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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨晩は結局寝る直前まで「閉鎖病棟」の続きを読んでいた。これからおもしろい展開になりそうだ、というところで就寝時間になった。昨日は音楽をかけないで寝てみた。おそらく自分にとってはかなり早く寝付いたような気がする。ぐっすり眠ったと思って目が覚めて、でもどうせまだ夜中だろうと思って時計をみると、案の定3:00だった。が、その後なかなかもう一度寝付けず、また時計を見ると3:20だった。アトピーがかゆかったのが気になったのも原因かもしれない。が、その後割とよく眠ったようで、夢を見た。大学の合唱団の先輩が出てきた。夢の中で時計を見ると4:00頃かなんかで「まだ寝てていいよ」誰かにそう言われたような気がする。が、その直後に本当に目が覚め、時計を見ると6:00ちょっと前。おお、もう起床時刻だと思って布団の中で「朝のヨーガ」をやっているうちにアナウンスが入った。結局1回しか中途覚醒がなかったことになる。寝付きもよかった。経過は良好だ。

今日はいい天気になるらしい。朝食前に洗濯をする。長い間洗っていなかったサマーセーターをやっと洗ったよ。こればっかり着ている。

おかしい、飯が食えない。食欲がない。昨日の夕食も半分残したのに、今日の朝食もぜんぜん食べる気がせず、ほとんど残してしまった。拒食モードに入ってしまったのだろうか。

朝食後、コーヒーをドリップしているときに、軽い鬱を感じてきた。やばいぞ、拒食の次は鬱か?でも軽い。なんとかやり過ごせそうだ。自分の状態をよく観察する。とりあえず動けるので、コーヒーを飲んで一服した後、洗濯物を干しにいく。今日はいい天気になるそうだ。鬱の気分はいつの間にか消えていた。

その足でオカリナを吹きに散歩に出る。音楽堂へいっぺん行ってみたが、日陰なので寒い。日の当たる場所で吹きたいと思い、この小山のピークに行ってみた。うん、ちょうどいい具合に日が射しているので、そこで吹いた。太陽の光を浴びていると今度は暑くなってきたので、上に着ていたフリースを脱いでベンチにかけた。コンサートのレパの他、適当にいろいろ吹いた。宋次郎のCDに入っている曲をやってみようと思うのだが、どうもいまいち覚えていないのが多い。

病棟に戻ってくると8:20。すっかり鬱は消えていて、元気が出てきている。自分で自分を癒やすためにオカリナを吹くこと、散歩という軽い運動をしたこと、日光にあたることなど、すべてが回復の方向のためにいい要素として働いたのだろう。洗濯物を干す、というのも精神的に気持ちのいい行為だったかもしれない。

入念にストレッチを行って作業棟に行く。飯を食ってないせいだろう、最初から体重は62.4kgしかなかった。体力テストの結果は、まあ今までにしては普通だが、最近の昇り調子を考えるとやや不満。だが50→75→115と負荷があがっていったからいいか。最初の1セットを漕いでいる途中にMちゃんが来た。先週は調子が悪くて休んだらしい。今日も診察を済ませてきたが、作業療法はやらないらしい。

10分のインターバルの間にMちゃんと話した。12/1にKさんと会うらしい。冷やかしメールを送ってあげるよ、そう言ったら送って送って、と言う。彼女は恋愛依存症の傾向を医者から指摘されていて、なんとKさんと二人でカウンセリングを受けるそうだ。カウンセラーが二人の話を聞いて、問題がないかどうか判断するのだろうか。彼女は男性とデートすることも医者から禁止されている。が、12/1に会うことは医者には言っているそうだ。

病棟に戻って一服していると主治医に呼ばれた。外泊したときの状態を報告し、今までほど状態は悪くならなかったこと、夜もちゃんと眠れたことを話した。アトピーがひどくならなかったことや、昨晩や今朝食欲がなかったこと、今朝少し鬱が入ったことも話した。今週の金曜日もまた練習があるので外泊してみたい、と言うと、いい調子で来ているので試してみてください、と言われた。食欲は落ちていたけど、作業療法でエアロバイクを漕いだらおなかがすいてきたので、多分大丈夫です、と話しておいた。その通り、昼食はちゃんと食べることができた。

昼からは日経コンピュータを読み、その後入浴。そしてすぐにカウンセリングに行った。ようやく「カウンセリング」の域に入ってきた。前回までは自分のことを時系列に話すだけだった。今日はさっそく話があちこちに飛んだ。話は最初「最初は明らかな原因があって鬱状態になったんですよね」「躁の状態と鬱の状態があって波が激しいんですよね」と前回まで話したことをカウンセラーが確認する。そして「自分ではどうしたいと思っていますか」と尋ねてくる。私は「普通に社会生活が送れて、ちゃんと会社にも行けるようになりたい」「波の振幅を通常のレベルまで下げたい」と答える。それは同じことですか、と聞かれたので、結局は同じことだと思いますと答えた。

そこから話は発散していく。躁状態は自分は病識がないが、鬱状態ではある。鬱に入りそうな兆候は自分でわかり、それが軽いときには持ち上げる方法も自分なりにわかってきている、ということを話す。その話の続きで、外泊時に鬱状態になっていたのが、今回の外泊ではそんなにひどくなかったことを話し、外泊して鬱になるのが散らかった自分の部屋が原因だと思ったこと、それで毎週少しずつ外出して家に帰っては決めた範囲だけ片づけること、それは掃除もやり出すと止まらないから、ということなどを話した。

カウンセラーによると、それは「テクニック」に過ぎない、ということだそうだ。問題を分割してステップを区切って対処するテクニックであり、「なぜ散らかった部屋で鬱になるのか」そこに踏み込んだものではない、そう言う。そういう散らかった自分に対して罪悪感を持っているのではないか、それで鬱が出るのではないか、そうカウンセラーは言った。それから、やり出すと止まらない、そういうのは強迫観念があるということ、カウンセラーはそう言った。「なぜ、自分がそういう状態になるのか」ここが根本らしい。そういう散らかった部屋、それを自分自身が許す必要がある、そうも言った。受け入れることが必要だと。

うちの会社が忙しい会社だということは何となくカウンセラーは知っていて、なぜ他の人は病気にならないのに、あなたは病気になったのか、そういうことを言われた。私は、なぜ他の人が病気にならないのか不思議なくらいだ、と言った。他の人は「仕事以外」での時間の使い方が違うのかもしれません、そう先生が言ったとき、私は「そう思います」と答えた。私はオフの日も趣味にどっぷりはまってしまっていて、依存症の傾向がある、と私が言うと、「はまる」と「依存症」とは違うと言われた。

あとは何を話したっけな。自分が問題と思っているのは、一人で抱え込むこと。100%を求めてしまうこと。それは会社の産業カウンセラーとのカウンセリングを通じてわかってきた、そういうことを話した。その中で「あせる」と言うのがキーワードとして出てきた。とにかくいろんな局面で私は「あせる」傾向がある。それをカウンセラーは重要視したようだ。「あせる」と「急ぐ」は違います、と言う。「急ぐ」ではないんですね、そう言うので、「急ぐ」のではないんです、「あせる」んです、と答える。急ぐことは別に悪いことではない。それはものごとをスピーディーにこなすことに過ぎないから。しかし、「あせる」のは心理的な問題、つまり感情の問題であるという。なぜその「あせる」心が出てくるのか、そこが問題だという。

その辺で16:00になって今日のカウンセリングは終わった。そう、なぜあせるのだろう。自分は最初入院していたときあせっていた、3ヶ月くらいで退院するつもりだった、しかし、1ヶ月半か2ヶ月くらい過ぎたときに、とてもそれじゃすまないと思って長期戦を覚悟したとき、不思議と腹がすわってあせりが消えていった、そういう話をすると、「期限をなくす、というのもまたテクニックなんだよね」そう言う。そういうテクニックもまた必要ではあるが、根本的な解決ではない。会社に戻れば「期限をなくす」なんてことはできない。その中で「一人で抱え込む」そして「あせる」ことがないようにするにためには、どうすればいいのだろう。それはこれからの課題だ。カウンセリングを続けていって、その答えは見えてくるだろうか。

病棟に戻ったらTMさんが外泊から戻ってきていたので、喫煙所で話をする。生保は会社によって厳しいチェックが入ることもあり、家族の病歴まで調べたりするとか、些細なことで告知義務違反にするような話を聞いてびびる。自分は○○生命だというと、○○生命なら大丈夫じゃない?、と言う。そういうせこいチェックを入れてくるのは、小さなつぶれそうなところだとか。厳密に言えば私が鬱の症状が出たのは入院特約を契約する前だ。しかし、その時は病気なのかなんなのか、自分でもわからなかった。鬱が再発してから通院しだしたのは契約をしてから8ヶ月以上は経っている。その8ヶ月、というのをどう判断するのだろうか。入院ははじめてだが、当然通院歴を調べるだろう。下手するとそこでチェックが入るかもしれないが、なんとかなると思う。医者は全面的に味方をしてくれると言う。

夕食後、「閉鎖病棟」の続きを読み出し、19:00過ぎに読み終わった。こういう類の小説は久しぶりに読んだかもしれない。舞台が精神病院というだけだが、精神科の医師が書いただけあって、精神科の患者がいたってまともで、普通の人と何ら変わりのないことがわかる。最後の解説には私と同じ意見、「犯罪があったときに、精神科の通院歴があって、という報道がされるのは偏見を助長する」ということが書いてあった。

コーヒーをいれて一服した後、今度は一昨日買った「『うつ』を治す」を読み始める。目次を眺めると、今まで読んだ本とは違って、「心理的治療」「社会的治療」に関する章がある。なかなかよさそうな本だ。「はじめに」を読んでいると、「うつ病の人はまじめで几帳面な性格の人が多いので、最初から順番に読もうとすると思いますが、そうではなくて、目次を見て自分に役立ちそうだと思ったところから読んでください」といきなり釘をさされている。う~むむむ、お見通しという感じだ。では「心理的治療」から読もうかと思ったが、やはり最初から読んでしまう。

読んでいくと、この間の「図説 精神医学入門」でも思ったが、やはり私は双極性障害に分類されるような気がする。「躁におけるエピソード」にはいくつも該当する。読んでいる途中で20:00をまわったので、便通の回数だけ記入してまた戻ってきた。とりあえずいったん就寝準備をしてから、寝るまでこの本を読むとしよう。


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