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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日も起きたのは9時前。やっとこさ起きた、という感じ。あまり調子はいいとは言えず、頭がぼんやりしている。とりあえず顔を洗って朝食を食べた。

昨日故障した携帯については、取説に故障時その他の各種問い合わせ先が載っていたので、とりあえず電話して症状を話したところ、FOMAカードが認識できてないと思われるので抜き差ししてみてください、と言われ、やってみたら復活した。おお、よかった壊れたかと思った。待てよ?何にもしてないのにFOMAカードが認識できなくなったのは、やはり故障ではないのか?これから頻繁に同じことが起こるのではないか?まあ、とりあえず様子を見ることにした。

午前中はぼ〜っとした頭で「どうぶつの森」をやっていた。あいかわらず頭にもやがかかっていただるい。

初診の病院に電話して障害年金の診断書ができていることを確認し、昼過ぎに家を出てむかし通っていた病院に行った。そこで診断書を受け取って仰天。その病院が初診だと思っていたのだが、その4ヶ月前に別の病院に行っていたのだ。2〜3回通院しただけで、薬があわなかったか、よけい症状がひどくなるので勝手に薬をやめたところ、いきなり調子がよくなった。そうすると「もう来なくていいよ」と冷たく言われたのだ。今から考えたらあれは躁転していたのだろうが、そのときはわからなかった。ただ、なんかやな病院だなと思った記憶はある。

それから数ヶ月たって、また調子が悪くなり、別の病院に行ったのだった。その前の病院のことは、今はすっかり忘れていたのだが、医者にちゃんと話はしていたようで、診断書には「平成××年△月に抑鬱状態で○○病院を受診し、その後状態が悪化したので当院に来院」と書いてある。と言うことは、そっちの○○病院での初診の証明を取らないといけないではないか。

しかし、診断書を見ていて「これはこれでいいのかなあ。医者が間違えたのか、自分の認識に誤りがあったのか」と疑問が出てきた。障害認定の日付がおかしいのだ。初診日(つまり最初の病院にかかった日)から1年6ヶ月後の日付が障害認定日なので、その時点の日付と症状が書いてあるはずなのに、その病院で初めて診察を受けた日から1年6ヶ月後の日付で書かれているのだ。他にも疑問があったので、その足で社会保険事務所に行って相談した。

今日の担当者ははずれだった。「確かにこの日付はおかしいですね。訂正してきてもらってください」と言ってくれたのはよかったのだが、その後に私が「障害認定日による請求」と「事後重症により請求」の細かい違いを尋ねたら、おもむろに分厚い本を取り出してしばらく読んだあと、「…ということらしいです」と頼りない返事。本当にそれであってるのか?障害認定日から申請日までの遡及についても、5年という時効の説明が前回の担当者と異なっている。前回の担当者は「5年を過ぎたら遡及できなくなる」と言っていたのに、今日は「申請時点から5年を上限に遡及される」と言っていた。どっちが正しいのかわからないし、その担当者が頼りないので、帰ってから自分でネットで調べてみることにした。

家に帰る前に、その足で現在通院している病院へ寄った。社会保険事務所からは歩いて10分くらいだ。現時点での診断書を昨日主治医にお願いしたところなのだが、自分が初診日を勘違いしていたので、「発症した日付」が食い違っている可能性がある。病院でカルテを調べてもらったら、診療記録というのは正確に引き継がれているもので、4つめの今の病院への紹介状に、きちんと「平成××年△月頃発症」と間違いなく書かれているとのことだった。ほっと胸をなでおろし、バスで家に帰ったら17時前だった。めちゃくちゃ疲れた。

疲れたが、いろんな疑問が残ったのでネットで障害年金について調べだしたら、あっと言う間に時間は過ぎた。結局、上に書いた「遡及しての支給についての障害認定日から5年の時効」の詳細がわからない。障害認定日に仕事ができていたかどうか、というのも遡及の審査対象になるようなことも書いてあるが、正確なところがわからない。

しかしながら、今日受け取った1年6ヶ月時点の診断書は非常に「軽い」内容で書かれているため、多分通らないだろう。障害厚生年金の審査は厳しいというし、社会保険事務所の担当者も診断書を見て「これは多分通らないですねぇ」と漏らしたくらいだ。ほとんど日常生活に支障がないように書いてある。もうちょっとしんどかったはずだが、ただそれでも「その時点では」身の回りのことは一通りなんとかできていた。ただ、仕事は休み休みだったのだ。

現時点の診断書は、昨日お願いしたところ「3級は通るだろうが、2級はちょっと難しいかも」と言っていたので、障害認定日のやつは捨てて、事後重症で行こうかどうか、悩んでいる今日この頃である。今日の日記は読んでてさっぱりわからないと思うが、私もよくわかってないので説明はしません。

あ、歯医者予約してたのに行くの忘れてた。が〜ん。

朝はなんとか9時におきたが、今日も昨日に引き続き調子が悪い。調子の悪さをひきずっている。寝つきも最近悪く、昨日は眠れなかったので追加眠剤を飲んだ。最近2日に1回くらい追加眠剤を飲んでいる。

午前中は鬱モード。しばらく寝ていたが、10時半くらいから昼までぼ〜っとした頭でゲームをしていた。「どうぶつの森」は頭を使わないのでこの状態でもできる。

昼食を食べたあともぼ〜っとしていた。調子が悪いが、15時を過ぎたくらいからようやく回復してきた。そしてバイトが休みの彼女と一緒に、16時頃に家を出て病院へ。17時の予約だが、16時半くらいに着いた。待合室はあまり混んでるようでもなかったので、そんなに待たないかと思った。

しかし、それは大甘だった。今日は一人ずつの診察時間が異常に長いようで、なかなか呼ばれない。呼ばれたのはいつだっただろう。18時を過ぎていたことは確かだ。どうやら、32条からの移行のための書類をみんな書いてもらっていたようなのだ。私も書いてもらわないといけないが、実は私はその書類は不要だと言うことが判明した。それは後述。

とりあえず最近の状態を話した。低調なことを話すと、最近躁転していないか聞かれ、していないと答えたら、炭酸リチウムを減らしてみましょう、と言うことになった。リチウムは主に躁状態の時に使う薬だが、気分を抑えるというより波の振幅を抑える薬なので、鬱の時にも飲んでいた方がいいと聞いていたが、大丈夫なのかなあ。

そして、障害年金の診断書をお願いした。3級は通るだろうが、2級はちょっと難しいかもしれませんと言われた。2級が通ってくれるとかなり助かるが、それは期待できないことははなから承知の助だ。書くところがたくさんあって今日は無理なので、来週に取りに行くことになった。

そして窓口で発覚した新たな事実。私の32条の期限(と言うか障害者手帳の期限)が今年の5月31日で、通常ならその3ヶ月前、つまり3月1日以降に更新の手続きをする必要があるのだが、4月から新しい制度に移行するため、今回だけ自立支援法への移行手続きと同時にやる必要がある、とのことらしい。手帳の更新は2年ごとに必要だからまあいいのだが、そのための主治医の診断書が、やはり1万500円だかかるという。年金の診断書とあわせて2万1千円。まあ、いずれは必要なお金だけれども、同時に来ると「とほほ」である。しかし、この診断書があるから他の人が書いてもらっている「みなし適用」の意見書は不要で、つまりその料金はかからないという。トータルで言うと、ちょっと得したのか?結局。

しかしまあ、重なるときは重なるもので、会社を辞めて健保から国保に変わったので、結局「32条の健康保険の変更手続き」「自立支援法への移行手続き」「障害者手帳の更新手続き」「障害年金の申請手続き」を全部同時並行して行うことになっている。必要な書類が山のようにあってパニック状態だ。明日は初診の病院に行って診断書をもらってきて、区役所に行って戸籍謄本と住民票を取ってきて、そうそう健康保険証のコピーも取らなければならない。あ、コピーならうちのスキャナーでとれるんだった。

そこへ追い打ちをかける事態が。携帯を使っていると、急にリセットがかかったのだ。電源が切れて、数秒後にまた起動した。バッテリーが腐ってきているから注文したところなのだが、その到着を前にしてもう限界か?と思ったら、リセット後の携帯のバッテリーはフル状態。おかしいな、と思っていたが、それから2〜3回同じことが起こった後、なんと待ち受け画面が初期状態に戻ってしまった。しかも電波状態を示すアンテナマークの箇所に見たこともないマークがある。家に帰って取説を見たのだが、そのマークは載ってない。マークの形から推測するに、どうもICチップのようなのだが、つまりこれはハードウェアのエラーということなのか?

とにかく、故障なのは間違いない。明日DoCoMoショップに行ってこよう。結局買い換えるはめになるのかなあ。そうだ、注文しているバッテリーはどうなるのだろう。ショップの店員は「注文されるとキャンセルできませんが」と言っていた。しかし、この場合はどうなるのだろう。まあいいや。明日DoCoMoショップへ行って交渉するのだ。しかしまあ、なんでこんなにいろいろなことが重なるのやら。

朝は相変わらずつらい。目が覚めているのに起きあがることができない。8時くらいから何度も起きようとして挫折した。結局8時40分くらいに起きた。

朝食も早々に、なんとか体が動くので9時過ぎに近くのスーパーへ日曜朝市に行って買い出し。地面が凍結していて危ないことこの上ない。そのせいだろうか、いつもはごったかえしている朝市の風景とは違って、人はそんなに少なくなかった。いつもは9時前に開店の列に並んで、開店と同時にセール品にダッシュ!という感じで、ちょっと出遅れるともう売り切れ、ということが多い。今日も出遅れたからもうお目当てのセール品はないかなあと思ったら、まだ山積みだった。みんなうちにこもっているのだね。

しかしながら、帰ってきたら疲れてしまった。やはり朝はあんまり調子はよくないのに、ちょっと体が動くからといって、無理してしまったためだろう。今日はずっとだるかった。頭がぼんやりして、書かないといけないメールも文面が思い浮かばずに停滞している。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、と思いつつ昼になり夕方になり夜になった。今日は夜にかけて調子がわるくなるという、変則パターンだった。やはり朝市で朝いちに無理をしたからか。

明日は通院日だ。最近の経過を、鬱の症状、疲労感の症状、睡眠の状況など、できるだけ詳しくしゃべらないと。それから、32条から自立支援法に移行する書類も書いてもらわないといけないし、障害年金の申請のための診断書もお願いしないといけない。しかし、頭がずっとぼ〜っとしているので、そのままだったら何か忘れそうだ。全部メモしていかないと。でも、ときどきそのメモを出すのすら忘れることもあるのだ。それを忘れないようにするにはどうすればいいのか。

今日はなんとか8時半過ぎに起きた。これが精一杯である。朝はつらい。そして寒い。外は雪が降っている。全国的な大雪が続く中、横浜は今までほとんど雪は降らなかったのだが、ついに降ってきた。

夕方くらいまであまり調子はあがらず。外を見るとこんこんと雪は降り続ける。「こんこんと」というオノマトペがよくわからん。なんで「こんこんと」なのだろうか?「雪はこんこ、あられはこんこ」と言うのもよく考えるとよくわからん歌詞だ。

調子が17時前になってようやくあがってきた。夕食はウィンナー鍋。メインの具材がウィンナーで、あとは白菜、しらたき、キノコ類という変わり鍋だ。これをポン酢でいただく。数年前に友人の家の忘年会で食べたのだが、鍋とウィンナーという組み合わせに驚いたものの、なかなかうまかったので作ってみた。明日も今日の鍋の残りと、あとはサラダでいいや。最近はいろいろなメニューに挑戦している。料理はおもしろい。

今日も起きたのはちょっと遅かった。9時前くらいだったろうか。朝、自然に早く起きることができない状態が続いている。ただ、体が動き出せば、なんとか一日はもっている。

今日は一週間ぶりにバイトが休みの彼女と久しぶりに映画を観に行った。みなとみらい線の新高島駅すぐにある「109シネマズMM横浜」へ初めて行った。一昨年の秋くらいにできた映画館だったと思うが、この辺りはみなとみらい地区の中でもまだ閑散としていて、これから商業施設やマンションなどができていくのだろうなあ、という感じである。横浜で映画というと相鉄ムービルで観ることが多かったが、そのムービルも今年の5月いっぱいで閉鎖される。その跡には何ができるのだろう。ヨドバシの跡地には今日からドンキがオープンしたようだ。

今日観た映画は「THE有頂天ホテル」である。いやはや、おもしろかった。いくつもの交錯する同時進行の人間ドラマを、混乱することなく堪能でき、思わず笑ってしまうシーンも数知れず。極上のスラップスティックという感じだ。三谷幸喜の緻密に練り上げられた脚本のたまものだろう。なんせ、リアルタイムに進行する時間軸に沿って、スクリーンに出ていない登場人物が裏で今何をやっているか、というタイムスケジュールまで作ってあって、矛盾がないようにできている、との制作裏話を先日テレビで観たのだ。いや、おもしろかった。

おもしろかったのだが、見終わってしばらくするとどっと疲れが出てきた。久しぶりに「電池が切れた」ような状態に。どうも映画館の中で2時間あまりじっと映画を観ているだけで、たとえおもしろく鑑賞したとしても、神経は消耗しているようだ。横浜に戻ってラーメンを食べるはずだったが、そのまま帰宅した。やっぱりおうちが一番である。