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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日は23時半就寝。寝つきはよかった。寝るのが遅い方が、かえって追加眠剤を飲まずに眠れるような気がする。しかし、4時半に一瞬目が覚めた。眠りが浅いのだろうか。6時半頃にも目が覚め、7時過ぎから断続的に目が覚めるようになって、7時35分に起きた。

午前中はPCに向かっていて、すこ〜ししんどいけど、最近にしてはまし、という感じ。10時半くらいに家を出て、昨日断念した皮膚科へ行った。アトピーは落ち着いているが、油断はできない。しばらく薬だけ出してもらうだけだったので、たまには症状を医者に見せないと、と思っていたのだ。

帰ってきてから昼食を食べた。その後、なんだかしんどくなってきた。どうも食事の後にしんどくなってくるような気がする。ちょっとしばらく横になっていたが、起きてヨガもどきの「リラックス体操」をやったらすっきりした。

しんどさが抜けたので、妻と一緒に妻の実家に行って、義母と話をした。実は、市営住宅に申し込んだものの、やっぱり今の場所に住み続けようかと思ったのだ。当たる確率は少ないものの、当たったら辞退もできるので、万が一当たったときは辞退すればいい。

なぜそういうことにしたかというと、先日の生活保護の説明を受けて、生活保護で保証される「最低生活費」の算出方法が、2人世帯の生活費に住宅補助として「家賃分の金額」を加える、というものだったのだ。つまり、もし生活保護を受けるような事態になったとき、家賃が高かろうが安かろうが、保証される生活費は変わらないのだ。

それならば、今の「妻の実家まで歩いて行ける距離」にいた方がいい。妻にとって実家は心のよりどころになっている。お母さんと話すことで気が楽になることもある。それが大切で、義姉も「歩いて行ける距離」に住んでいた方がいいのに、そうメールをくれた。

まあ、もし2人とも働けなくて貯金を食いつぶしたら、遅かれ早かれ生活保護のお世話になってしまう可能性は高い。今のところにいたら、その「早かれ」が早く来てしまうだろうが、妻の精神的な安定を求めると、今の「歩いて行ける距離」にいた方がいい。遅くても早くても結果が同じならば。

そう言えば今週の火曜日にハローワークへ行ったが、そのときに「精神障害者ジョブコンサルト」という人がいて、その人は週に1回ハローワークへ来て1人1時間だけどマンツーマンで精神障害者の就労相談に乗ってくれるという。なんでもっと早く言ってくれなったのかなあ。次は今週の金曜日の16時からが空いている、というので、そこに入れてもらった。と言うわけで明日はハローワークへ行ってそのコンサルタントと面談である。どういう風に私の力になってくれるのだろうか。

今日は夕方、夜と調子は悪くなかった。昨日までは夜になってもしんどかったのだが、少し回復したようだ。しかし、調子の波に一喜一憂してはいけない。長い目で自分の状態を客観的に観察して、無理はしないことが大事だ。しかしそれにしても、寒さのせいか、めちゃくちゃ肩がこっている。つらいよ〜。

昨日は0時前就寝。電話で連絡しないといけない用事があったので、久しぶりに友達に電話したら、つい長話になってしまった。それから眠れるかなあと思ったが、追加眠剤を飲まずに寝つけたようだ。朝は6時台に目を覚まして、それから何回か目が覚めたが、7時半に起床。しかし、眠いのかしんどいのか、朝食を食べてまた寝てしまった。いったん起きたが、やっぱりしんどいので寝た。結局、昼食が出来たと妻に起こされるまで寝ていた。

昼食を食べた後も、しんどいのは続いた。皮膚科に行きたかったが、しんどいからやめてまた寝た。2時間くらい寝て15時半くらいに起きた。居間では妻がエアコンをかけていた。4月と言うのに、なんなんだこの寒さは。

夜までしんどさは続き、ちょっと持ち直したかと思ったら、夕食を食べたらなんだかまただるくなってしまった。いつも楽しみにしているテレビ番組もなんだか騒々しくて観ていられない。なんでかなあ。

昨日は22時前に寝た。夜になっても体がしんどかったのが、夜中になるにつれて回復していき、寝ようとしたときには元気になっている。そこで眠剤を飲んで布団に入ったが、う〜んやっぱり眠れないやあ。23時を過ぎても寝つけないので、いったん起きて追加眠剤を飲んだ。最近は毎日追加眠剤を飲んでいる。もう寝る前に飲んでいる眠剤は効かなくなっているのか?いつものようにネットしたりしてて、0時頃に寝た。それからはぐっすり眠れたようで、朝は6時くらいから断続的に目が覚め、7時15分に起床。ちょっと早くなった。

起きたばかりの時点では「お、今日は調子いいぞ」という感じだったが、ちょっとずつしんどくなってきた。今日は失業認定日なので9時半にハローワークへ行かないといけない。家を出たのは8時半だったが、その時点ではちょっとしんどかった。でもまあ、何とか体は動いてハロワへ行った。

今日は障害者担当のコーナーに、一番頼りになるお姉様(と一応書いておこう)がいて、いろいろ話をした。がんばらくてもいいから、まじめすぎるから、とか何とか言われた。さんざん言われてきたことなのだが、うんうんと言って聞いておいた。ハロワを後にして、その足で市庁舎に足を運び、市営住宅の申込書を出してきた。相当競争率は高いので、あまり期待はできないが、そう思いつつかなり期待している。

昼食にはまだ早かったのでミスドでドーナツを買って帰った。若干しんどさは感じるが、今日はだいぶましだ。帰ってちょっとゆっくりしてからドーナツを食べた後、ちょっとだけどしんどくなってきた。なぜかご飯を食べた後にしんどくなることが多い。そして横になって2時間くらい寝てしまった。

昨日、区役所に生活保護の相談に行ったが、そのときに計算してもらった「最低生活費」をうちの家計簿と比べると、とてもこの金額では収まっていない。いかん、今と同じ生活を続けると、生活保護を受給しても生活が成り立たない。もっと支出を削らなければ。どこを削るか。けっこう節約しているつもりなのだが、やっぱ食費がかかっている。2人とも作るのがしんどくて外食することも多い。まず外食を減らし、作るのは簡単だけどお金のかからないメニューに変えてみる。目標は「食費1日千円」である。もちろん2人で千円。難しいが、それを目指して節約すれば、千円までいかなくとも、今よりも節約できるだろう。

夕方まで、割と調子は安定していたが、またちょっとしんどくなってきて横になった。ご飯ができた、と妻に言われて起きて夕食を食べたが、その後もまたしんどくなって、ずっと横になっていた。なんで夜になってもしんどいのか。夜は調子がよかったのに。それにしても今日はめちゃくちゃ寒い。なんで4月半ばになってこんなに寒いんだよ〜。

昨日は22時過ぎに寝た。しんどいながら、だらだらテレビを観ていたが、いい加減しんどいので寝た。しかし眠れない。体はしんどいのに眠れなくて、ひたすら苦痛である。23時半くらいに起きて追加眠剤を飲んだ。それからまたPCに向かったりDSでゲームをしていて、結局0時半くらいに寝た。朝は8時前にいったん目が覚めて薬だけ飲んでまた寝た。8時半くらいに再び目が覚めて、しばらく布団の中でぐずっていたが、8時50分にようやく起きた。

今日はいくらか調子がましだった。11時頃だったか、小雨の降る中妻と一緒に区役所へ行った。まだ貯金には多少の余裕があるものの、2人とも働けない状態が続けば遅かれ早かれ生活に行き詰まる。だから、生活保護の相談、というか制度としてどういうものか教えてもらいに行った。ネットであれこれ調べてみて大体の概要はわかっていたのだが、サイトによって書いていることが違ったり、詳細は各自治体の判断による、などと書いていることもあって不明点があったので、質問内容を整理して話を聞きに行ったのだ。

担当の職員は、まず私たちが2人とも障害者であることを話したせいか、とても対応がよくて、親身になって話を聞いてくれたし教えてくれた。ネットで検索すると「水際作戦」と言って、役所の担当者がなかなか親身になってくれず、突っぱねられることが多いと書いてあった。それは所得や財産を隠して不正受給しようとする人が後を絶たないから、と書いていたので、まあそれもしかたがないだろう。私たちは2人揃って障害者手帳を見せたので、親切にしてくれたようだ。

いろいろ不明な点がわかり、思ったよりも制限がきつくなかったのでよかった。ネットで検索すると、テレビも持っていてはだめ、パソコンなんてもってのほか、みたいなことが書いてあって「え〜!テレビもパソコンもないと、生活できないよう〜」と思っていたのだが、テレビは普通の生活用品なので別に持っててもかまわないし、パソコンも「パソコンだからだめ」とかいうのでなく、中古のパソコンを売ったところでたいした額にはならないのだったら、別に売る必要はない、要は資産価値があるものは財産と見なされるので、それはお金にかえて生活費に充てて下さい、ということであった。主なものは車とか貴金属とかの話であったが、うちには無縁のものである。

携帯も別に持っててかまわないし、プロバイダと契約してインターネットをするのも別に制限はされない。そういう「毎月使用量がかかるものは贅沢だから禁止」とかいう決まりとかがあるのかも、と心配していたのだが「お金をどう使うか」に関しては別に制限はなく、携帯の料金やプロバイダの料金も、やり繰りして最低生活費の中で出せるのなら、それは自由だ、ということである。

銀行に寄ってコンビニに寄って帰ってきたら、疲れてしまった。上に書いた以外にもたくさんのことを話したのだが、まあそれは書いてると長くなるのでまあいいや。昼食を食べた後、しばらく横になっていた。少し回復したと思っていったん起き、日記の続きを書いてたりしたが、またしんどくなって横になった。夕飯ができたと妻に起こされてようやく起きた。その後、テレビを観ていても体がだるい。このしんどさはいつまで続くのだろうか。

昨日は21時半に寝ようとした。しんどかったから早く横になった。でも、横になってもしんどいし、横になっても眠れない。なんでなんだ。こういう時間がすごく苦痛なのだ。じっと横になっていることが出来ない。22時過ぎに起きて追加眠剤を飲んでから、またネットをしたりして、何時だったか忘れたが布団に潜り込んだ。しかし、まだ眠れない。多分10分くらい後だったと思うが、もう一度起きてDSでゲームをやっていたらようやく眠たくなってきたので、それでやっと眠れた。0時くらいになっていたと思う。

朝は7時過ぎに一瞬目が覚めて、その時に薬だけ飲んでまた寝た。次は8時過ぎに目が覚めたがなかなか動けず、布団から出たのは8時45分だった。起きた時点ではそれほどしんどくはなかった。

しかし、だんだんしんどくなってきて、昼頃にはちょっと横になっていた。眠ってはいなかったが、寝ていても体がだるい。そしてそのだるさは一日続いた。夜になってもしんどい。以前は夜になる頃には回復していたのに。

私は開き直ることにした。開き直るというのは、生きていくための最終手段「生活保護」を視野に入れる、ということである。病気になってから、私は今まで仕事をしなくてもお金をもらっていた。休職中は会社の健保から傷病手当金、失業してからは失業給付金、そして障害年金。しかしこれらは全部「保険」である。健康保険料を払っていたから、雇用保険料を払っていたから、年金をちゃんと払っていたから、自分がこのような状態になっても受給できている。

しかし生活保護は違う。完全に税金から恵んでもらう「お情け」であり「ほどこし」である。もちろん憲法に掲げられている基本的人権の生存権を保証するための、れっきとした社会的制度であるが、いろんなプライドを捨ててきたものの、「生活保護にだけは頼りたくない」という思いがあった。

しかし、そこにまだプライドが残っていた。今の自分を、自分を取り巻く環境をありのままに受け入れる。働きたいけど働けない。働けないとお金がかせげない。月額にして6万円ちょいの障害年金で暮らしていけるわけがない。そういう人のための制度なんだから、いざとなったら堂々と利用すればいいではないか。所得を隠して不正受給したりする人が多くて問題になっているが、うちは夫婦揃って障害者なのだから。

そう思ってみたら、少し肩の荷が下りて軽くなったような気がした。今までは「失業給付金もあと2ヶ月で切れる。このまま病状がよくならなかったらどうしよう、回復しても仕事が見つからなかったらどうしよう、そして貯金がなくなったらどうしよう」と「どうしようどうしよう」が頭の中をぐるぐる回っていた。それがずっと自分に重くのしかかっていた。「いざとなったら生活保護、人生なんとかなるだろう」そう自分に言い聞かせてみたら、気が楽になった。誰かが耳元で囁いたような気がした。「ケセラセラ」と。