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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2001年9月9日

昨日は腹痛が大変だった。腹が痛くてまともに歯を磨くこともできず、就寝前に看護婦さんに何とかならならいか相談したら、ちょうど当直の医者がいて、下痢止めをもらうことができた。おかげで昨日の日記の最後は尻切れトンボだ。

でも、睡眠はとれた。21:00就寝で、起きたら3:00だった。6時間も連続で寝ていたことになる。喫煙所に行ってみるとMちゃんがいる。戻って来たはいいが、昨日からずっと元気がない。「何かショックなことがあったの?」そう聞くとうなずく。その後はまた眠くなってきたので再び病室に戻って寝た。5:30くらいまではまた眠り、うとうとしたまどろみの状態を感じつつ、6:00の起床を知らせる放送で起きて、着替えて洗面を済ました。最近睡眠は取れているのにだるい、そういう日が多い。腹痛はまだ少し残っている。これはやはり「原家族ワーク」をやったせいか。

だるい。朝からこんなにだるい。というか少し鬱が入っている。ここへ入院してきたときのように、朝から調子が悪い。最近こういう傾向が続いている。なぜだろう。睡眠は以前よりも取れているのに。朝食後もすぐ横になり、9:00過ぎまで寝ていた。起きてきてあったかいコーヒーをいれ、喫煙所で煙草を吸いながら飲む。少しは体が目覚めてきただろうか。

MちゃんがHさんを探している。が、Hさんは外泊でもう出ていってしまった。Tさんが「何の用事なの?」と聞くと「携帯取り上げられちゃったので、借りたかった」そう、彼女はここに再入院する条件として「携帯電話は使わない」ということを約束させられた。それまで携帯を隠し持っていたことは、医師は知らなかったと思うが、親はもちろん知っていた。隠し持つことに荷担していたのだから。しかし、今後はそういう条件が提示されたため、親も荷担することはできない。こっそり携帯を渡す、ということをしてくれない。それで、Mちゃんは誰か隠し持っている人から借りたいのだろう。実は、他にも隠し持っている人は知っているが、私は言わない。再入院の条件が「携帯を使わない」ということは、「携帯を使うことが、病気の治療の妨げになる」という医師の判断なのだろうから、私がMちゃんに携帯を持っている人を教えるということは、「Mちゃんの治療の妨げになる行為に荷担する」ことになるからだ。Tさんは言う。「公衆電話からかけりゃいいじゃない」そうなのだ。公衆電話ならOKと医師は言ったらしい。なぜ携帯がだめで公衆電話がOKなのか、それは私にはわからない。

10:40頃、一人でオカリナを吹きに行く。一人で吹きたかった。もともとオカリナを吹くのは誰のためでもない、自分のため、自分を癒すためなのだから。人が聞いていると緊張する。それが自分にとってストレスになる。

グランドのベンチに座って一人でオカリナを吹いていると、S君がやってきて隣に座る。「調子悪いですか?」と尋ねる彼にうつむいて「調子、悪い」それだけ答える。「一人になりたいですか?」と聞くので「うん」と答える。「じゃあ、たばこ吸ったら行きますから」そう言って彼はたばこを吸って行ってしまった。私はその間一人うなだれていた。彼が去った後、またオカリナを吹き始めた。自分の好きな曲を自由に、そして、どんな曲でもない、自分の心にうかんだメロディーを好きなように即興で吹く。もともと私は何かの曲を吹く、というより、そのときの自分を表現するために、自分の中の何かを外へ出すために、自由にオカリナを吹くのが好きだった。最初の頃、そう、オカリナを吹き始めた頃はずっとそうしていた。

河合隼雄の「こころの処方箋」を読み始める。以前、駅前の本屋で買ってからまだ読んでなかった本だ。河合隼雄の本は、カウンセリング関係の本なら何冊か読んだが、実際に悩みを持った人向けの本は始めて読む。この本も何かの救いになってくれるだろうか。本だけに頼ってはいけないが、読むことによって開けてくる道もきっとあるだろう。

読んでいると、卓球をしている音が聞こえてくる。少し元気が出てきたのと、今なら汗をかいても3時にシャワーを浴びれるので、マイラケットを持ってホールに出ていく。S君とKさんの勝負が終わるのを待って、S君と軽く打ち合った後、試合をするが、2セットとも負けてしまった。いつもより集中力も運動能力も衰えているようだが、まあ、それはそんなものだろう。調子が悪いのはわかっているのだから。大事なのは、今自分にできることを、自分のペースでやることだ。少し汗をかいたくらいでやめておいた。無理は禁物だから。

S君とKさんの試合を見ているとき、Y看護婦が来て「あら、起きました?」さっき病室を巡回しているときに、私が寝ていると思ったらしい。別に眠っていたわけではないのだが。特に様子を聞いたりするわけではないが、ちょっと様子を見にきていただけだという。ついでなので、聞いてみた。「この病院でカウンセラーにカウンセリングをお願いすることはできるんですか?」昨日の「アダルト・チャイルドが自分と向き合う本」の中でやった「原家族ワーク」で、自分が書き出したことは必ず誰かと共有してください、そう書いてあったのだが、誰と共有すればいいかわからない。そこで、カウンセリングを受けて、カウンセラーと共有できないか相談しようと思ったのだ。看護婦によると、医者からの依頼でカウンセラーにお願いすることは可能だが、私の主治医は水曜日まで用事があって病院に来ないらしい。木曜日以降に面談をして、カウンセリングをお願いしよう。今現在患っているの「うつ病」を治すだけでなく、またそういう病気に陥らないようにするためには、自分の中で何かを変えなくてはいけない。この本はそのきっかけになるかもしれないし、そのためにはカウンセリングも有効な手段だと思うから。

会社でも、産業カウンセラーにお願いして2年くらいカウンセリングを続けていた。それで、少しは自分のことが客観的にわかり、どうすればいいかわかっていった。だが、状態はまた悪化した。会社のカウンセラーにその旨を告げて「いったいどうすればいいでしょう」と相談しても、「どうすればいいか、前も言ったでしょ」としか言わない。会社のカウンセラーとは、もういくらカウンセリングをしても煮詰まってしまっている。今度はこの病院のカウンセラーとうまくいくといいのだが。

煙草を吸おうとホールに出ていくと、I看護士に呼び止められて、「来週一週間の連絡会の司会、お願いできるかな?」と聞かれた。司会と言ってもノートに書いてあることを読むだけで、たいしたことはない。「あ、いいっすよ」そう答えてから、冗談で「でも私がやると、関西弁でやりますよ」と言ってやったら「あ、たまにはそういうのも、いいんじゃないですか」と言った。ほんとかな?明日の連絡会の直前に、そのときにいる看護婦か看護士に聞いてみて、いいと言ったら本当にやってみよう。

この日記を書いてると、S君が「カラオケやりますよ」と声をかけてきた。もう13:30か。調子があがってきたので参加する。今日はけっこう歌った。「桃色吐息」を歌ったら、えらく低音の渋い?吐息になってしまったので、キーを変えずに2番をオクターブ上げて歌ったら、「器用だね~」と言われた。まあ、だてにヴォイトレは受けてない。あ、今はほんとに受けてない。また受けたいなあ。

同室のYさんが、私がこのハンドヘルドPCでネットをやっていることを知って、KさんのHPを見たいという。Kさんは私の一つ年上の会社員で、3年ほど前に自分のHPを作ってみたものの、それから全く更新していないという。HPを作る人は、最初はおもしろがって作るがそのままほったらかしにしてしまう人が多い。HPはマメに更新しないと誰も見てくれなくなる。だから、HPを立ち上げるという場合、最初はいいのだが、その後コンテンツを随時更新していくという「マメさ」が必要である。世の中にはそういう「デッド」なHPがごろごろ転がっている。そういう私も、自分のメインのHPはそれに近い状態である。自分が管理している、内輪のHPはマメに更新しているのだが。

話がそれたが、YさんがKさんに「HPのアドレス教えて」と聞くと、Kさん自身覚えてないという。「でも、たいした内容じゃないっすよ」そういうが、Yさんが見たいというので、HPのタイトル名から私が検索して見せてあげた。「○○のホームページ」というタイトルがあって、顔写真があって、自己紹介が2行くらいあって、次のページをクリックすると、いきなり「ご意見、ご感想をお願いします」というアンケートのページに飛ぶ。それだけのHPだった。本当にたいした内容じゃなかった。ほとんどコンテンツも何もないのに、「ご意見、ご感想を」と言われても、「なんじゃこりゃ」と言うしかないだろうが。ちなみにそのHPのアクセスカウンタは、3年かかって306だった。

「こころの処方箋」を読み進める。うん、かなりいいことが書いてある。読んだからすぐに自分の問題が解決されるわけではないが、いろいろなことに対する「こころ構え」の基本的なところに関して、これからの自分のものの考え方の指針にできるだろう。繰り返し読み返したい本の一つの仲間入りだ。河合隼雄の文章はとても読みやすくて、文章の書き手としても参考になる。

昼間に卓球をやったとき、汗をかいてもそんなにかゆくならなかったので、夜も久々に卓球をする。かなり調子は戻っている。久々に思い切り卓球ができて嬉しかった。また上り調子になっていってくれるといいが。

夜は喫煙所でACの話になる。私が昨日、「原家族ワーク」をやっていて落ちてきた話をすると、アルコール依存症で入院している中年女性のKさんが、自分の経験を語ってくれた。Kさんも、その本を読んでではないが、自分の過去の棚卸しをやったときに、部屋で一人でわんわん泣いたそうだ。看護婦さんがそれを見て、誰かにひどいことでも言われたかと思ったのか「話を聞きますよ」と言ってくれ、Kさんが「実はこういう理由で涙が出てきたんです」と説明すると、「よく気づきましたね。その『気づき』が大事なのですよ」と言ったそうだ。その看護婦さんは若かったが、自分自身が「機能不全家族」で育ち、苦しい思いをしてきて、そして早くにその「気づき」を体験し、看護婦の道を目指したらしい。そういう看護婦さんばかりだといいのだが。Kさんは言う。「自分の親や環境は変えられない。変えられるのは自分だけ」そう、そうなのだ。それは私もわかっているつもりだ。一昨年に受けた「タイムマネジメント」の研修でも講師が同じことを言っていた。「変えられるのは自分だけ。他の人に対しては、せいぜい『影響を与える』ことしかできない」「私も自分自身を変えていこうと思っているんですよ」私がそう言うと「1年も2年もかかるよ。でも、1日1日の積み重ねだからね。自分に対する『気づき』を経験すると、自分自身がこれからどうしていけばいいのかがわかってくる。でも、それを実行するのは難しい。1日1日の積み重ねで、1年も2年もかかって変えていかないといけないよ」Kさんはそう答える。私も入院中にどこまで自分を変えていけるかわからないし、多分、理想的な自分というものにはなることは一生かかってもできないかもしれない。どこかで見切りをつけて、うつ病の症状が治まって普通の社会生活ができるようになったとき、その「自己変革」を1日1日、積み重ねていけるだろうか。

20:00になって、眠剤を飲む。パジャマに着替えて就寝準備。そろそろ半袖の薄手のパジャマだと肌寒い。次の木曜日は皮膚科に通院するので、そのままいったん家に戻って、いろいろ秋物を取って来ようか。それができるかどうかわからないが、この間は駅前周辺の買い物で割と平気だったので、次のステップとして「電車を乗り継いで家へ帰る」ことを日帰りでやってみようと思っている。