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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

前回の記事の続きで、昨日参加した心理ワークショップで、「気」を送ってもらった後の話。

カウンセリングの受講生の実習が催眠療法ということで、被験者なる自分は催眠療法を受けた。自分は自律訓練法を昔からやっているので、催眠に対する誤解もないし、その辺の話は早い。まずは先生が自律訓練法を私の左手の温感で行ない、トランス状態に誘導し、言葉で潜在意識に働きかけてきた。

と書いたが、大半の人は???かもしれない。

自律訓練法というのは、たとえば「右手が重たい、右手が重たい」とか「右手が温かい、右手が温かい」とか、頭の中でつぶやきながら、その部位に意識を集中させる、という自己催眠である。この例で言うと、実際に右手がずしんと重く感じたり、本当に温かくなったりする。体をリラックスさせ、心身のバランスを取る効果がある。

自己催眠というと胡散臭そうに思うかもしれないが、医療現場でも用いられている、れっきとした治療法である。スポーツ選手なども取り入れていると聞く。私が教わったのは、ボイストレーニングの先生である。レッスンの最初に必ずこれをやらされた。

その後、受講生の実習として、再び催眠療法を受けた。その前に自律訓練法を行ったばかりだったからか、すぐにトランス状態に入ったような気がする。ヒーラーの話がオーケストラの話だったのだが、オケ伴で合唱曲を歌ってた頃のいろんな場面が、かなりはっきりとしたイメージとして視覚的に頭の中に出てきた。

自律訓練法では体をリラックスさせることはできても、それ以外の暗示を自分にかけることは難しい。訓練すればできるものなのだろうか?

昨日は、1月からお誘いを受けて参加している、心理ワークショップに行ってきた。友人Fがカウンセリングの講習を受けていて、その実習の場として無料で治療を受けている。いわゆる被験者の立場であるのだが、受講生だけでなく先生も治療に加わってくれるので、そこは安心している。

霊的ヒーリングやら気やら、まだまだ自分にはよくわからない世界だが、わからないものはわからないまま、とりあえず受け入れて、自分の反応を見ている、てな状態。

今回は、先月のように「ネット越し」ではなくて、直接「気」を自分に送ってもらった。しかし、正直言って、

「よくわかんない」

状態である。

ただ、3人のヒーラーのうち、1人が私の胸に手を当てた時、なんか「あったかい」を感じた。これは体温の温かさなのか、それともこれが「気」というものなのか、自分には区別はつかない。

私は理系だからなのか、それともそういう性格なのか、ときどき「理屈っぽい」と言われる。(本人の自覚はあまりない)
しかし、以前にも書いたが、「気」というものも含めて、非科学的、超自然的なことやスピリチュアル系のものに関して、頭ごなしに否定するわけではない。納得の行く説明がなくても、「これは自分の役に立つ」と思ったものは取り入れるというスタンスである。レメディーもまたその1つである。

東洋医学やらスピリチュアル系やら、いろんなところで出てくる「気」というものに関して、興味はあるし、実際に自分が体感できればおもしろそうだと思っている。しかし、今のところよくわからない。「気を送っています」と言われても、それを体感できないのだ。

ただ、その後に「ちょっと何かよくなりましたか?」と聞かれると、言われてみるとよくなったような気もする。文字通り「気」のせいなのか、それとも単なる気のせいなのか。

プラシボ的なものかもしれないが、自分自身は「プラシボでも、効けばそれでいいじゃないか」と思っている。まあこれはこれでそのうち、何かを感じ取れる様になるかもしれないし、ならないかもしれない。それはそれでいい。とりあえず続けてみるべ。

先週、寝る前のデパスを抜いたら眠れなくなったので、いったん元に戻して眠れるようになった。その後、再び抜いてみたら、今度は眠れた。そのままデパスなしでここ数日眠れている。

しかし、夜は眠れていても、日中はぐったりである。少しでも外に出たいのに、ものすごく気が重くて出られない日が続いている。先日は自治会の常任委員会があったが、あれは夜だったし、自治会館がすぐそばだったから行けたようなものだ。そのときでさえ、行くまではかなりしんどかった。

今日もいい天気だし暖かいし、外に出て散歩でもウィンドウショッピングでもしたいところだ。したいのに、外に出る、と考えただけで、ものすごく気が重い。どうしたらよいのやら。何か目的があって、どこかに行く用事があれば出られる、ということもあるが、最近はそれすら危うい。

先週は入院していた友人の面会に行こうと思っていたのだが、全く動けず。今週末には心理ワークショップがあるのだが、先月は行くことができなかった。今月も行けるかどうか、今からかなり不安である。

今までもこういう時期はいくらでもあったが、どうやって切り抜けていただろう。思い返すと、無理をせずに調子が上がってくるのを我慢して待つしかなかったような気がする。

一体いつまで待てばいいのやら。

えー、人生には3つの坂がありまして、
1つは上り坂
1つは下り坂
そしてもうひとつは、「まさか」。

いろんなところでいろんな人が口にしてきた、使い古されたネタであるが、自分の人生、その「まさか」の連続だった。

まさか自分が自殺未遂をするとは。
まさか自分がこんなに経済的に困窮するとは。
まさか自分が精神障害者になるとは。
まさか自分が精神病院に入院するとは。

入院したときは、
「精神病院に入院するはめになるなんて、もう自分の人生どん底だ」
と思って、結婚も諦めていたのだが、その病院で妻と知り合って結婚できたので、それは嬉しい「まさか」ではあった。

しかし、遡っていけばまだまだ「まさか」がある。

まさかあんな人使いの荒い会社に入ってしまったとは。
まさか自分が関西を離れることになるとは。
まさか自分が留年することになるとは。
まさかバブルがはじけるとは。

バブルがはじけたのは自分の責任ではないし、それは関係ないだろうと思うかもしれないが、実はそうでもない。

留年したのは自分の責任であり、人使いの荒い会社に入ったことや関西を離れたことは自分の選択であるが、その選択を迫られることになった背景には、バブルがはじけたことも少なからず関係している。

当初、自分は関西を離れるつもりはなかった。しかし、人生の岐路で発生した、それこそショッキングな「まさか」によって、結果的に自分は関西を離れることになった。その後、こんなに多くの「まさか」が続いてきたのだが、そのたびに「なんでやねん・・・」とぼやいてきた。今では自分もまた時代の波に翻弄された一人だと思うことにしている。

今後はまた「まさか生活保護のお世話になることになるとは」という事態になるだろうが、それを想定している時点で、既に「まさか」ではない。

だが悪い「まさか」もあるが、いい「まさか」だってたくさんあるのだ。結婚できたのもそうだし、今の時点では書けないが、大変ありがたい「まさか」の話も少しでているのだ。人生には何があるかわからないから、「まさか」の全くない人生なんてあり得ない。

上に書いた人生の岐路における「まさか」は前代未聞の事態であり、多分友人には誰にも話していないと思うので、家族以外の人は知らないはずである。しかし、その半月ほど前に、「まさか」ではないが、ある出来事があった。それは逆に家族は知らない(と思う)のだが、上述の「まさか」の後のことに関連してくる。本当の事情を知っているのは、妻と義姉くらいであろう。妻にも義姉にも最近話したばかりだが。

さて、今後はどんな「まさか」が待ってることやら。

今週の通院で、危うく抗鬱剤を増やされそうになった話は先日書いたが、寝る前のデパスのことについては書いていなかった。寝る前のデパスを3mg→2mg→1mg→0.5mgと減薬してきたのだが、今週からデパスを外して様子を見ることにした。ただ、それで眠れなかったり不安定になると困るので、頓服で処方はしてもらっている。

それで、今のところ・・・、

眠れない。

生活のリズムがだんだん狂いはじめている。

今日は起きたのが11時過ぎだった。

目は覚めているのに、そして体をなんとか起こしているのに、そして正座の態勢までもっていってるのに、そこからがなかなか動けないのだ。毎日、朝がとてもつらい。

様子を見るのもちょいと限界。減薬は慎重に行わんといかんな。とりあえず今夜はデパスを飲んで寝よう。