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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日のじんましんには参った。日記を書いてる途中から痒くなりはじめ、書いては掻き、掻いては書き、また書いては掻き、てな具合でなかなか進まず、結局寝たのは0:00をまわってしまった。かゆみは少し治まっていたので、寝付くことはできた。

が、2:00に目が覚める。じんましんはだいぶ治まって痒みはないが、まだ皮膚がでこぼこして赤いので、もう一度ステロイド剤を塗る。そして予めもらっておいた追加眠剤を飲み、また寝る。その後は4:00に目が覚め、また追加眠剤を飲む。病院なら3:00までしか出してもらえないが、何時でもいいや、飲んでしまえ。ということでまた寝る。

でも、眠れない。結局起きてきて、この日記を書いたり、テプラで自分のネームシールを作り溜めしたり、「いっこく堂」のDVDをビデオに落としたり、なんだかんだやっている。ネームプレートは、自分のコップや箸箱に貼るためである。ときどきわけがわからずに他の人のものを取っていってしまうお爺ちゃんがいるからね。

ノートPCで作業をするが、ハンドヘルドPCの小さいキーボードに慣れてしまったので、ノートPCのキーがやたらでかく感じる。ちゃんとタッチタイピングができるはずの私が、かなりの確率でキーを押し間違える。あることに慣れると、それに似たちょっと違うことができなくなる。私がテニスをやると卓球打ちになっちゃうし。

今日は、調子がいいというわけでもないが、人混みを歩いても昨日ほど神経が疲れていない。少し慣れてきたかな。病院に戻るまでに少し時間が空いたので、家電量販店に寄ってポータブルCDプレーヤーを買う。実は今まで使っていたのが、かなりいかれていて、音が割れるし、左側のイヤホンだけ音が小さいし、かと言って旧型なのでリモコンとイヤホンが一体になってるので、イヤホンだけ取り替えるわけにいかない。そろそろ買い替えどきかなぁと前から思っていた。今回の外泊で、今まで使っていたのを家に置いてきて、新しいのを買ってきた。前のを買ったのは6年くらい前だったかな?前のに比べるとめちゃくちゃ軽いし、揺れる電車の中でも音飛びがぜんぜんないのに驚く。光出力端子まであるではないか。電化製品やらこういうオーディオの類は、久しぶりに買い換えると、その進歩に驚いてしまう。私も何年かぶりに会った友達に「めちゃくちゃ進歩したな、お前」と言われるようになりたいもんだ。

病院の最寄り駅まで着いた。バスの時間まで時間があるので、100円ショップをうろうろする。洗濯物を干すのにハンガーが足りなくて難儀してたので、ハンガーをかごに入れる。帽子をひっかけるためのS字ハンガーもかごに入れる。引き出しの中がすぐぐちゃぐちゃになるので、整理するための小さなかごを二つ買った。う~ん、どんどんものが増えていく。退院するときに持って帰れるのだろうか。そうだ、大変だったら誰かに手伝ってもらえばいいんだよ。仕事が大変なときみたいにさ。最初からそう考えることができていたら、今ここに入院することはなかったかもしれない。

帰りのバスでY嬢と一緒になった。作業所に行った帰りらしい。作業所とは、社会復帰の訓練のために、実際にお金をもらって軽作業を行う訓練所のことだ。ただし、賃金は驚くほど安い。

病棟に帰ってきた。やはり疲れてる。少し横になって夕食まで体と神経を休める。新しいプレーヤーでヒーリングのCDをかける。音もだんぜんクリアでいい音だ。うん、買い替えてよかった。機械は壊れたら買い替えたらいいが、人間の体や心はそうもいかないのが残念だ。

夕食後、Oさんの主人が面会に来ていたので、Oさんに紹介してもらって挨拶する。そのうち、「面談ですから」と言って、奥さんと一緒に行ってしまった。そうなんだ、「保護者」という立場の人がいる場合、保護者も一緒に医者と面談することがあるのだ。今の私に「保護者」はいない。もはや両親は私を「保護」してくれない。自分は自分で保護しなければいけない。

100円ショップで買ってきたかごで引き出しの中を整理してみる。うん、かなりすっきりしたぞ。小物が散乱することもないし、見た目もすっきりしている。引き出しって言うのは人間の頭のようなものなんだな。コンピュータのメモリやディスクもそうなんだけど、よく使う物は手前に置いてあってすぐに取り出せるようになっている。だけど、ときどきしか使わない物は奥の方にしまっている。コンピュータはそれをきちんと管理しているが、引き出しは放っておくとエントロピーが増大していく。今回の場合、それを食い止めるのが「しきり」である「かご」だ。さて、人間の頭の中も同じような仕組みになっていて、脳の記憶を司る部位によって、「すぐに覚えてすぐに忘れる記憶」と「永続的な記憶」がある。それが少し狂うと、「昔のことはよく覚えているけど、昨日のことは覚えていない」なんて状態になる。

夜、調子が悪いなりにゆっくり卓球をやった。狙いが定まらなくても動きがとろくてもいい。それなりに、自分のペースでやればいいのだ。頭を空っぽにして少し体を動かすと、ちょっとすっきりしてきた。今日はやんちゃな看護婦まで乱入してきた。ほんと、患者相手に看護婦が卓球してるなんて、普通の病棟じゃ考えられんよな。

と言ってるうちに20:00になった。今日は今日で疲れていたが、それなりに低め安定だった。明日は明日の風が吹く。左腕のじんましんはまだ斑点模様だ。明日になってまだ残っていたら、医者に相談しよう。

睡眠障害は続く。20:30には就寝して寝付きはよかったのだが、0:00には目が覚める。その場で追加眠剤をもらって寝たが、2:00頃また目が覚める。2回目の追加眠剤をもらったが、3:00には目が覚め、その後は寝ても寝ても10分おきに目が覚める。結局4:00に、また喫煙所にきていつものメンツとひそひそ話。おっと昨日入院してきた派手おばさんTさんもいる。彼女は躁鬱で、躁状態のときはじっとしてられないし、横柄な感じになってしまうらしい。昨日は躁状態だったらしい。気を失ったのは単なる貧血だとか。居酒屋を経営しているそうで、派手なのは儲かってるからか、単に性格なのか。まあ、よく考えるとそういうおばさんは街中にいくらでもいる。パジャマの前がはだけて乳房が片方丸見えになっていて目のやり場に困る。思わず、「あの、前はだけてますけど」と言うと、まったく気にしてないようで「あ~ら失礼」と言ってボタンを留める。

彼女は2回目の入院らしい。どうりで手慣れていると思った。ここのメンツで話をしていると、この間と違うT看護婦が「この時間にここで喋らないでください!」と注意してきた。また注意された。昨日私にわけもわからず怒った看護婦だ。「I看護婦は新米でまだまだだね」「T看護婦は厳しいし、患者を見下してるよね」Tさんと話していると、結構話が合うことがわかってきた。そのうち、「あっついわね~」とTさんが言い出したので、私が冗談で「脱いでいいですよ~」と言うと、あっと言う間にパジャマのボタンを外して私の目の前にばーっとはだけて見せた。まさか本当にやるとは思わなかったので、今度は目のやり場に困る間もなく唖然としてしまった。あっけらかんとしたおばさんだ。その後「着替えて来るね」と言って普段着に着替えてきた。なんつーか、楽しいおばさんだ。悪い人ではない。

居酒屋は大変らしい。朝早くから仕込みを行い、開店すると酔っぱらってからんでくるおっさんの相手をし、夜遅くまで働き通しで、夜は後かたづけ。油物なんかを大量に揚げるので、掃除も大変らしい。そんな状況で、大事にかわいがっていた一人息子に、詳しくはわからないが何かあったらしく、相当なショックを受けたらしい。

Tさんは私と同じ病院に通院していて、やはりこの病院を紹介されたそうだ。あの病院とこの病院はパイプがあるらしい。家もけっこう近くで、思わず握手を求められてしまった。彼女は体重が30kgまで減って相当やばい状態になったこともあるらしく、病歴はけっこうすさまじい。鬱のときは幻聴や幻覚が出るそうだ。私も幻聴ではないが、鬱がひどいと頭の中にすさまじいノイズが走る。

朝食後、喫煙所で話をしていると、私が散歩に行く準備のために持っているオカリナを見てTさんが「何それ?」と聞く。「オカリナです」と答えると、また「それ何?」と聞いてくる。すると、必ず誰かが「鬼太郎が吹いてる奴ですよ」と教える。このパターンは何回かあったが、世間では「オカリナ」=「鬼太郎」なのだろうか。うむむ。せめて「トトロ」くらい言ってくれ。

オカリナを聞いてみたいというので、今朝の散歩はTさんとHさんと一緒に行って、いろいろとリクエストに応える。が、Tさんは20歳も年上なので、リクエストされてもわからない曲が多かった。Hさんが隠し持っている携帯でみんな友達に電話する。途中から、遠くで電話していたMちゃんも寄ってきて、尾崎豊をリクエストするので、「O My Little Girl」を吹いた。

今日も作業棟へチャリ漕ぎに行く。今日からシャーペンでなく、ボールペンを持っていくことにした。昨日のことがあって、別にMちゃんが悪さするかも、というわけではないが、作業棟へは他の病棟からもいろんな患者が来る。他にもリスカをやる人はいるだろうし、やはり不用意に尖った物をその辺に置くのはまずいだろう。

まずは体重測定と体脂肪率測定をするのだが、ここの体脂肪率測定器はなかなか優れてる。腕を伸ばして手で計るタイプなのだが、年齢、身長、性別は自分で入力するのに、体重は、床に表示板のない体重計が置いてあって、それに乗ると赤外線で体脂肪率測定器にデータが自動送信される。これははじめてみたぞ。

一般コースのトレーニングで20分と設定して漕ぎ始める。と、あれあれ?なんだかはじめから心拍数が高いぞ。なんでだろう、今朝すごいものを見ちゃったからかな。結局昨日より心拍数はずっと高めで、ペダルの負荷もあまりあがらず、20分漕いだのに91.6kcalしか消費しなかった。う~ん、100をきってしまった。ちょっと休んでからリベンジ!そう言えばジムに通ってた頃は、「登山のような本格的な有酸素運動をやる人なら、年齢を低めに入力すると負荷があがって、ちょうどいいトレーニングになりますよ」と言われたので、いつも年齢を詐称して漕いでいたのを思い出した。今度はそうやって漕いでみたが、やはり心拍数は高め安定、負荷もあがらず、結局20分漕いでも87.7kcalしか消費しなかった。

向こうのエアロバイクを漕いでいるおばさんが、隣で漕いでいるおじさんに「水は飲んじゃだめ!水は後から飲みなさい」と言っている。かわいそうに、このおばさんは古い知識しかないんだ。昔は「水は飲むな」と言われたそうだが、現在の運動理論では、水分を補給しないと血液の濃度が上がって危険なので、発汗した分の水分はできるだけこまめに補給した方がいい、ということになっている。

今日も昼食後に、急に疲労が襲ってきた。寝不足と朝の運動の疲れが、後からくるようだ。今日は山岳会の集会のために外出するが、出発するまでに時間がある。しばらく横になって休もう。トライトーンのTop「松永ちづる」の一人アカペラCD「We’re all alone」を聞きながら。「We’re all alone」とは、本当は恋人同士が「僕と君は2人で1人」というようなニュアンスの曲名らしいが、このアルバムでは、松永ちづるが「一人で多重録音したアカペラ」という意味合いも兼ねているらしい。

すごく肩が凝ってきた。寝てるのに何で凝るんだろう。自分が100円ショップで買ってきた肩叩きで肩を叩いていると、マッサージに詳しいHさんが「叩くのはあんまりよくないんだよ。揉むとかさするとか、そういうのはいいんだけど。一番いいのは、自分で体操して凝りをほぐすことだね」と言う。彼自身、どこかでもらった薄い冊子に載っている体操を一日30分くらいかけてやっているそうだ。「これから外出するんですけど、ついでにコピーしてきたいんで、その本、今持ってたら貸してもらえませんか?」そう言うと、「あ、家にあるから取ってくるわ」そう言って出ていった。散歩が認められてるのは1時間だけだが、彼の家は病院からチャリで5分らしい。閉鎖病棟と違い、付添人がいるわけではない。散歩と言ってこっそり出ていくのは可能だ。それにしても、わざわざ暑い中、チャリで取りに行ってくれるなんて、なんていい人なんだろう。

出発時刻が近づいてきた。バスの時間までしばし喫煙所で暇をつぶす。私の寒いギャグで場が凍りついてしまった。みんな「さむ~い~」とブーイング。う~ん、寒いギャグを言うのは私の癖なんだが、たま~に受けてくれるのでやめられないのだ。でも「場が凍りつくような寒いギャグはやめにしようよ」なんて言われたので「すみません、これも病気の症状なんです」とさらに冗談で返す。が、その時ふと思い出した。「病気を言い訳にしないこと」会社のカウンセラーに、カウンセリングの初期の頃に言われたことだ。病気によって通常できることもできなくなってしまうが、何でもかんでも病気を理由にしてしまう癖をつけてはいけない、ということだったかと思う。そういう癖をつけてしまうと、「鬱を語った甘えんぼさん」になってしまうような気がする。思えば、入院する前の一ヶ月間、私はまるまる会社を休んで、ほとんど寝たきり状態だった。その間、調子が悪いのは確かだったが、「甘えんぼさん」になりかけていたような気もする。「いいや、どうせ俺は病気なんだ。会社なんか行けないんだ」そんな自暴自棄な気持ちになっていたのかもしれない。

バスに乗る。病院の外に出るのは先週の月曜日以来だ。この間は、少し買い物しただけで、えらく神経が疲れてしまった。今回は1泊2日の長丁場だ。できるだけ神経を刺激しないように気をつけよう。まずはバスの中でじっと目を閉じる。目からの感覚刺激である視覚情報は、情報量としては膨大であり、脳はその情報を処理するのに常にフル回転し、脳神経を非常に酷使する。だから、目を閉じるだけでかなり神経を休めることができる。神経が疲れたとき、両目を閉じることができなくても、片目だけ閉じて仕事やその他のことをすれば、それだけで脳はだいぶ楽になるらしい。ときどき開く目を替えてやればよいそうだ。片目ずつ開けて寝るのはドクター中松だっけかな。

電車の中でも目を閉じ、瞼を通して突き刺さるまぶしい光を、まぶかに帽子をかぶってシャットアウトする。電車の騒音は、お気に入りのCDをかけることによってリラックス。

集会の会場に直接行くのでなく、時間に余裕をもって出てきたので、途中で自分の本拠地の駅で降り、お気に入りの足裏マッサージをやってもらう。ここに来るまでに、すでにかなり神経がすり減っていたのが、かなり癒されていくのがわかる。

ハンバーガーショップで時間をつぶしつつ、日記の続きを書き、再び電車に乗る。さっきは座れたが、今度は座れなかったので、連結器の扉にもたれながら目を閉じ、CDを聞く。幸い次の駅で座れたので、ゆっくり休むことができた。かなり神経が安らいで来たので、ハンドヘルドPCを取り出し、日記の続きを書く。この文章はまさにその電車で書いているものである。この電車で終点まで行き、乗り換えだ。あまり神経を使いすぎるといけないので、電車の中ではこれくらいにしておこう。

今日の会場は、自分ははじめての場所だ。会場への行き方を案内したメールをハンドヘルドPC上で表示し、それを見ながら進む。こういう使い方は正に「手帳代わり」としてうってつけだ。会場に行く途中で山岳会のKちゃんに会ったので、一緒に行く。この文章は会場で書いている。まだ人数がそろわないので始まるのを待っているところだ。今日は私が企画したオリジナルTシャツを配るので、ずら~っとTシャツが並んでいる。去年と一昨年もTシャツは作ったのだが、去年までは全員同じ色だったのを、今年は「色は自由に選べる」ということにしたので、並べると実にカラフルだ。

隔離された環境にいたので、大勢の仲間に会うのは久しぶりだ。見慣れた顔を見るとほっとする。心も自分と親和性のあるものに触れると安心するようだ。話は飛ぶが、人間の体は体内に異物が入ってきたときに、それを排除しようとする免疫機能がある。人混みに行くとストレスが溜まるのは、自分の心と親和性のない大勢の人達に対して、心が拒否反応を示すのだろうか。

ある会社の人事部に勤務するGさんが、私のHPを読んで参考になった、と言ってくれた。他にも私には人事部に勤務する友人が2人いて、2人とも同じようなメールをくれた。最近では、まぢめな企業はちゃんとメンタル系のケアの必要性を感じて、何か対策をしないと、と思っているようだ。だが、どうすればいいのかわからない、というのが現状らしい。私の書いた文章が少しでも参考になれば嬉しい。

人数が集まってきたので、とりあえず机上講習から始まる。今日のテーマは「安全に登山するために~遭難対策とビバーク~」私が会の運営委員会のメーリングリストで提案したテーマである。講師は遭対部教育局(兼会長)のN氏。

講習の次は、H氏が提案した「会山行」についての話し合い。うちの山岳会のスタイルは、メーリングリストで「いつ、どこの山に登るけど、行く人は手をあげて」てな感じで誰でも企画を立てられる。基本的に「会全体の企画としての山行」というのは、一年に一回の「祭り」の時くらいだ。それだけでなくて、定期的に「会山行」を開催しよう、ということなのだ。とりあえず9月の日程と行き先を募る。とりあえず第1回は、ある山への集中登山と決まった。集中登山とは、目的の山を決めて、各自好きなルートから登って頂上で会いましょう、というものである。沢から登るのもありである。

次の議題は、毎年恒例の「お祭り」の件。毎年秋にバンガローなどにみんなで集まって、手料理を作って楽しんだり、去年は山道具のオークションをやったりした。山岳専門店のバーゲンでの戦利品や、お古を放出したりしていた。今年は会長が暫定幹事として企画を進めていて、すでに日程や場所は決まっている。残りの仕事を進めるための実行委員をじゃんけんで決める。お、今年もオークションをやるらしい。この祭りには何とか参加したいな、と思っている。私はネットオークションで小さめのミレーのザック(新品)をいくつか格安で落札したので出そうかな。

集会が終わり、駅でみんなと別れる。みんなはこれから飲み会だが、私は普段なら既に就寝時間。みんなとおしゃべりしたいけど、無理は禁物だ。できるだけ今の生活のリズムを崩さないようにしなければ。電車に乗り、一駅で乗り換える。始発駅なので、一本電車を見送れば座れる。どうしようか迷ったが、やっぱ疲れてるので一本待って座った。で、今は電車の中でこれを書いている。

22:20帰宅。とりあえず下山報告。ではなかった帰宅連絡を病棟に入れる。で、シャワーを浴びてから眠剤を飲み、最後の日記を書いて送信して寝よう、と思ってこれを書いてると…、

かゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆい!!!!!!!

体中がかゆい。調子を崩してから部屋の掃除もろくにしてなかったので、埃でアトピーが悪化したかな、と思ったが、よくみると蕁麻疹である。体中そこらじゅうに出てきている。猛烈にかゆい。蕁麻疹が出たのは生まれて3回目、過去の2回はどちらも心身ともに強烈なストレスを受けたときだった。今日もそうだ。体中が悲鳴をあげている。やめてくれ、もうこれ以上俺をいじめないでくれ。そう言っているようだ。ステロイド剤を塗って塗って塗りまくる。もう限界だ。今日はこれで落ちることにする。社会復帰はまだ遠い。

睡眠障害がひどくなってきている。寝付きはいいのだが、中途覚醒がまたひどくなってきて、たびたび目が覚める。1:00頃だったろうか、追加眠剤をもらって飲んだが、やはり寝たり起きたりの繰り返しで、結局3:00過ぎに起きてきてホールでたばこを一服。もう一度寝ようと病室に戻るが、やはり眠れず、4:00頃起きてきた。さっきは人が2人くらいしかいなかったが、今はたくさん集まっている。またひそひそ話。昨日看護婦に注意されたけど、かまうもんか。昨日結局戻ってきたMちゃんやS君がいる。Mちゃんは16歳のときに、とても仲のよかった弟を交通事故で亡くしたらしい。それがトラウマになっているのかと思ったら、「それもあるかもしれないけど、それだけじゃないの」と言う。いろいろ抱えているらしい。「死んだら弟に会えると思うの。だから死ぬのは怖くないの。これってアブナイよね」Mちゃんは言う。確かにあぶないと思う。「でも、死んじゃったら、今生きている人に会えなくなっちゃうよ」私が言うがMちゃんは何も答えない。S君は死んだMちゃんの弟に似てるらしく、かわいがられている。「弟はもっとハンサムだったけどネ」Mちゃんは寂しく笑う。自殺で死ぬ人は交通事故で死ぬ人の2倍いる。発作的な物もあるが、彼女のように希死念慮が繰り返し襲ってくる人は、いつか本当に成功して死んでしまうのだろうか。精神科病棟で一番病院が気をつけていること、それが「自殺をさせない」ことである。プライバシーもへったくれもない病室もそのためだ。

会話の中で、前にも出たが「左利き」の話が出た。なぜ左利きは「ぎっちょ」と言われるのか。私はそれをいわれると非常にむかつく。なんだか差別的なニュアンスを感じるからである。日本では「左」は「右」に対して劣っているというか、差別されているような風潮があり、言葉にも現れている。「左遷」というのもその一つだ。少し頭の足りない人を「左巻き」と言ったりもする。左利きの子供に無理矢理右手で字を書かせて矯正させるようとする大馬鹿者もいまだにいるのだろうか。昔からの日本の「型にはめる」教育のせいなのか。個性を尊重する欧米がうらやましい。ま、日本も少しずつ変わりつつあると思うけど。私が一時期通っていた整体の先生は言った。「『うつ』も個性のうち。それを容認できない日本社会が悪い」

朝食後の散歩。またグランドへ行ってオカリナを吹く。今日は曇りなので涼しい。何となく「スカボロフェアー」な気分だったので、「スカボロフェアー」から吹き始める。スカボロフェアーはサイモン&ガーファンクルのアレンジで有名だが、元はイギリス民謡である。6月のコンサートで、うちのヴォーカルアンサンブルグループはスコラーズ編曲の4声のスカボロフェアーを演奏したが、いまいちだった。アレンジがポリフォニックなのだが、ルネッサンス期のポリフォニーを含め、そういう音楽をうちのグループはあまり手がけたことがなかったから、慣れてなかったのだ。ああいう音楽はごまかしがきかなくて、本当に難しい。特に1パート1人のヴォーカルアンサンブルでは、各自の音楽性がもろに影響する。ベースが鳴ってリードが決めて、後は適当に和音ハモってればいいや、の世界ではないのだ。音楽の全体の流れの中で、自分がどのようにフレーズを形作っていけばいいのか、歌っていてずいぶん悩んだ。

オカリナを吹いてると、グランドの向こうの方にMちゃんが見える。隠し持っている携帯で友達と電話しているようだ。私は携帯自体は「友達とのおしゃべり」に使うことはない。使うのは、「緊急の連絡(練習に遅れます、とか)」や、山に登ったときに、下山時に下山報告を山行管理局に入れるくらいだ。あ、でもi-modeはよく使う。「駅探」は手放せない。「天気Plus」も重宝している。去年の9月、火打山から妙高山を縦走(というよりあれはピークハント2回だったぞ)したとき、妙高山の山頂から「天気Plus」の「ピンポイント天気予報」で、「妙高村付近」の3時間おきの降水確率を見れたときは嬉しかった。最近では山でも、山頂や稜線上ではけっこう携帯の電波が入るので、緊急時の連絡などにも便利だ。でもやはり山では無線をもっておきたい。という私はまだ免許を持ってない。携帯も、山ノボラーはDoCoMoでないと苦労する。街中では他社と大差ないが、ちょっとへんぴなところへ行くと、とたんにDoCoMo以外は圏外になる。

寝不足なので調子が悪いかも、と思ったがそうでもないので、作業棟へエアロバイクを漕ぎにいく。今回はちゃんと正常なマシンで安静時からの体力テストを行うと、体力レベルは「6段階中の3、標準です」と出た。ああよかった。先週のは、やはりちょっとおかしかった。その後少し休んでから、体力テストの結果で出た自分に適した負荷値を設定して20分間漕ぐ。消費カロリー103.8kcal。ま、こんなものか。

病棟に戻って、先週作ったカルテを作り直す。体力テスト用のシートと、一般トレーニング用のシートをわけた。体力テストは週一回、一般トレーニングは毎回やることにした。

ところで、カルテを作ったと言っても、それを記録するのにこのハンドヘルドPCを作業棟に持っていくのは抵抗があったので、手帳とシャーペンを持っていった。漕いでる間に盗まれたりするとイヤだからである。手帳に結果を記録し、病室に戻ってPocket Excelのカルテに記入することにした。ところが今日、体重や体脂肪を計ってメモ帳に記入し、そのままメモ帳とシャーペンをトレーニングルームの入り口に置いたまま、すぐ隣でくつろいでいるO嬢がいたので、数分間話をしたりマッサージしてあげたりした。その後、戻ると手帳はあるがシャーペンはない。あれ、どっか落っことしたかな、と思ってあちこち探したが見あたらない。ふと見ると、さっきいなかったMちゃんがピアノを弾いている。彼女はリストカットをするのでシャーペンを含め、いろんなものを取り上げられている。「シャーペンが一番やりやすいんだ」そう言っていた。そして昨日彼女は外泊予定だったのが、精神状態が不安定で、またやってしまいそうだからと結局帰ってきた。もしや、もしや、彼女が無意識にでも取っていったとしたら…。それは非常にまずい。私が不用意に置いたシャーペンで彼女がまたリスカをやるようなことがあってはならない。とは言え、彼女に聞くわけにもいかない。そばにいた看護士に事情を話すと「わかりました。ちょっと気をつけて見ておきましょう」と言われた。

さんざん探し回ったあげく、作業療法士が見学の人に説明する場所に置いてあった。作業療法士に聞いてみると、「あ~、ごめん。そこにあったから勝手に使っちゃった」よかった。彼女が取ったのではなかったのだ。ほっと胸をなでおろす。

明日は山岳会の集会が夜にあるので、外泊届けを書いて出す。外泊時には、家に着いたら病院に連絡を入れないといけない。だが、集会は21:00までで、病院の電話取り次ぎも21:00までだ。どうやっても21:00までに家に帰って連絡することはできない。そう看護婦に伝えたら、「じゃあ外からでもいいので21:00までに連絡ください」そう言った。ところが、後から病室へ来て「22:00でも23:00でも取り次いでもらうようにお願いしたから」と言う。私のためにわざわざ病院の受付の人に頼んだのかな、と思って「普通は21:00までなんですよね」と言うと、「22:00でも23:00でも取り次いでもらうようにお願いしたんです!」と怒鳴るように言う。なんなんだ。なんでそんな怒るんだ。わけがわからんぞこの看護婦は。ちょっとむかついた。睡眠障害がまた悪化した件で主治医と今日面談する予定になっているので、ついでに「あの看護婦はなんですぐ怒るんですか?」と聞いてみよう。

昼食後、会社の上司に電話した。「まだまだかかりそうです」ということを伝える。ほんと、いつまでかかるんだろう。

なんだかだんだん疲れてきた。やはり寝不足だからだろうか。30分自転車漕いだだけで、普段ならこんなに疲れるはずはないのに。しかも直後でなく、しばらく経ってから疲れが出てきた。今日の午後の予定は入浴だけだ。ゆっくり休もう。「ろしあじんはいった~、つかれた~ら~や~す~め~」男声合唱曲「ゆうやけの歌」の歌詞である。ああ、久しぶりに男声合唱がやりたくなってきた。男声合唱には、混声合唱とまた違った独特の「ハモリ」の世界がある。私は以前、少人数だがとてもいいメンツが揃っている男声合唱団に入っていて、北欧系の曲をよくやった。指揮者の先生がとても指導者として優れていて、練習がとても楽しかった。あの頃が懐かしい。私はその合唱団はやめてしまったが、その後人数がさらに減り、先生もやめてしまったという。今でも活動しているのだろうか。廊下ではまた例のヘッドギア爺さんが慶応の学歌を歌っている。

今日の入浴は一番最後だ。それまでゆっくり体を休めよう。普段ならベッドで横になっているが、今日は風呂の順番を待ちながら、ホールの畳で寝そべる。すぐ横にレーザーカラオケがあってCDも再生できるので、トライトーンの「One Fine Sunday」を小さな音量でかけながらうとうとする。

なんだかえらく派手なおばさんが入院してきた。派手なアロハシャツにアクセじゃらじゃら、おばさんサングラス。とても場違いな感じがする。「そういう格好してる時点で病気じゃないのか?」そう言いたくなる。卓球をやってるのを見て、「私、ちょっとやったことあるのよ」と言うが、彼女がやっているところを見ると、とてもめちゃくちゃなフォームで、あれではピンポンの域を出ない。なんせ、落ちてきたボールを、バレーボールのボールを拾うようなフォームで腕を伸ばして下からボールを鬱のだ。いや、打つのだ。だめだ、ATOKが「うつ」の漢字を学習してしまっている。その後、S君に勝負を挑んで二人で真剣勝負をしていると、目を丸くして見ていた。私がスマッシュを打ったのを見て「今の、入ったの?」と聞いてくる。横に座ってて見えないのか?

主治医が来たので面談する。ここ数日、睡眠障害がまた悪化していることを伝え、日中も少し調子が悪いことを伝えるが、まあ予想通り、波がありますから、ということでもう少し様子を見ることにした。どんどん悪くなるようだったら、また相談してください。とのことだ。ただ、明日用事があって外泊するんですよ、と言うと、じゃあまた外泊から戻ってから様子を聞かせてください、と言われた。昼間の看護婦のことに対して、愚痴っぽくなってしまったけど話したら「まあ、社会に出ればいろんな人がいるから、その訓練とでも思ってください。あんまり気にしないように」と言う。まあ、それはそうだ。看護婦もたまたま機嫌が悪かっただけかもしれない。「この人は今機嫌が悪いだけなんだろう」「この人はこういう人なんだ」そう思うようにして、いちいち相手にするのはやめよう。

夕食前にHさんにマッサージしてもらった。前は椅子に座ってだったが、今回はベッドにうつ伏せになって、本格的に30分近くやってもらった。めちゃくちゃうまい。思わずひーひー歓喜の声を出してしまった。彼はあれで食っていけるのではないだろうか。

さっきの派手なおばさん、喫煙所の長椅子にだら~っと寝そべって、かなり横柄な感じだ。おいおい、それじゃ他の人が座れんだろ。と思いつつ、S君と卓球していたら、いつの間にか喫煙所が騒がしい。なんだなんだと思って見に行くと、寝そべってたおばさんがいきなり長椅子からずり落ちて動かなくなったらしい。看護婦が来て血圧を計ったが異常なし。車椅子に乗せられて病室へ運ばれていった。初日から人騒がせなおばさんだが、いったいどんな病気なんだろう。

夜は中年のおじさんMさんと軽く卓球をした。このMさん、卓球は素人とは言いつつ、相手していて一番おもしろい。ちょこん、ちょこん、と短い球をするどい角度で決めてくると思えば、打つときはバシッと打ってくる。おもしろいのは、ボールがバックに来たときに、目にも止まらぬ早業でラケットを左手に持ち替えて打ってくる。ラケットの柄の方でなく、頭の方を持って打ってくるのだ。思わずこちらは笑けて力が入らなくなる。もちろん反則である。

さっきのおばさんが復活して喫煙所にいる。なんか次から次へとお菓子やらソーセージやら配りまくってる。夕飯を食べたばかりだったのでほしくなかったが「いりません」と言うのもためらわれて、もらって食べる。

20:00になった。眠剤を飲んで就寝準備だ。今日は前の晩眠れなかったにしては調子が割とよかった。このまま回復傾向に向かって、今晩はよく眠れるといいな。

昨日の鬱のせいか、睡眠障害は少し悪くなった。予想していたことではあるが。

21:00消灯後、すぐ寝付いたものの、23:00頃、隣のベッドのHさんの物音で目が覚める。ポータブルCDをなにやらいじくっている。そのまま寝るが、うつらうつらの状態で寝たり起きたりを繰り返し、2:30に追加眠剤をもらって飲んだものの眠れず、あきらめて4:00にホールの喫煙所にやってきた。またMちゃんがいる。いつもこの時間にはMちゃんがいる。今日から社会復帰の練習のため、2日間実家に外泊だそうだが、家に帰るとまたリスカをやってしまうかも、と言う。3度自殺未遂もしていて、ここにいる間は自殺願望は出ないが、外に出るとまた出てくるかも、と心配そうに言う。詳しく聞くことはできないが、何か強烈なトラウマがあるらしく、ずっと忘れていても、ある日突然ふと思い出してパニックになるらしい。この時間にはいつも暗い話で盛り上がる(?)。

話していると、看護婦が来て注意された。

「眠れなくてここに来るのはいいけど、お喋りするのはやめてくれない?小さい声で話してるから、寝てる人にうるさいとかじゃなくて、ちょっと目が覚めて一服しにきただけの人も、他の人が話をしていると加わってしまうから。ここは病院なんだから、他の患者のこともちゃんと考えて」

そんなことはわかりきっている。私もちょっと一服しに来ただけの人か、眠れなくて朝まで起きているつもりの人の区別はつくし、もう一度寝ようとしている人にはできるだけ刺激しないように気をつけている。あの看護婦は、今年入ったばかりの新米で、患者の間では「一番厳しい」と評判が悪い。要は新米なので、教えられたことは教えられた通りにしかできないのだ。それはまあ、しかたがないだろう。いつもだいたいこの時間にこの場所にいるが、他の看護婦さんはそんな注意をしたことがない。看護士のMさんは一緒になって話を聞いてくれたりするくらいだ。

どんな仕事でもそうだが、最初は基本を教わり、教えられたとおりに一から十まできちんとする。慣れてくると、一連の仕事の中でも、どこが重要でどこが重要でないか見えてきて、「手の抜きどころ」がわかる。すると、うまく「手を抜く」ことによって労働生産性はアップする。ここの看護婦の場合は、ベテランになるほど「規則」から外れることでも事情を説明すると、ちゃんと判断して目をつぶってくれる。新米看護婦はその「目のつぶりどころ」がまだわからないのであろう。これを書いているハンドヘルドPCも、事情を説明(電子手帳です、というちょっとごまかした説明だが)すると、婦長さんが「医者に許可をもらえばOKです」と言ってくれた。充電許可ももらっている。医者はベテランなので、そんなの別に問題ないですよ、と言ってくれた。

ホールの隅っこに体重計がある。体重を量ってみると、ここ数年来で一番低い数字が出た。おそらく入社して以降、一番軽い数字である。去年の今頃と比べると、5キロくらいは減っている。毎日卓球して運動しているのと、バランスの採れた病院食のためだろう。卓球はまじでやると、ものすごく体力を使う。行動範囲は狭い(と言っても素人が考えているよりも広い)が、その中をものすごいスピードで動き回るのだ。

ここの病棟にはヘッドギアをつけたおじいさんが3人いる。ヘッドギアと言っても、変な電極が埋め込まれているわけではない。転倒したときの怪我の防止のためである。3人ともほとんどしゃべらない。入院4回目のHさんによると、もう3人とも2~30年この病棟にいるそうだ。入院費はどうしているのだろう。家族の人が出しているのか、あるいは生活保護を受けているのだろうか。

入院してから煙草の本数が増えた。暇なのと、喫煙所でコミュニティができてるので、まあ当然と言えば当然だが。昔は煙草は吸ってなかった。吸い出したのは会社に入って2年目か3年目くらいだろうか。たまたまいつも一緒に昼食に行く人達がみんな吸う人ばかりだったので、いつも昼食後は喫煙所で一服しながら雑談していた。私もその仲に加わって、自分は吸わないけど、話に加わりたいから煙たいのを我慢していっしょにお喋りしていた。

が、ある日の会議で上司がいきなり昨日決めたことを覆すようなことを言った。朝令暮改である。みんな頭に来て、喫煙所で「何を考えてるんだ」みたいに上司の悪口を言ってうさをはらしていた。私も頭に来ていたのだが、そのとき勢いで「一本くれよ」と同僚の煙草をもらって吸ってしまった。そのとき、妙に気分が落ち着いていくのを感じた。それ以来、ストレスは煙草へ逃がすようになってしまった。

うつ病になって精神科へ通うようになったとき、煙草はやめた方がいいのか、ついでに医者に聞いてみたことがある。医者は「まあ、煙草が体によくないのは当然だけど、一日10本くらいなら、我慢してストレスを溜めるよりは別に吸ってもいいんじゃない?」と言われた。それ以来開き直って吸っている。自分にとって今一番大切なのは、ストレスをためないことである。先日の「ぼのぼの」の話ではないが、将来肺ガンになるのを恐れることによって、今ストレスがたまってうつ病がひどくなったら元も子もない。大切なのは、「今」をいかに生きることだ。ただし、煙草は吸ってもマナーはできるだけ守るようにしている。

喫煙所というのは、この病棟に限らず不思議な力を持っている。会社でもそうだ。喫煙所で雑談しているときに、何気ない会話の中で、人の本音がぽろりと出る。その場で重要な情報が手に入ったり、仕事のヒントを得たり、何かをひらめいたりする。あの独特の雰囲気は喫煙所だけでしか経験したことがない。この病棟でもそういったコミュニティの中心の場は喫煙所で、煙草を吸わない人でも、会話に参加するためにそこに来たりする。ここの喫煙率はとても高い。職場なら煙草を吸う人は全体の1割程度だが、ここでは7~8割に達するだろう。

朝食の時間だ。でもぜんぜん食欲がない。ご飯を一口食べ、卵焼きを一かじりだけし、味噌汁を少しだけ飲んで、あとはほとんど残してしまった。かろうじて牛乳だけは飲んだ。

調子悪いけど、少しくらいオカリナ吹きたいな、と思ってグランドへ行った。S君も一緒に行くというので2人で行った。頭がぼ~っとしたまま、何曲か吹いた。「何かリクエストしようかな」そうS君は言ったものの、思い浮かばないらしい。考え込んでいるので「涙のリクエスト」を吹いてあげた。

病棟に戻ると、洗濯機が空いていたので洗濯をする。部屋に戻る途中、Mちゃんに「さっきオカリナ吹いてたでしょう」と言われた。そうだ、病棟まではかすかに聞こえるんだった。「うるさかった?」「ううん、いい音色だね」そう言ってもらって嬉しかった。調子が悪いのでこれからしばらく横になって休むことにしよう。昨日は不調なのに、やっぱり無理しすぎた。

横になってしばらく休むが、なんだか落ち着かない。いろいろな邪念が頭の中を駆けめぐって不安をかき立てる。ヒーリングのCDをかけ、自律訓練法をやってみる。自律訓練法はセルフコントロール系やリラックス系の本には必ずと言っていいほど載っている有名な手法で、全身の神経をリラックスさせるとともに、その後に覚醒させる。交感神経と副交感神経のバランスを調整するのだ。私はこれを、昔所属していた合唱団のヴォイストレーナーに教わった。その先生には2年ほど発声を習いに通ったが、レッスンの最初はいつもこの自律訓練法で体と心をリラックスさせることから始まった。ヒーリングのCDも心地よい。聞き覚えのある優しいメロディーを優しい音色で包みこみ、脳のα波を引き出してくれる。このCDの中では、グレゴリオ聖歌の「Hodie Christus natus est」をアレンジした曲が一番好きだ。

だんだん神経が安らいでいき、体が休まり、そして徐々に覚醒していくのを感じた。そろそろ大丈夫かな、と思った頃、卓球をやっている音が聞こえたのでホールに行ってみた。しばらくやっているのを見物しつつ、自分の精神状態と体の状態を観察する。うん、大丈夫そうだ。回復傾向に向かっている。回復傾向に向かっているときは軽い運動をした方が効果的だ。初心者相手に軽く卓球をして、ちょっと汗をかいたところでやめておいた。無理は禁物だ。

乾燥機に放り込んでおいた洗濯物が乾いていたので取り込む。今日は朝調子が悪かったので、干しに行くのも億劫だったのだ。今まではちゃんと外に干しに行っていた。だが、私は家ではいつも乾燥機を使い、外に干すことはまずない。その理由は2つあって、一つは、私が会社の寮にいた頃、寮のランドリー室には洗濯機と乾燥機があったが、洗濯物を干す場所がなかった。なので、みんな乾燥機を使わざるを得なかった。それで、すっかり洗濯物は乾燥機で乾かすもの、という癖がついてしまった。二つ目の理由は、私はアトピーで、主なアレルゲンはハウスダストやダニ、黴、花粉などである。外に干すと汚れた空気で埃がついたり花粉がついたりする。それが嫌なので、乾燥機を使う。以前、アレルギーを引き起こす蛋白質である免疫グロブリンE(IgE)の血中濃度を調べたことがあるが、標準の数値が250以下なのに対し、私は14,000である。「立派な重症患者ですね」と医者は言ったが、何が立派なもんか。

Mちゃんがなんだか困っている。上に書いたように社会復帰の訓練のため、実家に2泊する予定なのだが、外泊は今回で3回目で、前の2回は2回ともリスカをやってしまったらしい。「またやりそうで怖い。1泊にしようかな。どう思う?」彼女はいろんな人に聞いていた。やらない自信がないのなら、1泊にしておいた方がいいと思うが、両親もいることだし、自分は医者ではないのでなんとも言えない。彼女は「不安から逃れるために切る」そうだが、その不安を取り除くことは、どうしてもできないものなのだろうか。

13:30から土日恒例のカラオケ。今日も別の病棟から若者向けのディスクを借りてきている。昨日よりかはうまく歌えるかな、と思ったが、昨日よりはましなものの、やはり高音がうまく伸びない。ファルセットの練習に、と思って平松愛理の「部屋とYシャツと私」をオールファルセットで歌うとみんなうけていた。この曲には「ヘアがわいせつな私~」という替え歌があるので、途中でそれを入れようかと思ったが自粛した。

カラオケのあと、しばらく喫煙所でしゃべっていたら、軽い疲れを感じてきた。ちょっと休もうと思い、病室に戻ってしばらく寝ていた。S君が「散歩行きましょう」と言うので、まあ散歩くらいなら大丈夫かなと思って、夕暮れの病棟の敷地内を一周した。病棟に戻ってきたとき、疲れがますますひどくなっているのを感じ、また横になる。夕食のアナウンスがあったので、夕食をとり、その後また寝る。やばい、また下降線をたどっている気がする。ヒーリングのCDをかけ、自律訓練法を行う。ちょっと卓球したりカラオケして散歩しただけで、こんなに疲れるなんて。火曜日には山岳会の集会が夜にあって、それに出席するために遠出して外泊する予定なのに、大丈夫なのだろうか。

少し状態がよくなったので、前から作ろうと思っていたバス時刻表をPocket Excelで作る。駅からと病院からの2シート構成。火曜日の外出のために駅前探検倶楽部で時刻を調べようとすると、Pocket IEでは検索結果が表示されん。なんでじゃ~。

ホールに出ていくと、外泊のはずだったMちゃんに廊下ですれ違う。「あれ?」と言うと、「帰って来ちゃった」やはり自信がなかったようだ。そう言えば朝からずっと心配していたし、卓球してるときも少し疲れ気味だった。

とかやっているうちにもう20:00だ。薬を飲んで就寝準備。今日は低空飛行の中でアップダウンのあった一日だった。病院の中だけでもこの調子だと、社会復帰はまだまだ無理そうだな。最近どんどん「入院日記」から逸脱するのを感じつつ、もう何でもいいからつれづれなるままに書いてやろうと思ふけふこのごろである。

昨日の睡眠はちょっといまいちだった。寝付きはいつも通りよかったし、0:00頃目が覚めて眠れなくなって、0:30頃に追加眠剤をもらうところまではよかった。そこまでは昨日と同じだが、その後2:30に目が覚め、その後何回も中途覚醒を繰り返し、4:00過ぎにはもう眠れなくなって、起きてきた。熟睡感が少し足りない。

夜明け前の喫煙所でKさんと話をする。Kさんは自分自身が優秀なカウンセラーにカウンセリングを受けた経験があり、よく他人のことを観察していて、カウンセラーばりにいろいろなことを言ってくれる。彼女によると、私は「凝り性」「完璧主義」「こだわりが強い」「なにごとにも全力投球」ということで、それは自分でも自覚している。

彼女に言わせると、「凝り性」という面に関しては、私は「いい意味での凝り性」らしい。趣味に関しても、自分の興味の持った分野に関しては徹底的に追及する。それはいいんじゃないか、ということである。

だが「完璧主義」というのは、この病気になる人に共通していることだけど、気をつけないといけない。なんでも100%でないと気が済まなくて、100%を達成できないと、とたんに挫折感を感じてしまう。それがうつ病のきっかけになる。たとえ100%じゃなくても、0%ってわけでもないんだ、50%でも60%でもいいじゃないか、そう思えるようにならなきゃならないんだ。「もっといい加減になりなさい」彼女はカウンセラーにそう言われたそうだが、「いい加減」とはちゃらんぽらんというわけでなく、「『いい』加減」を知る、ということだそうだ。納得。「なにごとにも全力投球」というのも、それが悪く出るときは「『いい』加減」で適当に抑えなければいけない。私は遊びはいっぱいあるが、「あそび」はない。自動車のハンドルやブレーキの「あそび」に相当する部分がないのである。

その後、彼女に「あなたには『否定する心』がある」と言われたとき、それはどういうことかわからなかった。私が人と話しているとき、言葉の端々に「否定する心」が見え隠れするらしい。「否定する心」ってなんだろう?いろいろ説明してくれたけど、いまいち理解できなかった。「そんなに難しく考えなくていいよ」と言うが、気になる。何を「否定」する心なのか。「こだわり」が強いために、自分のこだわりと相反するものに対して無意識のうちに「否定」をしているのだろうか。今はわからないが、そういう自分への「気づき」が大事だと彼女は言う。ま、あせらないようにしよう。

昨日Hさんに「ストレッチは朝一番にはやらない方がいい。まだ筋肉が固すぎてよくない。ある程度、体が起きてきて自然にほぐれてからの方がいい」と言われたので、朝のストレッチはやめることにした。作業療法の日は9:30からエアロバイクを漕ぐので、その前にすることにしよう。その他の日は午前中に適当な時間にやろう。

朝食後、すこし頭がぼ~っとするのでヒーリングのCDをかけて横になる。やはり眠りが浅かったせいだろう。あまり調子がよくない。昨日まで上り調子だったからといって、ずっと良くなり続けるということはなく、やはり波があるようだ。今日は無理をしないようにしよう。

気がつくと、外に出てもいい時間を過ぎていたので、のろのろとオカリナを持って昨日のグランドへ行った。今日ははじめからベンチの端っこに座った。何を吹こうかな、と思ったすえ「眠れぬ夜」をとりあえず吹いてみた。今の自分にぴったりだ。何曲か吹いたところで、すぐに疲れてしまったので病棟に戻った。

今朝メールチェックをしたら、友人から「昨日の日記の、果物チームと野菜チームの東北版には不覚にも笑ってしまった」とある。一人でもうけてくれて幸いである。ところで、彼のメールを無断引用するが、

僕はこの間まで、「メールをもらうとすぐに返事をしないといけない」と思いがちでした。それでストレスが溜まることもありました。しかし、この間見たストレス解消系HP(というのかな)に、そういう考えはテクノストレスの原因の一つでもあると書いてあったので、そういう考えはやめるようにしています。

と書いてある。その傾向は私にもあって、メールをもらったらすぐに返事を書かなきゃ、と思っていた。それは、相手が返事を期待しているだろうというのもあるが、一日に来るメールの数が多いので、すぐにレスを返さないと後で忘れてしまいそうだったからである。だが、最近私はちょっとした技を開発した。技と言うほどのものでもないが、メールを見て、これは返事する必要があるな、と思うメールには、とりあえず「返信」(または「全員に返信」)ボタンを押し、メールの編集画面を開いて、そのままドラフト保存するのである。こうすれば、返信する必要のあるメールの書きかけがドラフトのメールボックスに入るので、すぐに返事を書かなくても、あとで暇なときにドラフトをチェックして、返信してないメールがあればそのときに返事を書けばいい。返事をし忘れることもない。

おなかの調子があまりよくない。少し腹が痛くなってきた。私は便秘と下痢を繰り返すので、いつものことなのだが、今日はちょっと痛い。看護婦に言うと、「今日は土曜日なので当直の医師しかいなく、10:30か11:00頃に回診にくるので、そのときに相談してください」とのことだ。それまで痛みが続くようだったら薬をもらおう。

ところで、毎晩その日の便通の回数を各自が表に記入するのだが、昨日の夜「18」と書いてある人がいてびっくりした。と思ったら「泊」という字だった。「この人は外泊してます」という印で、看護婦が記入したものだった。一日に18回もトイレに行くようであれば、トイレに住んだ方が手っ取り早い。と言うのは冗談だが、私の趣味の山登りの世界では、山でのトイレ問題が最近活発に行われている。山に残していいのは足跡と思い出だけ。排泄物もできるだけ持ち帰らないといけない。と言うわけでうちの山岳会でも携帯トイレを試しに購入してみた。が、誰か試した人はいるのだろうか?山ではいろいろなトラブルに遭遇したときの対処法を知っておかなくてならないので、私もいろいろ本を読んで勉強したが、「山で下痢になったら」というのはまだ見たことない。

今日の午前中はみんな休んでいるのか、ホールは閑散としている。私もあまり調子がよくないのでしばらく横になって休むが、11:00前にホールに行ってみると、だんだん人が集まってきた。EさんとMさんが卓球を始めた。その後Eさんが用事があるというので、私が代わってMさんと打ち合ったが、調子が悪いためかいつもよりかどうも反応が鈍く、動きもスローモーだ。Oさんが「私にも卓球教えて」と言ってきた。彼女が卓球をやっているのを見たことがないので、興味がないのだと思っていたが、そうでもないらしい。「経験は?」と聞くと、「温泉でちょっと」と言う。とりあえずちょっと打ち合ってみたが、確かに初心者らしく「ピンポン」のレベルである。これなら基本から教えやすい。少し基本を教えて打ち合うが、どうもこちらの反応が鈍く、いつものように相手が打ちやすい所になかなかボールを返すことができない。その後、数日前に入院したOさん(Oさんがいっぱい出てくるが全部別人である)が、「私もお相手願います」と言ってきたので相手するが、なんかその時点で私はへろへろだった。調子悪いときに無理しちゃいかんが、「教えて」と言われて「今、調子が悪いから」と言って断れないのも私の悪いところだ。一応Oさんに「経験は?」と聞くと、「以前、ここで」と言う。そう、彼女も出戻り組の一人だ。へろへろだったのでちゃんと教えてあげられなかった。

昨日、私の隣のベッドに入ったHさんが「商売でトラブって裁判中」と書いたが、それは私の勘違いで、彼の友人の話らしい。彼の友人もまたうつ病で、そういうきっかけだったという話だったのを私が誤解したのだ。彼自身はトラックの運転手をやっていて、あれも相当体にきつく、時間もめちゃくちゃな仕事だったので、自律神経がおかしくなってしまったらしい。トラックの運ちゃんをやる前は4年間自衛隊にいたそうだが、その訓練内容を聞いたら、ものすごく激しいものだった。「真夏の暑い中、長袖長ズボンにいろんな装備をつけて、70km歩かされた」と聞いたときは、「俺だったら死ぬな」と思ってしまった。

休んでいると、カラオケの音が聞こえてきた。今日は土曜日なので、昼からカラオケ大会なのだった。今日も別の病棟から若者向けのディスクを借りてきてるらしい。ちょっと調子悪いけど、カラオケくらいならできるかな?と思っていってみた。先週、尾崎豊の「I Love You」を歌ったあと、Kさんに「うまかったけど、ちょっと力んでたんじゃない?力抜けばもっとうまいと思うけど」と言われたので、リベンジでまたしても「I Love You」に挑戦。「力む」というのは私が何事に対してもやってしまう悪い癖だ。今回は力を抜いて、と思ったら逆に力が全く入らない。なんか体全体のコントロールを失っているみたいで、リズムもまともに取れないし、高音がぜんぜん出ない。普通、高音は張ることができなくても抜くことはできるのに、まともに抜くこともできない。なんか悔しくて、次に勢いのいい曲を、と思ってThe Blue Heartsの「Train Train」を歌ったところ、またしてもぜんぜんリズムに乗れず、しかもアンザッツをあてることもできず、声帯をもろにこする地声歌いになってしまい、喉がへろへろになってしまった。カラオケも今は無理だ、とあきらめて病室に戻って休んだ。

夕方、ベッドに横になりながら、やはり隣のベッドに横になっているHさんとお互いの話をした。ケースは違うが、2人とも家庭環境に何らかの問題を抱えている。この病棟の患者と話していると、家庭環境に問題がある人、トラウマを抱えている人、性格的に鬱などの病気になりやすい人ががほとんどである。特に家庭環境に問題を抱えている人は非常に多い。

Hさんは生活保護を受けているそうだ。生活保護を受けると、通院費も入院費も一切ただになるらしい。32条を申請すれば通院費が5%負担になるのは知っていたが、生活保護の場合は通院費も入院費もただになるとは知らなかった。それでS君が「生活保護を受けたい」とずっと言ってる理由がわかった。S君は、父親が全く病気のことを理解していない、そもそも病気と思ってなくて、うつ病をただの「怠け者」と思っており、「なんで入院なんかしてるんだ。病気のふりなんかしてないで働け」と言うらしい。入院費は父親がお金が出しているが、父親は病気と思ってない子供の入院費なんか払いたくない。S君も父親に負担をかけたくない。かと言って父親が病気を理解してくれてないので家にも帰りたくない。でも今の病状では働ける状態ではない。それで生活保護を受けたいと言ってるのだ。

「夕食の準備ができましたので皆さんホールにお集まりください」放送が入った。いつもなら腹が減ってるので飛んでいくのだが、なんだか妙に腰が重い。体を動かすのがひどくめんどうだ。なんとかホールまでのろのろと歩いていく。今日はずっと軽い鬱だ。心と体がちゃんとつながってない。卓球もカラオケもおかしかったのは、そのせいだ。昨日まで上り調子にあった波が、今度は下り坂に入ったのか。明日も鬱が続くのだろうか。夕食後、ヒーリングのCDをかけて、またベッドに横になる。

いつの間にか眠ってしまっていたらしい。夢を見ていたようだ。悪夢ではないが、後味の悪い夢だった。ホールに行ってみると喫煙所でまたいつものメンツが集まっているので、加わるが、なんかまた下ネタで盛り上がっている。なんでも、ある薬の副作用で胸が大きくなるらしく、男性でも乳房が出てきたり、女性でも妊娠していないのに母乳が出てくるとか、最初は薬の副作用の話だったのに、そういう話からエスカレートしていった。しゃべっていると、「いつもとしゃべり方が違うね」と言われた。まだなんか全体的にスローモーだ。心と体がちょっと疲れてた一日だった。

Kさんから森田療法の体験記を聞いた。「あるがままの自分を受け入れる」いろんな本に出てくるが、いまだに私は理解できていない。「遊びたくないときは寝ていろ、遊びたいときは遊べ」それはわかる。だが、「だから月曜日から金曜日はしんどくても会社に行け」それができないから病気ではないのか?「調子がいいからといって、夜遅くまで仕事をしてはいけない」これはわかる。「調子が悪いからといって、早退してはいけない。定時まで必ず仕事をしないといけない」そうなのか?それは「あるがままを受け入れる」に反するのではないのか?森田療法は有名だが、体験記を聞いても、やはりいまいち理解できない。

20:00になった。眠剤を服用する。今日は調子はよくなかったけどいいこともありました、と「いいこと探し」をしながら眠ることにしよう。