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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日は23時ごろ就寝。目が覚めたら6時半。中途覚醒が一度もなく、こんなにノンストップで寝たのは久しぶりだ。多少眠いが起きて外を見る。台風が大暴れしているかと思いきや、雨風もなくどんよりと不気味な曇り空が広がっている。ネットで今日の天気予報を見ると、なんと「曇りのち晴れ」に変わっている。おりょりょ?どうやら台風は少しそれて進んでいるようだ。今日はちゃんとデイケアに行けそうだ。よかったよかった。

デイケアに行くと今日も人数が少ない。台風の影響か、先週のキャンプの疲れがみんな残っているのか。今日はリーダーが不在だったのでサブリーダーの私がしきって午前中のスポーツをやった。前半は卓球とバドミントン、後半は三角ベース。さすがに涼しくなったし、あまり運動量はなかったのであまり汗はかかなかった。

それでも疲れてしまったようで、昼休みにデイケアルームの和室で寝転がっていると少し眠ってしまった。午後はミーティング。10月のイベントで行きたいところを決めるべくみんなで案を出す。いろいろ出たが、私が出したマザー牧場が有力候補になりそうだ。

そして15時から2週間ぶりのカウンセリング。この2週間の状況を大雑把に話したあと、細かく1日ごとに話していく。特に先週の月曜日に鬱に襲われ、しっかり体も休めて自律訓練法もみっちりやったのに夜になっても状態がよくならず、生まれてはじめて自分から「なんとかしてください」と祈った、という話にカウンセラーは着目した。

宗教ももちろんそうだが、祈る、ということは暗黙のうちに何かに依存しているのだ。人間誰しもいろんなものに依存しているのだが、祈る、という精神的行為は具体的に何がどうなる、という目に見える形ではない依存の形態だそうだ。そして私は今まで一度も祈ったことがなかった。カウンセラーはその事実に驚いていた。

それはつまり、自分が今までいかに「一人で頑張ってきたか」ということらしい。人に頼るのも下手ならそれ以外の何かに頼るのも下手。とにかく自分で抱え込んでしまう。それがやはりいけないようだ。なぜ自分はそうなのか。それは親子関係に問題があるとカウンセラーは指摘する。

通常「目に見えないけど漠然と何かを信じる」という心の動きは親子の信頼関係によって生まれるという。しかし、うちはそうではなかった。そう言えば先日の彼女の家族とのお食事会のときに「うちの親は子供をほったらかしだったから」と私が言ったら父親が「ほったらかしにしてたつもりはないけど、干渉はしなかった」と言った。「干渉をしない」と言うのは子育ての一つのポリシーとしてそれはそれでいい。しかしながらよけいな干渉はしなくとも、ウォッチはして最低限コミュニケーションを取ったりするのが普通だろう。それがなかったから、、いざというときには自分でなんとかするしかないのだ。

先週から今週、特に明日のコンサートまで予定がつまっていてどうなることかと思ったが、何とかなりそうだ。しかし、ほっとして気を抜いたらその反動でまた調子を崩すのではないか、それには注意しなければならないと思っている、ということを話したら、「いっぺんに気を抜くとやばいですね。少しずつ気を抜いてください」といいアドバイスをくれた。

帰ってからはのんびりテレビを観て、明日のコンサートに向けて準備をする。本番のステージに乗るのはえらく久しぶりかもしれない。楽しみだなあ。いい演奏ができますように。

昨日は0時過ぎに寝た。起きたのは8時。うちに泊まっている母親はすでに起きていた。朝食はいらないと言うのでコーヒーだけ飲んでもらう。昨日父親に渡すものが3つあったのに渡し忘れたというので、新宿あたりで落ち合ってから兄のうちへ行き、そして大阪に帰るそうだ。

9時頃母親はうちを後にした。9時半に彼女はバイトに出かけ、その後私は昨日の宴のあとの大量の洗い物をして、洗濯物を干した。今日から雨が降るそうなので室内干し。多分ちゃんと乾かないだろうから夜には乾燥機行きだろう。台風が近づいていると言う。今日はボーカルアンサンブルと合唱団Pの練習のダブルヘッダー。明日はまた合唱団Pの練習。来週の火曜日が本番なのだが、予報はずっと雨だ。大丈夫かなあ。お客さんが来てくれるか心配である。

11時半頃に家を出てボーカルアンサンブルの練習会場の相模大野へ。すでに雨が降っている。練習は久々に冬のコンサートに出演するメンバーが全員揃った。練習は17時までだが、今日は合唱団Pの練習が早く始まるため16時過ぎで抜け、電車を乗り継いで次の練習会場へ。マックで軽い夕食を食べてから合唱団Pの練習。

ちょっとお疲れ気味で、本当ならペース配分を考えて休んだ方がいいのかもしれないが、定演まであとわずか。K先生の練習にはどうしても出たい。本番を目前にしてこの選択が吉と出るか凶と出るか。一生懸命練習したはいいが、それで体調を崩して本番に乗れなくなったら元も子もない。できるだけ疲れないようにリラックスを心がけて歌う。練習が終わって帰ってくると22時前。思ったほど疲れはたまってないようだ。風呂に入って早目に寝る。

昨日は23時頃寝たと思う。5時半くらいに目が覚めたが再び寝る。そして7時前に起きた。まだ眠いが何とか起きている。気を抜くとまた寝てしまいそうだ。

そしてまた寝てしまった。彼女に起こされたが起きれなかった。10時過ぎまで寝ていた。鬱なのか。鬱ではないのか。なんだか行きたくない。めんどくさい。なんだこれは。

結局12時前まで寝ていて、起きて彼女が作ってくれていたお弁当を食べた。気分はすぐれない。これはいったいどういう状態なのか。「行く気にならない」そういう感じだ。おそらく鬱の軽いものだと思うが、なかなか動けない。いったんもう一度布団にもぐりこんで寝ようとしたが、少したってから、ふと「今なら行ける」そういう気になって急いで家を出た。その変化のトリガーとなるものは何なのか。自分でもわからないところだ。

デイケアに午後から参加。明日からのキャンプのために調理道具などを運んだり、宿泊する病院内の施設を下見したりする。その後、15時からレク班は肝試しのシミュレーションをやる予定だったのだが、私はあまり調子がよくないので家に帰ってきた。お化け役はおどかすタイミングなんかがけっこう難しくて、その練習をするはずだったのだが、まあいいや。ぶっつけ本番でやろう。

夜は「クイズヘキサゴン」と「トリビアの泉」を観る。最近のテレビ番組はあまりおもしろくないなあと思いつつ、この2つは好きなので最近毎週見ている。今日は明日に備えて早く寝よう。明日調子が悪くなければいいのだが。

昨日は21時に寝ようとした。が、寝付けない。40分くらいして追加眠剤のサイレース2mgを飲む。だがまだ寝付けない。昼間さんざん寝たからか、それとも鬱の症状として睡眠障害がひどくなったのか。結局寝るのはあきらめて22時過ぎにもう一度起きて来て彼女と一緒にニュースステーションを見る。阪神のビールかけを見てからまた寝た。それでもなかなか眠れない。やっと眠れたのは何時ごろだったろうか。途中3時台くらいにトイレに行った記憶がある。今は5時45分。あれからまた寝て目が覚めた。今のところ鬱の気配はほとんどない。「ほとんど」というのは微妙なところだが、若干もやもやとしたものがある。これは鬱の小さな小さな芽なのか、単なる眠気なのか。

もう一度寝てしまって、彼女に起こされる。もう行かないといけない時間であった。急いで洗面を済ませて着替え、朝食を食べて家を出る。できるだけ何も考えずに。調子は相変わらずいいとは言えないが、「どうしよう」などと考え出すとよけいに体が動かなくなる。何も考えずに体を動かすのだ。

電車とバスを乗り継いで病院に着いた頃にはだいぶ状態は安定していた。午前中の園芸もちゃんとこなした。まだ日差しは暑いが、ときどき吹く風はもう秋の気配である。今日はそんなにばてることなく乗り切れた。調子はよくなってきている。やはり体を動かすのは精神的にいい効果をもたらすようだ。

昼休みにはまたレク班の打ち合わせ。今日はキャンプの昼間のレクでやる「院内かくれんぼ」について話し合う。無線機4台を使ったおおがかりなかくれんぼだ。そして午後はセミフリーの時間。先週まで映画ばかり観ていたが、今日は私がゲームを企画してやった。ゲームの内容は去年誰かスタッフの人がやったネタのつかいまわしだが、「ジェスチャー伝言ゲーム」というもの。まあそれなりにうまくいってよかった。他のメンバーも積極的にゲームの企画なんかをしてほしいものだ。まだメンバーでやったのは私しかいない。

携帯からリモートメールでプロバイダーのメールをチェックすると、オークションでダンスダンスレボリューションを落札した人から郵便貯金の口座へ振り込んだ、と連絡が入っていたので帰りに駅前のクイックロビーで入金確認。家に帰ってからまたYahoo!ゆうパックで品物を送る。GPSの方はあと3日もあるから新たな入札はまだないが、ウォッチリストに追加した人は少しずつ増えている。

彼女が帰ってきて夕飯にする。父親から電話がかかってきて、今週の金曜日の彼女の家族とのお食事会の件について話す。彼女の家族の都合で午後7時くらいから始めたい、と言うと、「7時から始めるんやったら4時くらいに行けばいいな」とのたまう。いやそれは別にいいけど、気の早い父親だ。

夜はゆっくりテレビを観て過ごす。体調はなんとか今日は大丈夫だった。今週はあと3日、特に木、金とデイケアのキャンプがある。そして金曜の夜はお食事会、土曜日はボーカルアンサンブルの練習と合唱団Pの練習のダブルヘッダー。日曜日もPの練習。月曜日もデイケアの後、夜にPの練習があって火曜日が本番。月曜日はさすがに調整のために休もうと思っているが、それにしてもハードなスケジュールだ。ペース配分に気をつけなければ。また鬱が来ませんように。

昨日は23時頃就寝。割と早く寝付いたが、2時半くらいに目が覚めてトイレに行った。朝方、4時くらいだったかまたトイレに行った。なんでこんなにトイレが近いのか。寝室が暑かったのでリビングのソファで寝る。6時過ぎに目が覚めてメールチェック。ダンスダンスレボリューションの落札者から返事が来ているので、送料を含めた代金と振込先を知らせる。GPSの方はさすがにまだ日数があるので値に動きはない。しばらくPCに向かっていたり朝食を食べたりしていたが、7時過ぎだったか、もう一度寝室に行ってエアコンをつけて寝てしまった。起きたら9時半だった。そしてすぐにまた寝てしまった。起きたら11時半。夫婦揃って今日は大寝坊。彼女はバイトが13時から。私は合唱団P習に行くために14時半の電車に乗る予定。

どうも調子がおかしい。なんとなくおかしい。自分ではわかっている。「鬱」である。なぜかだわからないが、ここに来て久しぶりに「鬱」が出てきた。今まで夏ばてだかなんだか、体力的な疲労感を感じることは続いていたが、「鬱」が出てきたことはしばらくなかった。この連休で十分体も休めたし、特にストレスのかかるようなこともしていないのに、なぜか「鬱」が出てきてしまった。久しぶりに昼前まで寝てしまって体のリズムが狂ったのが原因なのか。それとも単にバイオリズムが悪い方向へ行っているだけの内因性のものなのか。昼食を食べながら低いテンションでそんなことを考える。今日の練習はどうしようか。とりあえず合唱団PのMLには「体調が悪いので休むかもしれません」というメールを入れ、しばらく横になって様子を見ることにした。

気がつくと14時を過ぎていた。練習に行くのであればもう準備をしなければ。「鬱」の感覚はさっきよりましになっていて、行こうと思えば行けなくもない。ただ、まだ何となくもやもやとしたものが頭に引っかかっていて、ノーマルな状態よりもテンションは低い。今日1日だけのことを考えると多少無理して行くことは可能であろう。行って練習に出て帰ってくることはできそうである。

しかし、今日だけで終わりではない。明日からまた新しい1週間が始まるのだ。今週は祝日があるため平日は4日間と言え、明日からまたデイケアに毎日通わないといけない。私の最大の目標は「デイケアに毎日通う」ことである。これは復職して毎日会社に通うことを想定した訓練であり、デイケアに通うことは会社に通勤することのシミュレーションである。

だから、休日の活動で無理をしてデイケアに行けなくなると本末転倒なのである。多少調子が悪くとも、自分なりにコントロールして会社にはちゃんと通って仕事をして帰ってくる。それができるように訓練しているのだ。今日無理をすると、帰ってきたら疲れ果てていて明日デイケアに行けなくなる可能性はおおいにある。今まで何度もそういうことを繰り返していた。今日の練習はK生の練習で大事な練習ではあるし、ピアニストの先生も来るので私の好きなブラームスの練習をする。行きたい、という思いは強いがそこをあえて抑えて、明日のために今日はゆっくり休むことにした。

少し休んだら多少気分もよくなって来たので、PCに向かってあれこれネットサーフィンしたり、オークションに出品したGPSの動作確認をしたりした。GPSはなかなか初期設定がうまくいかず焦ったが、屋内なので衛星の電波をうまくキャッチできていないようで、近くの公園に行って試したらうまくいった。現地点の緯度、経度を表示したり、現在の時刻も衛星から自動的に取得したようだ。夕方になったので洗濯物を取り込んでたたんだ。なんだか調子が悪い。さっきと違って体がだるい。風邪をひいたような感じである。熱を計ってみたが特に問題なし。やはり心と体はつながっている。せっかく練習を休んだのだからおとなしくじっとしているべきだったか。とにかく今日はゆっくり休もう。

だるい。夜になってもだるい。通常「鬱」の症状は午前中に現れ、夕方から夜を迎えるにつれて軽くなっていくのだが、どうにもだるい。「鬱」なのか、体自身の調子を崩しているのか。体は連休でゆっくり休めたはずなのだが。昼間にちょこっと動き回ったのがいけなかったのか。練習を休んだのは正解だったが、それでも調子はあがらない。おなかもこわしているし、なんだか熱っぽさも感じる。でも熱はない。いったいなんなのか。

とりあえず今日は早く休むことだ。今週から来週にかけて、デイケアのキャンプやら、彼女の家族とうちの家族と食事会、合唱団Pの演奏会などイベントが目白押しで忙しい。これを乗り切るとなんとかなると思っていたが、ここに来て調子を崩すとは。やはり自分にとって「魔の9月」「鬼門の9月」だ。前にもこんな感じの状態からずるずると調子を崩していって立て直せなくなったことがある。でも今は違う。一人暮らしでなく、彼女もついてくれている。なんとか2人で乗り切るのだ。

夕食前に自律訓練法をみっちりやってみる。少しましになったような気もするが、あまり変わらない気もする。夕食後、ぐったりとソファに寝転がって最近買ったCD、元ちとせの「ノマド・ソウル」を聴いている。アルバム全体を通していい曲ばかり入っている。そしてソファに座りなおし、手を合わせて自分はこうつぶやく。「お願いです。どうか明日、調子がよくなっていますように。お願いします。明日の朝起きたら調子がよくなっていますように」ひたすらつぶやく。祈りである。何か具体的な神やら仏に対する祈りではない。自分の力ではどうすることもできなくなって、とにかくこれ以上のことは自分では無理だ、あとは誰かなんとかしてください、というすがる思いから自然に出た必死の言葉である。

私は特定の神仏を奉ることはしない。したがって神に祈る、というようなこともしない。しかし宗教の必要性というか存在価値は自分なりの捉え方をしている。前にも書いたことがあるが、それはプラシボ効果と同じだと思っている。プラシボ効果とは、何の効果のない「偽薬」を「風邪薬だよ」と言って患者に飲ませると本当に風邪が治ってしまう、というようなことである。これはつまり、「人間には自然治癒の潜在能力が備わっており、それは薬ではないものを薬だと信じることによって引き出される」ということが科学的に証明されていることを意味する。

そして宗教も同じであると私は感じているのだ。自分の力では何ともならない。しかし、「神」という「偽薬」を「信じると救われる」と信じることによって、プラシボ効果は現れ、人間の潜在能力は発揮される。宗教とはそういうものだと思っている。だが、プラシボ効果を期待して薬を飲んでもその効果は現れない。本当の薬だと「信じる」という心の動きによってその効果は発揮されるのだ。どうも頭でっかちな自分は、宗教も同じ仕組みだと思っている以上、「治りますように」「よくなりますように」と祈ったとしても、どうせそれはプラシボ効果と同じことだ、と頭で考えている以上自分には無意味だと思ってきた。

しかし今日、多分生まれてはじめてかもしれないが、本気で「祈った」のだ。何に対して、というわけではない。ただ何かにすがりつきたい思いで。体も休めました。自律訓練法もやりました。今日は早く寝ることにします。自分でできることは全部やりました。だから、どうか、どうか明日の朝起きたら調子がよくなってますように。お願いですから調子がよくなってますように。本気で祈ったのだ。これは今までの自分にはなかったことで、自分にとっては新しい体験である。こういう心境になるのは是か非か。それはまだわからない。いつわかるとも知れない。だが、少し自分に変化があったような気がする。明日はどうなるのか。これ以上悪い事態を考えてもしかたがない。人事を尽くして天命を待つのみ。だから今日はただ明日になって回復していることを祈って寝るのみ。仏教で言う本当の意味での「他力本願」はこういうことだったかもしれない。

奇跡は起こるものである。テレビをつけると阪神が優勝して道頓堀に人が飛び込んでいる。今年は阪神が優勝したのだ。自分の病気だってよくなってもぜんぜんおかしくはない。そう思って今日はゆっくり休もう。明日のために。