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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年9月23日

昨日は結局20:30に寝て、ほどなく眠りに入ったが、ぐっすり眠って目が覚めた、と思って時計を見ると2:00。なんなんだ。その後もう一度寝ると4:00に起きた。その後は眠気はあるにも関わらず、あまり寝られなかったので4:45に起きてホールに出てきた。朝はかなり冷え込む。スウェットの上にさらにトレーナーを着込む。これが冬になると、寒くて出て来れなくなるんだろうな。

喫煙所で話をしていると、教育の話題になった。Tさんは50歳くらいの女性だが、「自分は歌が下手だ」と思いこんでいるらしい。それは、小学生の時に校内で合唱コンクールがあって、そのときに先生から「あなたは下手だから歌わないでください」と言われたのがトラウマとなり、それをずっとひきずっているかららしい。「信じられない教師だな」私がそう言うと、30代の主婦のIさんが、「友達の子供の話だけど、幼稚園でピアニカの発表会があって、下手な子のピアニカにはセロテープを貼って音が出ないようにするそうよ」と言う。昔も今も変わっちゃいない。結局「先生」どうしの見栄の張り合いではないか。それが教育だとでも思っているのだろうか。そんな連中を「先生」と呼ぶ資格はない。むろん教師がみんなそういう人だとは思わないが、そういう教師は今でもいるようだ。それは「学校」あるいは「幼稚園」という、職場自体が閉鎖的な環境であることに起因しているかもしれない。そういう「先生」にあたった生徒は不運としか言いようがない。

朝食後、少し休んでから海の見える丘でオカリナを吹く。エントリーする旨を昨日メールで伝えた1月の演奏会で演奏する曲目それぞれのタイムを計ってみた。10分ぎりぎりってとこか。入退場と拍手などを考えると、もう少し縮めた方がよいかもしれない。今日はちょっとゆっくりめに吹いたので、もうこころもちテンポアップするとちょうどだろう。

病棟に戻り、「道は開ける」を読み進める。「悩みを完全に克服する方法」の章を今読み終えたところだが、結局根底にあるのは「神に祈る」ことらしい。たくさんの実例、それも実業界やスポーツ界などで活躍した有名人の例をたくさんあげて、彼らはみんな「神に祈る」ことを忘れなかった、そう書いてある。アメリカ人が書いた本で、実例もアメリカ人ばかりなので、出てくるのはキリスト教であるが、別にここに書いてある神がキリスト教に基づくものと限るわけではないらしい。重要なのは、「神」よりも「祈る」ことのようだ。最後の方に「祈りは神を信じる信じないは別として、あらゆる人々が共有する非常に根元的な三つの心理的欲求を満たしてくれるのである。」と書いてあり、さらにその三つの欲求の説明の3番目に「自然の神秘な力が私たちを支配しているかぎり、それを神と呼ぼうと、アラーと呼ぼうと、はたまた霊魂と呼ぼうと、その定義にこだわる必要はない」と書いてある。その考え方には諸手を挙げて賛同である。「自然な神秘な力」とは、私は「人間に内在する未知なる潜在的パワー」だと思っているし、神なんて何でもいいのである。

続いて「批判を気にしない方法」の章を読み終える。最後の節「私の犯した愚かな行為」は私に大きな衝撃をもたらした。自分が過ちを犯したとき、「自分の愚行」を記録していき、それに対する批判を書くのだ。そして、ときどきその記録を読み直して自己管理に役立てるのだという。去年読んだはずなのに、すっかり忘れていた。よし、自分もその記録をさっそく作ろう。

一服しにホールへ出ていくと、二人のおばさん、というかおばあさんが卓球をやっている。卓球と言うより「ピンポン」だが。そこにCちゃんが無言で加わった。Cちゃんとは、前にも書いたが、いつも暗い顔をして「たばこください」とか「お菓子ください」としか言わない、動作がとても遅い女性だ。が、最近Cちゃんに変化が見られる。体育館レクにも参加するようになってきたし、実は運動神経がいいことがわかった。スポーツをやっているときは、動作が素早いのである。卓球をやっていても、普段は見せない動きを見せる。しかも顔は笑っている。普段は彼女のこんな表情を見たことはない。「運動療法」は彼女にとって効果的なようだ。もっとスポーツに参加させれば、彼女も明るくなるかもしれない。看護婦や医者はそれに気づいてるいるだろうか?もちろん気づいているだろう。体育館レクに出てくるようになったのも、医者や看護婦の勧めかもしれない。いい傾向だ。

昼前から今度はセキュリティ関連の記事を再び読み出す。あまり神経を使いすぎないように気をつけて、休み休み読もう。昼過ぎからカラオケが始まっているが、私は風邪気味で喉も痛いため、パスする。イソジンでうがいし、お茶を飲む。お茶って殺菌作用があるんだっけ?でもタバコ吸ったらよくないかな?そう思いつつ吸ってしまう。

16:00を過ぎてからリラックス体操をいつもより入念にやり、最後の自律訓練法も入念にやった。自分を催眠状態に導いてから、「目覚めよ内なる潜在的パワー」とか「風邪はひいてない。風邪は治っている」「うつ病なんかではない。うつ病は治っている」などの暗示をかけてみた。その後、いつものように5つ数えて起きあがる、という覚醒暗示を与えてから5つ数えたが、催眠状態から覚めなかった。結局10ちょっと数えたところで浮き上がってきた。やれやれ、やばいところだった。催眠状態を無理矢理とくと自律神経のバランスが崩れて危ないのだ。

夕食後は久々にCDをじっくり聴く。最近本を読んでばかりで、音楽を「聴いて」楽しむ、ということもなかったのだが、好きな音楽をじっくり聴くのもいい。本ばかり読んでいたときは、ちょっと生活全体のバランスを崩していたようだ。

CDを聞き終えてから、ホールに出る。卓球をしているが、今日は風邪気味なので自粛する。久々に20:00の服薬時間まで長時間お喋りした。そう、他の人とこうやってコミュニケーションを取るのも大事なのに、それも最近忘れていたようだ。自分の山の話をしたり、中年のおばさんから、旦那さんの仕事の関係でアメリカに住んでいたときに車でキャンプしてまわった話を聞いたりしておもしろかった。アメリカのナショナル・パークやステート・パークにはキャンプ場があり、ものすごく整備されていてきれいだし、みんなマナーをきっちり守るらしい。日本のにわかアウトドア野郎とは大違いだ。それはそうと、風邪薬をも飲んでるし暖かい格好もしてるし、イソジンでうがいもしているのに、また熱っぽくなってきて、喉が痛くなってきた。明日はこの病院の近くの公園で友達と遊ぶ約束をしてるのに、大丈夫かいな?とりあえず最善をつくそう。今日のこの後は、洗面してから就寝時間まで「道は開ける」でも読み進めるとするか。