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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2001年9月

昨日、昼間にあれだけ寝たのに不思議とよく眠れた。自分の心を洗い流すかのように、浄化作用が働いたかのように。21:00消灯後、寝付いたのは22:00をまわってから、といつもより時間がかかったが、途中2:00に一回目が覚め、次に5:00に目が覚めた。割とぐっすり眠れたような気がする。5:00からはもう眠れなかったが、これだけ眠れば十分だ。しかし、ホールには出ていかずにずっとベッドの中でじっとしていた。一度出ていくと、また昨日のように眠たくなってまた寝てしまい、また起きられなくなるのが怖かったからだ。

5:30頃、おそるおそるメールチェックする。もう非難のメールは来ていないので、安堵する。昨日「MLでは説明できない事情」を説明したメールを送ったG氏からは、「あんまり自分をいじめないでね」と返事が来ていた。自分をいじめてしまうのは、やはりよくないのだろうが、自分で自分を赦すことができるほど、まだ自分の精神状態は安定していないし、悟りを得ているわけではない。

5:45頃、ホールに行ってコーヒーをいれ、一服する。すでにたくさんの人が集まっている。煙草を一本吸ってコーヒーを飲んだ後、洗面所へ行くと、もう待ち行列状態だった。少し待って洗面をすませ、病室に戻る。と、ほどなくして6:00になり、起床を知らせる放送があった。これから二度寝しないようにしなくては。なんとかして起きている状態を持続しよう。

なんとか不安定ながらも起きている。今は朝食を食べ終わったところだ。「鬱は自覚できるが躁は自覚できない」どうしたらいいのか。

ヒーリングのCDを聴いたあと、一人でオカリナを吹きに丘へ行く。その後戻ってきた。台風の影響で、雨は降ってないが風は強い。少し落ち着いてきたが、まだ元気はなく、無理して出かけようと思えば出かけられなくもないが、どうしようかまだ迷っている。無理は禁物だろう。

結局外出は取りやめ、無理のない範囲で日課をこなすことにした。今日は木曜日なので午前中は体育館レク。しんどくなったらやめようと思っていたが、やっているうちに頭のもやもやが取れていき、すっきりしてきた。スポーツはいい。やっている間は嫌なことも忘れられて、それに集中でき、体を動かすことによって全身が活性化し、好循環を生み出すような気がする。

病棟で最年少のサーファー系A君が退院していった。みんなで迎えの車まで見送りに行った。みんな次々と退院していく。同室のKさんも今月いっぱいで退院する予定だと行っているし、向かいの部屋のKさんも退院に向けて体力をつけるために毎日ウォーキングに行っている。私はいつまでかかるのか。入院して1ヶ月半以上過ぎたが、まだこんなにぶり返しているようでは、まだまだ先は長いだろう。あせってもしかたがない。入院費を今日支払ってきたが、この前は保険金で儲かるなんて喜んでいたが、儲かるどころの入院期間では済まないかもしれない。いいや、この際お金のことは忘れよう。ある程度の貯金はある。そう言えば、年間の医療費が10万円を超えたら、何か控除があるはずだ。その手続きについては、まだ早いかもしれないが一応確認しておいた方がよいだろう。そういうときのために、すべての医療費の領収書はとってあるのだから。

昼から例の「宗教関係」の本を読み進める。途中眠くなってうとうとしてしまったが、最後まで読み終えた。書いてある本質、ものの考え方はいいのだが、やはり古い文体と、同じことを表現を変え例えを変え何度も何度も繰り返して書いてあるのに閉口する。もっともこれによって人はマインドコントロールされていくのであろう。「単純な繰り返し」はマインドコントロールの第一歩だ。私もここに書いてあるものの考え方を、今読んで理解するだけでなく、日常生活に取り入れようと思うと、やはりマインドコントロールされる必要があるのだろうか。ここに書いてある考え方だけを頭に植えつけられるのであればいいが、この宗教そのものに洗脳されるのはまっぴらごめんだ。最後まで読み終え、裏表紙にある「全集」の紹介を見て、この本が40巻あるうちの1冊に過ぎないことを知る。これらを全部まじめに読めば、マインドコントロールされるのであろう。

次に何の本を読もうか迷ったが、「アダルト・チルドレン完全理解」を読むことにした。前の「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」とは違って、単にアダルト・チルドレンや共依存について解説した本だ。自分はACだと思っているし、それについて深く知りたい、共依存についても知りたい。カーネギーの「道は開ける」の再読はこの後にしよう。

夕食後、主治医と面談する。特に「相談」というわけではなく、自分の状態の変化について、直接自分の口から伝えておきたかっただけである。私が調子を崩していることは看護婦を通じて知ってはいるだろうが、看護婦の観察ではわからないようなことを「報告」しておきたかったのである。朝、起きようとした夢を何回も見たこと、調子がいいやと思ってコンピュータ関連の雑誌を読みまくっていたときが、実は自分にとっての「躁状態」つまりハイテンション状態で、そこで無理をしてしまったかもしれないということ、そしてその手の雑誌を読みまくっているうちに「早く職場復帰しなければ」というあせりが出てきてしまったかもしれない、ということを伝えた。あせらずに行こう。「あせらない」「調子がいいときほど慎重に」を自分の標語にしよう。

ACの本を読み終えた。読みやすかったので一気に読んでしまった。まず驚いたのは、「ACとは医者やカウンセラーが診断する客観的なものではなく、『自分がACだと思ったらAC』だという、きわめて主観的なもの」であるということ。この本の最初の方に書かれているACの特徴を読んで、やっぱり「自分はAC」だと確信した。さらに父親もACではないか、そう思った。

驚いたことに、ACを回復(病気ではないので治癒、治療とは言わないらしい)するための、「ACの12のステップ」というのが紹介されているのだが、そこに「自分で理解している神、ハイヤー・パワー」というのが出てくるのだ。ここにも「神」が出てくる。だが、それは特定の宗教でなく、「自分で理解している神」である。結局人は自分の潜在意識に働きかけ、自分自身を変えようとするとき、自分の中にあって、なおかつ自分ではない「何か」に心を委ねる、ということがどうしても必要になってくるらしい。それは私が考えている「人間に備わっている未知のパワー」を引き出すために、どうしても不可欠な概念のようだ。私の場合、「自分で理解している神」とは、上に書いたそのもの「自分の中に備わっているはずの未知のパワー」としか言いようがない。

著者の女性は、中年向けのACのミーティングを中心に活動しているため、女性向き、中年向きの内容や事例が多かったが、割と参考になった。読むだけで少しは楽になれたかもしれない。「ACはなんでも人のせいにしていると言われますが、人のせいにすればいいと思います」などと書いている。ACは自分で背負い込むものが大きすぎ、人のせいにできなかった人なので、正々堂々と人のせいにして自分が楽になればそれでいい、そういうことだそうだ。そして、私が一番「なるほど」と思ったのが、実は「あとがき」にある以下の言葉だった。

「戦争もない、飢えもない、政治闘争もない。でも人は情緒的に殺されることはあるし、みずから感情を抹殺しないと人格が破壊されることもあるのです」

私の育った家族は、間違いなく機能不全家族である。そして兄弟全員がACだろう。それはいろんな形で出ている。私は多分人格障害ではないが、私以外の三人は人格障害だろう。特に三男は境界例であり、もっとも顕著である。この本を両親にも送って読んでもらおう。

さて、次はどの本を読もうか。カーネギーの「道は開ける」を読むか、勇気を出して「原家族ワーク」を進めるか…。そういやカウンセリングが受けられるかどうか、さっき主治医に確認するのを忘れた。まあ、向こうから言ってこないのだから、まだ確認がとれてないのだろう。

昨日の日記を書いた後、メールチェックをすると、私が出した「ウイルス防災訓練」のメールに反応して、山岳会の会長がMLのみならず、他の山岳関係の各所に警告メールを出している。私はそこで自分のミスに気づいた。「これでは大騒ぎになってしまう」幸いなことに会長が関係各所にBccでなくCcでメールを出していたため、直接相手に説明と謝罪のメールを出したが、そこでタイムリミット。MLにも改めて説明のメールを出そうと思ったが、就寝時間に間に合わなかった。そのまま不安を抱えつつ、眠剤を飲んで床につく。

そして起きる。今日も昨日と同じようなパターンだった。夜中に2、3回目が覚めたあと、4:00にいったん喫煙所に出てきてメールチェックをすると、昨日の「デマウイルス」についての非難のメールが来ている。予想されていたことだが、改めてMLに対して説明と謝罪のメールを出した。その後は、昨日と同じくなんだかまた眠くなって寝てしまい、朝になっても起きることができなかった。

なんだか入院前の状態に戻ってしまったようだ。会社に行けないときのパターンの1つに似ている。今日は「半覚醒状態」はなかったものの、6:00の起床の合図を過ぎても眠たくて起きれなかった。半分起きてはいるが、半分寝ている。ラジオ体操が始まる合図でなんとか起きて、のろのろとラジオ体操をこなし、朝の薬を飲む。そしてのろのろとこれを書いているが、まだ半分頭は寝ぼけている。どうしたことだろう。

朝食を食べた後も眠いというかだるいというか、ずっとベッドに横になってぼ~っとしている。今日はシーツ交換だ。何とかシーツ交換くらいは自分でできた。でもそれをやっただけでまた疲れた。今日は外出して、ちょっとだけ職場にも顔を出す予定だが、行けるのだろうか。出発までにはまだ時間に余裕がある。もう少し休んで様子を見よう。

だめだ。いつの間にか10:30だ。ずっと寝ていた。なぜなんだ。頭がぼ~っとする。会社に行けなかったあの頃と同じ感覚だ。そして今日も会社に行けない、これでは。とりあえず「職場に顔を出す」はずだったが「体調不良で無理」ということを連絡する。

その後はずっと寝ていた。11:00の服薬の放送が入っても起きれず、看護婦さんが呼びに来てやっと飲みに行った。12:00の昼食も同じで、看護婦さんが呼びに来た。なんとか昼食を食べたが、その後もずっと寝ていた。今日は入浴日で、やはり看護婦が呼びに来たが、起きることができずに風呂にも入れなかった。16:00の服薬はなんとか自分で起きていったが、その後もまたずっと寝ていた。途中なんとかメールチェックをすると、まだ非難のメールが来ている。また謝罪する。これも鬱に陥った原因の一つだろうが、それだけではない気がする。考えてみれば、昨日まであんなにコンピュータ雑誌をむさぼり読んでいたのは、また「躁状態」に陥っていたのだ。「ウイルス防災訓練」の社会的影響を予測できなかったのも、躁状態のため、また判断力を失って突っ走ってしまったためだろう。しかし、そのことはMLでは説明できない。ただ自分の非を認め、謝ることしかできない。「またやってしまった」その自己嫌悪が強く、自分を戒めるため、「自分に対する謹慎処分として、会の活動への参加を半年間自粛します」そうメールを送ったら、「気にする必要はないですよ」そういうメールが去年の会長のG氏から帰ってきた。彼は私の日記もずっと読んでいてくれた人で、私の躁鬱のことも読んで覚えているかもしれない。「MLには説明できないけど、こういう状態だったので」との旨をメールで伝える。自己嫌悪の念は強く、その反動が今来ている。

なんとか連絡会の時間には少し回復してホールに出てきた。Kさんが「卓球やろうよ」というので、少しだけやる。それで、また少し回復した。

その後、20:00をまわってからは就寝時間までできるだけ心を休めたい。例の「宗教関係」の本を1章と少しだけ読む。寝る前にメールを読んで、また落ち込むようなことがあると怖いのでメールチェックはしない。今日はできるだけ精神状態を安定させる方向に持っていって就寝することにしよう。

地震で目が覚めた。震度は1か2の弱いくらいだろうけど、寝ていると敏感に感じる。時計を見ると4:20。起きるとするか。途中2回くらい目が覚めたような気がするが、前のように時間をいちいち覚えていない。すぐに寝入ってしまうのだ。睡眠の質がよくなってきている気がする。

ホールに出てくると、今日は4人いた。私が起きてきた直後に続々とみんな起きてきて、今では8人になっている。みんな地震で目が覚めたのだろうか。

5:00頃になって、なんかまだ眠かったので、もう一度病室に戻って寝た。1時間くらいは普通に眠っていたが、起床時間を知らせる放送とともに、久々に半覚醒状態に陥った。

「半覚醒状態」とは私が勝手に作った言葉である。眠っている状態(正確にはレム睡眠状態だろう)と、そこから少し覚醒して周りの音が聞こえている状態(おそらく催眠状態)を繰り返す。金縛りとはまた違う。金縛りには昔よくかかったが、あれは単に体が動かないだけでなく、何か締め付けられるような圧迫感を感じ、同時に「ウワ~ン」というようなノイズのような幻聴も現れる。半覚醒状態のレム睡眠状態では、ずっと夢を見ている。どんな夢かというと「う~ん、眠いけど起きなきゃ、起きて洗面して着替えなきゃ」そう思ってえいやっと起きて、はあよかった起きれた、と安心する夢で、それが眠っている状態のときである。それが少し覚醒した状態に移行すると、周りの音が聞こえ、自分の体の状態が認識できて「しまった、まだ寝てるじゃないか。さっきのは夢だったんだ。今度こそ起きなくては」と必死で起きようとする。が、体は動かない。「誰か僕を起こして~」叫ぼうとしても声にならない。そしてそのうち睡眠状態に陥り、先ほどと同じ夢を見る。これを10回くらい繰り返しただろうか。ラジオ体操も終わって朝の服薬の時間にようやく普通に起きることができた。会社に行っている頃は、毎日のようにこの状態が続いていた。「起きるんだ。起きて会社に行くんだ」強迫観念のように感じていた。自分の見る夢が、それをブロックする。フロイトの言うように「夢は眠りの守護神」なのか。この現象が出てきたということは、何か自分の中に「あせり」が出始めているのだろうか。

朝食を摂ってる間も頭はぼんやりしている。今日は無理しない方がいいかもしれない。とりあえず目覚ましのコーヒーを入れて飲もう。コーヒーも残り少ない。明日外出するので買って来よう。

コーヒーを飲んでもまだぼんやりしている。昨日の体力トレーニングの疲れのせいか、それともここ数日夢中になってコンピュータ雑誌を読みまくっていた反動か。あれも自分の好きなことをやっているとはいえ、内容が専門的で読むのに集中力がいるため、それなりに神経を使っているのだろう。今日は無理をしないことにしよう。

朝食後、しばらくCDを聞きながら休んだ後、「ウイルス防災訓練」のメールをせっせと作り始める。昨日作ったBcc同報型のメールを元に、まずqmailのテンプレート機能を使ってテンプレートを作る。添付ファイルも含めてテンプレートを作れるので便利だ。あとはせっせと、「テンプレート選択」でそれを指定してメール作成画面を開いては、グループ登録してある山岳会のメンバーを一人ずつ入力していき、最終的には同じ内容のメールが50近くできあがった。FromもToも一人ずつの、小さなサイズの添付ファイルつきメールなので、これらの送信がはじかれることはないだろうが、これを一気に送信すると、かなり時間かかるだろうな。今日の午後は何の予定もない。昼食後あたりに送信しよう。

少し調子が悪いが、作業棟へ行く。この程度で休んでいてはいかん。とりあえずやってみて、やはり少し無理は禁物、と判断したら中断して帰って来よう。とりあえず初期データを測定するが、心拍数はやはり高め。体力テストを行ったら、「6段階中の2。やや劣る」まあ、今日はそんなものだろう。体力テストだけでかなり汗をかいてしまった。そんなに大した負荷ではないのだが。

少し休憩した後、再びエアロバイクへ。20分1セットでやめておいた。今日はそれだけでも汗だくだ。その代わり、少し呼吸を整えてから、グランドへ出てオカリナを吹いた。今日は暑かったが、ちょうど建物の陰になっているところがあったのでそこで吹いた。その後病棟へ戻ってきたら、だいぶ気分がすっきりしていた。

昼食までまたセキュリティ関連の記事を読む。こういう記事が読めるということは、また調子があがってきたということだ。朝は頭にモヤがかかっているようだった。そういうときは、無理にそういう本を読んでも、ぜんぜん頭に入って来ずに、何回も同じところを繰り返し読んでいることが多い。

昼食後、山岳会のメンバーへ向けて「疑似ウイルスメール」を送出する。差出人の名前は「やまのぼらー」、件名は「必見!役立ち情報」、本文は、

 突然のメール失礼します。
 あなたに役立つ情報を満載した情報をお届けいたします。
 ぜひご覧ください。

の三行で、添付ファイルとして「役立ち情報.html」がくっついている。さて、何人ひっかかるだろうか。

その後、再びセキュリティ関連の記事を読もうとしたが、飯を食ったばかりか、なんだか目がとろ~んとしてきた。頭もまたぼんやりしてきた。無理して読むことはない。少し横になってCDを聞いて体と頭を休める。でも眠ってしまったら夜に眠れなくなるかもしれないので、注意しなければ。

しばらくCDを聞いたあと、起きて売店に行き、飲料と「週刊アスキー」を買ってきた。頭の回転が鈍いときは、1ユーザとしてこれくらいの軽い雑誌を読む方がいいだろう。アスキーを読む前にメールチェックすると、山岳会のML宛てに今月の集会の案内が来ている。

アスキーを流し読みした後、調子がよくなってきたので日経バイトの記事「ファイアウォールの可能性と限界」を読む。う~ん、またまた勉強になった。アプリのバグやセキュリティ・ホールを突いた攻撃はいくらファイアウォールでも防御しきれない。アプリ設計者にもセキュリティホールを作り込まないための知識、そして意識が必要だ」そう感じた。うちの会社のアプリ設計者は、どこまで考えて作っているだろうか。

もう20:30だ。就寝準備に入ろう。21:00までは、そうだな、また例の「宗教関係」の本でも斜め読みするか。

昨日は21:00に寝た後、目を覚ますと2:00。もうちょっと長く連続して寝ていたいけど、まあ前よりはだいぶましになった。その後もう一度寝て、また目を覚ました。かなり長く眠ったような気がしたけど、時計を見ると2:30。なんで?気をとりなおしてもう一度眠り、次は4:00に目を覚ます。う~ん、もうちょい寝よう。ということで5:00前に目が覚めたときにホールに出てきた。今日は2人しかいない。いつもにぎやかなTさんが外泊なので静かだ。5:00を過ぎるとわらわらとみんな集まってきて、お湯が沸くのを待っている。5:00に看護婦がポットを出すのだが、そこから沸くのに時間がかかるのだ。みんながよく使うので、最近容量が大きなポットに取り替えられたのはいいのだが、その分沸くのに時間がかかってしまう。「ふたつよいことさてないものよ」先日読んだ「こころの処方箋」に書いてあった言葉だ。著者の河合隼雄のお気に入りの言葉で、呪文のように唱えているらしい。

6:00近くになった。みんな洗面をしに行ってしまった。私はまだコーヒーが残っているのでゆっくり飲むことにする。インスタントコーヒーも残り少ない。また買っておかなくちゃ。ミルクも切れている。今日は体調はよさそうだ。自分で心拍数を計ってみると、78だった。正常だな。今日は体力テストでも普通の結果が出そうだ。

今日は晴れそうだ。下着類はまだストックはあるが、洗濯をしておこう。と思ったら100円玉がない。しかたなく人から借りる。「洗濯をしたいときに限って100円玉がない」マーフィーの法則みたいだな、と思いつつ、それって「洗濯をしたいときに100円玉がない」ときと「通常小銭入れに100円玉が入ってない」ときを、実際に統計的に比較したわけではない。いいときのことは忘れていて、悪いときのことだけ目につくから、「こんなときに限って」と思ってしまうのだろう。これは人間の自然な心理かもしれないが、「マーフィーの法則」は、それをうまく納得させるものなのだろう。

洗濯物を干しに行った帰り、子猫が小さなネズミのおもちゃと戯れているのをOさんがじっと見ている。Oさんはこの辺の猫を手なづけようとしているらしい。私も一緒に子猫の動作を見ている。いつまで見ていても飽きない。天然の「癒やし系」動物なのだろう。

最近調子がよくなってきたので、ぼんやりしたり寝たりすることが少なくなってきた。その分、時間が惜しくなって、時間があれば本を広げる。例の「宗教関係」の本を読み進める。なかなかいいことが書いてある。相変わらず「神だ神だ」の連続と冗長さには閉口するが、考え方自体は、この本を薦めてくれた知り合いの医者が書いた「人間にはまだ未知のパワーが眠っているに違いない」というものに基づいている。私もその「未知のパワー」というもの自体の存在は信じている。それを引き出すために、宗教やらヨガやらいろいろなものが生まれたのであろう。そういう「未知のパワー」つまり「潜在能力」を引き出すためには、人間の潜在意識に働きかけなくてはいけない。それは自分の中にある「何か」を信じることであって、宗教ではそれを「神」と呼んでいるのだろう。私はあえて「神」とは考えない。あくまでも「自分に内在する未知のパワーを引き出すための潜在的な何か、それは自分自身」と考えている。私は「アンチ宗教」だが、それは自分が特定の宗教に入信するのが嫌なだけで、宗教自体を否定しているわけではない。ただ、宗教の持つ排他性が嫌いなだけである。一人ずつ「神」は違ってもいいじゃないか。どうして自分の「神」を他人に押しつけるのだ。そしてそれを否定するものを攻撃するのだ。

作業棟に行って、まず体重と体脂肪率を計り、その次に血圧と心拍数を計る。あれれ、心拍数102だ。なんで平常時で100超えてるんだろう。しゃーねーな。これで始めるか、というわけで今日も体力テストから始める。結果は「6段階中の3。普通」と出た。よしよし。次に通常トレーニングをする前に、裏手のグランドへ行って一曲だけオカリナを吹く。

続けて20分を2セット。結構汗をかいて気持ちよかった。2回目に漕いでるときには、なんだか自分がだんだんハイになってくるのを感じて、ついついピッチ音より速いペースで漕いでしまいがちだった。なんだか体中からエネルギーが湧き出てくるような感じだ。いい傾向なのだろう。「湧き出ろ湧き出ろエネルギー」なんて不気味に笑いながらつぶやきつつ、ペダルを漕いでいる。端から見るとちょっと危ない人かもしれない。

昼食時、自分の席に8月分の入院費の請求書が置かれていた。お、ついに来たか。いったいいくらかかるんだろう…。どきどきして封を開ける。おぉ、思ったよりも安い。私が入院したのが8月2日なので、ほぼ1ヶ月分の入院費なのだが、初月はCTやらレントゲンやらいろいろ検査があって高い、と聞いていたので覚悟していたのだが、それほどでもなかった。生保の保険金は入院5日目から出るが、最初の4日分を引いてもお釣りが来る。「入院して儲かる」という話は聞いたことがあったが、これなら9月分はもっとお釣りがくるに違いない。よかったよかった。と言いつつこれで万が一保険金が下りなかったらどうしようかな。まあ、その心配はなさそうだけど。

午後一番に入浴後、今度はコンピュータウイルスに関する記事を読み始める。ウイルスに関しては、ある程度の知識はあるが、記事の中でおもしろい事例を見つけた。ある企業で「ウイルス防災訓練」というのをときどきやっているそうなのだ。これは、その会社の情報システム部が、不定期にわざと添付ファイル付きのメールを社員同報で流し、うっかりそれを開いてしまうと「あなたはウイルスに感染する可能性のある行為をとりました。大変危険な行為です」と赤字ででかでかと出てきて、以下にウイルスに関する注意事項が出てくる、というものだ。添付ファイルは上記内容を記述したHTMLファイルで、中のスクリプトが実行されることによって誰が添付ファイルを開いてしまったか記録されるらしい。おもしろそうなので、自分の所属している山岳会のMLでもやってやろうと思った。最近メンバーでも数人がウイルスの被害にあっており、なんとかウイルス対策に関する啓蒙活動をしようと試みているのだが、みんないまいちピンと来ていないようだ。私の名前で出すとみんな安心して添付ファイルを開くかもしれない(それも本当は危ないけど)ので、「なぜか知らないけどML宛にきた外部の人からのメール」という想定で、それ用にフリーのメールアドレスを取得し、MLの管理者に「こういうことやりたいんだけど」という趣旨を説明した上で、MLへの登録依頼を出す。MLの管理者も大手コンピュータ会社に勤めるエンジニアなので、ウイルス対策の重要性は十分認識してくれるだろう。さて、誰がひっかかるだろうか?まあ、仕掛け人が私というのはすぐにばれるだろうけど。

ダミーウイルスのHTMLを作った。うん、我ながらよくできている。誰が送ったのかわからないと大騒ぎになるかもしれないので、仕掛け人が私というのも入れておいた。ついでに「この添付ファイルがダミーウイルスであることをMLでばらさないでください」という文言も入れておいた。誰かが「いや~、ひっかかりました」なんてMLで書いてしまったらおしまいだからである。

夕食前にリラックス体操。このやり方が載っている冊子をくれたHさんによると、「毎日続けていると、体の悪いところが普通でも少し痛くなってきますよ。それはいい兆候だから気にしないで」ということだ。私の場合、背骨のちょうど真ん中あたりが少しじんじんしてきた。私は背骨が歪んでいるので、そこが反応し始めたのだろうか。

昨日、主治医が無事帰国して、夜になってようやく面談することができた。まず、眠剤が替わってから、中途覚醒はあるものの眠りが持続するようになってきたこと、近くの駅前周辺ならあまりストレスは感じないが、電車に乗って人混みの激しい場所まで出るとやはりストレスを感じたこと、その晩は眠りが浅く30分おきに目が覚めたことなどを伝える。そして、以前はあまり読む気にならなかったコンピュータ関係の雑誌が、最近は読みたくなってじゃんじゃん読んでることを告げた。主治医の言うことには「まあ、少しずつよくなっていってますね。でも、あせらずにいきましょう」なんかいつも言うことは同じのような気がするが、それはそれでいいのだろう。眠れるようになりました。じゃあすぐに薬を減らしましょう。そういうものでもないだろうから。

次に「以前も会社を長期にわたって休んで自宅療養したが、いったんよくなったものの、またぶり返したので、今回はもうそれを繰り返したくない。そのために、自分の行動やものの考え方を変えていきたいと思っている、それでカウンセリングをお願いしたい」という旨を告げた。アダルト・チャイルドの本の「原家族ワーク」をやっていて、カウンセラーに相談したいと思ったのがきっかけだったが、いろいろ本を読んでいるうちに、他にもいろいろカウンセラーと相談したいことが出てきたので、あえてアダルト・チャイルドの話は出さなかった。主治医はこう答えた。「じゃあ、心理の方にお願いを出しておきます。ただ、向こうの都合もあるので必ず、とはいかないかもしれません」そうなのだ。ここの病棟でもカウンセリングを受けている人はいて、毎週何曜日の何時から、と定期的に受けているようなのだ。ということは、カウンセラーの週間スケジュールに空いている枠がないと、カウンセリングは受けられない。受けられるといいのだが。

「ウイルス防災訓練」のメールは、ML宛に出すといくらなんでも怪しすぎるので、メンバーにBccで送ることにした。で、さっそく送ろうとしたが、なぜかサーバからエラーが返ってきて送れない。サーバからのコマンド発行結果は「ok」と出るだけだ。「ok」がエラーメッセージなの?ひょっとして、大量(と言っても50人くらいだが、これでもやはり大量か)のアドレスにBccで添付ファイルを送る、というメールがSPAMと見なされてはじかれたのか。よくわからんが、10人ずつにわけて出してみよう。今日の昼にMLに「ウイルスに注意してください」と出したばかりなので、今出すとみんなが読むのがそのメールの直後になってしまうから、やっぱり明日出そう。でも、やっぱ出せなかったらどうしようかなぁ。一人ずつToを指定して出すかぁ。めんどうだけど。

20:00を過ぎた。「心のタイム」だ。例の「宗教関係」の本を読み進める。基本的な考え方は、まあ賛同できるのだが、今度はたとえがめちゃくちゃ極端だ。「自分に自信を持て」うん、まあそれはそうだな。「完全なる自信を持てば、山に向かって動けと命令すれば山さえ動かせる」嘘つけ。「完全なる勝利を確信せず、少しでも逃げ道を作ってしまえば、必ずその逃げ道に陥るであろう」必ず?なぜそう断言できる。「リンドバークは完全なる自信を持ち、いっさいの逃げ道を作らず、救助を求める無線機さえ持たなかったので、大西洋横断に成功したのだ」機体が故障したらどうなったと思う?自分に完全な自信を持っていれば、機体は絶対に故障しないとでもいうのだろうか。う~ん、疑問はつきない。まあ、この本ももう少しで読み終わるから、もう少しおつきあいしてあげよう。この本を読み終えたら、この間持って帰ってきたカーネギーの「道は開ける」を読もうかな。あれはいい本だ。前とはまた違った発見が期待できる。

と言ってる間に、いや書いてる間に時は過ぎゆく。さて、そろそろ着替えて洗面しよう。明日も元気で一日過ごせますように。

昨日は21:00に眠剤を飲んでベッドに潜り込んでから、寝付くのは昨日より早かった。1:00にいったん目が覚め、次に3:00に目が覚めてから、次は4:00から眠れなくなったので、起きてホールに出てきた。MちゃんとKちゃん(と呼ばれてるおじいさん)がいる。昨日はMちゃんは見あたらないと思ったら、18:30から寝てたらしい。ずっと調子が悪いようだ。「生きていても何もいいことがない。生きているのがしんどい」とう言う。ずっと悩んでいるみたいだ。「自分の中で2人が闘ってるの。そんなことしちゃだめ、ていう人と、もう電車にでも飛び込んじゃえ、ていう人がいるの」そう言う。いつの間にかS君やUさんも起きてきて、「生きていればいいことたくさんあるよ。死んだら両親もみんなも悲しむよ」そんなことを言ったりするが、そういう当たり前のことはさんざん言われてきただろう。私は何を言っていいかわからない。やはりそういう気持ちになったこともなければ、医者でもカウンセラーでもないので、下手なことは言えない気がする。「死ぬ死ぬ」と人前で言ってる割に死なないだけの「自殺狂言アピール」かもしれないが、実際に自殺未遂も2回やっているというし、何を考えているのかは本人にしかわからない。いや、本人にもわからないかもしれない。

その後Mちゃんは姿を消し、私はKさんとえんえんと喋っていた。気がつくと6:00をまわっている。洗面して着替えなくっちゃ。6:30からはいつもの通りラジオ体操なのだが、私は前から疑問に思っていることがある。「ラジオ体操第一」の前に、日替わりで体をほぐす簡単な体操があるのだが、「両手を大きく前回ししましょう」と言ってから「さあ、両手を前から後ろへ」と言うのだ。私の感覚では「前から後ろへ」は「後ろ回し」だと思うのだが、NHKの人はそう思わないのだろうか。

この作業の途中に、S君が「散歩行きませんか?」と誘ってきたが、「気が向けば行くから先に行って」と答える。どうせ行き先はいつものグランドだ。さてオカリナでも吹くか、と思って散歩に行こうとしたら、S君とMちゃんが喫煙所にいるのが見える。う~ん、どうしよっか迷ったが一人で行った。せっかく誘ってくれたのに悪いが、私はちょっと一人でいたい気分だったのだ。と言うか、最近オカリナのリクエストが増えて、ちょっと閉口している。一緒に行けば、また「○○吹いて」と言われるのはわかっている。私は誰のためでもなく、自分のために吹くので、自分が吹きたくもない曲を他人からリクエストされるのは実は迷惑なのだ。「今は」人に聞かせるために吹いているわけじゃぁない。「今は」と書いたのは、もちろん人に聞いてもらうために吹くこともあるからだ。要はコンサートに出演するときなどだが、今は自分を癒やすために吹きたいし、それとは別にコンサートに向けての練習もしたい。練習しているところを見られるのもあんまり気持ちがよくない。

一人でグランドに行き、昨日やってみた「竹田の子守歌」をもう一度やってみる。昨日よりも即興部分がうまくいかない。何度か吹いていると、S君とMちゃんがやってきた。Mちゃんが「リクエストしていい?」と聞いてくるので「それが嫌なんだ」ときっぱり答える。この子に中途半端な優しさは却って危険かもしれない。S君は、私が一人で吹きたいというのを察知していたようで、「やっぱ一人でいたかったんだ」と納得して、二人して少し離れたところへ行ってしまった。私は続けて、即興でいろいろなメロディーを吹いてみるが、それもいまいちうまく決まらない。日によってインスピレーションに差があるようだ。

今日は何の予定もない。ひたすら日経BP社の雑誌を読みまくる。やたらめったら読むのではなく、10数冊たまっている雑誌の目次を全部チェックし、今一番関心のあるセキュリティ関連の記事に丸をつけ、付箋を挟む。そして、それらの記事から優先して読んでいく。これらの記事を読めば読むほどおもしろい、と感じるのは、ついこの間まででは考えられなかったことだ。

午後もひたすら雑誌の記事を読みまくる。日曜日だからカラオケをやっているが、カラオケなんかよりもこっちの記事の方がおもしろい。おかげで日記を書いてる暇もない。いったいどうした変化だろう、と自分でも少し不思議だが、まあ勉強できるときにしとかなきゃ。

夕食前にリラックス体操。これくらいはやんなきゃ、本ばっか読んでると肩が凝ってしかたない。それにしても今日の日記は自分で書いててもつまらんなぁ。

日経バイトの特集記事「常時接続を活用するインターネットVPNのすべて」を読み終える。う~ん、勉強になった。

ちょうど記事を読み終わってスクラップしているときに、連絡会の時刻になった。今週最後の司会を務めるが、結局普通にやってしまった。最後に何か一発かましたかったが、年配の方も含めて50人くらいいるので「ふざけるな、まじめにやれ」という人が一人くらいいてもおかしくないため、自粛した。「皆様からのご意見、ご要望があればおっしゃってください」と言うと、一人の女性が手を挙げて訴えた。「トイレを流さない人がいるのでなんとかしてください。あと、トイレのドアを開けっ放しでする人がいるので、なんとかしてください」はらほろひれはれ~。そんな人がいるのか。本当に忘れっぽいのか、単にボケてるだけなのか、排泄物&排泄姿露出狂なのか。

連絡会の後、MちゃんとHさんが卓球をはじめたので、自分もラケットを持ってホールへ行く。と、ホールのCDプレーヤーでOさんがCDを聞いていたみたいで、ちょうどケースにしまうところだった。この間、彼女がゴスペルが好きだと聞いたので、私の持っている30枚あまりのCDをごそっと持ってきて(メディアだけで持ってきてるので「ごそっと」という感じではないが)、いろいろお勧めの曲を聞かせた。彼女はゴスペルの他にもDoo-Wap系が好きらしく、14 Karat Soulは気に入ったようだ。

その後I看護士が卓球しようと誘ってきたので、しばらく卓球をしてたら、Oさんはいろいろ自分で選んで試しに聞いているようだった。私が持っているCDは、普通のCD屋には売ってないものばかりで、よほど大きなCDショップで買うか、後は海外からインターネット通販で買ったようなものばかりなので、どれもこれもはじめて聞くものばかりらしい。まあ、一般の人はそうだろうな。とは言え、私が持ってきているCDは、マニアの中でも割とスタンダードなもので、家に帰ればもっとマニアックなものがたくさん転がっている。

20:00になってI看護士はあわただしく仕事モードに帰っていった。私も病室に帰ってきて汗を拭き、今これを書いている状態だ。さて、あとは着替えて洗面してから、21:00の服薬、就寝まで何か「心を癒やす」本を読もうかな…。