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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日は、先月に行ったスピリチュアルな「心理ワークショップ」の2回目。いつもより早起きして、バスと電車に揺られて行かないといけなかったが・・・

起きれなかった(T_T)

それどころか、「多少遅れてもいい」ということになっているのに、起きた後、頑張って行く気力も体力もなかった。大きな声で書けないが、

行きたくねー!!

と思ったのだ。一昨日からむっちゃしんどい状態が続いていて、今日も起きてからしんどいのに、頑張って着替えて外に出てバスに乗って電車に乗り換えて駅から15分くらい歩いて・・・・

果てしなく遠い道のりに思えた。正直、先月のワークショップの感想が、

「なんか実感としてよくわからなかった」

だけに、そこまで頑張って行くだけのモチベーションが上がらなかった。

とは言え、月一で先生が関西から来るのだ。別に自分のためだけにわざわざ、というわけではなく、「カウンセリング東京講座」の受講生のための実習として、ボランティアで治療を行なっている。自分は友人Fのコネでそのわずかしかない枠に入れてもらっている状態。すっぽかしていいものではない。先生にも友人Fや受講生の方にも迷惑がかかる。

とりあえず友人Fに、めっちゃしんどいけどどうしよう、とメール。すぐに返事が返ってきて、午後の部がなんたらとか、いくつか選択肢があるようだったが、昨日、一昨日と同じような状態の自分は、ちょっと出て行くのは無理そうだった。

結局、Skypeのビデオチャット越しに治療を受けることになった。まあ、カウンセリングならそういう手法もある。自分の顔色や表情などもある程度見て取れる。その様子を見て、「背中が詰まっている」とか、「仙骨と喉の奥を楽に」など、先生がいくつかアドバイスをくれたのだが、その後、不思議な不思議なことに、

「これからそちらに気を送りますから」

とネット越しに気を送っていただいた。

ネット越しに、である。

「気」というものは、実に様々なところで出てくる。これに関しては、私も全否定はしない。これは先日に書いた「非科学的なことに関する自分のスタンス」どおりである。(「つらくなったら眼球を上に」参照)

「気」は目に見えないし、本当にそんなものが存在するかどうかもわからない。しかし、体から何かのパワーというかエネルギーが出ていて、特に手からそれが放出され、何らかの作用を及ぼす、ということは、まああり得るだろうとは思っている。

しかし、それをネット越しに送る、と言われると、

???

の世界である。ちょっとわけがわからなかったが、とりあえず、なすがままに5分くらい気を送っていただいた。

その後、「心臓の辺りをさすってください」と言われ、さすってみたところ、

「温かくなっていませんか?」

と言われた。フリースの上からさすっているから、その時点で当然温かい。

「温かいですが、『気』のおかげなのか、今さすったからかはわかりません」

と答えると、「まあ、それはそれでいいです」と笑っていた。

その後、向こうのPCの調子がおかしくなったのか、かなりノイズが入るようになって一旦中断し、向こう側では講義が行われているようだった。

しばらく経ってまたSkypeに着信があり、再びビデオチャットをすると、

「さっきよりも顔色がよくなっているね」

と言われた。それはそれはよかった。でも、何の因子がそうさせたのかはわからない。まあ、よくなればなんでもいいのだ。

自分にとってはその後の会話の方が実があった。

「普段から何か自分でやっていることはないですか。例えば呼吸法とか」

というようなことを聞かれたので、昔ボイストレーニングを受けていたが、それが呼吸法そのものに近い、と話した。さらに、そう言えば先月に教わった体操のうち、肩甲骨を開いたり閉じたりするのを意識する、というのがあったのだが、これに近いことをレッスンでやった記憶がある、とも話した。体の中の空間を広くイメージするためのもので、ほどよく力が抜けていると声に伸びが出る。

そういう話をすると、先生は、

「そういう自分なりの体調のコントロールのしかたを身につけるのがとても大事」

だと仰った。うむ、これに関してはむべなるかな。

正直、今朝起きた時にはあまりのしんどさに「友人Fには申し訳ないが、もうこのワークショップは今後はお断りしようかな」と思ったのだ。だが、今日ネット越しだが二度目をやってみて、やったこと全てを100%受け入れられなくても、少しでも何かしら得るものがあればそれでよし、と思った。

でも、やっぱり「気」の部分はよくわからない。

昨日の昼、妻に「そろそろ生活保護の相談に行く?」と言われた。

そうだった。先日の帰省で交通費などたくさんお金がかかることはわかっていた。妻の生命保険を解約すればまだ多少延命はできるものの、現時点ではもう貯金は待ったなし。だから、法事が終わったら生活保護の相談に区役所に行こうと言っていたのだ。

しかし、不意をつかれたように言われたその言葉に、自分は動揺した。「今?」と妻に尋ねたら、「今・・・じゃだめ?」との返事。さらに動揺した。とたんに気分がずーんと重くなり、鬱に落ちてしまった。そして、まだ疲れが抜けきってないのと、夜の眠りが浅いこともあってか、そのまま夕方くらいまで寝てしまった。

自分は、まだ覚悟ができていない。

生活保護という制度は、憲法で保証されている基本的人権を守るための、最後のセーフティーネットである。最近では不正受給やら働けるのに働かないやらの問題もあるが、本当に困っている人にとっては最後の命綱であり、自分たちが本当に困っていることは事実である。

しかし、たとえ頭でわかっているつもりだが、現実を見ることを拒否している自分がここにいる。「生活保護には頼りたくない」のが本心であるし、実際に友だちにもそう話している。しかし、みんな口をそろえて「そんな引け目を感じなくても、堂々と生活保護を受けたらいいよ」と言ってくれる。

違うのだ。引け目を感じる、というのとは違う。生活保護を実際に受給している方々には大変失礼だということを承知で敢えて書くが、自分の中には「そこまで落ちぶれたくない」というプライドがまだまだ根強く残っているのだ。

人生、何もかも理想通りに運ぶことはない。とは言え、別にそんなに高い理想を掲げていたわけではない。普通に就職して、普通に結婚して、普通に食べていけるだけのお給料をもらい、2人くらい子どもを作って明るい家庭を築いて、そんな「当たり前の日常」が自分の理想だった。自分が生活に困窮することになるなんて、ゆめゆめ思ってもいなかった。

だが、病気になってから、どんどんその理想から現実が離れていった。

「なんでこんなことに」
「本当ならこんなことには」
「本当ならこんなはずでは」

いつも心の底ではそう思っていた。

本当も何も、今実際に自分に起こっているできごと全てが本当のことなのだが、自分の中の「本当なら」は、上に書いた「平々凡々な家庭」だった。それすらも叶わないどころか、あとは生活保護に頼るしかないということが、最後の最後まで受け入れられない。それを阻んでいるのは、今となっては何の価値もないプライド。

あまりこういう書き方はしたくないが、自分は子どもの頃から優等生だった。
当たり前のように進学校に入り、当たり前のように一流大学に入り、当たり前とはいかなかったが、バブル崩壊の直後、4次面接まで突破して一流企業に入って、ばりばり仕事をしていた。独身時代、それも病気になる前は個人的にはかなりバブリーだった。あまり表には出さなかったつもりだが、エリート意識はかなり高かった。

麻痺してしまった金銭感覚を落とすのにはかなり時間がかかったが、年月をかけて刷り込まれたエリート意識は未だに自分の中に根強く残り、よけいなプライドを落としきることができない。

先日、学生時代の友人たちと久しぶりに会えて、本当に楽しかったのだが、その反面、ものすごく羨ましかった。世界中を飛び回っている優秀な医者もいれば、アメリカの科学雑誌に論文が掲載された優秀な研究者もいる。みんな働き盛りで「超忙しい」人ばかりである。彼らは彼らで大変だろう。しかし、それが私には羨ましかった。

人と比べてもしかたがない。昔の自分と比べてもしかたがない。しかたがないとわかっていても、どうしても比べてしまう自分がここにいる。そして卑下する自分がここにいる。

あるがままを受けれられる覚悟が、自分にはまだできていない。

現実は残酷だ。

大阪から帰ってきて3日しか経ってないのに、遠い昔のことのように思える。
短い時間にたくさんの人と会うことができて、とても嬉しかった。密度の濃い時間だった。

その反動か、帰ってきてたった3日で寂しくなってきた。人恋しい。でも、今週の土曜日には先月に引き続き心理ワークショップで友だちに会えるし、来週にはまた別の友だちから飲み会(飲めないけど)のお誘いを受けている。外に出るきっかけが増えたのも良いことだし、外に出ることによって、精神的にリフレッシュできて気持ちも軽くなる、という好循環が続くといいなあ。

一方、疲れはまだ取れてない。帰ってきたら1周間は寝込むだろうと思っていたが、意外に元気だった。しかし、体調は「なんとなくしんどい」という感じで、少し慢性疲労気味。睡眠も浅く、夜中に何度も目が覚めるし、夢をよく見る。

大阪の友だちと会った翌日に、友だちの一人に「昨日は来てくれてありがとう」とメールすると、

「ちゃんと来れたことが、ひとつ自信につながればいいですね」

と返事をくれた。ありがたいお言葉だった。

自分はまだまだできる。一歩一歩を積み重ねて、自信をつけていこう。大丈夫、自分には支えてくれる友だちがたくさんいるから。

二泊三日の帰省。

体調が芳しくない自分にとって、怒涛の3日間であった。

朝早くに起きて新幹線に乗り、お昼には梅田で友だちとランチ、そのまま夕方までお茶。
そこから大阪の中でも田舎の自分の地元に移動し、兄夫婦の家にお世話になって、翌日は母の三回忌の法要。小学1年生の姪に「ぽんぽこ兄ちゃんが来た~」と呼ばれ、さんざんおもちゃにされた。

ここまでは予定通りだった。と言うか、ここまでしか予定は立てていなかった。もう一泊して3日目は、まあゆっくり帰ろうか、などと漠然と考えていた。

ところが、沖縄で仕事をしている従兄弟が、偶然にも大阪に帰ってきてるという。この法事のために帰ってきたというわけでもなく、別の用事があったらしいが、ちょうどいいタイミングなので、十数年ぶりに会うことができた。一緒に母のお墓参りをしてから別れたが、これは思わぬ収穫だった。しんどくても帰郷してよかった。

そのまま兄夫婦、弟ファミリーと一緒にファミレスで食事をしたのだが・・・・、

7歳児と3歳児。

子どもは風の子元気な子

疲れた。

お店に入ってから出るまで、およそ2時間。ぬるぬるとお茶をしていたわけではなく、全部食べ終わるまでの時間である。

3日目になって、もうくたくたになっていたところ。ダメ押しのダメ押しであった。疲労困憊。

いったん兄の家に引き上げたのが15時くらい。もう一晩泊まっていけば、と兄だったか義姉だったかに言われたが、風邪をひいている妻の心配もあり、なんとか当日に帰ろうとして、夕方に出発。

新大阪より京都駅のほうが近いので、京都駅まで移動。新幹線の指定券を取ろうとしたら、さすがに三連休の最終日の夕方。タッチパネルで一番早く空席がある列車を選択して、「窓際」「通路側」「シェフのおまかせ」の選択をしたら、

「ご希望の指定券がとれませんでした」

の表示。それを繰り返すこと幾度か。もう秒単位の争いである。やっと1時間以上あとの新幹線の指定席が取れた。

そして土産屋。京都というと八つ橋が定番だが、私は必死に阿闍梨餅(あじゃりもち)を探していた。おかしいな、前はあったのに、おかしいな前はあったのに、見当たらない。店員に聞こうと思っても激混みでなかなかつかまらず、やっとつかまえて「阿闍梨餅はありますか」と尋ねたら「完売しました」の冷たい言葉。「そこをなんとか」と食い下がること小一時間(なわけない)。しかたがないから八つ橋を持って長蛇の列に。それでくたくたになり、ダメ押しのダメ押しのダメ押し。

家に帰ってきたら21時頃。かなり疲労を溜め込んだが、無事に予定も、予定外のこともこなせた。ああ、明日からしばらく寝込むなあ、と思っていたが、

朝起きたら以外に元気。

もしかして自分、やればできる子なのだろうか?

心配していた体調も何とかなり、友だちとも久しぶりに会って話ができたし、法事も無事に終わった。友だちは2週間前に緊急招集をかけたのだが、自分を含めて9人も集まってくれて、プチ同窓会状態だった。何度も何度も書いてるが、友だちは財産である。
法事もつつがなく終わり、やっと母にお線香をあげることができた。とりあえず最後まで(まだ大阪だけど)体力がもって良かった。
それにしても・・・、
7歳児と3歳児。
子どもは風の子元気な子。
疲れた。