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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日も6時半に眼が覚めたが、寒いので7時半まで布団の中に。休みの日は休むのだ。起きてから、昨日録画しておいた大韓航空機爆破事件のドキュメンタリーとエンタの神様を覧る。最初の番組は途中まで覧たのだが、時間が遅くなったので続きを録画しておいたのだ。同時に2番組録画できるのは本当にありがたい。

なんかちょっとしんどさを感じる。首と肩が凝っているし、少しだるい。朝早く起きれているし、鬱の感覚もない。しかし何か異変が自分の体に起きている。実は鬱か?それとも風邪か?正体がわからない。しかし、「無理をするな」という体からのサインであることは間違いない。

ということで、今日はヨドバシへ行きたいのを我慢して、家でおとなしく年賀状を作ったりしていた。しかし、しんどさが抜けず、15時くらいに横になったら2時間くらい寝てしまった。起きたら多少しんどさは抜けて楽になっていたが、なんだか嫌な予感がする。また明日から落ちるのではないか。そういう不安が自分を襲う。

明日は明日の風が吹く。そして風に逆らわずに流れて行けばいい。

昨日は22時過ぎに寝ようとしたものの、1時間以上経っても眠れない。追加眠剤を飲んでまた横になるが、ぜんぜん眠気が襲ってこない。多分眠れたのは0時くらいだっただろう。

それで目が覚めたのが4時。目が覚めてから、眠れなくなってしまった。せめて体を横にしなくては、と思ってじっとがまんして布団の中にいたが、退屈で4時半くらいに起きてメールチェックとかやり始めた。しかし、やっぱ休まなくては、と思ってまた布団に逆戻り。幸いそれから2時間くらい眠れた。睡眠が乱れると日中しんどい。ボディブローのようにじわじわ効いてくるのだ。

会社へ行ったものの、何かしんどかった。でも仕事をしているうちに回復してきた。感覚が麻痺してきたという方が正しいのかもしれない。でも仕事を終えて職場の忘年会で中華料理を堪能してミスドのドーナツをお土産に無事家に帰ったのだった。明日大丈夫かなあ。

今日は6時にばっちり目が覚めた。鬱じゃない!ひゃっほー!体が軽い!鬱じゃない朝はなんて気持ちいいんだろう。昨日のリフレッシュ効果だろうか。友人に感謝。それにしても寒い。外はまだ暗く、雨が降っている。朝早くからご苦労なことだ。(誰に言ってるのやら)

うつ病の人と接するのはとても難しい。それは、同じうつ病(私は躁鬱病だが)でも、その時の症状によって、休んだ方がいい、無理しない方がいいというときと、今は動けるんだったら動いてリフレッシュした方がいいときとあるからだ。自分自身でも「今だったら動けそうだけど、あとから追い打ちをかけるようなことにならないか」とか自分で悩んだりする。昨日はでかけて正解だった。本人でさえわからないから、周りの人もどうアドバイスすればいいか難しいだろう。

ただし、この日記を読んでくださる方にお願いしたいのは、「本当に調子が悪いとき」このときはそっとしておいてほしい。寝込むほどでもないが、ぼ〜っとテレビを観たりするくらいのことしかできないようなときに、「気分転換に散歩でも行ったら」とか「旅行でも行ってみたら」と言われたことがある。

しかし、うつ病、躁鬱病は精神医学では「気分障害」に分類される病気であり、その「気分」をコントロールできなくなる、というのがそもそも症状なのだ。「気分転換に」と言われても、「気分転換」そのものができなくなる病気である。自分でももどかしく思っているときに、周りからそう言われると、よけいにプレッシャーを感じたり焦りを感じたり、言われてもできない自分に悲しくなったりする。

まだ朝の6時45分である。なんでこんなに一晩で切り替わるのか、自分でも不思議でしかたがない。双極性の運命か。さて、また躁になっている可能性があるから、今度は自分で精一杯ブレーキをかけなくては。慎重に、慎重に。

う〜ん、今日も低い。でも、鬱の感覚は少し治まったような気がする。でもやっぱ低い。会社は休んだ。いくら職場で上司が理解してくれていると言っても、先月も1週間休んだし、あんまり休んでばかりもまずいなあ。鬱ベースのときでも、多少動けるようだったら午後からでも行って、できることをやった方がいいかもしれない。もちろん無理のない範囲で、だが。それを見極めるのは難しい。

今日も鬱。朝は起きれず、会社を休んだ。ユーザ対応で途中になっているものが何件かあったので、金曜日にNさんに託そうと思っていたら、Nさんも金曜日休みだったらしい。10時頃電話をかけて、あの件とこの件、すみませんがよろしくおねがいします、とバトンタッチ。

今日は昨日よりは体調はましだったような気がする。でも大きな波の中の、中くらいの波の上がったところかもしれない。波でもいろんなスパンの波があり、大きな波の中にそれよりも小さな波が隠れている。経済学で言う「キチンの波」とか「コンドラチェフの波」みたいなものだ。

私にとって一番小さな波は日内変動、大きな波は数週間〜数ヶ月にわたる躁ベース、あるいは鬱ベースの波。この波は私の場合緩やかに変化するというより、パルスのように一晩で突然切り替わったりする。

その中で、「今日は割と調子がいい」「今日はちょっとしんどい」というのが中くらいの波である。大きな波のリズムに乗れないとなかなか苦しい。

最近は大きな波、つまり躁鬱のどちらがベースになっているか、という周期が短くなっている気がする。それは何日か前に書いたが、周期の長短よりも、波の震幅が小さくなること、これが大切なのだが、なかなか自分でコントロールできない。自分は震幅を抑えたいのだ。

震幅が大きいまま波の周期が短くなると、これはとても大変である。私が入院しているときに、1日の間にテンションが超高くなってはしゃぎ回っていたと思ったら、ばたっと倒れたりするおばさんがいた。1日の中で躁鬱が激しく入れ替わり、それが極端なのだ。彼女は「躁鬱混乱状態」という病名をつけられていた。彼女自身も周りの人も大変だった。

早くあがってこい。自分の大きな波よ、上がってこい。多少躁が入ってもいいから、とにかくあがってこい。じっと待つのみ。