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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日は友人が出演する演奏会を聴きに行く予定だった。

とても魅力的なプログラムで、楽しみにしていた。それなのに、

しんどくて動けん。

はあ、また演奏会に行けなかったよ。先月も楽しみにしていた演奏会に、やはり体調不良で行けなかった。こんな時に限って、なんだかなあ。

自分の病は自分から様々な自由を奪っていく。自分と人との繋がりを、そして自分と音楽との繋がりをも。

再来週にも、かつて自分が所属していたアンサンブルグループが出演するコンサートがある。これにはなんとか行きたい。なんとか。

調子が悪い。ずっと調子が悪い。

妻も調子が悪い。ずっと調子が悪い。メンタル面だけでなく、お腹の調子も悪いし咳も止まらない。

そして二人ともしんどい時、一番大変なのは食事である。料理というのは、調子が悪いとまず一番にできなくなることだ。他の家事と違って、献立を考えて、買い物をして、段取りを考えて、細かい作業をやって、とそんなことはとても無理無理無理無理。

二人ともしんどいとき、さてどうするか。昼食は適当に済ませばいいが、夕方になって「ご飯どうしようか」と二人で気が滅入る。妻は一昨日あたりから特に調子が悪く、外に買い物にも出られなくなっていた。買い物はネットスーパーでなんとかしのいでいる。

最悪の場合は「夕飯抜き」である。もう何もやる気がしない。もう今日は夕飯いいか、昨日食べたし。というのが過去に一度だけあった。

しかしまあ、何もしなくてもお腹は減るので、あるものでなんとかして済ます。とにかくご飯だけたくさん炊いて、卵かけごはんかふりかけご飯で食べる。もう少しましなときは、レトルトカレー。トップバリューの88円のカレーはけっこううまい。プライベートブランドは意外と侮れない。

昨日は夕食はカップ焼きそばと冷凍のビビンバ。カップ焼きそばはトップバリューの88円。冷凍食品はローソンストア100105円。あわせて193円。まあまあ安く済むので、各社のプライベートブランドは重宝している。

ジャンクフードでもなんでもいい。栄養が偏ってもある程度仕方がない。出来る範囲でやるしかないから。

先週「記憶を消去したい」という記事を書いた。

ときどき、「過去の嫌な出来事」が頭の中に浮かんではぐるぐると回って他のことが考えられなくなる。その「嫌な出来事」というのは、ある限定的なことがらである。それが自分の中でぐるぐると回っている間、自分はある種の狂気の中にいる。とてつもなく極端なことを考え、とてつもなくネガティブになり、突拍子もないことをやろうかと真剣に悩んだりする。正気に戻った自分の頭で改めて考えると、とても恐ろしい。

自分は今日、その根っこを掴んだような気がする。昨日もその狂気に襲われたのだが、なぜそうなったのか、何が原因なのか、そのトリガーは何なのか。自分の心の中を、自分の思考パターンを、自分の感情の変化を、そして自分の性格を、徹底的に客観視し、結果から原因を探り当て、「多分これだ」と掴んだ感触がある。少なくとも昨日の狂気のトリガーは「あれ」だ、そう考えると自分の中で辻褄が合う。他の人には全く理解できない思考回路かもしれないが。

しかし、その根っこはかなり深い。「過去にあったこと」と「過去になかったこと」これら2つの要因が、トラウマとコンプレックスで歪んだ自分の思考回路を通して結びついてしまうと、狂気に陥る。それに抗うすべは今のところ持ち合わせていない。その根っこを掘り起こすことは、過去を書き換えるということである。それは去年の自殺未遂の発端とも関連してくるのだ。それだけ根が深い。

過去を書き換えるとことも記憶を消去することもできない。自分にできるのは、狂気に陥った自分をどうにかしてコントロールすることしかないだろう。

あとは時間が解決してくれるのを待つしかない。狂気と背中合わせに生きていくしかない。

最近、過去の「嫌な出来事」が勝手に頭に浮かんできては、それを頭の中に反芻して苦しんでいる。そしてその「過去にあったこと」(あるいは「本来あるべきなのになかったこと」)に関係する人たちに不平不満をぶちまけ、延々と文句を言っている。すべては脳内の仮想空間で。そしてまた惨めな気持ちになる。それらがずっと頭の中をぐるぐると回っている。いっそそれらの記憶全てを消し去りたい。

余計なことを考える時間があり過ぎるのだろう。前を向いても地獄、後ろを向いても地獄。

損な性格だ。

頭が割れるように痛い。

首と肩が異常なまでに凝っている。調子が悪い証拠である。

左目と右目の像が一致しない。

今さらながら、村上春樹の「1Q84」を読んだ。

2つの月が空に浮かぶ世界に迷い込んだ話。

昨日、夜空を見上げてみた。

自分にとって、昔から月は2つだ。はっきりと間隔があいて、2つに見える。

それが普通の世界だと思っていた。普段はその2つの像を1つに見せるために、目の周りの筋肉が頑張っている。その筋肉が弱っていると、左右の像を一致させることができない。

今でもPCの画面に向かって、同じウィンドウがずれて並んでいる不思議な世界を見ている。自分の両眼視差はかなり大きいが、見た目は正常に見える。特殊な斜視らしい。普通の人にはもちろん月は1つに見えるらしいが、特殊でない斜視の人には、月はいくつ見えているのだろうか。

そう言えば斜視の友だちが一人いた。そういうことを聞いても差し支えない間柄なので、今度何かのついでに聞いてみよう。