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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年9月3日

睡眠障害がまた復活してきている。波の下降線に入ったか。

昨日は21:00消灯後、22:40に早くも目が覚め、それから2、3度中途覚醒を繰り返した後、1:00に目が覚めたときに追加眠剤をもらって飲んだ。その後、2:50に目が覚めた。追加眠剤が2時間もたない。3:00ぎりぎりだが2回目の追加眠剤をもらって飲んだ。が、全く効かない。アイマスクをつけ、癒し系の音楽をかけ、心地よい眠りにつきたい…のに、全く眠気が襲ってこない。おじけづいたか、眠気よ、堂々とかかってこんか~。1時間たっても一向に眠くならないので、仕方がなく起きてホールに出てきた。結局4時前だ。いつもの時間になってしまった。喫煙所にはKさんとHさんがいたが、すぐに戻ってしまった。今は私は独りぼっちだ。誰もいない喫煙所でこれを書いている。

2:50に目が覚めたときのことである。枕元に置いてあった時計を落っことしてしまった。あ、しまったな、と思ってとりあえずその辺を手探りで探すが、ちょっと見つからない。Tちゃんに持ってきてもらったお気に入りの時計なのに。そのときは、まあ明日の朝探せばいいか、と思って2回目の追加眠剤をもらいにいった。

だが、眠剤をもらっても眠れない状態が続いた。すると、今度はその時計が無性に気になってきた。暗いながらも廊下の薄明かりはついている。ベッドの下をのぞき込む。それらしき物体は見あたらない。ベッドの横をのぞき込む。やはり見あたらない。小さいとは言え、そんなにころころ転がるものでもなし、どこへ消えたんだ。ああ、こんなときヘッデンがあれば、なんて思いつつ不思議に思う。それが気になって気になってしかたがなかったのも、その後よけい眠れなかった原因かもしれない。なんでそういうことが、気になってしかたがないのか。明日明るくなってからゆっくり探せばいいのに、ということは頭ではわかっているのに。そういう性分なのだ。とにかく今は時計のことは忘れよう。それよりも、また睡眠不足で、今日一日を乗り切れるか心配だ。いや、心配してはいけない。乗り切るのだ。そう信じて行動するのだ。

昨日、少し元気がないながらも無事外泊から戻ってきたMちゃんが喫煙所にきた。自分のバッグをごそごそやってる。「携帯がない」隠し持っている携帯が見つからないそうだ。「ここへ戻ってきてから使った?」「うん」「どこで?」「部屋の中で、メールした」「いつもそのバッグに入れてるの?」「うん」「そのバッグは戻ってから部屋の外へ出した?」「うん」「部屋の外で携帯は出した?」「出してない」彼女は相当あせっているようだ。「昨日ベッドでメールしたけど、その後いつの間にか寝ちゃったかも」「じゃあ、枕元にでもあるんじゃない?」彼女は部屋へ見に行き、またホールへ戻ってきた「あったよ」よかった。やばいところである。看護婦に見つかれば速攻で没収だ。ま、彼女はハンカチにくるんでカモフラージュしているそうだが。私なんかはこのハンドヘルドPCを看護婦に見られても、「電子手帳」としてこいつの使用は許可をもらってるので、「日記書いてます、あ、覗かないでね」と言いつつ堂々とメールを書いている。P-in Comp@ctがPHSだと看護婦はわからない。

突然Mちゃんが私に言う。「はさみ持ってない?」「何に使うの?」「切りたい」「ダメ!」「かみそりは?」「ないない」「なにか切れるものない?」「切っちゃだめだよ」やばい、相当不安定になっている。「煙草の火って熱いかな」そう言って煙草を自分の手に押しつけようとする。「だめだよ」彼女の手をつかみ、煙草を取り上げる。「看護婦さん呼んでくるよ」「だめ、呼ばないで」「我慢できないの?」そう言う私に彼女は繰り返す「はさみ貸してよ」

そこへTさんが来た。Mちゃんはまた言う。「Tさん、はさみ持ってる?」「持ってるよ」「貸して」「何に使うの?」「切りたいの」「じゃあ貸さない」「お願い」「死にたいの?」「今はそうじゃない」「自分をいじめたいんでしょ。自分の血を見ると安心するんでしょ」「うん」「そういうことはやめなよ。あたしも昔さんざんやったけどさ、跡が残って醜いよ。私はすっかり綺麗にしたけどね」どうやらTさんも元リストカッターらしい。そして、それを克服したらしい。「どうしても切りたい」そういうMちゃんを諭す。「じゃあ、どうしてもってならね」そう言って煙草の火を軽く彼女の腕に触れさせる。「それはやめた方が」私が言うと、「あんたは黙ってな!」Tさんは言う。この場はリストカットを克服した彼女に任せよう。「あんたは看護婦見張ってな」はいはい。「熱い」「熱いでしょ」少しの間そうやってると「火、消えたよ」彼女はTさんの胸で泣き出した。Tさんが何か部屋に取りに行く間、「この子見てて」と言う。私は彼女の小さな両手を手首からしっかりと握っていた。手錠をはめるように。

落ち着いたかな、と思ったら、「ナイフはないの?」「ない」「包丁は?」「そんなものないよ」やばい、まだ収まってない。すると、またTさんが「これで安心しな」と言ってまた煙草の火を触れさせる。そこへOさんが来た。「何やってるの!?」「しっ、黙ってて」「そんなことやらせちゃだめだよ」「黙ってなって」「ばかなことしちゃだめだよ、自分を傷つけちゃいけないよ。化膿しちゃうから、消毒してもらいな。看護婦さん呼んでくるから」Tさんが小さな声でどなりつける。「呼ぶんじゃないよ!」その後MちゃんはTさんの手を握ってまた泣いた。その間にお湯が沸いたので私はコーヒーをいれた。今朝のコーヒーは苦かった。

いつの間にかみんな起き出してきて喫煙所に集まってきている。今はMちゃんはKさんの手を握って泣いている。そして彼女に付き添われて部屋に戻っていった。彼女が戻っていった後、みんなで話した。「ああいうとき、どうすればいいのかね」「やっぱり看護婦さんに言うべきなのかな」「難しいところだね」下手に情が移ってしまっているため、みんな「看護婦は呼ばないで」と言われると、呼ぶことができない。心を鬼にして呼んだ方がいいのか、元リストカッターのTさんに任せておいてよかったのか。さっきは切るものがなく、外にも出られない時間だったが、外に出られる時間だったら、木の枝でもなんでも手首は切れる。看護婦に言うと、彼女は閉鎖病棟行きだろう。彼女はそれを恐れている。周りの我々はどうすればいいのか。「他の患者には関わらないで。巻き込まれると困るから」以前看護婦が言った言葉が脳裏によみがえる。これが「巻き込まれる」ということなのか。

今朝の散歩は5人。4人はテニスボールでキャッチボールをしている。私は一人でオカリナを吹く。貸してもらった宋次郎のオカリナのCDを聴くと、タンギングがとても柔らかい。私もまねしてみた。やってみると、今までよりもフレーズが柔らかく、優しくなったような気がする。シーソーでバランスの練習をしようかと思ったが、寝不足で頭が半分寝ているような状態だったのでやめた。みんなより先に帰ってきて、作業療法の時間まで寝ることにする。

今日は大事件があった。ヘッドギア3人衆の1人、A爺さんが退院するというのである。みんな彼が何年間入院しているか知らないが、20年とも30年とも言われている。なんの病気で入院していたのかわからないが、治療が終わったからなのか、家庭の事情なのか。彼は一言も喋らない人なので、みんな本人には何も聞かない。ただただ噂話が飛び交うばかりである。

今日は月曜日なので作業棟へエアロバイクを漕ぎに行く。金曜日は皮膚科に通院したため、火曜日以来だ。一週間でそんなに変わるとは思えないし、昨晩はあまり眠れなかったので体調が悪いだろう、と思って「体力テスト」を行ったら、案の定先週より少し低い数値が出ている。とは言え、そんなに変わりはない。評価値やVO2maxはむしろ増えている。いつも思うが、この最大酸素摂取量VO2maxはどうやって測定しているのだろうか。評価値が高くなっているのに、トレーニングの設定値が低く出てるのは、VO2maxが増えているからだろうか。

少し休んでから、あまり今日は頑張らずにやろう。20分1セットだけにしておこう、そう思い、再びエアロバイクにまたがる。が、その代わり今回は年齢を先週よりもさらに低めに設定した。どうも、私の年齢での最適な心拍数では自分自身、負荷をぜんぜん感じないのである。思い切り年齢を低く設定すると、負荷を感じるだろう、そう思ってセットした。うん、先週よりも負荷が上がっていく。が、まだまだ自分では大丈夫なような気がする。20分漕いだ結果、消費カロリーは117.7kcal。まあまあかな。でも、まだまだかな。まあ、あせらずに行こう。S君とMちゃんがテトリスをやっているのを見ながら少し休憩する。これで終わろうかと思ったが、まだ余裕がありそうなので、もう10分だけ1セット漕いだ。Mちゃんはだいぶ落ち着いたようだ。

ところでこのS君、作業棟に来ては、いつもぶらぶらして他の人が何かやっているのをちょこちょこ覗いたり、ゲームをしたり、漫画を読んでいるだけである。これも「作業療法」なのだろうか。看護士のNさんがいたので、「彼っていつもぶらぶらしてますね」と聞いてみたら「う~ん、折り紙でもなんでもいいから、自分を表現したり創作活動したり、そういうのをやるといいんだけどねぇ」そう言う。私の目には、彼には目的意識がないように映る。病気で入院しているのに、「治そう」という気があるように見えない。とりあえずその日をごまかせればいいように見える。入院費がかかるが親の世話にはなりたくないので生活保護を受けたい。そう言うが、親の世話になりたくないならさっさと病気を治して働こう、という考えはないのだろうか。ここにいれば楽ちんだ。彼はここに定住するつもりなのだろうか。「生活保護を受けたい」というのは、とても甘えた考えだと私には思える。

私は違う。この入院が最後のチャンスだと思っている。ここで絶対に病気を治して社会復帰してやる。そのためには、今はあせらないことだ。そう自分に言い聞かせている。人生は長い。長期戦を覚悟しつつ、自分を高める努力は怠らないつもりだ。今はちょっと人混みに出ただけで強烈なストレスを感じたり、相変わらずの睡眠障害に悩まされているが、絶対に治してみせる。ただ治すだけでなく、二度とうつ病なんかにかからないように、自分自身の性格、ものの考え方まで変えてみせる。そう思っている。新しく買ってきたコップに貼った、テプラで作ったネームプレートの隅が少しだけ折れてしまった。このコップを見るたびにその隅がものすごく気になる。これが気にならなくなったとき、自分は少し変わっているだろうか。

昼食時に看護学校の実習生が6人紹介された。これから3週間ここで実習するらしい。なんでも、マンツーマンで患者につくとか。私には幸か不幸かつかなかった。彼女たちは実習でどんなことをやるのだろうか。もちろん、精神科以外の病棟の看護婦と同じような、採血や入浴介助などもするだろうが、入浴介助ならぜひ私にも…、違う違う、えーとそんな話ではなくて、前にも書いたが、ここの看護婦の大きな仕事は「患者の様子を観察する」ことである。彼女たちはマンツーマンで、自分の受け持ち患者を四六時中観察するのだろうか。

例の「宗教関係」の本をもう少し読み進める。おうおう、出てきた神が神が。神様のオンパレードだ。単純な人は、これを読むだけで洗脳されてしまうのかな。私は、ここに書かれていることは全面的に否定しない。ここには「よりよく生きるため」の、ものの考え方などが書かれており、それは確かに悩みを抱えている人にとって解決策の一つかもしれない。だが、私はその考え方を人に説明するのに「神」という概念をあえて規定する必然性を感じない。「こういうときは、こういう風にものごとを考える心の癖をつけましょう」とか「プラス思考でいきましょう」とか、そういう表現で済まないのか?「神」という唯一絶対的な概念をでっちあげるから、「アンチ神」とでもいうか、それを否定する概念も同時に生まれ、それが私の嫌悪する「宗教の排他性」につながるのだと思うのだが。ま、この本には概念的には役に立つことも書いてるので、神はおいといて、自分に都合のよさそうなものの考え方だけ盗むことにしよう。そう言えば、どこかの大学のトイレの中にこんな言葉が書いてあったそうだ。「カミに見放された者は、自らの手でウンを掴め」

時間があるので、リラックス体操を念入りにやってみた。「リラックス体操は、やればやるほど瞑想状態に近くなってきます」と書いているが、まだまだその域に達しない。私の場合は「迷走状態」だ。意識を体の一部分に集中させることによって、頭を空っぽにし、トランス状態に陥るのだろう。どうしても私はやりながらいろいろと考え事をしてしまう。禅で言うところの「無我の境地」も同じことか。体操の最後は「自律訓練法」で締める。これは長年やり慣れているので、労せずして自分を催眠状態に導くことができる。ヨガではできないトランス状態に、自律訓練法なら労せず入れるのは、心の中で言葉で自己暗示をかけていくからであろう。体中が重たく熱く、ベッドの上で石のように沈み込むような感覚をしばらく味わった後、覚醒暗示をかけていく。「5つ数えるうちにゆっくり体が目覚めてきます。ひと~つ、ふた~つ…」体が軽くなり、覚醒していくのがわかる。少しずつ体を動かしていく。

「自律訓練法」は自己催眠の一種である。私は自分がうつ病だと知ったとき、うつ病に関する本を読みまくり、自分が「うつ病になりやすい典型的な性格」だということを知った。そして、なんとか自分の性格を変えてみようと、またいろいろな本を読んだ。そして着目したのが、私の嫌う「宗教」が使う「マインドコントロール」である。「あれだけ大勢の人を洗脳できるんだから、マインドコントロールを行う有効なメソッドがあるに違いない。それを自分自身に対して行うと、なりたい自分になれるのでは」そう思って本を読んだりネットで調べまくった結果、「マインドコントロール=集団催眠」なので、催眠術を覚え、自己催眠をかければいいのでは、という結論に至った。それまでは催眠術なんて半信半疑だったのだが、とりあえず調べてみようと思い、催眠術の本を買って読んだ。

催眠術の原理はこうだ。人間の脳は、動物としての本能的な欲求や生理的な機能を司る「大脳辺縁系」と、高等動物としての知能を司る「大脳新皮質」に分かれる。そして、「大脳辺縁系」が無意識を、「大脳新皮質」が意識を司る。人間は覚醒状態から睡眠状態に至る過程で、「大脳新皮質」が睡眠状態になり「大脳辺縁系」だけが覚醒している状態に導くことができる。これが「催眠状態」である。人を催眠状態にして、その状態で何か話しかけて返事を求めたり、あるいは手を動かせ、犬になれ、などの命令をすると、無意識の状態でそれを行う。テレビの催眠術ショー的なものでよくやるのがこれである。

催眠状態で人に暗示をかけることによって、その暗示は無意識のレベルに刷り込まれる。そして、覚醒したときもその暗示は無意識の領域に残っている。これを自分で自分にかけるのが「自己催眠」で、実際に「自律訓練法」では、私は自己催眠をかけることができるようになっている。覚醒暗示によって、一度弛緩した体が再び覚醒してくるのも実感できる。

自律訓練法は比較的簡単なので、繰り返しやるとすぐ習得できるが、自分の性格を変えるとなると、そう簡単にはいかない。「他人に催眠術をかけることができないと、自分にかけることもできない」本にはそう書いてあった。そうだ、じゃあ自分じゃなくて他の人にかけてもらえばいいんだ。そう思って、そういうことをやってくれる人はいないか、これまた調べた。結果、たどり着いたのは「催眠療法」であった。実際に術者が依頼人に催眠術をかけ、暗示を与えるという、という療法があるという。で、その「催眠療法」をやってくれるところを探して話を聞きに行ってみた。が、70万円というべらぼうな金額を見て「こいつはインチキだ」そう思って私はそそくさとそこを後にした。

看護実習生はマンツーマンで患者につくが、実習生がつく患者は、どうやら「手がかかる」タイプばかりのようだ。一人では何もできないおばあさん、ほとんどしゃべらない無表情な青年、閉鎖病棟から移ってきたばかりのNさんなど。朝、日記に書いたS君も含まれている。S君は「一緒に散歩行こうかな」と嬉しそうだが、自分自身「手がかかる」患者であることに気がついていない。

外出から戻ってきたPC初心者のYさんが質問してきた。「やっとパソコンと電話線つないだんだけど、これからインターネットってどうやんの?」「プロバイダーとは契約しました?」「いやまだ」「じゃあ、どっかと契約しないとダメですよ」「どこがいいの?」そこへKさんが割り込む「この間ケーブルテレビがあるって言ってたじゃないですか。そこがいいですよ」そうだ、Yさんはプロバイダサービスもやっているケーブルテレビのエリアに住んでいる。それならそこと契約するのが早い。常時接続だし、通信速度も速いし。でも、ケーブルテレビの場合、電話線接続ではなくてLANカードが必要だ。かわいそうに、電話線の接続は無駄だった上に、もう一つ勉強しないといけないことが彼には増えてしまった。

夕食後、看護婦さんが病室に来て「みなさんお変わりありませんか?」と一人一人の状態を聞いてくる。すると、同室のRさんがベッドの上に正座し、こう言った。
「僕は精神的にも肉体的にも汚れた人間なんです。どうしたらいいんでしょうか」
なんだなんだ、普段は野球が好きな、普通の人だったのに、いったいどうしたって言うんだ?

その後も、喫煙所でみんなで話をしているところにRさんはやって来て「今の日本、いや世界がこんなに悪いのは僕のせいなんです。僕がいるからです。僕を磔獄門にしてください」おいおい、穏やかじゃないぞ。いったいどうしたんだろう。そう言えば彼は応援している高校野球のチームが負けたときも、ものすごく落ち込んで、少しおかしくなっていた。毎日ナイター中継を楽しみにしている野球好きの彼だ。何かショックなことがあったのかもしれないのと、月曜で野球がないのが重なって、少し精神的に参ってしまったんだろうか。みんな「そんなことないよ、Rさんいい人だよ」「Rさんどこも悪くないじゃない」そう言うが、Tさんだけが「おう、やってやるよ、磔獄門でもなんでも。今日みんなで針持ってくるから、みんなで刺してやるよ」するとRさんは「いや、本当は磔獄門は嫌なんですけど…」Tさんは慰めたり、逆に威嚇したりして、相手を自分のペースに巻き込むのがうまい。今日もそれでおさまったが、それにしても突然彼はいったいどうしてしまったのだろう。Tさんはつけ加える。「嫌だったらウルトラマンになりなさい!そして地球を救いなさい!」思わず吹き出してしまった。それにしても、今日はいろんな人がいろんなことを起こす日だ。

ところで、気の早い人はいるもので、服薬の時間は決まっているのだが、その数分前から並んで待っている人がいつも何人かいる。そんなに早く薬がほしいのかな。それはいいとして、今日閉鎖病棟から移ってきた新しい患者さん、寝る前の薬は20:00なのに、30分も前から並んでいる。おいおい、気が早すぎるんでないの?何か勘違いしているのか、そういう病気なのか。10分くらいそうしていると、看護婦さんが出てきて、なにやら話していると思ったら、特別に彼にだけ早く薬を渡してあげたようだ。無言の催促だったのだろうか。

20:00になった。本当のお薬のお時間です。う~ん、今日は睡眠不足の割には調子がよかったぞ。いろんなことがあった。おかげでこの日記も最長記録を更新した。なんでこんなに書くことが次から次へと出てくるのか、不思議でたまらない。明日は短めにしよう。