一回分を手渡され、看護婦の目に見えるところで飲まなくてはならないので、ODをやる心配はない。「でも退院したらまたやっちゃうかも」そう言うので「じゃあ、病院みたいに薬を親に預かってもらって、飲むときだけ渡してもらったら?」そう言うと、「自分で買いに行っちゃうの」そこまでやってしまうものなのか。私は自殺未遂は、発作的に歩道橋から飛び降りようとしたことがあるくらいで、基本的に自殺願望はないので、そこまでして死にたい、という人の気持ちはやっぱりわからない。同じ鬱でも、自分より悪化した人の心理は自分でもわからないのだから、うつ病でない人にとって、うつ病を理解するのはやはり難しいだろう。

起床時間になり、洗面所にいくと、またTさんがいて、ドライヤーを使っていた。「それ、自分のドライヤー?」「そうだよ」「それは取り上げられないの?」「うん、首はつらないから」自殺願望でも、どんな方法でもいいから自殺したいというわけではないらしい。首を吊る人の場合は、電気コードのついたドライヤーをはじめ、ひも類は全部取り上げられる。

テレビで天気予報をやっている。いや、NHKだから「気象情報」だ。民放は「天気予報」と言ってるが、NHKは何年か前からか「気象情報」と言っている。なんだか言い逃れっぽいニュアンスを感じる。台風が上陸しそうだ。火曜から水曜にかけてが危ない。やだなあ、買い物くらい行きたかったのに、三段式のよれよれの折りたたみ傘しか持ってきてない。台風のときは外へ出なければいいが、普通の雨のときでも三段式の折りたたみでは、ちょっと風がふくとすぐに曲がってしまうし、小さいので必ず肩が濡れてしまう。外泊時にちゃんとした傘を取ってこようかと思ったが、退院時に持って帰るのも面倒だ。駅前の100円ショップに、割と使えそうなちゃんとした傘が売ってるらしいので、それを買って使い捨てにでもするか。それはともかく、縦走に行っている仲間が心配だ。

今日は晴れているのでお洗濯。ここの洗濯機は100円を入れて、ふたをしめてスイッチを押すとまず30秒間浴槽を洗浄し、その後タイマーが動き出して、そこで洗濯物と洗剤を入れる。だが今日、私は大失敗をしてしまった。浴槽の洗浄が終わってふたを開けたら、なんと他の人の洗濯物が入っていたのだ。洗濯が終わって取りに来てなかったらしい。あちゃ~やっちゃったと言う私の隣にいたKさんが、「あ~やっちゃたね」と言って、一緒にしぼるのを手伝ってくれた。Kさんも同じことをやったことがあるらしい。シャツやズボンからして、どうもP君の洗濯物らしい。P君に謝って、ちゃんとしぼったから、と言うと「うん」答えた。彼とはほとんどしゃべったことはない。彼は何の病気か知らないが、いつも無表情で、ほとんど誰とも会話をしないのだ。

朝食後、7:30になるのを待っていつもの丘に行ってオカリナを吹く。今日はいい天気で日差しがきついが、風が吹いているので気持ちがいい。洗濯が終了していたので中庭に干しに行く。今日はよく乾くだろう。

さっき洗濯で迷惑をかけてしまったP君が畳のところに座ってぼ~っとしている。看護婦さんが「P君、大丈夫?元気?」と聞いても全く動かず何も答えない。だが、私が「P君大丈夫かい?」と話しかけた瞬間、走って逃げて行ってしまった。彼に嫌われてしまったのか、ひどく精神状態を乱してしまったのだろうか。

私は看護婦に一部始終を話し、相談した。「私はP君の病気は知らないけど、私はP君にどう接すればいいのでしょうか」看護婦さんは、「話はわかりました。普通にしてくれていていいです」と言ってくれた。だが気になる。私自身、他の人が気にしないようなことが気になったりするたちであり、病気でもあるので、彼に対してもどう接すればいいのか非常に悩むのだが、本当に「普通にして」いていいのだろうか。

昨日、私が仕事がうまくいかなくてストレスを溜めていったことを書いたが、実はちょうどその頃、趣味でもストレスを抱えていた。所属していた合唱団の練習がつまらなかったのである。指揮者の指導方法に疑問を抱いていたのだ。練習中の注意が発声に関する指摘ばかりで、それもその頃私が個人レッスンを受けていたボイストレーナーとのやり方と反するものだった。誉めるということもしない。叱られてばかりだった。歌い手が楽しく歌えるような練習ではなく、歌い手の音楽性を向上させるような練習でもない。練習中はひたすら苦痛だった。練習後にみんなで食事に行っておしゃべりするのが楽しみで、それだけのために練習に行っていたようなものだ。

だが、私がヴォーカルアンサンブル活動を始め、アメリカのプロのヴォーカルアンサンブルグループを講師に招いて2泊3日で実施された講習会に参加したりしているうちに、こちらの方がだんぜん面白いと思い、私はその合唱団をやめた。やめたこと自体は別にかまわないと思ったが、やめ方がまずかった。仕事で正月も実家に帰れず、仕事のストレスでうつ病の前兆が起こりはじめ、すでにおかしくなりかけていた私は、合唱団のメンバーに「今の練習なんてぜんぜんおもしろくない。指揮者がだめだ。ヴォーカルアンサンブルは楽しいので、そっちだけにするよ」という内容のメールを送ってしまった。わざわざそんなこと言わずに静かにやめればいいのに、そのために私は合唱団の仲間からものすごく反感を買ってしまい、その結果たくさんの友人を失った。未だにその合唱団の演奏会を聴きに行って、終演後にロビーにいても、みんな私を無視する。自分のまいた種だから仕方がないが、精神的に参っていたとはいて、やってはやらないことをやってしまった。思えば、仲間にずいぶんと不快な思いをさせてしまっただろう、という自責の念は未だに強く、あんなに仲良く遊んでいた友達を裏切ってしまった自分が許せない。あの過ちは二度と繰り返してはいけない。これもまた自分で自分を許せないできごとの一つである。

昼飯を食べたらなんだか眠くなってしまった。昼に寝ると夜眠れなくなるので、できるだけ眠らないようにしようと思っているが、30分くらいの昼寝をするのはかえってよい、と聞く。しばしベッドに横になる。そのままうとうとして、気がつけば13:45。毎週土日は13:30から15:00までカラオケタイムなので、やってるかと思ってホールに行ったがやっていない。今日はなしなのかな、と思い部屋に戻って「山と渓谷」を読む。今月の特集は「e-登山」読んでみると、私も知らなかったソフトとかあって結構便利そうだ。私はデジタルムービーは持ってるがデジカメは持ってない。昔から写真を撮るという習慣がないので持ってないのだ。デジタルムービーは、自分がクライミングをやっているところを撮ってもらって、後から自分で見て研究するために買った。だが、今ではすっかり山行のお供となり、毎回の山行で写した映像からピックアップして、山岳会のHPにアップしている。最近のDVは小さくてとても便利だ。私は山に登るとき、大きめのウェストポーチを愛用しているが、その中にすっぽり収まる。機種はキヤノンのIXY DV。どの機種にしようかお店で迷ったとき、機能的にはどのメーカーのも同じようだったので「世界最小再軽量」ということで選んだ。山に持って行くには少しでも小さいほうがよい。

GPSも以前は誤差が大きくて山ではあまり使いものにならなかったが、2000年5月の米国防総省のSA解除で誤差が10メートル前後となり、かなり精度があがったので、持っているとかなり役に立ちそうだ。だが、GPSに頼った登山はおもしろくない。やはり自分で地図を読んでルートファインディングするところにおもしろみがある。でも、いざという時のために持っておくのも悪くはないかもしれない。最悪の場合、無線機とGPSさえ持っていれば、遭難しても無線で現在地の経度と緯度を伝えることによって、迅速な救助を得られるのではないか。

14:30頃ホールに行くと、今ごろカラオケの準備をしている。いつも仕切役の二人が二人とも寝ていたのだ。時間は15:00までなので30分しかないが、看護婦さんのはからいで15:30までさせてもらった。

その後、16:00の服薬を待って、いつもの丘へ歌を歌いに行く。歌集を1から順番にせめるのはやめて、ぱらぱらと見て気にいった曲を歌った。40分くらい歌って、ついでに洗濯物を取り込んで帰ってきたら、けっこう足が蚊にさされていた。

ところで今日の昼に「カラオケやってるかな?」と思ってホールに行ったときに、やってなくて、じゃあ煙草でも一服しようか、と思ったときに、喫煙所に誰もいなかったので、吸わずに戻ってきた。ここに来て煙草の本数が増えてしまったなあと思っていて、それは暇だから、と思っていたのだが、それだけでなく、そこで仲間と「おしゃべり」ができるからだということに気づいた。煙草を吸わない人は、別にどこに集まるというわけでもないが、吸う人は自然と喫煙所に集まってくる。そしてそこに一つのコミュニティが生まれる。その「仲間意識」ができていたのだ。私は煙草を吸いたいという理由だけでなく、そのコミュニティに加わるために喫煙所に行っているのだ、ということに気づいた。基本的には私は寂しがりやなのだろう。

夜、高校時代の部活仲間のIが面会に来てくれた。近くに住んでながら実はなかなか会う機会がなく、会ったのは去年の忘年会以来だった。彼も私と同じく最近山を歩いていて、山の話を含めていろいろな話題で盛り上がった。小さな観用植物を持ってきてくれた。「観用植物を一つ持って行こうと思っているけど、根っこのある植物は『根付く』と言ってお見舞いには適さないと奥さんに言われた。お前はそういうこと気にするか?」とわざわざ事前に連絡をくれていたのだが、そんなこと一向に気にしないのでお言葉に甘えた。Tちゃんが持ってきてくれた花がそろそろしおれてきた頃なので、入れ替わりにちょうどいい。やはり緑がそばにあると心がなごむ。

2日風呂に入ってないので頭がかゆい。20:00の服薬後、洗面所で頭を洗う。ちゃんとお湯も出る。どうせ長い入院になるだろうと思って、入院前にばっさり切ってきたので洗うのはとても楽だ。ドライヤーを使わなくてもすぐに乾く。でも、さすがに2週間を過ぎたので少し伸びてきたかな。

着替えて洗面して、いつものパターン。これから消灯まで本日最後のおしゃべりを楽しむことにしよう。

昨日も寝つきはよかった。0:30、1:30、2:30と3回中途覚醒があったが、割とよく眠れた方だった。昨日、一昨日は中途覚醒したら、なにがなんでも追加眠剤をもらいにいっちゃる、ということにしてたが、両日とも1回目の追加眠剤は効かなかったので、戦法を変えてみることにした。0:30に目が覚めたときは、目が覚めたものの熟睡感があり、また眠れそうなのでそのまま寝た。1:30に目が覚めたときも同じである。だが、2:30に目が覚めたときは、どうも1時間ごとに目が覚める状態になっていて、このままだとやばい、と思ったので追加眠剤をもらいに行った。その後、4:00までぐっすり眠れた。結局、途中で3回起きたものの、21:00から4:00まで7時間は熟睡できた感じなので、朝は頭がすっきりしている。いつものように4:00から喫煙所で早朝覚醒組によるひそひそ話。ひそひそ話といっても別にやばいことをしゃべっているわけでなく、まだ寝てる人がたくさんいるから、というだけだが。

おじいさんがぼそぼそ歌を歌っている。どっかで聞いたことがある曲だけど、なんだったっけなあ、と思ってよく聞いてみると、慶応の学歌ではないか。懐かしい。と言っても私は別に慶応出身ではない。大学時代の合唱団で、有名な大学の学歌を遊びで歌っていたのでよく覚えているのだ。

9:00頃、病室にいたら卓球をやっている音が聞こえてきた。昨日教えたO嬢が、「一週間でA君に勝ちたい!」とS君相手に練習していた。私も加わって、S君と一緒にコーチする。バックハンドのサーブはけっこう決まるようになってきて、フォアの打ち方とショートを教える。やっているうちにさまになってきて、簡単な球を返してあげると、ラリーは続くようになってきた。だが彼女はまだフォアハンドのサーブを知らない。

卓球をやった後、妙に疲れた。そうだ、ここに入院して一週間は午前中は寝たきりで、徐々に調子があがってきているところだった。だけどまだ完全じゃない。今の自分は、何かにパワーを使った後、その反動が来ることをすっかり忘れていた。それで今まで、ちょっと調子がよくなったと思ったときに、今までの分を取り戻してやろう、とぐわ~っとなんでも一気にやろうとして、また調子を崩す、というパターンを繰り返していたのだった。ようやく調子があがってきたばかりの午前中に、いきなりこんなに動くのは不用意だった。昼食まで時間があるので、横になって心と体を休める。この辺は自分の状態を客観的に観察しながら、うまくコントロールしていかなくてはならない。今は恵まれた環境でストレスのない生活を送っているから、そういうコントロールをする余裕があるが、ストレスだらけの社会に復帰しても、同じように自分をうまくコントロールできるだろうか?

ちょうど昼食時に、大学の合唱団の同期のHとKが面会に来てくれた。お願いしていた山岳雑誌「山と渓谷」を持ってきてくれた。食事が終わるのを待ってもらって、しばらく病室で話し込む。なぜか話題は私の持っているWindowsCE端末と、Hの持っているザウルスの話に。病室には他に誰もいなかったのでそこでしゃべっていたが、Iさんが戻ってきてお休みモードに入ったので、外へ出ることにした。いつもの丘に案内してしばらくしゃべった後、暑いので日陰を探して散歩。病棟と病棟の間の廊下でまたしばらく話しこむ。今度はなぜかコンピュータウィルスの話やWindowsやMacの仕組みが話題に。なぜこういう話ばかりになったのだろう?散歩の規定時間である1時間がせまってきたので、2人に別れを告げ、病棟に戻る。

病棟に戻ると、週末のカラオケ大会をやっていた。いつもは古い演歌しかないが、今日は別の病棟から新しい曲の入ったディスクを借りてきたらしい。予約リストがいっぱい入っていたが、今戻ってきたということで、「次歌っていいよ」という言葉に甘えて、尾崎豊の「I Love You」を歌わせてもらった。「裏声がじょうず~」と看護婦さんが誉めてくれた。だてにヴォーカルアンサンブルをやってるわけではない。ヴォイス・パーカッションとヴォイス・トランペットを披露すると、うけてくれた。看護婦さんはアカペラが好きだそうだ。

大学時代の同期と後輩からメールが来ていたので返事を書く。最近、たくさんお見舞いメールをいただいて返事を書くのがなかなか追いつかない状態だ。とても嬉しい悲鳴をあげている。また「今まで誰にも言えなかったけど、自分もストレスでうつ病になりかけたことがあった。あの時はとても辛かった」という告白メールももらった。そうなんだ、苦しいんだけど、つらいんだけど、人に言えない。それでどんどん自分で悩みを抱え込んでいってしまうのが、悪循環の始まりなのだ。今はメールをもらうたびに「こんなに自分には頼れる仲間がいるんだ」と改めて実感する。「一人で頑張りすぎて、心が風邪をひいてしまった」自分にとって「支えてくれる」「見守ってくれる」仲間がいるということが実感できることがとても嬉しい。友達は一生の財産だ。さんざん迷ったが、カミングアウトしてよかったと思った。

土曜日は外泊が多く、夕食時も閑散としている。みんな家族の元へ帰るのだろう。帰るところがある人はうらやましい。私には帰るところがない。帰るところといえば、散らかって埃だらけの自分の部屋だけだ。医者は「一週間に一回くらいは外泊して、徐々に社会復帰の訓練をした方がいいかもしれないね」と言っていたが、あの部屋に戻って一人で一晩過ごす、というのは今の状態ではまだきついと思う。先週は眼科の検査のために外泊して、そのときは平気だったが、その次の日にものすごく疲れてしまった。一人でいることが精神状態を不安定にする。そのときは自分で気づいていなくても、それは後から襲ってくる。人混みの中を1時間歩いただけで疲れ果ててしまったのだから。しかし、いずれはあの部屋に戻って一人暮らしを再開し、ストレスフルな社会に復帰しなければならない。それを考えると、まだまだ道のりは遠いような気がする。

他の患者といろいろ話をしていて、「趣味をたくさんお持ちのようですね。趣味を持ってる人はうつ病になりにくいと聞きますが」と言われた。どうも一般的にはそうらしい。趣味がストレス発散になっているからだ。ではなぜ私の場合は趣味を楽しんでるのにうつ病になったのか。それは、一つには私の一番の趣味が「コンピュータ」であり、その一番の趣味を職業に選んでしまったから、ということかもしれない。私は趣味は持っていたが、仕事人間でもあったのだ。

小学生の頃からコンピュータでプログラムを作っていて、大学でも情報工学を専攻し、コンピュータを専門に勉強していた。会社に入ると即戦力扱いされて、ばんばん仕事を与えられて、それをこなしていった。が、あるときどうしても解決できない問題にぶちあたり、なんとか一人でそれを解決しようと頑張り、徹夜をくり返したり、かなり無茶をやったにもかかわらず、一向に問題は解決できなかった。一人で問題を抱え込んでしまうこと、そして自分の一番の得意分野であるコンピュータで解決できない問題にぶちあたった挫折感、そういうことが私の「心の風邪」をひきおこしていったのだ。

外出していたKさんが戻ってきたとき、看護婦に呼ばれてナースステーションに入っていき、何やら話をしていた。と思ったら、また外に出て行った。その後しばらくKさんの姿が見当たらないな、と思ったら、19:30にようやく喫煙所に姿を見せた。外出時に酒を飲んできたため、しばらく外に放り出されていて18:30に病棟に入らせてもらったものの、アルコールの匂いが消えるまで部屋から一歩も出るな、ということだったらしい。ここにはアルコール依存症で入院している患者もいるため、院内はもちろん、院外でも飲酒は厳禁である。外に出されていたのもアルコールの匂いがするからだったそうだ。Kさんにはしばらく外出禁止例が出た。

私は酒があんまり強くなく、好きな方でもないのであまり心配はないが、別にアルコール依存症で入院しているわけでもない患者にとって、入院中いっさいの飲酒を禁止されるのはさぞかし辛いだろう。私は大学の一年のときに、急性アルコール中毒で救急車で運ばれた経験があり、つきあいで飲むときも無茶はしないことにしている。でも中には、「体質的にアルコールがだめな人間がいる」ということをどうしても理解できない人種がいる。いわゆる「俺の酒が飲めないのか」タイプの人間で、私がこの世で最も最低の人種だと思っている。そういう人間に出くわして飲酒を強要されたときは、「私は大学生のときに先輩に無理やり飲まされて、急性アル中で病院に運ばれたことがあります。もし私が死んだら、あなた私の親にどう言って謝りますか」と言ってつめよる。ここまで言うとさすがに相手はたいていひいてしまう。実はこちらは「してやったり」と思ってるのだ。

夜は卓球してまた汗をかいた。アトピーなので汗をかくたびに塗らしたタオルで体を拭き、シャツを取りかえる。けっこう面倒だが、自分の体はきちんと自分で管理しなければ。卓球は少しずつ勘を取り戻してきて、「腰でボールを運ぶ」感覚と、ドライブのひっかける感覚が戻ってきた。

20:00になった。また5種類の眠剤を飲んで、パジャマに着替えて洗面。その後消灯時間まで、ホールでおしゃべりを楽しむのが日課になっている。今日は人が少なくて寂しいだろうな。

昨晩は、その前の晩と状況は似ていたが、少しいまいちだった。

寝つきはよかったが、0:30頃目が覚めて追加眠剤をもらう。しかし寝れなくて、またハンドヘルドPCを取り出してはメールチェックなんかやってしまう。やはり眠れないので2:00くらいにまたもらいに行く。その後は眠れたが、4:00に目が覚めて、それから眠れない。ぐっすり眠ってたのならいいのだが、昨日と違って熟睡感がない。昨日、時間に遅れそうになって鬱が入りかけたり、その後に躁が入りかけた影響かもしれない。

もう眠れないので喫煙所に行ってみると、すでに7人くらいの人が集まってぼんやりしている。みんなつらいんだな。中年の女性のTさんと、精神障害者に対する差別の話題から始まって、いろんな方面の話をした。「自分はどうも几帳面で完璧主義らしく、それがこの病気の引きがねになったようなんですよ」と話すと、「うん、そう見えるよ」と言われた。入院してまだ二週間なのに、すでに周りの人からはそうとわかるほど顕著なのだろうか。家庭環境の話をすると、自分は典型的なアダルトチルドレンなんじゃないか、と言われた。アダルトチルドレンの本を3冊貸してくれた。

ラジオ体操をしているときにS君と「ラジオ体操って朝一でやるにはきついよね」とか話をしていると、あとから昨日「うるさい」と注意されたYさんから「お前らラジオ体操しながらしゃべりやがって、うるさいぞ」ときつい口調で言われた。みんな休んでいるときならともかく、覚醒させようとしている運動でしゃべるのは、そんなにいけないのだろうか。うるさいと気が散ってラジオ体操に集中できないのだろうか。ま、Yさんは昨日も看護婦さんとやりあったりしたらしく、みんなも「今日のYさんは機嫌が悪い」と言ってたので、あんまり気にしないようにしよう。でもああいうきつい口調でものを言われると、私はすぐにへこんでしまう。いや、普通の人なら「へこむ」程度だが、私はそれが鬱に進行する。

いつもの丘にいってオカリナを吹こうとすると、先客がいる。多分20代前半の男性だ。どうしようか迷ったが、まあ、誰の場所というわけでもないし、海を見ながら「ロッホ・ローモンド」「O,Waly Waly」「Voice of Time」を吹く。思わず後ろから拍手が来た。さっきの若者だったが、「心が疲れちゃってたんですが、何だか癒されました」と言ってくれた。まさかそんなことを言ってくれるとは思ってなかった。本当に「癒して」あげられたのなら嬉しい。自分自身を癒すために吹いているようなものなのに。彼は、下の階の病棟らしい。うちの病棟はうつ病が多いが、向こうは節食障害とアルコール依存症が多いらしい。彼は昔アルコール依存症を治すために二回入院し、その後うつになったそうだ。このパターンは結構多いそうだ。自分の中に抱え込んでいるものを吐きだすための手段を探していて、最近は詩を書いていると言っていた。「単に逃げ道を作ってるだけなんですけどね」彼は言う。いいではないか、逃げ道を作って。詩を書くなんて、なんて素敵な逃げ道だ。アルコールやドラッグなんかに逃げるよりよっぽどましだ。それに、それは決して「逃げてる」わけではないと思う。私も入院してからずいぶん日記を書いたが、自分の思っていることをそのまま吐きだして書くことによって、そこにもう一つの自分がいることに気づいた。自分の日記は自分の鏡なんだ。書くことによって自分を客観的に見つめることができる。

昼前に主治医が来てくれた。今までになかった短いサイクルの躁鬱の状態について相談しようとアポを取っていたのだ。昨日までのできごとを話すと、「多少アップダウンはあるが、躁というほどではない」ということだ。本当の躁状態とはもっと激しいらしい。まあ私の状態については、抗鬱剤の量も増やしてみたところだし、まだまだ継続して様子を見る必要があるらしい。

ただ、自分自身、自分が「躁」かなと思っているときの行動を後から冷静に考えると、明らかにおかしい。人を無視して機関銃のようにしゃべったり、周りで寝ている人がいるかも確かめずに大声で会話したり。これも「うつ病」「うつ状態」と同じように、ちょっと気分的にハイテンションなだけなのか、本当に躁状態なのか、厳密な境界線はないのだろう。私の場合、抗鬱剤を増やして数日たつので、それがちょうど効いてきて、ちょっとハイになっただけかもしれない。ちょうどい良い精神状態に着地させると言うのは、医師も薬剤師もやろうと思っても無理だろう。まあ、なんでもすぐ気にするのが私の悪い癖なので、あまり気にしないように努めよう。

今日はAさんが退院して行った。入院日数は52日。多分会社の部長クラスの人で、喫煙所で話をしているときに、いろいろと話をさせてもらって、含蓄のあるお言葉もいただいた。退院の挨拶は実に立派なものだった。一応、状態が安定したから退院するそうだが、この病院にいてどれくらい安定した状態が継続すれば退院するのだろうか。それは自分で決めるものなのか、医師が決めるものなのか。

ところで「安定」した状態にも「安定した安定」と「不安定な安定」があるそうだ。なんのこっちゃと思うが、「安定した安定」は、たとえば下に凸の曲線の最下部にボールがあるような状態で、少しバランスが崩れてボールが横へそれても、また元の状態へすぐ戻る。それに対して「不安定な安定」は、上に凸の曲線の最上部にボールがあるような状態で、一応ぎりぎり安定はしているが、少しでもバランスが崩れると、もう元には戻らずに転がり落ちてしまう。なんとか「安定した安定」状態にもっていきたいところだ。

昼食時に私が左手で箸を持っているのに気づいたS君と、左利きの話になる。私は完全な左利きで、お箸もペンも左でもつ。ただしフォークとナイフは右利きの人と同じ用に左でフォークを持つ。これの利点は、ライスを食べるときにフォークを持ちかえる必要がないことだ。左手で文字を書いていると、よく「器用だね~」と言われるが、左利きなんだから左手で字を書くのは当たり前だ。私に言わせれば、左利きの癖に右手で字を書くやつの方がよっぽど器用だ。

世の中のものはけっこう右利き用にできているものが多く、左利きの身としてはけっこう不便を感じているのだが、右利きの人はそれに気がつかない。たとえば自動改札。私はもう右で入れる癖をつけてしまったが、左手で苦労して入れている人もいる。鋏や缶切りなんかは割と有名なので、左利き用のものがあることは結構知られているようだが、他にもいろいろ左利き専用のグッズがある。以前、左利きグッズを扱っている通販を見つけたのでカタログを見てみたが、「こんなものまであるのか」と驚く。たとえば「すりばち」。すりばちに右も左もあるのか、と思うところだが、中のすじの角度が逆らしい。右手の人は時計回りでまわすが、左利きの人は逆にまわすから、それに対応している。急須は私が常々使いにくいと思っていたが、やはりカタログにあった。持ち手に対して注ぎ口が90度左についている普通の急須だと、左手で持つとバックハンドでお茶をいれないといかん。左利きも楽しめるトランプというのもあった。普通のトランプは左上と右下にマークがついてあって、右利きの人が普通にカードを広げるとちょうどマークが見えるようになっている。で、左利き仕様トランプというのは、それが逆についている、というわけではなく、四隅についている。そりゃ、左利きだけでトランプすることは普通ないだろうから。私はその通販で、鋏、カッター、包丁、アウトドア用ナイフ、扇子を買った。扇子も普通のやつだと左手では開きにくい。「Japan Southpaw Club」というインターネットのHPがあって、メーリングリストもある。たまにオフ会をやったり、「左利きだけの野球大会」というのをやってるらしい。ルールが普通と違って、打ったら3塁方向に走るそうだ。

なんだか最近どんどん日記が長くなってきている。というか、最初は本当に「精神科への入院の記録」のつもりだったのだが、暇なのでついつい関係ない話題をつらつらと書いてしまっているうちに、日記だかエッセイだかなんなんだか自分でもよくわからなくなってきた。まあ、「読み物としておもしろいので続けてください」と言うありがたいメールもいただいているし、しばらくこの路線で続けよう。

Tさんから借りた3冊の本のうち、「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」を読み始めた。「アダルト・チャイルド」とは、もともとアルコール依存症の親の元で育った子供のことで、そういう子供は親を助けるため、そして家庭が崩壊しないために必死に「いい子」になり、がんばるそうだ。今ではその解釈は拡大され、アルコール依存症の親がいる家庭だけでなく、「機能不全家族」や「感情を抑圧された家族」のもとで育った人たちのことらしい。読んでいくと、確かに自分にあてはまるようなことが多い。ところが、いきなりこんなことが書いてある。

「次章から私たちACが育った家族(原家族)を見つめ、探っていく『原家族ワーク』が始まります。(中略)もっとさしせまった、深刻な問題が目の前に立ちはだかっているのなら、まずそれを考えてみましょう。とくに次のような人は、次章からのページを開くのを待ってください」とあり、いくつかの箇条書きの一つに「うつなどの治療中で、現在の状態が安定していない人」

とある。おいおい、こっから先は読んじゃいかんのか。解説によると、ここから先は自分の育った家庭環境を紐解いていく作業で、非常に大きな感情の揺れを伴うため、精神状態が安定していない人が読むのは危険なそうだ。う~ん、読むべきか読まざるべきか。とりあえずそこでストップしてある。

夜、卓球は2、3回しかやったことないというO嬢が「卓球教えて」と言ってきた。「基本はいいから、とりあえず技を教えて」おいおい、そりゃむちゃな注文だ。バックハンドでサーブしている人を見て「あれがやりた~い」そうだ。あれがかっこいいらしい。サーブするんだったらとりあえずフォアから練習するのが普通だが、まあ遊びだし、注文にこたえて指導する。サーブだけできてもラリーにならないので、その次には一応基本のフォアハンドの打ち方を教える。こっちから打ちやすい球を出し、一球打つごとに「今のはラケットが上向きすぎ」とか「今のはタイミングが悪い」などと指導する。高校時代の部活を思いだす。

20:00寝る前のお薬。パジャマに着替えて寝る準備をする。今日の日記はここまでにしよう。

昨日は21:00消灯後、まもなく眠ってしまった。最近寝つきはよくなった。が、また1:00頃目が覚めて、昨日「絶対に追加眠剤をもらいにいっちゃる」と思ってたので、もらって飲んだ。が、眠れない。ぜんぜん眠れないのでハンドヘルドPCを取り出してメールチェックなんぞやったりするが、このまま朝を迎えると昨日と同じパターンなので、2:30にもう一度眠剤をもらって飲んだ。これが効いて、ぐっすり眠れた。朝の目覚めは気持ちよく、頭もすっきりしている。ふぅ、これで中途覚醒がなくなればな~。

Tちゃんが持ってきた花に水をあげるのも日課になっている。コップに水をくんできてちょろちょろと水をやるが、どれくらいあげたらいいかわからないので適当だ。切花だけど、どれくらいもつんだろうか。この花のおかげで病室が明るい雰囲気になっている気がする。

洗濯物を干しに行ったら、下の階の病棟の女の子が洗濯物を干してたので挨拶する。こちらの病棟は比較的中高年が多くて私なんか若いほうだが、下の病棟は若い年齢層が中心だ。カラオケも、こっちは古い演歌しかないのに、下は新しいJ-POPなんかがたくさんあるらしい。

いつもの丘へ行って、今日はオカリナを吹く。昨日は歌をうたったが、やはり朝から声を出すのはつらい。普通ならFくらいまで出るが、朝はEsくらいまでしか出ない。朝はオカリナ、夕方は歌うことにしよう。朝は日陰がなくて暑いので、「コンドルは飛んで行く」と、8月の頭に出るはずだったコンサートで吹く予定だった大島ミチルの「Voice of Time」を吹いて帰る。

木曜日なので午前中は体育館レク。今回は、先日家に帰ったときに取ってきた、ジムで愛用しているナイキのAIRを持っていく。種目はドッジボールとバレーボール。バレーボールもずいぶん久しぶりで、高校の体育の授業以来か。どっちの種目も「ソフトバレーボール」というボールを使っているのだが、これがバスケットボールより少し小さいかな、くらいの大きさでかなり大きく、しかもスポンジみたいな素材ですごくはずむので、非常に扱いづらい。ドッジボールは胸で受け止めようとした瞬間に手で抱え込む前にはずんで下に落ちてしまうし、バレーでは上からサーブしようとしたら、球が軽いからか途中で失速して相手のコートに入らない。どっちの種目も3セットマッチでやったのだが、ドッジボールは2-0で勝ったがバレーは1-2で負けてしまった。レクの後はシャワータイム。運動して汗をかいた後のシャワーはとても気持ちがいい。

隣のベッドのKさんが退院して行った。私が入院して何にもわからないときにいろいろ教えてもらったり、本当にお世話になった。とても気の優しい人で、みんなから慕われていた。奥さんが迎えに来て病棟を去って行くとき、名残を惜しんでみんなで見送りに行った。ここでの入院生活は、普通の入院と違って「集団生活」だし、入院期間も長期にわたることが多いので、みんなとても仲良くなって仲間意識も強くなる。そういう人たちとの別れはとてもつらい。密かにKさんにあこがれを抱いていたOさんは、Kさんが去った後、泣き崩れていた。そういうことが、メンタル面で悪い影響を及ぼさなければいいのだが。

木曜の午後はレク活動。なんと今日はカラオケらしい。でも私は、郵便局へ振込みへ行く用事があったり、買い物に行きたかったので外出届を出しておいた。ま、カラオケなら毎週土日にやってるからいいや。どうせふっる~い曲しかないし。

久々に外へ出る。今まで正面玄関から歩いてバス停まで歩いていたが、結構時間がかかる。ところが実は裏道があって、裏から抜けて行けば、隣のバス停にすぐ出られるそうだ。MさんとS君に案内してもらってバス停まで歩いて行った。今日はとても暑い。照りつける太陽がまぶしい。風もなく、汗がじとじとにじんでくる。

まずは郵便局に行っていろいろ払込を済ます。掲示板を無料版から有料版に変更したので、そのお金を期限内に払い込まないと使用停止になってしまうのだ。大学のOB会の年会費も振り込んだきた。郵便局の中は涼しくて、しばらくのんびりしてしまった。

続いて電車に乗って、隣の駅の近くにある卓球専門店に行ってラバークリーナーとラバーフィルム、それにクリーニング用のスポンジを買ってきた。昨日卓球したときに、えらくほこりがついてしまったのだ。部活でやってたときは、必ずラバークリーニングしていたっけ。ラバーは卓球の命だから、大切にケアしないといけない。

そしてコンビニに寄っていろいろ物色。コンビニなんて毎日行ってたのに、なんだかとても懐かしい。別にたいして用事もないのにいろいろ眺めて「よく見るとこんなものまで売ってるんだ」なんて改めて気づく。

なんてやってるうちに、もう戻らないといけない時間がせまってきたので、駅に行くと、タッチの差で乗り遅れてしまった。時刻表を見ると、このローカル線、次の電車は15分後だ。うわ、やばい。これじゃ規定の16:00までに戻れない。とりあえず電話で病院に連絡し、事情を説明して遅れそうなことを伝える。ようやく来た電車に乗り、早く早くとだんだん心にあせりが出てくる。たった一駅がものすごく長く感じる。電車を降りてタクシーに飛び乗り、病院まで飛ばしてもらう。タクシーを降りてから病棟までダッシュ。しかし着いたのは16:05。看護婦さんに深々と頭を下げて謝る。タクシーが着いた時点でもう16:00をまわっていたので、どうせ遅れるのは一緒だし走ったって1、2分しか違わないのに、どうしてもこういうときはものすごく気があせってしまう。

こういう性格がうつ病になった原因の一つだと、自分ではわかっている。はじめからわかっていたわけではなくて、2年間のカウンセリングを経てだんだんわかってきたことだ。遅れてしまったものはしょうがない。電話で連絡も入れたし、看護婦さんも了解してくれたのだから、のんびり行けばいいのに、どうしても気があせってしまう。

私は約束があってどこかへ行くとき、いつもインターネットの経路検索サイトで時刻を調べるが、いつも約束の時間や集合時間の10分前に到着時刻を設定して検索する。すると、ぴったりの時間に着く電車はたいていないので、結局15分前くらいに着いたりする。何かアクシデントがあって遅れるのが嫌なのである。時間は守らなければいけない、人を待たせてはいけない、人を待たせるのは時間泥棒だ。そういうのが染みついている。今回の場合なんか、決まりでは16:00までに戻らないといけないことになってはいるが、ちょっと遅れたからって別に誰かに迷惑がかかるわけではない。締めるとこは締めて、手を抜いていいところはもっとアバウトにしていいのに、それができない。いや、できるときもある。歌の練習なんかは、練習会場の最寄駅で買い物してたりすると、つい遅れてしまうことがあるが、それはみんな気を許せる仲間だと安心感があるからだ。今回みたいなケースだと「看護婦さんに怒られちゃう」というのと、きちんと帰りの電車の時刻表をチェックしてこなかった自分の甘さが悔やまれて、また自己嫌悪に襲われる。仕事を一人で抱え込んでそれがなかなか進まずに、ストレスを溜めこんでいくときの精神状態に似ている。とにかく「すぐにあせる」のを何とかしなければならない。

戻ってきたら、看護士のNさんが「ちょっと時間が空いたから卓球しよう」と言ってきたので、さっそく買ったばかりのラバークリーナーでラバーをきれいにし、勝負を挑む。うむ、また負けてしまった。その次はNさんとS君の勝負で、私が審判をやっていた。そのとき、後ろの畳のスペースで、リストカットの前歴があるので爪きりを取り上げられているTさんが爪を切っていた。今だけ返してもらっているのだろうが、彼女のことが気になってちらちら後ろを見てたらNさんから「こら審判、かわいい女の子の方ばっか見てんじゃない!」と言われた。こういうときにはTさんを看護婦の誰かがそれとなく見張っているものだろうか。少なくともNさんは卓球に夢中になっていたようだ。規則の時間に遅れた自己嫌悪で鬱に陥りそうになったが、卓球をしているうちにすっきりしてきた。

取り込んだ洗濯物をベッドでたたんでいる時にS君が病室に遊びに来た。思わず卓球の話について大声で会話して笑っていると、同室のYさんから「うるさいから静かにして!」と怒られた。しまった、よくみるとYさんもIさんも寝ているではないか。全くきづかなかった。どうやら今度はさっきの鬱の反動で、今度はまた躁になっていて、周りが見えなくなっていたようだ。最近、躁鬱のサイクルが激しい。鬱から脱した後は気をつけなくては。

連絡会の後、Tさんのことについて看護婦さんに尋ねてみた。爪切りは本人が使用したいというときは渡してるけど、ホールのみんなの見えるところで使って、終わったら返してもらう約束はしているが、特に監視はしていないとのこと。看護婦も24時間監視するのは無理なので、そこは本人を信用しているそうだ。ま、信用できるくらいに今は回復しているのだからこの開放病棟にいるんだろう。

20:00だ。5種類の眠剤を飲んで便通の回数を記入。ゼロ更新は4日でやっとストップした。あまり続くようだと看護婦に相談すれば下剤を出してもらえるそうだ。

さて、今夜も追加眠剤2回もらってでも眠れますように。

昨日は眠れなかった。

寝つきはよかったが、0:00過ぎに目が覚めた。そのときは熟睡感はあったので追加眠剤はもらわなかった。が、その後2:30に目が覚めて、それから眠れなくなり、そのまま朝を迎えた。こういう時間が一番つらい。昨日は眠剤が効いて熟睡感があったのに。昨日の夜に鬱が出たせいだろうか。医師は「鬱の症状と睡眠障害は相関関係がある」と言っていたから、やはり鬱の影響かもしれない。なんで眠れなかったのか悩んでもしかたがないので、これ以上考えるのはやめよう。ああ、それにしても今の私の心境は「徹夜で眠りたい」ってとこだ。

5:00頃ホールに出てきてコーヒーを飲んでると、窓の外の海がとてもきれいだった。昨日は7:30になるのを待って散歩に行ったが、すでに暑くて汗だくになった。今の時間なら涼しくて気持ちいいだろう。だめもとで看護婦さんに散歩に行かせてもらえないか頼んだが、「気持ちはわかりますけど、それはできないんです」と言われた。こっそり出ようにも、玄関は外からも中からも鍵がないと開けられないようになってるため、それもできない。

朝は寝不足でぼ~っとしてたが、今日は涼しいのでゆっくり散歩していつもの丘で歌集から何曲か歌っているうちに気が晴れて来た。今日は水曜日なのでシーツを交換し、雑巾で身の周りや窓を拭いていると気持ちよかった。

11:00の服薬のためにホールに行くと、卓球してたのでマイラケットを持っていった。なんと看護士のNさんも卓球経験者で、しかもカットマンだ。この病棟の看護士に二人もカットマンがいるなんて。Nさん曰く「11月に病棟対抗の卓球大会があるのでぜひ出てよ」「え~、それまでにはよくなって退院したいんですけど」「じゃあよくならないようにして退院させない」と冗談を飛ばす。でも本当に11月までかかるようではしゃれにならん。

喫煙所で「2時半から眠れなかったんですよ」という話をしたら、3時までなら追加眠剤をもらえることを教えてもらった。前は3時過ぎにもらいに行って、もうだめですと言われたので、あまり時間が遅いとだめなのだろうと思ってたが、もらっとけばよかった。追加眠剤は3時まで、それから一晩2回まで。そういう決まりらしい。それにしても、そう決まってるなら看護婦さんも最初に教えてくれてればよかったのに。

以前の日記で、「入浴のときに看護婦が見張ってる」と書いたが、あれは介助が必要なお年寄りのために待機しているそうだ。もちろん事故が起こらないように注意している、というのもあるだろうが。それと、洗い場の空きを見て「次一人入れるよ~」と外に声をかける役目もしている。

S君から最新のバタフライのカタログを貸してもらって見た。いつの間にか”Butterfly”のロゴも変わっている。卓球のユニフォームもずいぶんおしゃれになったもんだ。昔はボールが白だから、白いユニフォームは球が見えなくなるという理由で禁止だったのが、カラーボールが認められてから、テニスルックのようなユニフォームもある。ラバーは私が部活でやっていた頃に定番だった「スレイバー」や「タキネス」も残ってはいるが、今の一番の主力商品は「ハイテンション」というものらしい。「エネルギー内蔵型裏ソフト」と分類されている。「裏ソフト」って今思うとなんだか危ない響きだなあ。国際卓球連盟公認のネット「インター・ネット」という商品がある。これってインターネットがはやる前からあったのだろうか?卓球専門月刊誌「卓球レポート」も健在だ。卓球専門書もある。こんなの昔はあったっけ。「卓球は血と魂だ」う~ん、ちょっとだけ読んでみたいが、買ってまで読みたいとは思わん。

私が普通の合唱活動からヴォーカルアンサンブル活動に移行するきっかけとなったキングズシンガーズのアルバム「NEW DAY」を聞いていると、むしょうに歌が歌いたくなってきた。時刻は16:20。まだ外に出られる。少し暑いかもと思いつつ、歌集とピッチパイプを持っていつもの丘へ。伸びた草の影が西日でできていたので、その場所に立って歌集を朝の続きから順番に歌っていく。38番まで制覇した。ロシア民謡の「ともしび」が気に入った。Tちゃんお勧めの「みずうみ」もいい。この曲は元はグリーグの「ペール・ギュント」のメロディーに日本語の歌詞をつけたらしい。ずいぶん蚊に食われたが、アトピーなので虫除けスプレーは私は使えない。ま、アトピーだから痒いのはいつものことだし、アトピーのために献血も断られたくらいだ。蚊にくらい血を吸わせてやろう。

夕食時にS君から「アトピーって治るんですか?」と聞かれた。私の認識では、「現代の医学では治らない」と思っている。アトピーはアレルギーの一種で、アレルギーは体質に依存する。子供はアトピーが多いが、成長するにつれて体質は変わっていくのでだいたいは自然治癒するらしい。が、たまに私のように治らないまま成人すると、もう体質を変えるのはとても難しい。私はもう完全に治そうという気はない。さまざまな強さのステロイド剤や非ステロイド剤、保湿剤、一昨年開発された新しい免疫抑制剤をうまく使って、副作用が出ないようにコントロールして、一生つきあっていくつもりだ。

閉口するのは「体質改善」をうたい文句にしたさまざまな健康食品や○○水のたぐい、わけのわからない装身具や、あげくの果てには宗教まで、いろんな人から勧められることだ。そういうものをいちいち試してたらきりがないし、だいたいはお金がかかるものばかりだ。「藁にでもすがりたい」患者の心理につけこんだインチキ商品もたくさんある。「治った人がいる」という実例が書いてあったりするが、それ自体信憑性があるかどうかもわからないし、プラシボ効果かもしれない。それに、もし何かの健康食品で10人治った人がいたとしても、その裏に1000人治らなかった人がいるとしたら、それは効果があるものとはとても言えない。効くか効かないかは、十分なサンプル数で統計データを取り、さらにプラシボ効果でないことを確認してはじめて判断されるはずだ。ちなみに私はそういうものは頭ごなしに一切否定するので、プラシボ効果はまず出ない。

夜、喫煙所で医療ミスや事故の話が出た。ある病院で麻酔医が、自分で麻酔薬を麻薬代わりに常習してて死んだらしい。確かに麻酔医なら麻酔薬は簡単に手に入るだろうが、専門家なのだから致死量もわかりそうなものなのに。

今日は素人の人たちに卓球のコーチをした。相手が打ってくるめちゃくちゃな球を全部拾って打ちやすいところに返すのはなかなか難しい。S君とはいつもマジで勝負するのだが、「今日はラリーやってみましょうか」ということでひたすらラリーをやったら、これがかなり続いた。数えてなかったが、50は行っただろう。こういう基本練習をちゃんとするうちに、いつの間にか自分が腰のひねりが甘くなって手打ちになっていたことに気づく。

20:00眠剤5錠。今夜こそ眠れますように。3:00までに目が覚めたら意地でも追加眠剤をもらいに行こう。