TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日は8時40分頃起床。なかなか早く起きれない。午前中はしんどい。今日は一日何もしなかった。

今日は9時過ぎまで起きることができなかった。ちょっとしんどい。

しんどいが、昼前から障害年金の申請に必要な申立書を清書していった。昨日、一昨日とPCでドラフトを作り、一度社会保険事務所の人に見てもらおうかと思っていたが、もう何度も行くのがめんどうになったので、とりあえず書いて持っていって、それでだめなら書き直すことにした。

主治医に書いてもらった診断書にも不備があったので修正してもらわないといけない。病院に電話したところ、午後の診察の前に持ってくればその場で修正してくれるとのこと。
と言うことで、なんとか申請書類を書き上げて、昼過ぎにまず病院に行って診断書を訂正してもらい、コンビニで申請書類のコピーを取ってから社会保険事務所へ。今日はすいていて待たされなかった。書類には特に不備はなく、係の人がチェックして、あとは待つだけ、ということになった。やっとこさ一番重たい手続きが終わった。ふぅ

でもまだ終わりではないかもしれない。これから申請書類が社会保険事務所から社会保険庁へ行って審査が行われ、その結果がわかるのが標準で3ヶ月半後。審査において、さらに必要な書類などが要求されることがあるらしく、その場合は社会保険事務所経由で私のところに連絡がくる。すると、指定された証明書などをまたどこかで書いてもらったりして出さないといけない。たとえば「既往症」の欄に何か病名が書いてあると、ぜんぜん関係ない病気でもその病気でかかった病院の「受診状況等証明書」が必要だとか、そういうことらしい。既往症の欄には何も書かれてないので、自分の場合それはないと思うのだが、他のケースがあるかもしれない。病院を転々としているので、以前通院していた病院に何か証明するものを書いてもらわないといけない、とかなるとめんどうだなあ。

とりあえずあとは待つのみ。とは言え、通ったとしても3級だろう。それで食べていくにはほど遠い。なんとかもう少し状態がよくなって安定すれば、何かしら仕事をして収入を得たいものだ。貯金がどこまでもつかが目下の心配。家賃の安いところへ引っ越しもしたいが、手続きの途中で住所が変わるといろんなことが非常にめんどうなことになる。とりあえず障害年金の審査が終わるまでは動かないことにしようとしているが、むむむ最低で3ヶ月半かかるとは、とほほである。

今日も8時半ごろ起床。午前中は頭にもやがかかったような状態。昼前から、障害年金を申請するための書類の書き方で確認したいことをPCでまとめる。めんどうな書類ばかりなのだ。そのあと、昨日まとめた病歴について読み直していたら、症状や生活のことは詳細に書いてあるものの、指定されている「通院日数、医師からの指示」などが漏れていることがわかり、書き足す。通院日数なんてわからんから「2週間おきに通院」と書くしかないのだが。

昼過ぎに、しんどいけれども社会保険事務所に行こうとしてバス停まで行った。しかし、これまでの作業ですでに疲れ果てていた私は、行ってもまともに頭がまわなないだろう、と言うよりもうしんどい、と思ってバスが来る前に帰ってきた。

家に帰ってきたあともしんどい状態が続き、15時から17時くらいまで寝てしまった。ちょっと神経が参っていたようだ。できるだけ早く申請したいのだが、書類は慎重にチェックした方がいいし、診断書にも不備があるので医者にも修正してもらわないといけない。次の通院は来週の月曜だが、それより前に、明日にでも行って修正してもらえるか病院に電話して聞こうと思っていたのに、それも忘れて眠ってしまった。

しかし、何回も足を運ぶのがもういい加減しんどくなってきた。それだけで憂鬱である。もう、このドラフトをそのまま清書して、とりあえず出してみようかな。その場でチェックしてもらってだめならまた書き直さないといけないので二度手間になる可能性はあるのだが。

こんなしんどい状況なのに、何もかも自分でやらないといけないのがつらい。確定拠出年金も、移行先に決めて資料請求していた金融機関から資料が来たので、移行手続きをしないといけない。めんどうなことばかりだ。

今日も8時半くらいに起床。起きたらなんとか体は動くが、それより早く起きることができない。テレビでちょうどトリノオリンピックの女子モーグル決勝をやっていたので見入ってしまった。上村愛子はメダルに手が届かなくて残念。

昨日、速達で戸籍抄本が届いたので、これでようやく障害年金の申請をするための書類が揃った。いや、まだ大事なものが一つ足りない。それは自分で書く「病歴・就労状況等申立書」である。発病してから現在までの経過を時系列で細かく書かないといけない。診断書やら診療状況等証明書と矛盾があってはいけないので、他の書類が全てそろってから、最後に書くことにしていた。そして今日、それに着手した。

そしていきなりつまづいた。現在の主治医に書いてもらった診断書は主要なところはチェックしたつもりだったのだが、初診の年が2年ずれている。病歴の詳細の欄には正しく書かれているので、これは単に主治医のミスだろうが、これは病院に行って訂正してもらわないといけない。

それは置いておいて、とりあえず申立書を書こうとしたが、何をどう書いてよいやら。どういうことは書いた方がよくて、どういう方は書かない方がいいとか、いろいろ書き方にもコツが必要らしいのだ。いきなり指定の用紙に書くのも怖いので、まずPC上でドラフトを作って、社会保険事務所に持っていって「こういう内容で問題ないでしょうか」と相談してから清書することにしよう。と言うわけで昼過ぎにドラフトを書き始めた。

……めっちゃくちゃ疲れた。何度も校正して夜までかかった。

私の日記を読んでいただいている方ならおわかりいただけると思うが、私は書き出すとめちゃくちゃ文章が長くなるのだ。そして私は、なんせ7年前の初診から5つの病院を渡り歩いて来ており、その間の波も激しく、休職も3回、入院も3回しており、診断名もうつ病から双極性障害(躁鬱病)に途中で変更になり、とにかく怒濤の病歴なのだ。それぞれの時点での状態を全部詳しく書くのか?

とにかくこれを全部書いてみた。もう、めちゃめちゃ長い。これを用紙に清書するとなると、もらった用紙では足りないだろう。追加の紙をもらってでもちゃんと書いた方がいいのか、不要なところは削った方がいいのか、逆に必要なことで抜けていることはないか。やはり社会保険事務所で見てもらおう。1回目に行ったときの女性の方がいろいろ詳しくて、こういう書き方の方がいい、というアドバイスをしてくれそうなのだが、人は選べないのかな。

それからもう一つ問題点を発見。主治医に書いてもらった診断書に「同居人の有無」という欄があるのだが、それが「無」になっている。これも実態と違うのだ。なぜ実態と違うかというと、それは病院側にそう話してないからである。いや、正確に言うとインテークで「一人暮らし」と話していたからである。

なぜそういうことになっているかと言うと、実は今の病院に通院を始めたのは去年からだが、4年前に一度デイケアを見学したときことがある。このときに初診扱いとなり、インテークが行われたのだが、この時点ではまだ彼女と同居していなかったので、ケースワーカーには「一人暮らし」と言ってあったのだ。

そして4年経って通院を開始したときには、彼女と同居していたものの、既にカルテがあるので再度インテークは行われず、医師は私が「同居人はなし」と認識したままなのだ。申立書では「調子が悪くなると自分で身の回りのことをするのも困難だが、同居している女性に生活面でサポートしてもらっている」と書いており、医師も診断書に「生活に支援が必要」と書いているので、これでは矛盾してしまう。これも修正してもらわなければならない。

他に修正しないといけない箇所や、主治医に訂正してもらわないといけないところはないだろうか。もう一度チェックして、全部まとめて社会保険事務所で相談しよう。はあ、何度通えばいいのか。大変だなあ。

朝起きたら9時過ぎだった。昨日ちょっと夜更かししてしまったから、起きるのも遅くなってしまった。生活のリズムが崩れないように気をつけなければ。

今日は初診の病院に、初診を証明する「診療状況等証明書」を取りに行った。2〜3回しか通院しなかったと思っていたが、実際には4回通ったようだ。この病院についてはあまりはっきりとしたことは覚えていないのだが、最初の診察のときに「うつ病かもしれないが、他の病気の可能性もあり、何とも言えないから、両方の薬を出しておきます」と言われ、しばらく服薬していたところ、どんどん調子が悪化していき、「この薬のせいなんじゃないか」と思って勝手に服用を中止したら、とたんに元気いっぱいになった。病院へ行ってそう話すと「もう来なくていい」ということを言われたと記憶している。今思うと、単にあれは躁転していただけだったのだろう。

そして今日、受診状況等証明書を見てびっくり。傷病名の欄に「統合失調症の疑い」と書いてある。「発病から初診までの経過」の欄には

H9年頃から全身倦怠感、不眠が出現。H11年に入り、遅刻、欠勤が多くなったため、当科初診となった。

と書いてある。これはまあ、この通りなのだが、その次の「初診より終診までの治療内容及び経過の概要」の欄には、

いわゆる「うつ状態」のための欠勤にしては、雑念が多く、思い悩んだり、全体的にまとまりの悪さもあったため、初期分裂病の可能性も考慮し、ドグマチール、アモキサン、フルメジンで加療スタートしたが、以降3回外来受診し中断となっている。

と書いてある。いや、びっくりした。「他の病気かも」というのがまさか統合失調症(当時は精神分裂症と呼んでいた)を指していたとは思わなかった。「まとまりが悪い」って、うつ状態に陥って自分でもわけわからなくなって頭パニくってるんだから、まとまりが悪くて当たり前だと思うのだが。それが「言葉のサラダ」と呼ばれる統合失調症患者の意味不明な言動の初期症状ととらえられたのだろうか。

ドグマチールとアモキサンは抗鬱剤としてはメジャーだが、フルメジンは聞いたことなかったので、調べたら確かに統合失調症の薬らしい。こんな薬飲んでいたのか。しかし、どんどん症状が悪化したのはそのフルメジンのせいではなく、多分アモキサンが原因だと思う。私が3回目に入院したとき、それまで飲んでいたアナフラニールからアモキサンに主治医が薬を変更した。その後2週間くらい、よけいに調子が悪化したのだ。医師は「副作用の可能性もあるから」としばらく様子を見ていたようだが、2週間経過し、私が気分が悪くなって嘔吐したため、抗鬱剤が変更された。次の薬が何だったか忘れたのだが、その直後に私は躁転したのだ。

この共通点。アモキサンは自分にはあわないようで、服用しているとよけいに調子が悪化する。しかし、その服用を中止すると躁転する。躁転すると、そのときはめちゃくちゃになって周りに迷惑をかけてしまったりするのだが、リチウムでコントロールして落ち着けば、ノーマルに戻るのだ。一種のショック療法のようである。あまりに調子が悪いと、一度入院してこのパターンを試してみるというのも手かもしれない。入院はしたくないのだが。