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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年9月1日

昨日は20:30頃には就寝し、0:30に目が覚めたがまた眠り、その後3:30に目が覚めた後、20分おきに目が覚めるモードになったので、4:10に起きてホールに出てきた。けっこうよく眠れた。追加眠剤を使わずに、これだけそこそこ熟睡したのははじめてかもしれない。中途覚醒、早朝覚醒はあるものの、また調子は上昇傾向にある。

喫煙所でメールをチェックする。宗教関係の勧誘がまた来ている。ここに入院してから2回目だ。私自身は無宗教、というより、ある事情のため「アンチ宗教」派なので、宗教は徹底的に毛嫌いしている。が、相手はあくまでも善意で「よかれ」と思って勧誘してくるし、それが友達とか、知り合いの家族だったりして、なかなか穏便に断るのは難しい。今回は、知り合いの医者が自分の家族に「知り合いにうつ病の人がいるから○○の本を注文して送ってあげて」とわざわざ頼んでくれたところ、その家族が「もっといい本もあるのでご紹介します」と言って宗教関係のパンフレットも一緒に送ったから、という内容のメールだった。困ったので、メールをくれた本人でなく、知り合いの医者の方に、穏便にお断りしたいので、という旨をメールで伝えた。

私がネットをやっていることを知っているMちゃんが来て「友達が近くに来るから、どこか遊ぶところ探したい」と言うのでYahoo!で検索するが、田舎なのでたいしたところはない。Tさんがやってきて「参ったわよ~、0:30に起きたときに、時計が逆さまっだのに気がつかずに起きてきて、お湯が出るのじっと待ってたわよ」おいおい、もっと早く気付けよ。このTさん、しょっちゅうぶっ倒れるのに、ちょこちょこ動き回るから気が気でない。この間も朝の散歩で、丸太でできたシーソーに腰掛けてたらいきなりぶっ倒れて、肋骨にひびが入った。今もコーヒーをいれようとして歩いてる途中にいきなりぶっ倒れて、看護婦さんに「まだ起床時間前だから寝てなさい」と言われたものの、「やだ」と頑固に拒否するが、結局看護婦さんに連れられて病室へ戻っていく。我々も散歩に行ったりするときは、できるだけ一人で歩かせずに誰かそばについてあげるようにしている。

Mちゃんの身の上話をまた聞く。トラウマがかなり強烈らしく「ずっと忘れてたのに、ある日フラッシュバックのように思い出したんだ」「今でも追いかけられる夢を見るの」それに加えて弟さんが亡くなったショックも相当大きいらしい。「弟が死んだ時ね、お父さんとお母さんが泣いてたの。でも、親が泣いてるから自分は泣いちゃいけない、なぜかそう思ったんだ。あの時泣いておけばよかった」押し殺した感情は消え去るわけではない。少しずつ自分の心を蝕んでいき、ある日突然暴走する。「私ね、ここの病院で一人で弟のお葬式、やったんだ」彼女は弟さんのお葬式で泣けなかった自分を悔やんでいる。時間がかかるかもしれないが、克服していかなければならないのであろう。「死ぬのは怖くないんだ。死んだら弟に会えるかもしれないから」また彼女は言う。でも、カウンセラーからこう諭されたそうだ。「死んでも会えるとは限らないよ。生きてたら、夢で会えるかもしれないじゃない」

6:00だ。起床時間になった。洗面を済ませたあと、ようやく自分の愛用している軟膏がそろったので、スキンケアを再開する。6種類の軟膏を部位と炎症の程度によって塗り分ける。「自分で自分の体をよく観察する」この場合は見たそのまんまである。今日から15:00にはシャワーを浴びさせてもらえる。シャワーを浴びたら、そのあとにまた同じことをしなければならない。

今朝の散歩は3人だった。あまり暑くなくていい感じだったのに、人数が少なくて残念だ。もう9月になってしまった。竹内まりやの「September」をオカリナで吹く。その後「夜明けのスキャット」を吹こうとしたが、うろ覚えで、途中からどうしても「ガンダーラ」になってしまう。

帰ってきて、病室の窓を開ける。今日は風が気持ちいいので、冷房を入れずに自然の風を入れよう。ここは窓を開けられるのでよかった。閉鎖病棟だと、窓は10cmくらいしか開かない。脱走と飛び降り自殺を防ぐためである。でも、脱走する奴はする。私の弟は、付き添い人が2人ついている状態で散歩している途中、突然猛ダッシュして脱走し、歩いて家に帰ってきた。強制入院なので、当然もう一度病院送りである。

病棟では基本的に自分の持ち物に名前を書いておかなくてはならない。先日家に帰ったときに、テプラで大量に自分のネームシールを作って、コップやら箸箱やら、このハンドヘルドPCにもCDプレーヤーにも貼った。これなら後からはがせる。でも、消耗品であるシャンプーとかコーヒーの瓶などに貼るのはもったいないので、名前を書くためのマジックを売店で買ってきた。その袋をゴミ箱に捨てようとしたとき、どこに入れるのかわからなくて困った。ここのゴミ箱は「燃えるゴミ」「燃えないゴミ」「リサイクル(ビン、缶、ペットボトル)」「リサイクル(その他)」ということになっているのだが、最後の「リサイクル(その他)」というのが結構あいまいで、溶かして再利用できるようなもの、つまりプラスチック製のものやら、お菓子の袋、コンビニの袋なんかはすべて「リサイクル(その他)」に入れることになっている。牛乳についてくるストローなんかもそうだ。ペットボトルを飲み干したら、ペットボトルの中を洗って、キャップは「リサイクル(その他)」に、本体は「リサイクル(ビン、缶、ペットボトル)」に入れる。めんどくさいが、そういうのはまだわかりやすい。問題なのは、はて、これは「リサイクル」にまわしていいのか、それとも燃えるゴミなのか、燃えないのか、よくわからないものだ。「わからないものは全部燃えないゴミに捨ててるけど」Uさんは言う。それもありだが、燃えないゴミは結局埋め立てられてしまうので、関係ないものまでどんどんそこに捨てるのは気が引ける。かと言って、燃えるのかどうかもわからないのに「燃えるゴミ」に入れたり、リサイクルできないのに「リサイクル」に入れるのも問題があるだろう。すべての包装紙や袋、いやそれ以外の商品すべてに「リサイクル可」「燃える」「燃えない」という表示をつけてくれたらいいのに。

荷物が届いているというので取りに行くと、朝に日記に書いた「宗教関係」の本だ。やれやれと思って、そっちの本は置いといて、知り合いの医者が薦めてくれた本の方を見ると、なんとそれも同じ宗教関係の本だった。う~ん、困った。今朝は「穏便にお断りしてください」というメールを出してしまったが、その本人が宗教関係だったとは。医者が薦めてくれる本だから、おそらく医学関係か心理学関係の本だと思っていたのに。「医者と宗教は相容れない」と聞いていたが、そういうわけでもないのか。とりあえず「今朝のメールは失礼しました」というメールを再び送り、その中に私が宗教を毛嫌いする理由を説明し、数日前にも他の宗教の勧誘があったがお断りした旨を書いて送った。ある理由により、とにかく私の頭の中では「宗教=狂気」なのだ。この本と同封されていた手紙の最後に書いてある一文、「この教えしかありませんよ、人間、人類が救われるのは」これが私にはとても恐ろしい。宗教は人間を狂わせる。宗教のために戦争まで起こる。なぜ人間は宗教に走るのか。一人で勝手に走るのはいいが、他人を巻き込むのはやめてくれ。俺にしてみればキリスト教もオウムも自己啓発セミナー(これは宗教ではないが、私の頭の中での位置づけは同じ)も全部同じなんだよ。完全理論武装派の私にとって、そういうわけのわからないものを信じるということは、はなっから心理的アレルギーがあるのだ。ま、私が宗教を毛嫌いするのは、それ以外の強烈な理由があるのだが。合唱団で宗教曲なんかは歌っているが、あれは純粋に「音楽」として楽しんでいる。信仰心はゼロである。

よく眠れたつもりだったが、やはり睡眠が足りてなかったのか、CDを聴きながら漫画を読んでるうちに、いつの間にか眠ってしまったようだ。昼食を知らせる放送で目が覚めた。今日は防災の日ということで、非常食のスティック型カンパンとミネラルウォーターのペットボトルがついている。夜中に腹が減ったときの非常食にでもしよう。食べてみたUさんは言う。「かたい、しかもまずい」山ノボラーの私にしてみれば、何でこんなものが非常食なのか疑問だ。非常時には「水」の確保が大切だが、こんなぱさぱさして水と一緒じゃないと食えないようなものじゃいかんだろ。しかも固かったらお年寄りは食えない。もっと体積が小さくて、カロリーが摂取できるようなものじゃないといけない。飴でもチョコレートでもいい。山ノボラーはコンデンスミルクを持って行って吸ったりする。NASAの宇宙食があればいいかもね。「だいたい防災の日だからってこんなもの昼飯に出すのはなめてるよね」Uさんの感想である。まあ、なめてるかどうかは別として、カンパンは時代錯誤としか思えない。

なんだなんだ、また寝てしまったぞ。今度は昼食後で、今、目が覚めて14:30だから、2時間も寝ていたことになる。睡眠障害はよくなってきて、夜は眠れているつもりなのに、しかも昨日まで昼間に寝るってことはなかったのに、なんでだ?毎週土日は13:30から15:00までカラオケなのに、もうすぐ終わるじゃないか。いそいでホールへ行ってみた。Uさんが「五番街のマリー」を歌っていた。これってアイルランド民謡の「ロッホ・ローモンド」に似てると思うのは私だけ?すでに予約が何曲も入っていて、もう歌うのは無理そうだ。今日はあきらめよう。でも、昼寝は気持ちよかった。今夜眠れなかったらどうしよう。

15:00になった。シャワーを浴びさせてもらう。やはりちゃんと体を洗うと気持ちいい。石鹸を泡立てて、あまりこすらずになでるようにタオルで体を洗う。ごしごしやるのはいけない。黄色ブドウ球菌さえ除去できればいいのだ。シャワーでしっかりと石鹸を洗い流し、手で体中の水気をできるだけ払い落として出る。タオルでやってはいけない。タオルに残った石鹸がつくと、それがまた刺激になるからだ。そしてバスタオルもごしごし体を拭くのでなく、ポンポンと叩くようにして拭いていく。これで乾きやすいように、あらかじめ手で体中の水気を払い落としておくのだ。扇風機もあるので、扇風機の風も使って体を乾かす。とにかく肌を刺激してはいけない。

シャワーから出たら、朝と同じように薬を塗っていく。レベル5のステロイドを使うところはもう数ヶ所しか残ってない。もともとここは清潔で環境はいいのだ。ストレスで一時的にひどくなったアトピーも、薬で正しく対処し、毎日シャワーを浴びればすぐに症状は治まるだろう。

夕方、ヴォーカルアンサンブルグループの仲間であるN氏が、奥さんと一緒に面会に来てくれた。彼は先日も海に行った帰りに寄ってくれたので、2回目の訪問である。私が就職してすぐに入った合唱団時代から、男声合唱団とかけもちしていた時代も含め、一緒に今のグループを立ち上げ、ずっと一緒に歌っている。「継続して一緒に歌っている仲間」の中では一番つきあいの長い人で、私よりも7つ年上だが、とても気さくないい人だ。

奥さんもとても優しくていい人で、彼女とも同じ合唱団の頃からのつきあいだ。二人は団内結婚だが、合唱団での団内結婚率はけっこう高かったりする。それはどこへ行っても聞く話だ。私が今までに出席した結婚披露宴は20回くらいだと思うが、おそらくその半分以上が合唱団関係で、そのほとんどが団内結婚だったと思う。そういや最近は結婚式に出ていない。ピークを過ぎたか。一番多いときで、一年に6回出席した。

二人はいろんなものを持ってきてくれた。「何か持ってきてほしいものはありますか?」というメールに対して「昼間に横になって休むときにまぶしいからアイマスクをお願いします」とお願いしていたのだが、アイマスクだけでなく、他にもいろいろ持ってきてくれた。

「アイマスクもいっぱいあったんだよ」奥さんは言う。なんでも、「旅行用品コーナー」と、「癒し系グッズコーナー」の2ヶ所にあったという。私は旅行用などの普通のアイマスクを想像していた、というかそういうのしか知らなかったのだが、今は「癒し系」として、冷蔵庫で冷やして眼をすっきり、とか逆にあっためたり、とかいろいろあるらしい。彼らが買ってきてくれたのは、一見普通の黒いアイマスクで、そのままヘッドホンをつけられて無人島にでも連れて行かれそうな感じだが、「備長炭入り」の癒し系アイマスクらしい。

その他には、家でいれたコーヒーを魔法瓶に入れて持ってきてくれてごちそうしてくれたり、有名なコーヒー店のおいしいインスタントコーヒーを持ってきてくれたり、コーヒー屋で売っているおいしいミルクをビンにつめてきてくれたり、それから「カモミール・アニス・ティー」というハーブティー、肌に優しい洗顔用のソープ、「癒し系」のCDを4枚、3枚は「宋次郎」のオカリナのCDで、1枚はハープのCD。これだけでも充分ありがたいのに、さらにさらに、大きな「抱き枕」を持ってきてれた。なんだか抱きつくととても気持ちよさそうな不思議な形をしている。が、ここでは寝具は病院指定のもの以外は原則使用禁止である。「どうしても」という理由があるときだけ、医者に許可をもらえれば使える。小さなものならこっそり使っても目立たずにすむが、さすがに大きいので看護婦さんに相談したところ、やはり「せっかく持ってきていただいたのですが、原則的に使用は認められていないので…」と言われて、残念ながら持ち帰ってもらった。退院したときのお楽しみにしよう。

しばらくお喋りを楽しんだり、私が買った新しいポータブルCDプレーヤーを見せて「へ~小さい」「かっこいい」「化粧品のコンパクトみたい」「うん、コンパクトディスクだから」なんてやっているうちに夕食の時間になったので、彼らは病棟をあとにした。「また来るね」奥さんはそう言ってくれた。私は友人には本当に恵まれている。強くそう感じた。

彼らが持ってきてくれたコーヒーをさっそくいれてみる。私は今までインスタントコーヒーはスプーン1杯くらいだけの量で飲んでいたが、2杯とか3杯とか濃くいれた方がおいしいよ、と言われたので、そうしてみる。うん、その辺のインスタントと違って、香りがとてもいい。ブラックでもいける。少しブラックで飲んだあと、持ってきてくれたミルクを入れて飲んでみる。とてもおいしい。これなら砂糖はいらない。明日から「お目覚めのコーヒー」が楽しみだ。

昼間、知り合いの医者に送ったメールの返事が来ている。どうもその医者と、私に本を送った家族の間でコミュニケーションが取れてなかったようで、知り合いの医者は、私も含めて自分の患者に薦めるために、10冊注文してくれ、と頼んだのを、その家族の人が勝手に私に送ってしまったらしい。私に送るかどうかは、まだ迷っていたようだ。とりあえずその医者自身は宗教を押しつけるわけでなく、「人間には、まだ未知のすばらしい力が宿っているに違いない。それを引き出す方法を模索している」と自分の考えを説明してくれた。この本はその手がかりになるかもしれなく、落ち込んだ患者さんには「神様の部分は除外して」心の持ちようなどを説明している、とのことだ。その考え方には賛同したので、とりあえず読むだけ読んでみようか、という気持ちになった。

20:00になった。いつもの通り服薬、就寝準備。今日もえらく長く書いてしまった。こんなにいろいろ書いて、明日はもう書くことはないだろう、と毎日思うのに、これだけ書くことが出てくるのは我ながら不思議だ。誰が読んでくれているか自分では把握できないが、いい加減長くて飽きられそうな気がする。

さて、今夜は今日もらったハーブティーをいれて眠りにつくことにしよう。