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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

日別アーカイブ:2021年2月23日

昨日は20時50分に寝た。20時半に眠剤を飲んで21時に寝ようとしていたのだが、しんどくてさっさと横になった。前の夜があまり眠れなかったので、昨日はよく眠れるかと思ったのだが、なかなか寝付けない。30分以上経ったところでいったん起きようかどうか迷ったが、そのまま横になっているとやがて眠れた。1時間くらいで寝付けただろうか。

夜はしっかり眠れて、目覚ましで目が覚めた。今日から6時半にセットしたのだが、見事に起きれない。1ミリも起きれない。とりあえず止めたが、スヌーズなので何回も何回も鳴る。ぜんぜん動けない。結局起きれたのは7時半。市役所に出勤するなら15分で用意しないといけないところだ。きつい~、4月まであと37日だが、なんとかなるのか?

今日は祝日でお休みだが、10時から某福祉施設でリカバリー系のプログラム。テーマは「プライド」。去年の12月にテーマ決めをやった時にけっこう盛り上がった話題で、採用された。予想通り今日はおもしろかった。いろいろな人の話を聞けて「なるほど」がたくさん。私もけっこう喋った。こういうのがこのプログラムの醍醐味である。

「自分にとってプライドって何?」という話から始まった。それぞれについて、それはどういうことなのか、各自の「プライド」について話をして、そこから話が広がっていった。

私が作業所でやっていることがある。作業所でメンバーがやった仕事は職員がチェックし、やり直しを食らったり職員が修正することがある。しかし私のやったものはほとんど手直しの必要がないから職員は楽だと話していた。このクオリティを保つのが今の自分のプライドである。

この「作業所でダメ出しされない」というのは自分の中に新しくできたプライドでもあるが、その土台には「自分は自分のできる限り最高のアウトプットを出す」というプライドがあったからだと思う。本当にプライドをなくしたら、そんな工夫をしようとも思わないだろう。

新卒で就職した会社の新人研修で言われたことが、今でも自分に刺さる。

「3年でプロになれ。「これに関しては世界中の誰にも負けない」そういうものを持つプロフェッショナルになれ」

この会社にはずいぶん鍛えられたが、この言葉は今でも私は自分にとって「働くこと」の原点になっていると思っている。専門職だろうが雑用だろが正社員だろうがアルバイトだろうが、働く以上はプロになれ。誰にもまねできない仕事をしろ。そう思うことこそが自分のプライドなのでは、と思う。

他にもいろんな話が出たが、結局「自分の中にプライドはいろいろある」ということなのかもしれない。捨てたものもあるが守っているものもある。新しくできたものもある。

そう言えば自分が障害者手帳を取得したとき、ある程度のものは捨てないといけない。そういう覚悟が必要だと思った記憶がある。2004年6月4日のこの日記に書いた一文が、

「これで正式に障害者となってしまった。だからと言って僻むことなく奢ることなく、丁寧に毎日を過ごしていこう。」

というものである。今これを書いていてふと思い出した。障害者手帳は自分で申請して取得するものである。だからこれを申請するということは、「健常者として当たり前にできていたことができなくなった人間だとお墨付きを自分からもらいにいくこと」を意味する。これは何かを捨てたのか?おそらく何かを捨てたのだろう。しかし残っているものもたくさんある。プライドとは複合的なものなのだろう。

というような話題であっという間に時間が来てしまった。「かつては元気に働いていた人たち」にとって「プライド」というのは自分の大事なものなのだろう。

終わってから、まだお昼だからどこかにでかけてもいいのだが、今日のところはおとなしく帰宅。顔なじみのメンバーに「3月で出席するのは終わりになりますので」と言うと、みんな「頑張ってね」と言ってくれた。応援してくれる人がいるというのは貴重なことだ。この福祉施設は土曜日もやっているので、4月以降にも余裕があったら顔を出そう。バテバテで寝てるかもしれないが。

妻が自販機で鬼滅の缶コーヒーを買ってきた。まだやってたんだ。自販機の場合何が出るかわからないので一種のガチャであるが、最初に炭治郎が出て、次にしのぶさんが出たという。これは当たりだろう。

鬼滅の缶コーヒー