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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2001年10月

5:15頃起きた。途中何回か目が覚めたが、時計を見たのは2:30のとき。かなりストーリー性のある夢を見た記憶がある、内容は覚えてないが、途中目覚めたときに、ああ夢を見てたんだ、そう思った。寝付きはとてもよかったと思う。オカリナのCDを聞きながら寝たのだが、1曲目を最後まで聞いた記憶がない。エアロバイク30分2セットと、夜の卓球で肉体的にけっこう疲れていたせいだろうか。

ホールに出ていくと、喫煙所には結構たくさんの人が起きてきている。外泊が多くて全体の人は少ないが、早起き組は結構残っているようだ。濃い目のコーヒーをいれてブラックで飲む。少しずつ頭が冴えてくる。5:45頃に洗面を済ます。

朝食までに「あくせくするな、ゆっくり生きよう!」の「仕事をスマートにする」の章を読み終えた。仕事をするときの対人関係から会議のやり方、時間管理に至るまで、さまざまな「流動的思考」の用い方が書いてあっておもしろかった。今まで読んだ本と基本的な考え方は似ていたり、「タイムマネジメント」の研修で教わったこととも共通することがある。特に、「人間は同時にいろんなことを考えることができるが、一度にできることは一つだけ。一つのことをやりながら、次やその次にやることについてあれこれ考えるから能率が落ちる。『今』に集中して、一つのときに一つのことをこなしていけば、効率は上がる」という記述には「そうか、なるほど!」とうなずいてしまった。私もご多分に漏れず、何かやりながら別のことをあれこれ考えてしまう、つまり「気が散る」タイプなのだ。大事なのは「集中力」ということか。

朝食前に洗濯機に放り込んでおいた洗濯物を、7:30ちょうどに干しに行く。洗濯物を干すときも、やたらバランスに気を配ってしまう。角ハンガーが傾かないように…。

8:00頃から散歩に行く。いつもの通り音楽堂でオカリナを吹く。今日は調子がいまいちだ。呼吸がぶれる。いつものごとく一通りコンサートの曲を流した後、「竹田の子守歌」の即興から戻る部分、先日パターンを決めた箇所を練習しながら、少しパターンに変化を加えてみた。また新しいテクを開発した。吹きながら巻き舌をすると、ビブラートともトレモロともつかないおもしろい音になる。それを加えてみた。

バスに乗ると、外泊に出るIさんが乗っていた。病院前の停留所から乗ってきたらしい。その次の停留所の方が病棟からは歩くと近いということを知らなかったらしい。私とYさんが乗り込んできたので、あれっという顔をしていた。バスの中でIさんといろいろ話をした。いろいろ話をしたのははじめてかもしれない。前に一度散歩に誘って、私の家のすぐ近くに住んでいる、ということは知っていたが、それ以降はほとんど話をしたことはなかった。タバコも吸わないし、あまりホールに出てこない。部屋にこもっていることが多い。病室では同室の人と割と話はしているようだ。いつも沈んだ暗い表情をしているけど、話していると笑顔が出てきた。彼女は、他の患者同様やはり睡眠障害と、それから妄想があるらしい。それもだいぶ落ち着いて来たそうで、あと1ヶ月くらいで退院を考えていると言う。

電車に乗り、ボックスシートに座れた。隣に座った若い女性がデイパックともう一つ大きな荷物を抱えていて大変そうだなと思った瞬間、自然に言葉が出た。「荷物、上に乗せましょうか」以前なら、たとえそういう言葉をかけるとしても、ちょっとためらいがあったのに、自分の中で本当に自然にその言葉が出てきた。言ってから自分自身がちょっと驚いたくらいだ。その女性は、「いや、いいです」と言って荷物を抱えていて、7分くらいして停車した駅で降りていった。

今日は「流動的思考」とやらを試してみようと思っている。ストレスは自分の考えが作り出したもの。人混みも騒音も、気にしないで受け流してしまえばストレスにならないはずだ。今読んでいる本の考え方では、の話だが。さて、どうだろう。

目的の駅について、まずは本屋へ向かう。買おうと思ってリストアップしておいた本を探して買うが、一冊は売り切れていた。それはそうと、またしても予定外の本を一冊買ってしまった。「積ん読」がますます進んでしまう。

その次は映画館に行った。前から見たかった「千と千尋の神隠し」を観るためだ。それまで、流動的思考をちょくちょく意識して、人混みの中でも頭を空っぽにして受け流すようにしていたが、それでも少し疲れたような気がした。まあ、すぐにできるものでもないだろうから、もうちょっと続けよう。疲れは気にしないことにする。

「千と千尋の神隠し」を見終えた。うむ、宮崎駿はすばらしい。私は日本の映画はあまり見ない(というか映画そのものをあまり見ない)が、宮崎駿の映画は好きだ。中学生の時に「風と谷のナウシカ」を見てものすごく感動して、2日くらいその感動が続いていた記憶がある。今回の映画もすばらしい。まず「八百万の神」を「客」と迎える湯屋という発想に度肝を抜く。なんというイマジネーションだろう。「神」と言っても日本古来の「神」はひどく人間くさい。なんせ「八百万」もいるわけだし、それは「人間」の象徴的なものだととらえていいのだろう。宗教的な「神」とは少し概念が違うような気がする。それはともかく、単純にストーリーもおもしろいが、それだけでなく深く考えると、いろいろ象徴的な考え方や教訓が含まれているような気がする。最後にハクが千に言った言葉、「後ろを振り向くんじゃないよ。振り向かないで歩いてお行き」が忘れられない。

映画の後は回転寿司でおなかを満たし、ちょっと足を延ばしてスポーツジムへ。別にトレーニングしに行くわけではない。しばらく入院するので9月、10月と休会扱いにしていたのだが、まだまだ入院生活は続きそうなので、11月からさらに3ヶ月休会を延ばす手続きをしに行ったのだ。

電車に乗り、病院の最寄り駅に戻ってくる。そのまま100円ショップにより、小さめの折り畳み式手鏡を買った。手鏡は今まで持ってなかったのだが、やはり必要だ。鏡がなくては自分の表情をチェックできない。薬を塗るときも不便だ。風呂に入った後、ブラシで髪をとくときも洗面所まで行かなくてはならない。これでまたアメニティレベルがアップしたぞ。

病棟に戻り、一息ついてから洗濯物を取り込む。なんだかまだ少し湿っぽいので、乾燥機に放り込んで30分だけ回す。16:00になって夕薬を飲んでから、リラックス体操。外出して疲れて帰ってきたときにやると、やっていていつもより効果があるのを感じる。十分にやった後に、これまた十分に自律訓練法をやると、かなりリラックスできた。ほとんど疲れが取れたような気がする。もともとそんなに疲れていなかったのか。だいぶ慣れてきたのか、「流動性思考法」が功を奏したのか。その後、乾燥機から洗濯物を取り出してたたんで収納すると、もう夕食の時間になった。

今日は外泊が多く、とても人が少ない。3連休でみんなうちに帰ってるのだろう。日曜、月曜となんの予定もないし、外出届けも出してない。ゆっくり勉強しようかな。

夜はだらだら買ってきた本を拾い読みしたりして、その後「あくせくするな、ゆっくり生きよう!」の最終章「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み進める。タイトル通りの章なので総括的な内容かと思えば、まあそういうような記述もあれば、「ストレス」や「仕事」以外に独立して取り上げなかったトピック、たとえば「余暇の過ごし方」などについての「流動的思考法」の活かし方を書いていたりする。19:30になったらS君と卓球をする約束だったので、そこで中断する。

SさんとI看護士と卓球をする。どうもIさんはサーブにしろレシーブにしろ、ちょっと変わった回転をかけてきてやりづらい。2ゲームしたが、2回とも負けてしまった。前は勝ったのだが。

S君とI看護士が試合をしている間に喫煙所でFさんと話をした。私が「おもしろいTシャツを着てますね」と言ったら「歳に似合わないですよね」と答えたので「そんなことないですよ」と言った。ちょっと間があってから、Fさんは「今『そんなことないですよ』って言われたのに『ありがとう』と私言いませんでしたよね。いけないですよね」と言った。私はそんなこと全く気にしていなかったので、そういう旨を話し、「そういうことをいちいち気にして悩まない方がいいですよ」などと話した。「でも、何にも気にしなくなったらバカじゃないですか」Fさんは言う。確かにその通りかもしれない。私は続ける。「うん、そうかもしれないけど、気にする必要のない小さなことまで気にすると、ダメだと思うんですよ。その区別って、だんだんついてくるんじゃないかなぁ」とか「気にする必要のあることでも、くよくよ悩まずに『あ、またやっちゃった。これからは気をつけよ』とか自分を笑い飛ばすくらいの方がいいですよ」とか、えせカウンセラーのようだ。しばらく二人で話す。私から見ると彼女はちょっと繊細なだけで、それ以外はとても普通に見える。本人の自覚の問題なんだろう。

20:00になって卓球はおしまい。便通の回数だけ記録して、就寝準備に入るが、私は汗を拭いた後、体温が下がるまで汗が出続けるので、上半身裸の状態で、今これを書いている。もう少し汗がひけばシャツとスウェットを着て歯磨きしよう。風邪をひかないように気をつけなくては。残りの時間で「あくせくするな、ゆっくり行きよう!」を読み終えられそうだ。

5:30過ぎに起きた。目はちょっと前から覚めていて、うとうとしていた。まるっきり夜中に目を覚まさない、ということはまだない。何回か目を覚ました記憶はある。1回時計を見て2:00だな、と思った記憶はある。以前のように目が覚めた後眠れなくなったり、なかなか寝付けなかったり、ということはない。夢を見た記憶もない。見たのかもしれないが、忘れている。眠りが深くなっていってるということか。今は頭は完全にはすっきりしてないが、昨日ほどぼ~っとしているわけでもない。

洗面を済ませ、コーヒーをいれて飲みながら、喫煙所で雑談する。そのうち6:30になってラジオ体操をし、朝の服薬。かなり頭がすっきりしてきた。外を見ると雨が降り始めている。昨日の天気予報では、昨日、今日と雨と出ていたが、昨日は降らなかった。今日は天気がずっと悪そうだ。散歩には行けそうにないな。どこでオカリナを吹こうかな。

早めにストレッチを済ませ、9:00ちょうどに作業棟へ行く。職員に「オカリナ吹いていいですか?」と聞くと、「一番奥の部屋ならいい」と言うので、その部屋へ行ってコンサートで演奏する曲を通す。ついでに「Sound of Silence」も吹いた。昨日誰かがホールでCDをかけていて、吹きたくなったのだ。

体力トレーニングの部屋へ行って基礎データ測定。相変わらず心拍数は高いが、もう気にしないことにする。体重は減っている。それは確実のようだ。体脂肪率も日によってばらつきがあるが、全体として減少傾向にあることは間違いない。

病棟へ戻ってきたら、看護実習生とS君達が卓球をやっていたので、元卓球部の私とS君で少しデモンストレーションをした。実習生たちはびっくりしていた。喜んでくれたかは定かではないが。その後Mちゃんと少し打ち合ったが、汗をかいてシャツを取り替えたばかりなので、また汗はかきたくないと思って途中で降りた。

昼食、入浴を挟んで「情報セキュリティアドミニストレータ」の参考書を読み進める。「情報セキュリティ国際標準」の章を読み、その次の「関連法規とガイドライン」を今読んでいる。情報処理試験の勉強で関連法規についてまじめに勉強したのははじめてだ。セキュリティに関しては、急ピッチで法整備が進められているので、この辺りも重要で、おさえておくべきだろう。

参考書をあと数ページで読み終える、というところで16:00になった。最後のトピックである「電子署名法」について読んでいるところだった。今年の4月に施行されたばかりの法律だが、出題されることは間違いないだろう。この辺もよく理解しておかなくては。明日は外出するが、この参考書に準拠した問題集が売ってるのを本屋で見かけたので買って来よう。

16:00からはリラックス体操。正座を崩した状態から後ろに反って頭をつけるポーズはだいぶ慣れてきて、30秒間はもつようになった。他のポーズは2回ずつやっているが、このポーズはきついので1回にしている。今度から無理をしない程度に2回目に挑戦してみよう。体操の後は、夕食まで音楽を聴いて引き続きリラックスする。

夕食後、先日入院したFさんと話をする。Fさんは「自分がちょっと変」だと思われてるとこの間話した人で、どうも被害妄想的なところがある。「いつも無視されていたんです」「昔から友達がいないんです」確かに一見、通常の人と変わった感じを受けるが、私はそういう人を見慣れているだけで、偏見を持った人は心ない言葉を彼女にかけてきたかもしれない。カウンセラーではないが、できる限りのアドバイスをする。「小さなことにくよくよしてたら、自分で自分を苦しめちゃいますよ」「何か嫌なことがあっても、ぽんと外に放り出して、いいことを見つけましょうよ」「いっぺんには無理だけど、少しずつならできますよ」最近自分が読んだ本に書いていたことの受け売りばかりだ。自分自身、なかなかうまくできないものなのだが。

連絡会まで「あくせくするな、ゆっくり生きよう!」を読むが、あまり読み進められなかった。どうも集中できない。昼に集中しすぎたので、もう神経が疲れてるのか、夕食を食べた後なので脳が働いてないのか、まあ「あくせくするな、ゆっくり読もう」ということにして休み休み読む。「流動的思考法」を仕事に活かす方法がずっと書いてある。

連絡会の後、卓球が始まったので参加する。今日はけっこう長い間やって、最後は狭いながらもダブルスをやった。このスペースでやるのはちと無理があるな。体育館で思いっきりやりたい。ちょうどやり終えたら20:00になった。まだ体がほてってる。少し体が冷めるのを待って、就寝準備をしてから読書しよう。

誰か耳元でささやいたような気がして目が覚めた。時計を見ると5:00過ぎ。そうだ、今日は採血・採尿だ。6:00起床なのに、指定時間は5:00。なんでなんだ。看護婦が耳元でささやいていったのだろう。眠い目をこすりながら起きていって採血を済ます。今日の担当はI看護士。あまりうまくなく、1回では済まずに左右の腕に2回刺されてしまった。その後タバコを一服吸ってから、6:00までもう1回寝ようとした。

私がもう一度寝ようとして部屋に行く途中で、Mちゃんに「Kさんからの返事来ている?」と聞かれた。「あ、まだメールチェックしてない」そう答える。部屋に戻ってメールチェックすると、返事は来ているが読まずにそのままハンドヘルドPCの蓋を閉じて寝に入る。

ベッドに横になっていたら、洗面所で大声がする。T看護婦がMちゃんに「ドライヤーはダメ!」と注意して、取り上げるのなんの言っている。起床時間前だと言うのに、病室に響きわたるようなそんな大きな声を洗面所で出すなよなぁ。思わず起きていって、看護婦に注意する。やれやれ。こいつも投書してやれ。

夜中は割とよく寝ていたような気がするが、一度ものすごく咳き込んだ記憶がある。なぜだろう。寒くなったからか?そう言えば最近朝起きると鼻の調子が悪い。鼻炎なのだろうが、これも気温が下がったからだろう。

結局眠いのに眠れず、あと十数分で起床時間なので、あきらめてメールを読んだりこの日記を書いたりしている。やれやれ。6:00になって起床を知らせる放送が入ったので、しかたなく起きていって洗面をすませ、コーヒーをいれて一服する。それでも眠い。ラジオ体操をやってもまだ眠い。やれやれ。

朝食後、「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み進める。第三章「心を『今』に向ける」を読み終える。とにかくこの本では心を「今」に向けること、つまり過ぎ去った過去のことをくよくよ考えたり、まだ起こってもいない未来のことについてあれこれ悩んだりすることをやめることについて書いてある。まあ、それはいろんな本に書いてあることだが。

続いて第四章「ストレスと心の健康の関係」に入る。途中まで読んだが、「ストレスとは自分の考え方が作り出したもの」と説明されており、ストレスを感じなくするための具体的な方法が解説してある。なかなか実践的な本だ。その基本にあるのは、すべて「流動的思考」のようだ。この本はけっこう気に入った。「流動的思考」、ぜひ意識して採り入れよう。

8:00過ぎから散歩に出る。いつものように音楽堂でオカリナを吹く。いつものようにコンサートの曲を一通り吹いた後、ポルタメントの練習をちょっとやった。それから「竹田の子守歌」の即興の部分から元に戻る部分のフレーズを決めて、その練習もやった。その後は、久々に思う存分即興で好きなように吹いた。そのときそのとき心に浮かんだメロディーを奏でたり、たまたま指を置いた音からイマジネーションを派生させていくのはとても楽しい。かなり長い間即興で吹いた後、小山の周りを一周して帰ってきた。

今日の体育館レクはいつになく盛り上がりを見せた。今週から来ている新しい看護実習生も含めて2チームに分かれて、そのチームでドッジボール、バレーボールはいつものことだが、その間に運動会の練習として「バドミントン競争」と「玉ころがし」の練習をした。なんてことない競技だが、いざ勝負!となるとけっこう燃える。4種目とも2セットずつやって、どれも接戦で、すべて1-1の引き分けに終わった。体育館レクがこんなに盛り上がっておもしろく感じたのははじめてだ。終わった後のシャワーが気持ちよかった。

昼食時、見慣れない顔が増えているのに気づいた。新しい患者がいっぺんに入ったようだ。どうやら男性1人、女性2人らしい。女性のうち1人は明らかにアルコール依存症の症状を呈していて、顔が黒ずんでいる。アルコール依存症の特徴だ。もう1人の女性は喫煙所に来てタバコを吸いながら挨拶して「私、少し変なところがあるけど、誤解されやすいのです」と話す。みんな「みんな変だから大丈夫だよ。ここは精神科だし、そういう人ばっかりだから気にしないでいいですよ」などと声をかける。私は「そのうちよくなっていきますよ」と声をかけた。

11:30頃から情報セキュリティアドミニストレータの参考書を読み進める。昼食後、13:00から再開し、途中で目や神経を休めながら読み進め、14:00前に一服して休憩。売店に行って飲料を買ってきた。ホールでは運動会に向けてフォークダンスの練習をしているが、午前中は体育館レクで勉強があまりできなかったので、私は勉強することにする。

16:00まで予定通り勉強を進めた。「セキュリティポリシの運用管理」の章をもう少しで読み終わるところだった。内容は「セキュリティポリシの運用管理」と「セキュリティ監査」に大きく分かれていて、「セキュリティ監査」は運用管理の中の一部だが、かなり詳しくクローズアップして解説していた。

16:00からリラックス体操。いつも通りのスケジュールだ。30分ほどかけて行い、その後はこの日記を今書いている。やりながら部屋の人と話をする。Wさんは何と54歳であることが判明した。どう見ても40代にしか見えない。そういう私は30代なのに、20代に見えると言われた。20代のときはどう見ても30代に見えると言われたものだが、ここ数年顔は変わってない、というより若返っているらしい。

いつも厳しいA看護婦にYさんがまた何かきつい言われ方をしたらしい。Wさんはそれを聞いて「人権啓発委員会に訴えてやる」と言っている。本当にここの看護婦はきつい人が何人かいて、みんなそれに対する不満が爆発している。私も主治医にそのことを言ったことがあるが、他にも医者に言った人は何人もいるようだ。それなのに改善されないのは、婦長から注意を受けても治らないのか、あるいは「あえてそういう方針」で「そういう役割を演じている」看護婦がいるのか。本当に「単なる自分の気分で患者を叱りとばしている」のなら、人権啓発委員会に訴えてもいいかもしれない。

「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み進める。「ストレスと心の健康の関係」の章を読み終える。ストレスは自分の「思考」が作り出したもの。「ストレスを感じてる」と言うのは、そういう思考に陥っているというサインで、それに気づき、流動的思考に切り替え、するりと逃がしてやると「なんでもないじゃないか」と感じられるようになるらしい。ほんとかな?今度外出したときにやってみよっと。

連絡会でWさんが上に書いた件について訴えた。「心の病を治療しに来ている患者にきつい言い方をするベテラン看護婦がいる」という抽象的な言い方だったが、その前に「看護実習生が患者について男子トイレに入るときに、『入ってもよろしいですか』と尋ねました。患者の人権を尊重している、とても立派なことだと思います」という話を先に持ってきた。この辺の話術はさすが教師だ。

連絡会の後は喫煙所でWさんと教育談義になった。なかなかおもしろい会話だった。今の日本の教育制度の欠点は、教師自身も自覚していてなんとかしないと、と思っているらしい。教師全員がそうかどうかはわからないが、そう思っている教師がいるということは頼もしい。問題は、それよりも上のお偉方だろう。

「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を再び開く。次の章は「良い人間関係はつくれる」だ。途中まで読んだところだが、なかなかいいことが書いてある。例の「流動的思考」を活用することによって、他人との関係がよくなるというのである。自分の気持ちを変えるのみならず、相手にも影響を与えることができるという。まだ読んでいる途中だが、いちいち「なるほど」と納得させられる。一番納得したフレーズは「他人が不機嫌なとき、自分を非難しているのだと勘違いしないこと」ということだ。たまたま相手がイライラしていて、それできつい口調や攻撃的な言葉を発したとしても、それを自分が背負うことはないのだ。「ああ、この人は今調子がわるいんだな」そう思うことでその人に対する思いやりが生まれ、思いやりを持って接してあげればその人にも影響を与えることができるという。なるほど、目から鱗だ。

20:00になったので、一時中断。みんなは服薬だが、私は21:00なので、便通の回数だけ書いて戻ってきた。今日は早めに就寝準備をしてから、この本を読み続けよう。

夢を見た。会社の人と、なぜか「修学旅行」に行っている。帰ってきてから現実生活に戻れず、どうしてよいか困っている。途中何回か目が覚めた、というより浅い眠りがずっと続いていたような気がする。6:00の起床の合図。まだ体も頭も眠い。

朝食を挟んで週刊アスキーを斜め読みする。ソフトウェアのファイアウォール製品の紹介があった。ブロードバンド時代になり、ついに個人でもファイアウォールを導入する時代になったか。私も自宅はADSLだが、ADSLモデム直結なので少し心配だ。退院したらファイアウォールソフトを導入するか、ルータを間にはさむことにしよう。

朝食後、すぐに洗濯をする。バケツ方式で時間短縮。終わったら干しに行き、そのまま散歩に行く。今日はいい天気だからよく乾くだろう。洗濯物はまだたまっているというほどではなかったが、明日から天気が崩れそうなことを聞いたので、今日のうちにやっておいた。散歩はいつも通り音楽堂に行ってオカリナを一通り吹く。その後はまた山道をぐるぐると、何周もしようかと思ったが、なんだか気が乗らずに一周で帰ってきてしまった。

病棟に戻って喫煙所でしばらく話をする。夢の話になった。退院するので旦那さんと会計を待ってるOさんは、ユング派の元で1年半くらい夢分析をしていたそうだが、深みにはまりすぎて危険だったそうだ。私は大学時代の心理学の講義で教わったフロイトの夢判断の話をした。みんな自分の見たいろいろな夢の話をする。

O嬢は放送大学に行きたいらしく、パンフを取り寄せ中だという。入るのは簡単だが、出るのは難しいらしい。アメリカの大学みたいだ。本来ならそれが望ましいのだろう。日本の大学は、入れさえすれば出られる。だから「○○大学卒」というのは、「○○大学に入学できた」ことを意味し、それは「受験勉強がよくできた」ということにしかならない。あるいは「子供の頃に塾に行ってエスカレータ式の学校に運良く入れました」という意味かもしれない。日本の「大卒」なんてあてにならんもんだ。

10:00。Oさんが旦那さんの車で他の病院に移っていった。S君とMちゃんがメッセージカードと、花壇からつんできて作った小さな花束を手渡し、みんなで見送る。OさんもMちゃんも涙もろいので、二人ともぼろぼろ涙を流して泣いていた。「元気でね」「無理しないでね」みんなで声をかける。「がんばって」と言う人もいるけど、私は励ましていいのかどうかわからないので、そうは言わない。病棟に戻ってもMちゃんは泣いていた。「きっとまた会えるよ」そう言って慰める。昼になるとKさんが退院していく。そのときまた泣くのだろう。

今日は第一水曜日なので体重測定があった。「65.6kg」先月から1kg減っている。適度な運動と栄養のバランスのとれた食事のおかげだろうか。このまま継続していい痩せ方をしていけばいいのだが。そして退院後もそれを維持できたらいいのだが、外食中心になったり運動不足になると、リバウンドするかもしれない。

その後は昼食まで、情報セキュリティアドミニストレータの参考書を読む。「リスク分析」の章を読み終え、「セキュリティポリシの策定と評価」の章に入る。今日は調子がよく、なかなか集中力が続くが、ときどき意図的に目を閉じて神経を休める。躁状態ではない。自分で確認する。「疲れる前に休む」ことが重要なのだから。

入浴を挟んで参考書を読み進める。今日は集中できて、内容がさくさく頭に入ってくる。14:50に「セキュリティポリシの策定と評価」を読み終えた。多分100%に近い状態で理解できた。なんだかすごく勉強になった気がする。

その後15:00に休憩を入れた後、16:00まで参考書を読み進める。「情報セキュリティ管理システムの企画・設計・構築」の章の途中まで読んだ。ここまで来てようやく「トータルなセキュリティ管理」が見えてきた。

勉強は16:00までとし、夕薬を飲んだ後は洗濯物を取り込んで、その後リラックス体操。いつものパターンだが、だいたい毎日9:00~12:00と13:00~16:00が勉強時間、16:00からはリラックス体操、それ以外の時間は、自分の内面を磨く活動、すなわち心や病気に関する本を読んだりすることや、卓球や雑談などの運動やコミュニケーションにあてる、という生活パターンが定着してきた。もちろん勉強時間に関しては、作業療法や体育館レク、入浴などの時間はそれが優先されるし、調子の悪いときは無理をしないことにしている。調子が良くても、ときどき意識的に休むようにしよう。それは今日から意識し始めたことだが。

メールチェックすると、「WindowsCE FAN」のメルマガが来ていて、おもしろい記事があった。「手回し携帯充電器」なるものが英米で発売されるそうだ。山でピンチになったときに役に立つかもしれない、と思って山岳会のMLに紹介文を書く。8月の定例の報告メールがこの間あったばかりで、その中に「携帯電話が通じるところでは積極的に活用する」というのがあったので、それを引用して紹介文を書いた。

連絡会の前に、MちゃんがKさんにメールを打ってほしいと頼んできた。そう言えば、Kさんは私が勉強している間に行ってしまった。しくじった。見送ることができなかった。Mちゃんが、そろそろ家に着いた頃だろうと思って電話したけど留守だったので、「元気ですか?連絡ください」とメールしてほしいとのことだ。連絡会の後に彼女がもう一度携帯に電話したが、やはり留守電になっていたので、上記の旨を伝言としてメールする。彼女は転院騒動のときに携帯を取り上げられてしまって、携帯でメールができなくなっている。これからもたびたび利用されると困ってしまうな。

夜、「あくせくするな、ゆっくり生きよう!」を読み進める。第一章の「ゆっくりと、集中して生きる」を読み終え、続いて第二章の「思考をコントロールする」を読み終えた。とてもおもしろい。この本に書いている考え方自体は、今まで読んだ各種の本や、タイムマネジメントの研修で受けた内容と共通するところが多いが、この本の特徴は「思考をコントロールする具体的な方法」を解説していることだ。今まで読んだ本は「こういう考え方をしよう」ということは書いていても、実際にはなかなか実践できないものが多かった。宗教ではそれを「修行」によって習得するのだろうが、この本ではもっと単純に、自分の感情が「マイナス」に陥っているときに注意し、そう気づいたときに自分の考え方を見つめ直す、というように自分の感情を羅針盤としてコントロールする方法が書いてある。

20:00になって、ちょっと一服するつもりで喫煙所に行ったら、スポーツ談義で盛り上がってしまい、気がつくと20:30をまわっていた。病室に引き上げて就寝準備をした。この日記を推敲してから眠剤をもらって寝ることにしよう。

昨日は多分21:00までには寝付いたと思うが、かなり長い時間寝たと思って目が覚めて時計を見たら、まだ23:00頃だった記憶がある。そして、その後はよく覚えてない。5:30頃目を覚まして6:00前に起床したが、それまでの間に目が覚めたような気もするが、覚えてないのだ。そう言えば薬の本の「眠剤の副作用」に「一時的な記憶障害。途中目を覚ましたときのことや、起きてからしばらくのことを忘れる」とあったが、ひょっとしてそれなのだろうか。

テレビを見ていると、NHKのニュースで「うつ病やPTSDなどのメカニズムを科学的に解明するための研究を厚生労働省が始める」というのが出てきた。今の段階では、これらの病気はきちんと解明されておらず、根本的な治療でなく対症療法しか行われていないというのが現状だと言っていた。やはりそうなのか。入院してよくなったとしても、それはやはり「対症療法」に過ぎないのか。もっと早くこの研究が始まっていればよかったのに、と思う。今のところ再発を防ぐには、自分自身で何かしら「自己変革」を行う必要があるのは間違いなさそうだ。それには精神科医だけに頼っていてはだめなのだろう。医者、カウンセラー、自助グループ、ケースワーカーなどいろいろな人や組織がいるが、その住み分けや連携はどうなっているのだろうか。

外泊時に買ってきた本「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み始めるが、ちょっと読んだところで頭がぼ~っとしてきたので、途中で本を閉じる。やはり集中力がない。

朝食後、なんだか眠い。頭がぼ~っとしている。こういうときは無理せず休んだ方がいいのか、散歩にでも行って体を動かした方がいいのか。どちらがいいのか未だにわからない。

今まではストレス耐性訓練として週に1回外出、月に1回外泊する予定で、今回の外泊に成功したらペースをあげていこうかと思ったが、失敗した。今のペースを維持した方がいいのか、それとも「慣れる」という意味ではもっと頻度を増やした方がいいのか。とりえあえず主治医に相談することにして、面談の希望を看護婦に伝えた。

7:40くらいから散歩に出かけた。廊下にたくさん猫が集まっていて、O嬢が手なづけている。それを横目にグランドをつっきり、音楽堂を目指す。と、一匹の猫が私についてきた。少し私が歩くと、後ろからぴゅっと抜かしてきて先回りし、じっとこちらの方をうかがっている。私が追い抜いてちょっと歩くと、また追い抜かす。どこまでついてくるんだろう?音楽堂に着いて、私がオカリナを吹き出すと、聴いているんだかいないんだか、ともかくずっと音楽堂の「観客席」のあたりをうろうろしていた。コンサートで吹く曲を一通り吹き終えると、いつの間にか猫はいなくなっていた。相手にしてもらえなかったので、あきらめて帰っていったのだろうか。

その後は、短い山道を何回もぐるぐるとリングワンデリング。一周3分という短いコースだ。もうちょっとコースにバリエーションを取り入れてもいいが、今日は半ズボンで来たのと、昨夜雨が降って草が濡れてるのもあって、歩きやすい道だけをぐるぐると回った。

作業棟へ行って、基礎データの計測をすると、やっぱり心拍数はかなり高い。あれだけ散歩してもあまり意味はないのか。なぜなんだろう。ただ、体脂肪率は過去最低を記録した。少しずつ効果は出てきているのだろうか。体重は変わらないのだが。

心拍数が高いまま体力テストを行うと、心拍数はさらにどんどんあがっていって、やはり「6段階中の1。劣る」が出た。前のように少し休んでからもう一度やると違う結果が出るかな、と思ってもう一度やってみた。が、心拍数の上がり方は最初と同じだ。これだとどうせ同じ結果が出るに決まっている。2回目の体力テストは途中で打ち切り、そのまま通常のトレーニングに入った。

今日からは20分でなく、30分を1セットにすることにした。脂肪は20分くらいから燃え始める。20分だけだとあまり効果がない。ということで、30分を2セット。途中のインターバルでは腹筋もした。作業療法の時間は11:00までだが、ぎりぎりだった。

珍しくY嬢が作業棟に来ている。彼女は2年くらい入院しているらしいが、家の事情で退院できないとか聞いた。エアロバイクを漕いだ後、腹筋している。と思ったら、腹筋用の長椅子にそのまま寝そべってしまった。しばらくして病棟から電話が入り、Y嬢は一度作業棟から姿を消したが、また後でちらっと姿を見せた。私が手を振ると、Y嬢も手を振ってくれた。

作業療法士の実習生が、患者と一緒にエアロバイクを漕いでいる。以前にグランドで会った彼だ。彼の来ているTシャツの背中に「あせらず あきらめず あてにせず」と書いてある。ふ~ん、そっか~。てな感じだ。

昼食前に、「医者からもらった薬がわかる本」を私が買ったという話をしたら、みんなが見たいというので喫煙所に持ってきた。みんな「○○は?」「△△は?」と自分の薬について調べてと言うので、片っ端から調べる。本来ならば医者が処方した薬については、医師か薬剤師か忘れたが、その薬についての説明をする義務がある。外来で診察を受けて薬を処方されると、今では必ずそういう説明書きがついてくる。が、入院患者にはぜんぜん説明がない。多分、説明してくれと頼むとしてくれるのだろうが、忙しいのでやってないのだろうか。Mちゃんが飲んでいる薬の「処方目的」の中に「人工冬眠」というのがあって、みんな「何それ~?」と首をひねっている。Mちゃんはとても気になっているようだ。「今度先生に聞いてみよう」なんて言っている。

喫煙所で話していると、2回目の入院のWさんが「前に退院するとき、主治医に『あなたはまた戻ってくるタイプですよ』と言われた」と言って、みんな驚く。「だから気をつけるように」という意味なのだろうが、もうちょっとましな言い方はないものか。

13:00頃から病院内の食堂で、明日退院するKさんの送別会を開く。食堂の外のテラスでみんなでテーブルを囲む。今日は日が照って暑い。Kさんは私の一つ年上で、私と同じように会社員で技術職で、私と同じような性格で同じような経緯でうつ病になったそうだ。そういうわけで一番親近感を持っていただけに、別れは寂しい。くれぐれも無理をしないように、元気でやってほしいと願う。「Kさんは私の旦那さんなんだ」と言っているMちゃんは「行かないで」としきりに言っている。彼女はラブアフェクションの傾向もあり、「異性とデートするにも主治医の許可が必要」らしい。依存症が移行するタイプのようだ。そのMちゃんの退院も近いようなことを言っている。今月半ばにはO嬢も退院予定だ。同世代がどんどん減っていって寂しくなる。

送別会の途中で、Oさんの主治医が来てOさんに告げた。「明日に決まったから」Oさんは転院することになっていて、その日程はまだ未定だったのだが、「早ければ10月3日」ということは聞いていたらしい。だがぎりぎりまでわからないと言っていたが、明日に決まったようだ。Kさんの送別会だったのに、突然Oさんの送別会にもなってしまった。みんなまたまた別れを惜しむ。転院の理由は「この病院の治療方針より、転院先の治療方針の方が彼女にあっていそうだから」だそうだ。ここの病院は、いわゆる普通の精神科的療法、つまり「薬物療法」であるが、転院先では「森田療法」で治療を進めるらしい。薬物に頼らず、自分を変えていく療法だ。Oさんの話によると、最初の一週間は寝たきりで、トイレと洗面以外は起きてはだめ。その後は、次から次へといろいろなことをやらせて「不安を感じている暇がない」「悩んでいる暇がない」状態にさせ、次第に不安を取り除いていくという行動療法らしい。「また戻ってくるかも」彼女は言う。その療法で効果がなかったら、ということである。自分にとってどの治療方法が向いているか、それはなかなかわからない。試してみないとわからないし、試してみてもわからないかもしれない。

送別会の後、15:00のシャワーをはさんで「情報セキュリティアドミニストレータ」の参考書を読み進める。リスク管理はけっこう奥が深い。いろいろなリスク評価法がある。そもそもこれは独立した「リスクマネジメント」というものが前提にあるのだろう。会社の研修でもそういう名前の研修があった。かなり勉強になった。

参考書を読んでいると、16:00ちょっと前に主治医に呼ばれて面談した。外泊でまた蕁麻疹と鬱が出たことを告げ、週1回の外出と月1回の外泊のペースを、ストレスに慣れるという目的では増やした方がいいのか現状維持の方がいいのか相談したところ、「1回外泊して症状が出ないようになるまでは今のペースでいった方がいい」と言われた。あまり無理はさせない医者で、いつも「まあ、あせんないで」と口癖のように言っている。それから、最近は睡眠障害も改善されてきて、夜中に目が覚めたかどうかもよく覚えてないことや、起きてからもまだ頭がぼ~っとしていて、眠剤が残っているのではないか、ということも伝えた。自分としては眠剤を減らしていきたいと思っていて、それを期待したのだが、「まあ、いい傾向ですけど、とりあえずこのままいきましょう」ということで眠剤は変わらなかった。

面談の後、いつもの通りリラックス体操をする。これのおかげで体が柔らかくなったような気がする。心も柔らかくなっていくだろうか。この体操はヨガを基本としているが、ヨガ自身にもちょっと興味を持ったので、先日外泊したときにヨガの入門書を買ってきた。ついでに「気孔」の本も買ってきた。そっち方面にも少し興味が出てきて、いろいろ試してみようと思っているのだ。

夕食後、メールを2通書いた。1通は歌のグループ宛で、外泊は月に1回のペースにしたので、今月は試験を受けるため、その外泊のみで練習には参加できないこと、もう1通は会社宛で、現在の状況を報告し、まだまだかかりそうで、目標としては傷病欠勤の期限が切れる来年の7月頭を目指していることを書いた。会社の人はもっと早く出てくるものだと思っているだろうから、驚いているかもしれない。こちらが長期戦を覚悟した以上、会社の人にも覚悟してもらわねばならぬ。

連絡会で、KさんとOさんが退院の挨拶をしていた。Kさんは「ここでの3ヶ月間を無駄にしないよう、これからの糧としていきたいと思います」と言っていた。私もそう言えるくらいに回復したい。ここでの生活を決して無駄にはしたくない。Oさんは涙ぐんで「みなさん、お世話になりました」と話していた。

夜、Kさんと最後の卓球をする。Kさんは素人ながら、会社の寮で先輩に叩き込まれたそうでかなりうまい。たて続けに「最後に一勝負」とみんなが次々と相手してくるので、Kさんは汗だくになっていた。S君は自分のボールに自分の名前を書いて「僕のサインボールです。これを見て僕を思い出してください」と言って渡していた。不思議な発想をする人だ。

実家の母親から電話があった。ACのことについて両親に理解してもらいたくて、自分が持っているACの本のタイトルと著者、出版社を先日連絡して「とりあえず読んでみて」と言っておいたのだが、「探したけどなかなかなくて、取り寄せになって明日来る予定」だそうだ。正しく理解してもらえるか心配だが、「アダルト・チルドレン」ということ、それから「機能不全家族」について理解してもらいたい。理解してからどうしてもらいたい、というのは具体的にはないのだが、ただ理解してもらいたい、それだけだ。私が読んだ限り、うちの家族が「機能不全家族」と判断できる記述はいくつもあったが、両親が読んで、それをわかってくれるだろうか。「うちはそうじゃない」と思うだろうか。

20:00前から「アダルト・チャイルドが人生を変えていく本」を読み進め、最後まで読んだ。ACから回復し、人生を変えていくためのいろいろな「プロセス」が解説されてあったが、今の自分はまだその「プロセス」を実践することはできない。が、参考にはなった。これらの「プロセス」を実行するには、自助グループやカウンセラーの存在も不可欠になってくる。ACから回復する「プロセス」を実行できる日は来るのであろうか。

続いて「あくせくするな、ゆっくり生きよう」を読み進める。「小さいことにくよくよするな!」の著者リチャード・カールソンの「大ベストセラー」と裏表紙に書いてある。読んでいくと、今までいろんな本で読んできたことと共通するようなことが書いてある。やはり「悩みの種」は自分の思考が作り出した結果であり、思考方法を変えることが重要だと書いてある。そして、自分に取り入れるべき「流動的思考法」について解説している箇所を読んでいるところだ。確かに、ここに書いているような「流動的思考」ができれば、もっと気楽に生きれるだろう。しかし、それが果たして自分にできるか?それは、これから読み進めていくと、どうすればそれができるか解説してあるに違いない。赤線を引きながら読み進めている。

もう20:30になる。そろそろ着替えて就寝準備に入ることにしよう。