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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日はハーブティーを飲んだ後、N夫妻が持ってきてくれたオカリナのCDを聴きながら20:30就寝、22:30、0:30と中途覚醒。そのときはもう一度すぐ眠れたが、2:30に目が覚めたときは、目が冴えてもう眠れなかったので追加眠剤をもらい、もう一度ぐっすり眠り、4:00起床。目覚めはかなりいい。しかし、昨日のこともあり、本当に熟睡できているかはわからない。

いつものようにホールに行くと、いつものメンバー。だが今日はMちゃんがいない。Mちゃんは外泊だ。先週も外泊予定だったが「やっぱり不安定で切りそう」と言って帰ってきた。今回はちゃんと外泊している。切ってないだろうか、心配だ。家に帰ったらメールができるので、メール送ってよ、と言われてたので「大丈夫ですか?」というメールを送っておいたが、読んでくれてるだろうか。返事が来てるかどうかメールチェックしてみたが、来てるのは山岳会のML、私が出るはずだった合唱のイベントのML、あとはアニメに詳しい(オタクとはあえて書かない)後輩N君からの「タルる~との主人公は、江戸城本丸くんですね。ライバルが原子力、ヒロインが、かわいいよな(字を忘れた)ちゃん」というご指摘。あぁ、彼も読んでくれているんだ。誰が読んでくれているかわからないので、こういうメールをいただくと「あぁ、彼も読んでくれるのか」と嬉しくなる。Mちゃんからの返事はない。

Hさんがクモ膜下出血で亡くなったお父さんのことを話している。彼は30代後半だが、若くして父親を亡くした。「クモ膜下出血で、何の後遺症もなしに全快する確率って、とても低いんだよ」と言う。私の知り合いで、やはりクモ膜下出血で手術し、治った人がいるが、彼はラッキーだったのか。それとも私の知らない後遺症を何か抱えているのだろうか。頼れる人間がいないのに病気になって働けなくなってしまったHさんは、今は生活保護を受けている。今度は自衛隊の頃の話をしている。北海道での演習はきつかった、根室の演習場は日本一広くて香川県と同じ広さだ、熊が平気で出てくるので怖かった、そういう話をしている。よく言う「死んだフリ」はやっちゃだめ、と言う。生きてるかどうかちゃんと確かめに来るらしい。私も山ノボラーなので熊に関する知識は多少あるが、実際に出会ったことはなく、もし会ったときに平静を保って対処できるか心配である。まあ、本州の熊はあまり人に危害を加えない、と聞くが。北海道では山菜採りに行っただけでも熊に会うとか。こわいこわい。

5:00になった。ポットが用意されたので、お目覚めのコーヒーの準備をしよう、と思ったら、昨日のハーブティーの匂いがコップに強烈に残っている。ここの流し台には洗剤が置いてない。飲んでしまう人がいるからだ。それで、水洗いしかできなかったのだが、これでコーヒーをいれるのはちょっと…と思い、看護婦さんに「洗剤お借りできませんか?」とお願いすると、看護婦さんが洗ってくれた。かなり匂いは落ちたのが、まだ少し残っている。お願いすればコップの消毒もやってくれるらしいが、30分かかるというので、そんなに待ってられない。とりあえず今はそれでコーヒーをいれることにしたが、ハーブティー用のコップをもう一個買ってこよう。誰か外出する人がいれば100円均一のコップをお願いできるかもしれない。どちらにせよ、いま使っているコップもかなり茶しぶがついているので、一度消毒をお願いすることにしよう。

お湯が沸いたので、昨日いただいたコーヒーをいれる。うん、こくのある香りが…、ハーブの香りとブレンドされてなんとも複雑になっている。味はとてもいい。うん、うまい。うまいのだが、う~んどうも香りが…。コーヒーを飲んだ後、看護婦さんにコップの消毒をお願いした。

起床時間は6:00だが、洗面所は5:30から使える。6:00を過ぎると混むので、フライングして洗面をする。昨日いただいた洗顔フォームを試してみると、顔がいつもよりすべすべしている。肌にとても優しいようだ。少しオレンジの香りがまじっている。洗面の後は、着替えるついでにスキンケア。

そう言えば、消灯は21:00だが昨日は早くに眠剤が効いてきたので20:30に寝た。まだ電気がついていたので、持ってきてもらったアイマスクをさっそく使ってみたが、これがまた具合がよかった。普段、私は部屋を真っ暗にして寝るのだが、病院では夜中でも廊下に薄明かりがついていて、完全には暗くない。それが完全にシャットアウトされるので、寝心地がとてもよかった。それに、つけていて全く違和感がない。むしろつけていて心地よい。これが備長炭の効果か?これからは、昼寝するときでなく、夜も毎日使うことにしよう。持ってきてもらって本当によかった。私の友人は「こういうものを持ってきて」とお願いすると、まさに「それ以外にはありえない」というような、一番ほしいものを持ってきてくれる。Tちゃんが持ってきてくれた小型の置き時計もそうだ。5cm四方くらいの小さな時計で、寝るときは枕元にちょこんとおける。夜中に目が覚めたとき、首を少しそちらに向けて、文字盤の右上のボタンを押すとライトが点灯して時間を確認できる。色もデザインもよくて、この時計も私の超お気に入りグッズの仲間入りとなっている。

ラジオ体操が終わり、朝の服薬。消毒をお願いしておいたコップは見事にきれいになっている。が、なんとまだハーブの匂いが残っている。むむ、そんなにハーブってのは強烈なのか、100円ショップで買ったこの安物のプラスチックのコップが悪いのか。これからはこのコップをハーブティー用にして、普段は新しいコップを使うことにしよう。ちなみにここでは陶器のコップは使用禁止である。割った破片でリストカットされると困るのだ。

今朝、散歩に行く前に7:30のNHKで「遠くへ行きたい」が流れていたので、今日のオカリナは「遠くへ行きたい」から吹き始めた。丸太のシーソーがあって、そこの真ん中に一人で立って乗って、バランスを取ってみた。お、これはクライミングのバランスを取るいい練習になるかもしれない。そう思ってしばらく続けた。クライミングは「腕力で登るもの」と思われがちだが、基本は足と体全体のバランスだ。最終的には腕力も使うが、腕力は足の力に比べてはるかに劣るので、基本的には両足、あるいは片足でしっかりスタンスを保持し、体全体でバランスを取って、できるだけ手に負担がかからないようにする。

正体ではわりと簡単にバランスを取れるので、足を一歩横に踏み出してみたり、アウトサイドエッジを効かせたという想定で体を振ってツイスティングしてみたり、アウトサイドフラッギングやインサイドフラッギングなどのいろいろな体勢で、体全体でバランスを取る練習をしてみた。やはり正体よりだんぜん難しく、なかなかシーソーは水平に保たれてくれない。よし、これからここでバランス感覚の練習をするぞ!

今日は10:00から11:00まで、看護士のNさんと一緒にみんなでソフトボールをやった。ソフトボールも大学の時に研究室や合唱団の連中で遊びでやった時以来だ。ソフトボールと言っても試合をするわけではなく、ピッチャーとキャッチャーと、あとは適当に守って、交代で10本ずつ打っていくフリーバッティング。投げたり守ったりする方は特に衰えてないと思ったが、なぜか打つ方がさっぱりだった。最初は空振りばかりで、なかなかバットがボールに当たらない。なんかまた力んでいる。力を抜いてバットを短く持ち、ミートを心がけるようにしたら当たるようになった。でも、空振りでもいいから思いっきりバットを振り回すだけでも気持ちがいい。スカっとする。日差しはきつく、暑くて汗はかいたが、気持ちよい汗だった。風はあまりなかったが、ときたま吹き抜けていく風が心地よかった。大学の時に少しだけピッチャーをかじったことがあったので、ちょっとだけピッチャーをやらせてもらった。結構低めにコントロールするのが得意だったが、今回はできるだけ打ちやすいボールを投げた。終わった後、「守備はまあまあだったが、バッティングはさっぱりだったなあ」と思っていると、また自分がマイナス思考に陥っていることに気がついた。「これだけブランクがあったのに、守備の能力がそれほど衰えてないからいいじゃないか」そう自分に言い聞かせた。

昼食後、また寝てしまった。昨日も昼間寝てしまったが、2日続けての昼寝だ。聴いていたCDのせいだろうか。心地よい眠りを誘うオカリナのCDで、昨日のN夫妻も車で来る途中、これを聴きながら思わず二人で寝てしまいそうになったそうだ。アブナイアブナイ。起きたら14:00過ぎだったので、1時間半くらい寝ていたことになる。今回はカラオケに参加できた。でも、寝起きは声が出しづらい。

15:00にシャワーを浴びさせてもらう。自分一人特別に認めてもらってるのは申し訳ないので、体を洗い終わった後、せめてもと思い、デッキブラシで自分の使ったシャワーの周りを掃除する。きれいにする、というのは精神的に気持いいことだ。でも自分の家は今はめちゃくちゃだけど。しばらく外泊は難しそうだが、次に家に帰ったら徹底的に掃除しようっと。

夕食までちょうど時間が空いたのでリラックス体操を行う。ストレッチと違う点は以前にも書いたが、もう一つ違うのは、「何秒間続ける」ということが書いてないことだ。「暫くそのポーズを保つ」としか書いていないので、「暫く」ってどれくらいだ?とやりながら悩む。30秒なのか1分なのか、はたまた1時間なのか。多分「自分の体が納得するまで」なのかな~などと思いつつ、自分で「じゃあ自分の体が納得する状態ってどんなんだよ」とまた悩む。とりあえず、痛いのをがまんして伸ばしている部分が痺れてくる頃に、ポーズを解くことにした。

昨日送られてきた「宗教関係」の本を、ちょっとだけ読んでみた。その宗教に興味をもったからでなく、昨日書いたように、その本を薦めてくれた医者の考え方に賛同するところがあったからである。だが、読もうとするとかなりの警戒心が頭を支配する。警戒したまま、どちらかと言うと「この宗教はどんな手を使って人間を洗脳し、狂わそうとしているのか」という猜疑心を持ったまま読み始めた。

30ページほど読んでみた感想だが、私が宗教嫌いになった原因である完璧なインチキ新興宗教と比べると、まあ、書いていることはまともだな、しかし、これはこれで理想論に過ぎない、という感じである。まだ続きを読んでないので、これからこれが単なる理想論なのか、実際に自分を変える力のあるものなのかは判断できない。だが、話の中に、例え話ではあるが病人を差別する表現があったりして、やはり私にはうさんくさく思える。まあ、猜疑心をもったままもう少し読んでみるか。

ところで、私は宗教自体を否定しているわけではない。別に他人が何を信じようとかまわない。試験を受けるときに緊張して実力を発揮できない人が、「神に祈る」ことによって自らの緊張を解きほぐして平常心を取り戻した結果、試験に成功して、それを「神様のおかげ」と喜んでいるのを否定するつもりは毛頭ない。だが、私が宗教を嫌う理由は、その「排他性」にある。自分が何を信じるかは自由だが、その信仰を否定するもの、否定まではしなくても、しつこい勧誘を断った結果、お前は人間ではないだの地獄に堕ちるだの、そういうことを言うような「排他的」な面がおそろしいのである。そういう人間は、自分は良かれと思ってやっていることが、他人にとって非常に迷惑なことに気づいてない。私はそういう人間にはなりたくない。だから私は宗教に巻き込まれたくないのだ。昨日送られて来た本に同封されていた手紙の「この教えしかありませんよ、人間、人類が救われるのは」という一文に、やはりこの宗教も私が嫌悪する排他性を持っている、と感じたのだ。だから警戒する。他の宗教、宗派を否定し、その結果、宗教戦争まで起こす輩は、その「排他性」が顕著に現れたもので、それこそ私から見ると狂っているとしか思えない。なんのための宗教なのだ。他人を殺戮することが善なのか。それらは結局「自分達の宗教で世界を支配しようとするエゴ集団」ではないのか。

とか書いてるうちに20:00の就寝前の服薬の放送があった。いつもの通り眠剤飲んで寝よっと。最近、本来の目的から日記の内容がどんどん離れて行っているような気がする。


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