今日は何とか午前中に内科へ通院。午後は家でゆっくりしていた。なんとか今週は2回外に出た。少しでもいいから明日も外に出たい。
今月の頭にアップした自殺未遂の記録(補足1)では、自殺の兆候について書いたのだが、今頃になってから思い出したことがあったので、それを追記した。書いていて改めて希死念慮の恐ろしさを感じる。そしてこれからもそれを抱えて生きていかなくてはならない。それ自体が生き地獄のようだ。
現実は残酷だ。


今日は何とか午前中に内科へ通院。午後は家でゆっくりしていた。なんとか今週は2回外に出た。少しでもいいから明日も外に出たい。
今月の頭にアップした自殺未遂の記録(補足1)では、自殺の兆候について書いたのだが、今頃になってから思い出したことがあったので、それを追記した。書いていて改めて希死念慮の恐ろしさを感じる。そしてこれからもそれを抱えて生きていかなくてはならない。それ自体が生き地獄のようだ。
現実は残酷だ。
先週末からずっと調子が悪く、今週は昨日まで外に出なかった。それだけでなく、着替えることもなかった。「週3日着替える」という目標が遠のいていく。とは言え、無理はしない方針。
今日もあまり調子はよくないが、外に出られなくもない。今月は妻も私もしんどくても外食に頼らず、なんとかご飯を作ってきたので、たまにはいいだろう、と久しぶりにお外ごはん。歩くこと30分弱。いい散歩にもなった。
明日は内科の通院だ。内科はすぐ近くのクリニックなので、多少しんどくても行けるだろう。そう言えば先月の通院で血圧を下げる薬が増やされたのに、ぜんぜん家で血圧を計ってなかったよ。これからちゃんと計らなくては。
それにしても、一気に寒くなった。こういうのを「寒の戻り」と言うのだろうか、と思ったが、それで正しいのか自信がなかったので検索してみた。最近どんどん頭の中から言葉が抜け落ちていき、「この言葉って、こういう意味であってるんだっけ?」とわからなくなることが多い。そういうわけで、毎日検索してばかりである。
またまたWikipediaからの引用、というか転載だが、
寒の戻り(かんのもどり)とは、暖かくなった晩春の頃、一時的ながら異常に寒くなる現象のこと。
ん?晩春の頃?
類義語に花冷えや余寒(春寒)があるが、前者は一般に桜の花の咲く頃の寒さを示し、後者は寒が明けた立春以降の寒さを示す 。
桜はとっくに散ってしまったし、立春なんてとっくに過ぎたがな。と言うことは、やはり「寒の戻り」でいいのだろうか。
寒の戻りと関連の深い擾乱(じょうらん)に日本海低気圧がある。4月後半から5月頃にかけて吹き荒れるメイストームは日本海低気圧の通過に伴うものだが、「寒の戻り」はその後面(一般に寒冷前線の後方を示す)に控える大陸の寒気の通過によってもたらされる場合が多い。
おお、そう言えば先日風がえらく強かったときに、気象予報士が「メイストーム」て言ってたな、確か。えーと、でもまだ4月の前半なんですけど。1ヶ月前倒し?
どうやら明日は今日より暖かいみたいだが、それでも横浜には乾燥注意報と霜注意報が出ている。最高気温と最低気温の差も11℃もある。これだけ気温が上がったり下がったりすると、老いぼれた体にはこたえる。
本当に今は春なのだろうか。いや、もう「春」という季節なんてなくて、冬が終わって梅雨入りするまでは、ずっと「季節の変わり目」なのではないのだろうか。そして、猛暑のあとにも「長い季節の変わり目」があって、そのまま冬に突入しそうな予感。
私は学生時代、サークルの同期の連中から「ペース配分のわからない男」などと揶揄されていた。同期のみんなで旅行に行ったときに、はしゃぎすぎてお城の石垣を登ったりしていたのに、その次の日には疲れてぐったりし、みんなよりも早くに帰ったことがあった。「ペース配分がわからない」というのはそのときから言われるようになったのだが、今から思えば、あれは私が記憶している最も古い躁鬱エピソードだったような気がする。
自分は人生のペース配分も失敗した。就職して馬車馬のように働いて、でも病気になって仕事をリタイヤして、みんなよりも早く年金生活になり(障害年金だが)、去年はみんなよりもいち早くあの世に行ってしまうところだった。行き先は天国か地獄か中国かわからなかったが。
病気になったのも、自分ひとりで抱え込んでしまう性格などいろいろ要因はあると思うが、「ペース配分がわからない」というのはその要因の一つだと思っている。いつも調子がいい時には飛ばしすぎて、そしてその反動でがくっと調子が悪くなる。
実は妻も最近同じような傾向にある。いつもは午前中しんどくて寝ていることが多いくせに、今日は朝から張り切って買い物に行き、昼食を作ってから、またでかけるという。自分はしんどいのでついてはいかなかったのだが、「そんなに飛ばして大丈夫?」と聞くと「大丈夫だと思う」と言って、行ってしまった。
そして帰ってきてから、見事に疲れ果てて横になってしまった。最近よくあるパターンなので、行く前に「大丈夫?」と声をかけたのだが、自分の思ったとおりになってしまった。どうやら妻もペース配分がわからなくなってしまっている。
今日は「自分はしんどいから」ということを前もって言っておいたので、お手伝いをしてもらうのを当てにされても困るが、少し当てにしていたようだ。夕飯はお好み焼きを作るつもりだったらしいが、レトルトカレーになった。私はちょっとお手伝いして温野菜を作った。(キャベツを切ってレンジでチンしただけだが)
後片付けも二人でやった。今日は手抜きだが、最近は夕食を作るのも、片付けをするのも二人で、というスタイルになっている。調子がいいときはいいで楽しいし、悪い時は悪いなりに、助けあってなんとかなる。
しかしまあ、夫婦は似てくるというが、そういうところまで似なくてもいいのに。
一昨日からずっと調子が悪い。
今日は何もしてない。
何もかもめんどくさい。
風呂に入るのも歯を磨くのも薬を飲むのもお手伝いをするのも、買い物に行くのも散歩に行くのも病院に行くのも心理ワークショップに行くのも、食べるのも寝るのもトイレに行くのも生きるのも、ぜーんぶめんどくさい。
自分なんて消えてしまえ。
先月の心理ワークショップでの話。
自分なりに何か呼吸法とか体操とかやってないか尋ねられたので、以前は合唱団にいて、社会人になってから個人的にボイストレーニングにも通っていた話をした。実際に何かやってみせて、と言われたので、学生時代の合唱団で練習の頭にやっていた、体をほぐす体操をやってみたり、「背中に息を入れて保つ」と表現していた「支え」の説明をしたり、実際に声を出してみたりした。けっこうみんな食いついてきた。
何か一曲歌って、と言われたのだが、すぐに歌える歌が思いつかず、「千の風になって」を歌ってみた。自分はとても人前で歌えるレベルではないのだが、それでも感心してくれて、「声を出すとか、歌うっていいよね」という話になり、「次回はみんなで歌おうよ、何か曲を持ってきて」と言われた。
何がいいかなあ、と考えていたのだが、みんなが知っていて、歌詞だけ見れば歌える歌でないといけないので、無難な所で日本古謡の「さくら」にした。この曲なら歌いやすいし、ロングブレスを意識しやすい。
家で、
「さ~く~ら~、さ~く~ら~、や~よ~い~の~そ~らぁは~」
と歌っていると、妻が「なんだか歌詞が違うよ」と言う。へ?そんなことはない。「さくら」だぞ、武満徹の「混声合唱のための『うた』」にも入ってるんだぞ。ステージで歌ったこともあるんだぞ、とか言ったが、「でもなんか違う」と言われたので調べてみた。
なんと、「さくら」には2つの歌詞があったのだ。
以下、Wikipediaから、そのまま引用する。
歌詞は二通りあり、元のものは以下。
さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
もう1つは昭和16年に改められたもので、現在音楽の教科書等にはこちらの歌詞を掲載しているところもある。 こちらを1番、前述の元の歌詞を2番と扱っているものもある。(1941年(昭和16年)3月「うたのほん 下」)
さくら さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり
ぜんぜん知らなかった。私は前者の歌詞しか知らず、妻は後者の歌詞しか知らなかったのだ。しかも、後者のほうが新しくて、音楽の教科書にも載っているというではないか。
古くから歌い継がれてきて歌には、それなりの歴史があるということか。