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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

現在3:20。起きてきたところだが、不思議とすっきりしている。昨日、「目が覚めたら追加眠剤飲んじゃる!」と誓ったのが功を奏したのか、眠剤の種類を変えたのが効いたのか。とにかく、中途覚醒は2回だけである。はじめは22:30頃目が覚めて、追加眠剤もらわなくちゃ、と思った瞬間眠ってしまった。それだけすぐ寝入ってしまったので、割と深くは眠れていたんじゃないかな。1:00前に目が覚めたときは、速攻で眠剤もらいに行った。結果、3:10まで熟睡。トータルの睡眠時間は6:00と昨日より短いが、今の目覚めはとてもいい。やはり「深く眠る」ということが大切なようだ。これで薬に頼らずに済みたいのだが。

やはり早すぎたか、今日は喫煙室に誰もいない。一番乗りだ。薄明かりの下でこの日記を書いている私のそばに看護婦が来てこう言う。「そんなところでそんなことやってると目が悪くなりますよ。できれば眠れなくても部屋に戻って休んでおいてほしいんですけど」「でも、眠れないのにじっと横になっているの、つらいんですけど」「横になっているだけで、体は休まりますから」この看護婦は割とものわかりのいい人で、あまり反発するのもヤだったので、おとなしく部屋へ戻ることにした。が、布団を頭からすっぽりかぶってこれを書いている。暗くて手元が見えないが、いつのまにか、この小さなキーボードでもブラインドタッチができるようになっている。

5:00前にもう一度ホールに出ていくと、もうたくさんの人がコーヒーの準備をして待っている。どうやら今日は一人だけフライングしてしまったため、注意されたようだ。今日は採血・採尿があるが、5:30と言われてたので、トイレに行きたかったがずっと我慢していた。が、我慢しきれなくなって、5:15頃に「あの~、もう採尿いいですか?」と聞いたら「あ、いいですよ」ということで、やっとすっきり。採尿コップを手渡すと、「じゃ、ついでに採血やっちゃいましょうか」ということで血を抜かれる。昨日も書いたが、ここの看護婦は採血が下手だと聞いてたので覚悟していたが、今朝の担当の看護士Nさんはとても上手で、あっという間に終わった。「Nさんうまいですね~」「吸血鬼だから」「じゃあ女性専門ですね」などと冗談を飛ばす。私の血を見て「お、A型だね」「そんなことまでわかるんですか?」「わかるよ~、ベテランだから」ほんまかいな。後からみんなに聞いたら、「Nさんは採血一番うまいよ。他の看護婦さんがどうしてもうまくできないときは、Nさ~んって呼ぶそうだよ」ということらしい。今日はラッキーだった。

朝のひそひそ話でなぜか疑似?恋愛ごっこ。(あ、「疑似」と「ごっこ」は重複してるか)Mちゃんが、最近閉鎖病棟から移ってきたちょっとかっこいい青年K君に「ねえ、ラブレター書いてもいい?好きになっちゃった」といきなり告白。彼は「あ、いいっすよ」と軽く流してる。でもMちゃんは「でもKさんも好きなの。K君にふられたらKさんにラブレター書いていい?」とKさん本人に聞いている。Kさんも笑って「いいですよ、わたし安全牌で」と返している。まあ、冗談だとは思うが、Mちゃんは昨日の晩、急いで「ラブアディクション」(日本語に訳すと「恋愛依存症」なのかな?)について調べていた。ひょっとして、「マジ」が入っているかもしれない。後でHさんがMちゃんに注意する。「まじで惚れちゃだめだよ。この病院内では」

そう、この病院で看護婦や医者が気をつけていることは、「自殺を防ぐ」だけでなく「患者同士が恋愛関係に陥らないようにする」こともある。これは、自殺願望の患者同士がくっついたりすると、マジでやばいからである。過去にその関係の事件も起きたらしい。だから、患者を観察していてそういう関係になりそうな気配があると、二人の席を離したり、二人での散歩を許可しなかったりする。ここでは「プライバシー」はいろいろな面で制限される。この話は入院経験の豊富なHさんが教えてくれた。

今朝もみんなで散歩に行く。Mちゃんの姿が見えない。少ししてからHさんが来た。「Mちゃん来ないね」というと「K君と二人で海側の丘の方へ行ったみたいだよ」まぢまぢ?「それって、ちょっとやばいんじゃないですか?」私が聞くとHさんはこう答える。「あの二人は、俺が見る限りもう相当やばいよ。でも、あれくらいやばくなると、周りが何を言っても聞かないからね。なるようにしかならないんじゃない?」突き放したようなちょっと冷たい言葉だが、彼も私も自分の病気を治しに来ている。他の患者同士のもめ事や恋愛沙汰に下手に首を突っ込んで、看護婦の言う「巻き込まれる」状態になるのは避けたい。たとえ彼らが本気になろうとも、下手に首を突っ込むと、逆ギレされる可能性もあれば、またリスカに走られる可能性もある。彼女が調べていた「ラブアディクション」が頭をよぎる。彼女は、わざと別の依存症に自らを陥れることによって、今の不安から逃れようとしているのだろうか。

今日は木曜日なので体育館レク。またドッジボールとバレーボールだ。今日は看護実習生も2人加わっている。ドッジボールは2回試合して、2回とも負けてしまった。最初にじゃんけんでチーム分けしたのだが、今日のチーム分けはどう考えても力の差がありすぎた。それを考慮して、後半のバレーボールはドッジボールのチームから力の差を均衡にするように適当にメンバーを入れ替えた。これが功を奏して、3セットマッチで、3セット目までもつれ込む大接戦となった。1セット目はうちのチームが負けたが、2セット目はデュースにもちこみ、19-17でこちらの勝利。3セット目は15-13で惜しくも負けてしまった。が、すがすがしかった。スポーツにしろゲームにしろ、「力の差がだいたい同じレベル」でやるのがおもしろい。そうでないと、一方的な試合や展開になってしまい、どっちも楽しめない。

途中の休憩では体育館の外側の入り口のところにみんな座って、煙草を吸ったりお茶を飲んだり。ここからも海が一望できて眺めはとてもいい。だいぶ涼しくなって、気持ちよい風が吹いていく。Mちゃんもレクに参加していて、私と少し離れたところに座っている。が、腕に生々しい新しい傷跡がある。またやったのか?普通リスカをやる人は包帯などを巻いて隠すと聞くが、彼女は堂々とさらしている。逆にみんなに「私はこれをやるのよ」と見てほしいのだろうか。元リストカッターのTさんは以前Mちゃんにこう言った。「みんなに見てほしいんでしょ。自分が切るところを見てほしいんじゃないの?」

昼食時、自分がじわじわと軽い鬱になっていくのを感じた。実は、外に出る練習として、1週間に1回は外出することにしようと思い、今日の午後から「駅前へ買い物」という目的で外出する届けを出していたのだ。昼飯を食べて、ちょっと一服してからでかけよう、そう思ってたのだが、「これから外出か」と思ったら、急に気が滅入ってきた。腹まで痛くなってきた。今は何とかその小康状態を保ちつつ、これを書きながら、不調を我慢して外出するべきか、無理しないで休むべきか悩んでいる。とりあえず、しばらく休んでから、調子がよくなれば外出することにしよう。

結局1時間ちょっと休んでから、大丈夫そうだったので、外出した。バスで駅まで行き、ドラッグストア、スーパー、衣料品店、100円ショップ、本屋を1時間強かけてまわった。今回はそんなに疲れはしなかったが、なぜかずっと汗をかいていた。暑いからではなく、冷や汗だ。どうしてもリラックスした状態にはなれない。病棟に帰るまで冷や汗は続いていた。最近疲れがあとから出てくる。今はまだ大丈夫だが、これから出てくるかもしれない。ちなみに買ったものは…、と羅列しようと思ったが、めんどくさいので省略。そろそろ早朝や晩は半袖だと肌寒くなってきたので、衣料品店ではカーディガンを買った。カーディガンくらい家に帰れば10枚でも20枚でもあるが、「家に帰る」という行為自体が、ここからは電車を乗り継いで1時間以上かけて行かないといけないので、まだ自分には無理だ。ちなみにこの段落には多少誇張した表現があることを追記しておく。

外出からの帰りのバスでA君にあった。「どこ行ってたの」「職安っすよ」「職安行ってるってことは、もう退院のめどがついてるんだ」「うん、もう退院っすね」彼が言うには、もう精神的には安定しているが、体力、それも持久力がないのが心配だという。一見スポーツマンっぽく見える彼だが、入院する前、半年間は一歩も家から外に出なかったという。今のこの病院での生活は「ぬるま湯」のようであり、少し何かやって、疲れたら休めばいいや、で済むが、社会に戻ると、なかなかそうはいかないのが現実だ。私も社会復帰するときには持久力も充分養ってからでないと危険かもしれない。

どうやら先日退院したA爺さんの入院歴は25年だったそうだ。ここにいる新米のI看護婦が産まれる前からここにいたことになる。四半世紀を過ごした病棟を去るとき、彼はどんな気持ちであったのだろう。

夕食を告げる放送が入り、私が廊下へ出ていくと、みんながざわめいている。S君が私に言う。「Mちゃん退院だって!!!」「えっ、いつ?」「今から、夕御飯食べたら行っちゃうんだって」さらにS君は言う。「他の病院に転院するんだって」なになになになになんだなんだなんだなんだなんでなんでなんでなんで。前から決まっていて本人は黙っていたのか?でも、ついこの間まで「いつになったら退院できるんだろう」と本人は言っていた。しかも、転院ということは、「退院可能なほど病気が回復した」わけではない。何らかの事情で「この病院で入院生活を続けるのは好ましくない」との判断があったはずだ。医者の判断なのか、本人の判断なのか、あるいは家族の判断なのか。それはわからない。今朝、病院内での恋愛沙汰がどうのこうのと書いたが、それに対して病院側が措置を取ったにしては早すぎる。本人には昨日あるいは数日前に告げられて、最後に少しだけ「恋愛ごっこ」をしてみたかっただけかもしれない。本人は「みんな、好きだったよ。ありがとう」としか言わない。真相は誰も知らない。

S君がみんなを集めている。「お別れ会やろうよ」だが急な話なので、たいしたことはできない。色紙もないので、ノートにみんな一言ずつメッセージを書いていく。みんな持ち寄ったお菓子を広げる。「最後に何かやってあげてよ」そう頼まれたので、看護婦さんにオカリナを吹いていいか尋ねたが、病棟内では休んでいる人もいるため、気持ちはわかるけどダメだと言う。オカリナがだめなので、小さな声で「今日の日はさようなら」を歌った。そう「今日の日は」「さようなら」だ。「また会う日まで」またきっと会えるよね。途中からみんな加わって一緒に歌う。みんな口数は少ない。何をどう言っていいかわからない。一番とまどっているのは本人だ。どうやら今日の昼に突然医者から言われたらしい。家族が迎えに来て、1時間くらい医者と面談をし、その後彼女も呼ばれて今でも三者面談をやっている。

20:00になった。7錠の眠剤を飲んで、就寝準備。今日は疲れた。決して調子は悪くなかったのだが、やはり外出して疲れたのと、帰ってきていきなりのニュースである。なんだかんだ言って私も彼女のことをだいぶ気にかけていたので、いきなり去っていくという事実にショックを隠しきれない。どうか転院先でリスカをやらないでほしい。一日も早くよくなってほしいと願っている。

昨日は追加眠剤はもらわなかったが、5、6回中途覚醒があったろうか。21:00の就寝後、22:50、0:30に目が覚めたのは覚えている。その後、時間は覚えてないけれども、何回も目が覚めた。が、眠れないということはなかったので、追加眠剤はもらわずにいた。結局4:30過ぎに起きてホールへ出てきた。いつもの通りのひそひそ話。東側の窓から見える海に映える朝焼けがきれいだ。今日は何も事件が起こらなくてよかった。

ラジオ体操をするが、なんか頭が重い。眠い。どうやら、最近になってようやく、その日の体調は、前夜の「トータルの睡眠時間」ではなく、「深い睡眠をとった時間」に左右されるということに気がついた。昨日の場合、追加眠剤はもらわずに、21:00から4:30まで、トータルで7時間半寝ている。普通これだけ眠れば睡眠不足にはならないはずだ。だが、その間に5回も6回も目が覚めているということは、昨日の睡眠は一貫して「浅い眠り」だったに違いない。「深い眠り」の時間がほとんどなかったのである。

逆に、追加眠剤を2回ももらって、でもそれも2時間くらいしかもたなくて、2:30とか3:00から目が覚めてずっと起きている、というような場合がある。そういう場合、トータルの睡眠時間は短くとも、眠剤の作用によって「深い眠り」の時間はある程度確保できているため、実は体調は悪くない。

じゃあ、どんどん追加眠剤をもらえばいいのか、と言うと、これまた悩ましい。私が就寝前に飲んでいる眠剤は5種類、そのうち1種類は通常の倍の量の錠剤である。これはこれで結構な量で、あまり眠剤を増やすと逆に「睡眠薬依存症」になってしまうと別の患者から聞いた。医者は「睡眠障害」と「うつ」は相関関係があるので、抗鬱剤の作用により鬱の症状が緩和されれば、睡眠障害も自然と治まってくる、と言っていた。あれからしばらく経つが、まだ睡眠障害は続いている。ちょっと主治医に相談してみよう。

ところで、さっき別の患者に聞いたところ、眠りのサイクルはおよそ1時間半だそうだ。そう考えると、「21:00に就寝して、いつも0:00頃に目が覚める」早いときは「22:30頃に目が覚める」のも、眠りが2サイクルあるいは1サイクルしたところで目が覚めていることになる。追加眠剤も、「2時間もたない」とか「3時間もった」とか書いていたのも、眠剤の作用が「1サイクル」のときと、「2サイクル」のときの差だったのだろう。4サイクルで6時間、5サイクルで7時間半。せめてそれくらいは連続して眠りたいものだ。そうすると熟睡時間も増えるだろう。

今日はシーツ交換だ。頭がぼ~っとしてるので、朝食後、さっさとシーツ等を取り替えて、横になって休むことにする。環境整備で身の周りの雑巾掛けもあるが、まだ7:30だ。9:00にならないと雑巾は出てこないので、それまでゆっくりしよう。

8:30頃起き出してきて、一人でオカリナを吹きに行った。今日はちょっと「ジャズ」っぽいのに挑戦してみようと思って、「Summer Time」や「スイングしなけりゃ意味がない」(英語の題名がかっちょいいのだが、正確に思い出せない) を吹いてみた。「Summer Time」は比較的すぐに吹けたが、後者の方はやっぱむずい。っていうか、リズム音痴なのでうまくスイングできない。全く「スイングできなきゃ意味がない」だ。

毎月第一水曜日は体重測定らしい。私が入院したのは、8月の第一木曜日だったので、はじめての体重測定だ。看護婦さんが一人一人の体重を記録していく。「66.6キロ。お、ぞろめじゃ~ん」と看護婦は言うが、666ってなんか不気味でない?

主治医が来たので面談する。睡眠障害が続いていることを告げるが、結局「もうちょっと様子を見ましょう」ということだ。入院してやっと1ヶ月過ぎたところだが、2~3ヶ月かかることは普通なので、あまりあせらずに行きましょう、と言われた。眠剤に関しては、現在就寝前に飲んでいるのは全て眠剤ではなく「眠気の作用もある安定剤」「眠気の作用もある抗鬱剤」も混じっているとのことで、その種類を変えてみましょう、ということになった。追加眠剤の服用と「睡眠薬依存症」についても聞いてみたが、依存症にはならない程度にちゃんと量は考えて出してますから、という答えだった。

今日は調子が悪い。昼食までずっと寝ていた。昼食後、少し横になったら入浴タイム。今日は我々からの順番なので、一番風呂に入り、その後ずっと寝る。夕方にリラックス体操を行ったくらいで、この日記を書いたりメールを書いたりしていた時間以外、ずっと寝ていた。ときどき起きては喫煙所に出ていって何か飲んだり煙草を吸ったりしたが、すぐに戻ってきた。おなかの調子も悪く、何度もトイレに駆け込む。まあ、こういう日もあってもいいだろう。

連絡会で、採血と採尿が明日あることを知らされる。アルコール依存症患者や、その他内臓に異常のある人は週3回とかあるが、私のような「肉体的には普通」の患者は、月1回らしい。ここの看護婦の採血は下手だという評判だ。嫌だなあ。そう言えば、私も入院時の採血で、普段なら簡単に血液が出ていくのに、「あら、出ないわね」とか言いながらギュッギュッと二の腕を絞られたりした。それでもうまく注射器に入っていかないので、もう一本の腕から取られた。よく三ヶ所も四ヶ所も採血の跡のガーゼを貼っている人を見るが、出にくい人はもっと苦しいらしい。内科などの普通の病棟と違って、採血をするのは一日数人、しかも看護婦は毎日交代なので、なかなかうまくならないのだろう。やはり何でも数をこなさないとうまくはならない。明日は何ヶ所刺されるのかなぁ。

Mちゃんが部屋の外で私の名前を呼んでいる。当然だが異性の部屋へは立ち入り禁止である。病室はホールから延びている一本の廊下の両側にあるが、手前の方が男性部屋、奥の方が女性部屋である。男性は「女性部屋ゾーン」の廊下に一歩足を踏み入れることすら禁じられている。それが見つかると、かなり厳しい処分(強制退院など)が待っている。

話がそれたので元に戻す。Mちゃんが言う。「お願い、『ラブアディクション』って言葉について調べてほしいの」彼女は私がネットをできる環境を持っていることを知っている。Yahoo!で検索してみたら、11件しかヒットしない。しかも、ほとんどが本の紹介だ。やっと個人の日記というか独白ぽいページで、それについて触れているのを見つけたので、他のウィンドウを全部閉じ、「矢印キーでスクロールするから」とだけ教えて彼女に少しの間このハンドヘルドPCを貸した。私はちゃんと内容を読んでないが、依存症の一種らしい。

部屋の外からまた彼女が私の名前を呼ぶ。彼女が返しに来た。「ありがとう、だいぶわかった」と言っているが、彼女は何のためにその言葉の意味を調べたかったのだろうか。友達に電話してネットで調べてもらって、次の日にでも電話でどんな意味なのか聞けばよさそうなのに、なんだか今すぐ知りたそうだった。

いつものようにみんな卓球をしている。が、私は最近は卓球を控えている。アトピーがある程度治まるまで、風呂に入った後はできるだけ汗をかかないようにしているからだ。今はかなり治まったものの、まだところどころ赤い炎症が残っているし、治りかけの黒い部分も多い。汗をかくとこの辺がかゆくなり、かゆいと掻いてしまう。掻くとまた悪くなる。汗をかいてもそんなにかゆくなく、すぐにタオルで汗を拭けば治まるくらいになるまで、夜の卓球はお預けだ。私は横で見ながらコーチに徹している。なかなかもどかしい。

今日もみんなお菓子をひろげているが、おなかの調子が悪いので今日は手を出さない。おなかはまだ痛い。整腸剤ずっと飲んでるんだけどなぁ。自律神経が狂っているのを、無理に整腸剤で腸の働きだけ整えようとするのは、やはり無理があるのだろうか。

20:00になった。眠剤の数が5つから7つに増えている。あれ、種類を変えるだけって言ってたのに?と思ったら、種類は5つだった。2錠ずつのやつが2種類ある。「眠剤」でなくて「眠気の作用のある安定剤」なので、眠剤代わりに使うには2錠必要ということか。しかし、寝る前に7錠も薬を飲むというのは、なんだかどんどん深みにはまって行っているようで、なんだか空恐ろしい。

便通の回数も記入する。最高記録をマークした。S君が、他の人の回数をチェックしている。そんなことするなよ失礼だな。「半」と記入している人を見つけて、「ねえ、半分ってな~に~?」と聞いている。しかも相手は女性だ。全く失礼なやつだ。Yさんはなぜか明日の日付に記入している。予定か?一人だけ一日分右にはみ出して書いているのに、気がつかないのだろうか?

さて、今晩は途中で目が覚めたら速攻で追加眠剤をもらいにいくとするか…。

今日はよく眠れたと思う。20:50に就寝し、0:30、2:30と中途覚醒はあったものの、追加眠剤は飲まずに、3:50起床。目覚めはよく、頭もすっきりしている。ホールの喫煙所に出てくると、もう数人が集まっている。いつものメンツだ。

そこにTさんが泣きながらやってきた。どうしても眠れないので、枕元の電気をつけて少年院にいる息子さんに手紙を書いていたら、看護婦さんに怒られたというのである。それも4回も5回も。注意する、じゃなくて「怒る」のである。今日の夜勤は新米のIさんだ。電気をつけたら、他の患者さんに迷惑でしょ、ということである。でも、4人部屋で今は3人しかいないTさんの部屋、他の2人はがーがーいびきをかいて寝ているそうである。普通はまず「どうしたの?」「眠れないの?」とか、まずそう聞いて、注意するならするで、もう少し優しい言葉をかけてあげられないのか。なんでここの看護婦は頭ごなしに怒るんだろう。

Tさんは本当はとても繊細な人だ。ここの看護婦はそれを理解していない人がほとんどではないか。Tさんが貧血で倒れて、看護士が彼女を運ぶ途中、彼女の意識がないと思ったらしく、こう言ったそうである。「また問題児がきた」彼女はちゃんと聞こえていた。本人の前でこんなこと言うなんて問題外だ。

I看護婦が喫煙所にやってきた。また何か言うのかと思ったら「今日は寒いから、みんな風邪ひかないでね。長袖とかあったら着てちょうだい」意外に優しい言葉だ。Tさんは言う。「私にもなんでそういう優しい言葉をかけてくれないの」I看護婦は言い返す。「最初は優しく言いましたよ。でも、何回も繰り返すから」「電気をつけたのは私が悪い。それは全面的に認めます。でも、眠れないつらさがあなたにわかりますか?そういうときはとても心が弱っているのに、あんなにきつく言われたら、よけいつらくなるじゃない」彼女は昼間は気を張って突っ張っているが、感情の起伏は激しい。「躁鬱混乱状態」それが彼女の病名だそうだ。看護婦はその感情の起伏をちゃんと読みとって、今怒ったりしたらかえって心の病を悪化させるかもしれない、そう考えたりしないのか。眠れないときのつらさを味わったことがないのか。

看護婦が去った後、日頃からみんなが思っている看護婦への愚痴をたれる。と、Tさんがいきなり咳き込み、嘔吐しかけた。みんな急いでバケツを持ってきたり、私は横に座ってずっと背中をさすっていた。心と体はつながっている。心の不調は体に現れる。我々のような精神的な病を抱えた者は特にそれが顕著だ。「子供に会いたい」彼女は寂しそうに言う。彼女はまだ外出許可も出ていない。彼女の心は激しく揺れている。彼女の心は雨模様だ。外も雨が降っている。さっき雷が光った。

朝食をみんなで待っている。7:00を5分以上過ぎているのにまだ朝食が出てこない。いつの間にか雨がやんでいる。私が何気なしに、男声合唱曲の「雨」を小さな声で歌っていると、Tさんが横に寄ってきてじっと聞いている。「いい曲だね」「うん、名曲だよ」日本の男声合唱曲は、混声や女声よりもはるかに少ないが、名曲は男声合唱曲に多い、と思うのは私だけだろうか。

朝食後はいつも散歩に行くのだが、なんか今日はみんなあまり元気がなく、眠いだのだるいだの言っている。雨はあがっているが、濡れていてベンチにも座れないだろう。私も少し眠くなってきた。今朝も夜明け前からいろいろ気を遣ったからだろうか。今日の散歩はみんなお休みにした。

火曜日の午前は作業療法。また作業棟へエアロバイクを漕ぎに行く。今日は昨日よりも体調がいい。20分2セットやった結果、消費カロリーは1セット目は120.1kcal、2セット目は108.7kcal。うん、昨日よりあがっている。昨日よりマシンの負荷も上がっている。やはり心拍数は150を超えないと気が済まない。でも、無理は禁物だ。それが自分を今の病気に陥れた原因の一つだから。つらいときに歯を食いしばって「頑張り抜く」ことが好きだった。でも、今は「頑張り」「抜く」ことを覚えなければ。そう思っている。「練習はさぼる勇気が必要だ」カエルパンチで有名な元プロボクサー輪島功一の言葉である。ところで、いつもぶらぶらしてるだけのS君が珍しくエアロバイクを漕いでいる。実習生の前だから格好つけているのだろうか。

セット間のインターバルで、ピアノが空いていたので弾いてみた。「エリーゼのために」がぜんぜん弾けない。昔は簡単に弾けたのに。あれ、前も書いたかな?ピアノは幼稚園の頃から中学一年まで習っていたが、親に強制的に習わされていたため、練習嫌いだった。もっと練習しておけばよかった。もっと続けておけばよかった。でも、いまさらそんなことを言ってもしかたがない。あの頃ピアノを習っていたおかげで、今の音楽活動に必要な基礎的な能力が養えたのだ。オカリナを始めたのは去年の11月だが、練習したのは指づかいだけだ。メロディーを覚えてさえいれば楽譜なんか見ずにすらすら(いかないこともあるが)吹けるのも、吹いていて「これはキーが高くて高い音が足りないな」と思ったら、適当にキーを下げて吹いたり途中でオクターブ下げたり、ということが労せずできるのも、その頃のレッスンのおかげだろう。だが、中途半端な絶対音感(とはとても言えないが)があるため「楽譜を見て」オカリナを吹くのは苦手である。私のオカリナはG調なので、楽譜上の「C」を吹いて「G」の音が出るのにものすごく違和感を感じて、頭が混乱するのだ。

昼食後、また眠くなってきた。まあ、午前中に運動して飯食えば、腹もへるわな。ではない、眠くもなるわな。横になってアイマスクをかけ、CDをかける。アイマスクも私の超お気に入りグッズの仲間入りして、「んもうこのまま誰かさらって行って!」てな感じだ。今回のBGMはキングズシンガーズの「Good Vivration」。Zzz…

おはようございます。案の定寝てしまった。たった今目が覚めた。1時間ちょい寝ていたようだ。目覚ましに濃いコーヒーをいれて飲む。

15:00になった。シャワーを浴びさせてもらいに、洗面器を持って浴室へ行く。浴室はホールの奥にあり、ホールを横切っていると、「なんでお風呂入るの?」とあるおばさんが聞いてきた。「僕アトピーなんで、毎日お風呂に入らないといけないんですよ。それで、特別に許可もらってるんです」そう言うと、彼女は言った。「いいな~、私もアトピーになりたい」それを聞いてむっとした私の顔を見て、彼女は「やあねぇ、冗談よ~」と笑って行ってしまった。

言っていい冗談と悪い冗談がある。みんなだって本当は毎日お風呂に入りたい、せめてシャワーくらい浴びたいと思っているのはわかっている。だから、私もアトピーの治療のためとはいえ、特別に一人だけ毎日入浴を許可されていることに対して、みんなにはすまないな、と思っている。だが、うらやましいからと言って、アトピー患者の前で「私もアトピーになりたい」なんて言うか?アトピーの辛さなんかこれっぽっちも知らないくせに。なりたかったらなってみろ。アトピーで苦しむのと、アトピー患者でない人が毎日風呂に入れないのと、どっちが辛いかよ~くわかることだろう。彼女の言った言葉は、うつ病患者に対して「いいよな~堂々と会社休めて。俺もうつ病になりたいよ」と言ってるのと同じことだ。

な~んちって、実は本当はそんなに腹が立っているわけでも、落ち込んでいるわけでもない。相手の気持ちを無視したこういう差別的な発言には、幸いなこと(?)にもう慣れっこだ。精神的に不安定なときだったら、この一言で鬱に落ちていたかもしれないが、今は安定しているので、ちょいとむっとしただけで聞き流すことができた。

連絡会が終わり、喫煙所にみんな集まっておしゃべり。いつも通りのバカ話に花が咲く。なんか最近みんなこの時間におやつを持ってくるようになって、今日もいろんなお菓子がテーブルに並ぶ。私は間食はあまりしないのだが、目の前に広げられるとついつい食べてしまう。今日は私の好きな羽二重餅があった。私は洋菓子より和菓子の方が好きなのだ。うん、これでご飯三杯はいける。

昨日入ってきたおじさん、また30分前から薬を待って立ってる。なんでそんな早くから並ぶんだ?だけど立ってる位置が少し後ろの方なので、薬の時間近くになると、みんな次から次へとその人の「前に」並んでいる。おじさん、無表情でじっとコップを持っている。うん、よくわからん。

20:00になった。私はちゃんと後ろに並んで薬を受け取る。これから就寝準備モードに入ろう。

睡眠障害がまた復活してきている。波の下降線に入ったか。

昨日は21:00消灯後、22:40に早くも目が覚め、それから2、3度中途覚醒を繰り返した後、1:00に目が覚めたときに追加眠剤をもらって飲んだ。その後、2:50に目が覚めた。追加眠剤が2時間もたない。3:00ぎりぎりだが2回目の追加眠剤をもらって飲んだ。が、全く効かない。アイマスクをつけ、癒し系の音楽をかけ、心地よい眠りにつきたい…のに、全く眠気が襲ってこない。おじけづいたか、眠気よ、堂々とかかってこんか~。1時間たっても一向に眠くならないので、仕方がなく起きてホールに出てきた。結局4時前だ。いつもの時間になってしまった。喫煙所にはKさんとHさんがいたが、すぐに戻ってしまった。今は私は独りぼっちだ。誰もいない喫煙所でこれを書いている。

2:50に目が覚めたときのことである。枕元に置いてあった時計を落っことしてしまった。あ、しまったな、と思ってとりあえずその辺を手探りで探すが、ちょっと見つからない。Tちゃんに持ってきてもらったお気に入りの時計なのに。そのときは、まあ明日の朝探せばいいか、と思って2回目の追加眠剤をもらいにいった。

だが、眠剤をもらっても眠れない状態が続いた。すると、今度はその時計が無性に気になってきた。暗いながらも廊下の薄明かりはついている。ベッドの下をのぞき込む。それらしき物体は見あたらない。ベッドの横をのぞき込む。やはり見あたらない。小さいとは言え、そんなにころころ転がるものでもなし、どこへ消えたんだ。ああ、こんなときヘッデンがあれば、なんて思いつつ不思議に思う。それが気になって気になってしかたがなかったのも、その後よけい眠れなかった原因かもしれない。なんでそういうことが、気になってしかたがないのか。明日明るくなってからゆっくり探せばいいのに、ということは頭ではわかっているのに。そういう性分なのだ。とにかく今は時計のことは忘れよう。それよりも、また睡眠不足で、今日一日を乗り切れるか心配だ。いや、心配してはいけない。乗り切るのだ。そう信じて行動するのだ。

昨日、少し元気がないながらも無事外泊から戻ってきたMちゃんが喫煙所にきた。自分のバッグをごそごそやってる。「携帯がない」隠し持っている携帯が見つからないそうだ。「ここへ戻ってきてから使った?」「うん」「どこで?」「部屋の中で、メールした」「いつもそのバッグに入れてるの?」「うん」「そのバッグは戻ってから部屋の外へ出した?」「うん」「部屋の外で携帯は出した?」「出してない」彼女は相当あせっているようだ。「昨日ベッドでメールしたけど、その後いつの間にか寝ちゃったかも」「じゃあ、枕元にでもあるんじゃない?」彼女は部屋へ見に行き、またホールへ戻ってきた「あったよ」よかった。やばいところである。看護婦に見つかれば速攻で没収だ。ま、彼女はハンカチにくるんでカモフラージュしているそうだが。私なんかはこのハンドヘルドPCを看護婦に見られても、「電子手帳」としてこいつの使用は許可をもらってるので、「日記書いてます、あ、覗かないでね」と言いつつ堂々とメールを書いている。P-in Comp@ctがPHSだと看護婦はわからない。

突然Mちゃんが私に言う。「はさみ持ってない?」「何に使うの?」「切りたい」「ダメ!」「かみそりは?」「ないない」「なにか切れるものない?」「切っちゃだめだよ」やばい、相当不安定になっている。「煙草の火って熱いかな」そう言って煙草を自分の手に押しつけようとする。「だめだよ」彼女の手をつかみ、煙草を取り上げる。「看護婦さん呼んでくるよ」「だめ、呼ばないで」「我慢できないの?」そう言う私に彼女は繰り返す「はさみ貸してよ」

そこへTさんが来た。Mちゃんはまた言う。「Tさん、はさみ持ってる?」「持ってるよ」「貸して」「何に使うの?」「切りたいの」「じゃあ貸さない」「お願い」「死にたいの?」「今はそうじゃない」「自分をいじめたいんでしょ。自分の血を見ると安心するんでしょ」「うん」「そういうことはやめなよ。あたしも昔さんざんやったけどさ、跡が残って醜いよ。私はすっかり綺麗にしたけどね」どうやらTさんも元リストカッターらしい。そして、それを克服したらしい。「どうしても切りたい」そういうMちゃんを諭す。「じゃあ、どうしてもってならね」そう言って煙草の火を軽く彼女の腕に触れさせる。「それはやめた方が」私が言うと、「あんたは黙ってな!」Tさんは言う。この場はリストカットを克服した彼女に任せよう。「あんたは看護婦見張ってな」はいはい。「熱い」「熱いでしょ」少しの間そうやってると「火、消えたよ」彼女はTさんの胸で泣き出した。Tさんが何か部屋に取りに行く間、「この子見てて」と言う。私は彼女の小さな両手を手首からしっかりと握っていた。手錠をはめるように。

落ち着いたかな、と思ったら、「ナイフはないの?」「ない」「包丁は?」「そんなものないよ」やばい、まだ収まってない。すると、またTさんが「これで安心しな」と言ってまた煙草の火を触れさせる。そこへOさんが来た。「何やってるの!?」「しっ、黙ってて」「そんなことやらせちゃだめだよ」「黙ってなって」「ばかなことしちゃだめだよ、自分を傷つけちゃいけないよ。化膿しちゃうから、消毒してもらいな。看護婦さん呼んでくるから」Tさんが小さな声でどなりつける。「呼ぶんじゃないよ!」その後MちゃんはTさんの手を握ってまた泣いた。その間にお湯が沸いたので私はコーヒーをいれた。今朝のコーヒーは苦かった。

いつの間にかみんな起き出してきて喫煙所に集まってきている。今はMちゃんはKさんの手を握って泣いている。そして彼女に付き添われて部屋に戻っていった。彼女が戻っていった後、みんなで話した。「ああいうとき、どうすればいいのかね」「やっぱり看護婦さんに言うべきなのかな」「難しいところだね」下手に情が移ってしまっているため、みんな「看護婦は呼ばないで」と言われると、呼ぶことができない。心を鬼にして呼んだ方がいいのか、元リストカッターのTさんに任せておいてよかったのか。さっきは切るものがなく、外にも出られない時間だったが、外に出られる時間だったら、木の枝でもなんでも手首は切れる。看護婦に言うと、彼女は閉鎖病棟行きだろう。彼女はそれを恐れている。周りの我々はどうすればいいのか。「他の患者には関わらないで。巻き込まれると困るから」以前看護婦が言った言葉が脳裏によみがえる。これが「巻き込まれる」ということなのか。

今朝の散歩は5人。4人はテニスボールでキャッチボールをしている。私は一人でオカリナを吹く。貸してもらった宋次郎のオカリナのCDを聴くと、タンギングがとても柔らかい。私もまねしてみた。やってみると、今までよりもフレーズが柔らかく、優しくなったような気がする。シーソーでバランスの練習をしようかと思ったが、寝不足で頭が半分寝ているような状態だったのでやめた。みんなより先に帰ってきて、作業療法の時間まで寝ることにする。

今日は大事件があった。ヘッドギア3人衆の1人、A爺さんが退院するというのである。みんな彼が何年間入院しているか知らないが、20年とも30年とも言われている。なんの病気で入院していたのかわからないが、治療が終わったからなのか、家庭の事情なのか。彼は一言も喋らない人なので、みんな本人には何も聞かない。ただただ噂話が飛び交うばかりである。

今日は月曜日なので作業棟へエアロバイクを漕ぎに行く。金曜日は皮膚科に通院したため、火曜日以来だ。一週間でそんなに変わるとは思えないし、昨晩はあまり眠れなかったので体調が悪いだろう、と思って「体力テスト」を行ったら、案の定先週より少し低い数値が出ている。とは言え、そんなに変わりはない。評価値やVO2maxはむしろ増えている。いつも思うが、この最大酸素摂取量VO2maxはどうやって測定しているのだろうか。評価値が高くなっているのに、トレーニングの設定値が低く出てるのは、VO2maxが増えているからだろうか。

少し休んでから、あまり今日は頑張らずにやろう。20分1セットだけにしておこう、そう思い、再びエアロバイクにまたがる。が、その代わり今回は年齢を先週よりもさらに低めに設定した。どうも、私の年齢での最適な心拍数では自分自身、負荷をぜんぜん感じないのである。思い切り年齢を低く設定すると、負荷を感じるだろう、そう思ってセットした。うん、先週よりも負荷が上がっていく。が、まだまだ自分では大丈夫なような気がする。20分漕いだ結果、消費カロリーは117.7kcal。まあまあかな。でも、まだまだかな。まあ、あせらずに行こう。S君とMちゃんがテトリスをやっているのを見ながら少し休憩する。これで終わろうかと思ったが、まだ余裕がありそうなので、もう10分だけ1セット漕いだ。Mちゃんはだいぶ落ち着いたようだ。

ところでこのS君、作業棟に来ては、いつもぶらぶらして他の人が何かやっているのをちょこちょこ覗いたり、ゲームをしたり、漫画を読んでいるだけである。これも「作業療法」なのだろうか。看護士のNさんがいたので、「彼っていつもぶらぶらしてますね」と聞いてみたら「う~ん、折り紙でもなんでもいいから、自分を表現したり創作活動したり、そういうのをやるといいんだけどねぇ」そう言う。私の目には、彼には目的意識がないように映る。病気で入院しているのに、「治そう」という気があるように見えない。とりあえずその日をごまかせればいいように見える。入院費がかかるが親の世話にはなりたくないので生活保護を受けたい。そう言うが、親の世話になりたくないならさっさと病気を治して働こう、という考えはないのだろうか。ここにいれば楽ちんだ。彼はここに定住するつもりなのだろうか。「生活保護を受けたい」というのは、とても甘えた考えだと私には思える。

私は違う。この入院が最後のチャンスだと思っている。ここで絶対に病気を治して社会復帰してやる。そのためには、今はあせらないことだ。そう自分に言い聞かせている。人生は長い。長期戦を覚悟しつつ、自分を高める努力は怠らないつもりだ。今はちょっと人混みに出ただけで強烈なストレスを感じたり、相変わらずの睡眠障害に悩まされているが、絶対に治してみせる。ただ治すだけでなく、二度とうつ病なんかにかからないように、自分自身の性格、ものの考え方まで変えてみせる。そう思っている。新しく買ってきたコップに貼った、テプラで作ったネームプレートの隅が少しだけ折れてしまった。このコップを見るたびにその隅がものすごく気になる。これが気にならなくなったとき、自分は少し変わっているだろうか。

昼食時に看護学校の実習生が6人紹介された。これから3週間ここで実習するらしい。なんでも、マンツーマンで患者につくとか。私には幸か不幸かつかなかった。彼女たちは実習でどんなことをやるのだろうか。もちろん、精神科以外の病棟の看護婦と同じような、採血や入浴介助などもするだろうが、入浴介助ならぜひ私にも…、違う違う、えーとそんな話ではなくて、前にも書いたが、ここの看護婦の大きな仕事は「患者の様子を観察する」ことである。彼女たちはマンツーマンで、自分の受け持ち患者を四六時中観察するのだろうか。

例の「宗教関係」の本をもう少し読み進める。おうおう、出てきた神が神が。神様のオンパレードだ。単純な人は、これを読むだけで洗脳されてしまうのかな。私は、ここに書かれていることは全面的に否定しない。ここには「よりよく生きるため」の、ものの考え方などが書かれており、それは確かに悩みを抱えている人にとって解決策の一つかもしれない。だが、私はその考え方を人に説明するのに「神」という概念をあえて規定する必然性を感じない。「こういうときは、こういう風にものごとを考える心の癖をつけましょう」とか「プラス思考でいきましょう」とか、そういう表現で済まないのか?「神」という唯一絶対的な概念をでっちあげるから、「アンチ神」とでもいうか、それを否定する概念も同時に生まれ、それが私の嫌悪する「宗教の排他性」につながるのだと思うのだが。ま、この本には概念的には役に立つことも書いてるので、神はおいといて、自分に都合のよさそうなものの考え方だけ盗むことにしよう。そう言えば、どこかの大学のトイレの中にこんな言葉が書いてあったそうだ。「カミに見放された者は、自らの手でウンを掴め」

時間があるので、リラックス体操を念入りにやってみた。「リラックス体操は、やればやるほど瞑想状態に近くなってきます」と書いているが、まだまだその域に達しない。私の場合は「迷走状態」だ。意識を体の一部分に集中させることによって、頭を空っぽにし、トランス状態に陥るのだろう。どうしても私はやりながらいろいろと考え事をしてしまう。禅で言うところの「無我の境地」も同じことか。体操の最後は「自律訓練法」で締める。これは長年やり慣れているので、労せずして自分を催眠状態に導くことができる。ヨガではできないトランス状態に、自律訓練法なら労せず入れるのは、心の中で言葉で自己暗示をかけていくからであろう。体中が重たく熱く、ベッドの上で石のように沈み込むような感覚をしばらく味わった後、覚醒暗示をかけていく。「5つ数えるうちにゆっくり体が目覚めてきます。ひと~つ、ふた~つ…」体が軽くなり、覚醒していくのがわかる。少しずつ体を動かしていく。

「自律訓練法」は自己催眠の一種である。私は自分がうつ病だと知ったとき、うつ病に関する本を読みまくり、自分が「うつ病になりやすい典型的な性格」だということを知った。そして、なんとか自分の性格を変えてみようと、またいろいろな本を読んだ。そして着目したのが、私の嫌う「宗教」が使う「マインドコントロール」である。「あれだけ大勢の人を洗脳できるんだから、マインドコントロールを行う有効なメソッドがあるに違いない。それを自分自身に対して行うと、なりたい自分になれるのでは」そう思って本を読んだりネットで調べまくった結果、「マインドコントロール=集団催眠」なので、催眠術を覚え、自己催眠をかければいいのでは、という結論に至った。それまでは催眠術なんて半信半疑だったのだが、とりあえず調べてみようと思い、催眠術の本を買って読んだ。

催眠術の原理はこうだ。人間の脳は、動物としての本能的な欲求や生理的な機能を司る「大脳辺縁系」と、高等動物としての知能を司る「大脳新皮質」に分かれる。そして、「大脳辺縁系」が無意識を、「大脳新皮質」が意識を司る。人間は覚醒状態から睡眠状態に至る過程で、「大脳新皮質」が睡眠状態になり「大脳辺縁系」だけが覚醒している状態に導くことができる。これが「催眠状態」である。人を催眠状態にして、その状態で何か話しかけて返事を求めたり、あるいは手を動かせ、犬になれ、などの命令をすると、無意識の状態でそれを行う。テレビの催眠術ショー的なものでよくやるのがこれである。

催眠状態で人に暗示をかけることによって、その暗示は無意識のレベルに刷り込まれる。そして、覚醒したときもその暗示は無意識の領域に残っている。これを自分で自分にかけるのが「自己催眠」で、実際に「自律訓練法」では、私は自己催眠をかけることができるようになっている。覚醒暗示によって、一度弛緩した体が再び覚醒してくるのも実感できる。

自律訓練法は比較的簡単なので、繰り返しやるとすぐ習得できるが、自分の性格を変えるとなると、そう簡単にはいかない。「他人に催眠術をかけることができないと、自分にかけることもできない」本にはそう書いてあった。そうだ、じゃあ自分じゃなくて他の人にかけてもらえばいいんだ。そう思って、そういうことをやってくれる人はいないか、これまた調べた。結果、たどり着いたのは「催眠療法」であった。実際に術者が依頼人に催眠術をかけ、暗示を与えるという、という療法があるという。で、その「催眠療法」をやってくれるところを探して話を聞きに行ってみた。が、70万円というべらぼうな金額を見て「こいつはインチキだ」そう思って私はそそくさとそこを後にした。

看護実習生はマンツーマンで患者につくが、実習生がつく患者は、どうやら「手がかかる」タイプばかりのようだ。一人では何もできないおばあさん、ほとんどしゃべらない無表情な青年、閉鎖病棟から移ってきたばかりのNさんなど。朝、日記に書いたS君も含まれている。S君は「一緒に散歩行こうかな」と嬉しそうだが、自分自身「手がかかる」患者であることに気がついていない。

外出から戻ってきたPC初心者のYさんが質問してきた。「やっとパソコンと電話線つないだんだけど、これからインターネットってどうやんの?」「プロバイダーとは契約しました?」「いやまだ」「じゃあ、どっかと契約しないとダメですよ」「どこがいいの?」そこへKさんが割り込む「この間ケーブルテレビがあるって言ってたじゃないですか。そこがいいですよ」そうだ、Yさんはプロバイダサービスもやっているケーブルテレビのエリアに住んでいる。それならそこと契約するのが早い。常時接続だし、通信速度も速いし。でも、ケーブルテレビの場合、電話線接続ではなくてLANカードが必要だ。かわいそうに、電話線の接続は無駄だった上に、もう一つ勉強しないといけないことが彼には増えてしまった。

夕食後、看護婦さんが病室に来て「みなさんお変わりありませんか?」と一人一人の状態を聞いてくる。すると、同室のRさんがベッドの上に正座し、こう言った。
「僕は精神的にも肉体的にも汚れた人間なんです。どうしたらいいんでしょうか」
なんだなんだ、普段は野球が好きな、普通の人だったのに、いったいどうしたって言うんだ?

その後も、喫煙所でみんなで話をしているところにRさんはやって来て「今の日本、いや世界がこんなに悪いのは僕のせいなんです。僕がいるからです。僕を磔獄門にしてください」おいおい、穏やかじゃないぞ。いったいどうしたんだろう。そう言えば彼は応援している高校野球のチームが負けたときも、ものすごく落ち込んで、少しおかしくなっていた。毎日ナイター中継を楽しみにしている野球好きの彼だ。何かショックなことがあったのかもしれないのと、月曜で野球がないのが重なって、少し精神的に参ってしまったんだろうか。みんな「そんなことないよ、Rさんいい人だよ」「Rさんどこも悪くないじゃない」そう言うが、Tさんだけが「おう、やってやるよ、磔獄門でもなんでも。今日みんなで針持ってくるから、みんなで刺してやるよ」するとRさんは「いや、本当は磔獄門は嫌なんですけど…」Tさんは慰めたり、逆に威嚇したりして、相手を自分のペースに巻き込むのがうまい。今日もそれでおさまったが、それにしても突然彼はいったいどうしてしまったのだろう。Tさんはつけ加える。「嫌だったらウルトラマンになりなさい!そして地球を救いなさい!」思わず吹き出してしまった。それにしても、今日はいろんな人がいろんなことを起こす日だ。

ところで、気の早い人はいるもので、服薬の時間は決まっているのだが、その数分前から並んで待っている人がいつも何人かいる。そんなに早く薬がほしいのかな。それはいいとして、今日閉鎖病棟から移ってきた新しい患者さん、寝る前の薬は20:00なのに、30分も前から並んでいる。おいおい、気が早すぎるんでないの?何か勘違いしているのか、そういう病気なのか。10分くらいそうしていると、看護婦さんが出てきて、なにやら話していると思ったら、特別に彼にだけ早く薬を渡してあげたようだ。無言の催促だったのだろうか。

20:00になった。本当のお薬のお時間です。う~ん、今日は睡眠不足の割には調子がよかったぞ。いろんなことがあった。おかげでこの日記も最長記録を更新した。なんでこんなに書くことが次から次へと出てくるのか、不思議でたまらない。明日は短めにしよう。

昨日はハーブティーを飲んだ後、N夫妻が持ってきてくれたオカリナのCDを聴きながら20:30就寝、22:30、0:30と中途覚醒。そのときはもう一度すぐ眠れたが、2:30に目が覚めたときは、目が冴えてもう眠れなかったので追加眠剤をもらい、もう一度ぐっすり眠り、4:00起床。目覚めはかなりいい。しかし、昨日のこともあり、本当に熟睡できているかはわからない。

いつものようにホールに行くと、いつものメンバー。だが今日はMちゃんがいない。Mちゃんは外泊だ。先週も外泊予定だったが「やっぱり不安定で切りそう」と言って帰ってきた。今回はちゃんと外泊している。切ってないだろうか、心配だ。家に帰ったらメールができるので、メール送ってよ、と言われてたので「大丈夫ですか?」というメールを送っておいたが、読んでくれてるだろうか。返事が来てるかどうかメールチェックしてみたが、来てるのは山岳会のML、私が出るはずだった合唱のイベントのML、あとはアニメに詳しい(オタクとはあえて書かない)後輩N君からの「タルる~との主人公は、江戸城本丸くんですね。ライバルが原子力、ヒロインが、かわいいよな(字を忘れた)ちゃん」というご指摘。あぁ、彼も読んでくれているんだ。誰が読んでくれているかわからないので、こういうメールをいただくと「あぁ、彼も読んでくれるのか」と嬉しくなる。Mちゃんからの返事はない。

Hさんがクモ膜下出血で亡くなったお父さんのことを話している。彼は30代後半だが、若くして父親を亡くした。「クモ膜下出血で、何の後遺症もなしに全快する確率って、とても低いんだよ」と言う。私の知り合いで、やはりクモ膜下出血で手術し、治った人がいるが、彼はラッキーだったのか。それとも私の知らない後遺症を何か抱えているのだろうか。頼れる人間がいないのに病気になって働けなくなってしまったHさんは、今は生活保護を受けている。今度は自衛隊の頃の話をしている。北海道での演習はきつかった、根室の演習場は日本一広くて香川県と同じ広さだ、熊が平気で出てくるので怖かった、そういう話をしている。よく言う「死んだフリ」はやっちゃだめ、と言う。生きてるかどうかちゃんと確かめに来るらしい。私も山ノボラーなので熊に関する知識は多少あるが、実際に出会ったことはなく、もし会ったときに平静を保って対処できるか心配である。まあ、本州の熊はあまり人に危害を加えない、と聞くが。北海道では山菜採りに行っただけでも熊に会うとか。こわいこわい。

5:00になった。ポットが用意されたので、お目覚めのコーヒーの準備をしよう、と思ったら、昨日のハーブティーの匂いがコップに強烈に残っている。ここの流し台には洗剤が置いてない。飲んでしまう人がいるからだ。それで、水洗いしかできなかったのだが、これでコーヒーをいれるのはちょっと…と思い、看護婦さんに「洗剤お借りできませんか?」とお願いすると、看護婦さんが洗ってくれた。かなり匂いは落ちたのが、まだ少し残っている。お願いすればコップの消毒もやってくれるらしいが、30分かかるというので、そんなに待ってられない。とりあえず今はそれでコーヒーをいれることにしたが、ハーブティー用のコップをもう一個買ってこよう。誰か外出する人がいれば100円均一のコップをお願いできるかもしれない。どちらにせよ、いま使っているコップもかなり茶しぶがついているので、一度消毒をお願いすることにしよう。

お湯が沸いたので、昨日いただいたコーヒーをいれる。うん、こくのある香りが…、ハーブの香りとブレンドされてなんとも複雑になっている。味はとてもいい。うん、うまい。うまいのだが、う~んどうも香りが…。コーヒーを飲んだ後、看護婦さんにコップの消毒をお願いした。

起床時間は6:00だが、洗面所は5:30から使える。6:00を過ぎると混むので、フライングして洗面をする。昨日いただいた洗顔フォームを試してみると、顔がいつもよりすべすべしている。肌にとても優しいようだ。少しオレンジの香りがまじっている。洗面の後は、着替えるついでにスキンケア。

そう言えば、消灯は21:00だが昨日は早くに眠剤が効いてきたので20:30に寝た。まだ電気がついていたので、持ってきてもらったアイマスクをさっそく使ってみたが、これがまた具合がよかった。普段、私は部屋を真っ暗にして寝るのだが、病院では夜中でも廊下に薄明かりがついていて、完全には暗くない。それが完全にシャットアウトされるので、寝心地がとてもよかった。それに、つけていて全く違和感がない。むしろつけていて心地よい。これが備長炭の効果か?これからは、昼寝するときでなく、夜も毎日使うことにしよう。持ってきてもらって本当によかった。私の友人は「こういうものを持ってきて」とお願いすると、まさに「それ以外にはありえない」というような、一番ほしいものを持ってきてくれる。Tちゃんが持ってきてくれた小型の置き時計もそうだ。5cm四方くらいの小さな時計で、寝るときは枕元にちょこんとおける。夜中に目が覚めたとき、首を少しそちらに向けて、文字盤の右上のボタンを押すとライトが点灯して時間を確認できる。色もデザインもよくて、この時計も私の超お気に入りグッズの仲間入りとなっている。

ラジオ体操が終わり、朝の服薬。消毒をお願いしておいたコップは見事にきれいになっている。が、なんとまだハーブの匂いが残っている。むむ、そんなにハーブってのは強烈なのか、100円ショップで買ったこの安物のプラスチックのコップが悪いのか。これからはこのコップをハーブティー用にして、普段は新しいコップを使うことにしよう。ちなみにここでは陶器のコップは使用禁止である。割った破片でリストカットされると困るのだ。

今朝、散歩に行く前に7:30のNHKで「遠くへ行きたい」が流れていたので、今日のオカリナは「遠くへ行きたい」から吹き始めた。丸太のシーソーがあって、そこの真ん中に一人で立って乗って、バランスを取ってみた。お、これはクライミングのバランスを取るいい練習になるかもしれない。そう思ってしばらく続けた。クライミングは「腕力で登るもの」と思われがちだが、基本は足と体全体のバランスだ。最終的には腕力も使うが、腕力は足の力に比べてはるかに劣るので、基本的には両足、あるいは片足でしっかりスタンスを保持し、体全体でバランスを取って、できるだけ手に負担がかからないようにする。

正体ではわりと簡単にバランスを取れるので、足を一歩横に踏み出してみたり、アウトサイドエッジを効かせたという想定で体を振ってツイスティングしてみたり、アウトサイドフラッギングやインサイドフラッギングなどのいろいろな体勢で、体全体でバランスを取る練習をしてみた。やはり正体よりだんぜん難しく、なかなかシーソーは水平に保たれてくれない。よし、これからここでバランス感覚の練習をするぞ!

今日は10:00から11:00まで、看護士のNさんと一緒にみんなでソフトボールをやった。ソフトボールも大学の時に研究室や合唱団の連中で遊びでやった時以来だ。ソフトボールと言っても試合をするわけではなく、ピッチャーとキャッチャーと、あとは適当に守って、交代で10本ずつ打っていくフリーバッティング。投げたり守ったりする方は特に衰えてないと思ったが、なぜか打つ方がさっぱりだった。最初は空振りばかりで、なかなかバットがボールに当たらない。なんかまた力んでいる。力を抜いてバットを短く持ち、ミートを心がけるようにしたら当たるようになった。でも、空振りでもいいから思いっきりバットを振り回すだけでも気持ちがいい。スカっとする。日差しはきつく、暑くて汗はかいたが、気持ちよい汗だった。風はあまりなかったが、ときたま吹き抜けていく風が心地よかった。大学の時に少しだけピッチャーをかじったことがあったので、ちょっとだけピッチャーをやらせてもらった。結構低めにコントロールするのが得意だったが、今回はできるだけ打ちやすいボールを投げた。終わった後、「守備はまあまあだったが、バッティングはさっぱりだったなあ」と思っていると、また自分がマイナス思考に陥っていることに気がついた。「これだけブランクがあったのに、守備の能力がそれほど衰えてないからいいじゃないか」そう自分に言い聞かせた。

昼食後、また寝てしまった。昨日も昼間寝てしまったが、2日続けての昼寝だ。聴いていたCDのせいだろうか。心地よい眠りを誘うオカリナのCDで、昨日のN夫妻も車で来る途中、これを聴きながら思わず二人で寝てしまいそうになったそうだ。アブナイアブナイ。起きたら14:00過ぎだったので、1時間半くらい寝ていたことになる。今回はカラオケに参加できた。でも、寝起きは声が出しづらい。

15:00にシャワーを浴びさせてもらう。自分一人特別に認めてもらってるのは申し訳ないので、体を洗い終わった後、せめてもと思い、デッキブラシで自分の使ったシャワーの周りを掃除する。きれいにする、というのは精神的に気持いいことだ。でも自分の家は今はめちゃくちゃだけど。しばらく外泊は難しそうだが、次に家に帰ったら徹底的に掃除しようっと。

夕食までちょうど時間が空いたのでリラックス体操を行う。ストレッチと違う点は以前にも書いたが、もう一つ違うのは、「何秒間続ける」ということが書いてないことだ。「暫くそのポーズを保つ」としか書いていないので、「暫く」ってどれくらいだ?とやりながら悩む。30秒なのか1分なのか、はたまた1時間なのか。多分「自分の体が納得するまで」なのかな~などと思いつつ、自分で「じゃあ自分の体が納得する状態ってどんなんだよ」とまた悩む。とりあえず、痛いのをがまんして伸ばしている部分が痺れてくる頃に、ポーズを解くことにした。

昨日送られてきた「宗教関係」の本を、ちょっとだけ読んでみた。その宗教に興味をもったからでなく、昨日書いたように、その本を薦めてくれた医者の考え方に賛同するところがあったからである。だが、読もうとするとかなりの警戒心が頭を支配する。警戒したまま、どちらかと言うと「この宗教はどんな手を使って人間を洗脳し、狂わそうとしているのか」という猜疑心を持ったまま読み始めた。

30ページほど読んでみた感想だが、私が宗教嫌いになった原因である完璧なインチキ新興宗教と比べると、まあ、書いていることはまともだな、しかし、これはこれで理想論に過ぎない、という感じである。まだ続きを読んでないので、これからこれが単なる理想論なのか、実際に自分を変える力のあるものなのかは判断できない。だが、話の中に、例え話ではあるが病人を差別する表現があったりして、やはり私にはうさんくさく思える。まあ、猜疑心をもったままもう少し読んでみるか。

ところで、私は宗教自体を否定しているわけではない。別に他人が何を信じようとかまわない。試験を受けるときに緊張して実力を発揮できない人が、「神に祈る」ことによって自らの緊張を解きほぐして平常心を取り戻した結果、試験に成功して、それを「神様のおかげ」と喜んでいるのを否定するつもりは毛頭ない。だが、私が宗教を嫌う理由は、その「排他性」にある。自分が何を信じるかは自由だが、その信仰を否定するもの、否定まではしなくても、しつこい勧誘を断った結果、お前は人間ではないだの地獄に堕ちるだの、そういうことを言うような「排他的」な面がおそろしいのである。そういう人間は、自分は良かれと思ってやっていることが、他人にとって非常に迷惑なことに気づいてない。私はそういう人間にはなりたくない。だから私は宗教に巻き込まれたくないのだ。昨日送られて来た本に同封されていた手紙の「この教えしかありませんよ、人間、人類が救われるのは」という一文に、やはりこの宗教も私が嫌悪する排他性を持っている、と感じたのだ。だから警戒する。他の宗教、宗派を否定し、その結果、宗教戦争まで起こす輩は、その「排他性」が顕著に現れたもので、それこそ私から見ると狂っているとしか思えない。なんのための宗教なのだ。他人を殺戮することが善なのか。それらは結局「自分達の宗教で世界を支配しようとするエゴ集団」ではないのか。

とか書いてるうちに20:00の就寝前の服薬の放送があった。いつもの通り眠剤飲んで寝よっと。最近、本来の目的から日記の内容がどんどん離れて行っているような気がする。