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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

最近いろいろと書きたいことはあるのに、なかなか筆が進まない。いや、キーボードが進まない。日本語としてはかなり変か。まあいいや。

さっき、また体調が悪くなってしまったことを書いたのだが、今から思えばずいぶんと無理や無茶をやったものだ、と痛感する。

最初の会社に勤務していた頃、うつ病を発症し、かなりしんどい状態が続いていて、会社の産業カウンセラーから「しばらく会社を休みなさい」と休職を勧められたのに、頑なにそれを拒んでいた。IT業界は進歩が激しい。一度現場を離れると、もう戻ってこれないかもしれない、ということが怖かったのだ。

そのうち、産業カウンセラーは「一度お父様にお会いしてみたい」と言ってきた。自分が昔はどういう子どもだったのか、幼少時代の性格面や行動面について知りたいのかな、と思い、父親がちょくちょく出張で東京に来るので、そのときに会ってもらえるようにセッティングした。私は同席しなくてもよいとのことだった。

そして父親が会社に来たら、そこには産業カウンセラーだけでなく、自分の上司、部長、人事部の人がいて、

「息子さんに会社を休ませるように説得してください」

と言われたそうだ。結局それで私は観念して3ヶ月療養したのだが、社会人になってまで親が呼び出されるなんて、自分が情けなかった。随分無理をして働いていた。

その後に勤務した会社でも、相当無理というか、無茶をやった。うつ病の特徴である日内変動で、午前中はつらいが、夕方から夜にかけては体調がだんだん回復していく。とにかく朝がつらかった。しかしそれでは会社員は務まらない。もう完全に動けない時は休むか午後から出勤したが、無理やり会社に行ったこともあった。

朝起きてしんどいとき、這いつくばるようにして家を出てタクシーを拾い、会社に出勤した。当然ながら会社についてもしんどいのだが、しんどいまま無理やり仕事をしていた。タクシー代は4,000円くらいかかったが、なんとか1日働いて電車で帰ってくれば元は取れた。

調子をずっと崩して生活のリズムが崩れたとき、最後の手段として「断眠療法」を何度もやった。夜になると無駄に元気になってくるのに、寝て起きて朝になると、ものすごくしんどくなってしまう。だから、あえて夜は眠らずに徹夜して、朝になったら会社に出勤し、悲鳴を上げそうな体に鞭打って仕事をしていたのだ。かなり無茶をやっていた。それで生活のリズムが戻った時もあったが、逆効果の場合の方が多かった。どちらにせよ体には相当負担がかかる。

一応「断眠療法」はうつ病の治療法として本にも載っている。しかし医者には「体の負担が大きすぎるので、やらない方がいい」と言われていたり、断眠療法のことを日記に書いたら、うつ仲間からも「それは無茶だからやめた方がいい」とメールをもらったが、他人の忠告も耳に入らなかった。その時は「会社に行って仕事をしてお給料をもらう」ということしか頭になかった。

そんな無理、無茶をしたせいだろうか。今はずっと調子が悪いのが当たり前の体になってしまった。その当時はとにかく「今をなんとかしなくては」と目先のことしか頭になかった。

今はいったい何をどうすればよいのか。考える時間はいっぱいある。自分にできることをできる範囲でやりながら、じっくり考えることにしている。


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