TOPに戻る
鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日もまだしんどい。

しかし、今日は年に一度の、この団地の自治会の総会。

委任状を出しておけば別に行かなくてもいいのだが、うちは今年度の常任委員。出席しないわけにはいかない。今日は新旧常任委員の実務的な引き継ぎがある予定だった。しんどいけど、自治会館はすぐそこだし、なんとか顔を出した。

常任委員なんて引き受けたくなくても、毎年部屋番号順に回ってくるのでしかたがない。「うちは病気ですから」は通用しない。いや、通用するかもしれないが、2人とも病気のことは隠している。なぜ隠さないといけないのだろう。

この団地は高齢化が進んでおり、他の常任委員は大半がお年寄りである。自分たちなんか最若手の方だ。それに、やはり低所得者層向けの県営住宅である。お年寄りだけでなく、働いている人もシングルマザーやら何やら、そうでなくても共働きの人がほとんどだ。みんな忙しくてもわけありでも、ちゃんと責務は果たしているのだ。

しかし、昨年度までの常任委員の方が体調不良で来られず、結局引き継ぎは持ち越しに。常任委員は2世帯で1組なので、もう一人の常任委員と相談して、上期と下期で役割を分けることにした。うちは下期になったので、引き継ぎは当分先になる。

そもそも常任委員は各世帯から一人出せばよくて、うちは妻の名前で出してあるので、本来は自分は行かなくてもいい。実際、二人で来ているのはうちだけだった。自治会やら子ども会やら、こういう活動はたいてい奥様の管轄のようだ。しかしまあ、ああいう場に顔を出しておくのは悪いことではないだろう。「夫婦揃って真面目な人」を演じている自分がここにいる。もしも困ったときのために、助け舟を出してもらえるように「いい人」を演じている。ずっとそうやって生きてきたのか。

自分の前に座っていた、志村けんに声がそっくりなお爺さんとお婆さんの話を聞いてると、「あたしゃこないだ93になってね」とか。お達者だ。どうやらこのお爺さんは、実はお婆さんらしいと気がついた。そんなことはどうてもよいが、本当に高齢化が進んでいるのだな、というのがああいう場に出るとよくわかる。

さらに総会資料の予算案を見てびっくり。

自治会総会

 

自治会費の収入と子ども会の収入である。

233世帯あって、小学生が19人、幼児が5人とな。

ここは単身者向けでなく、あくまでもファミリー向けの団地なのだが。

この団地は、すでに超高齢化社会の縮図である。 

総会のあとは常任委員会だったが、その前にこの地域の地区センターの方から、最近の振り込め詐欺の手口などの説明があった。その方が「この中で詐欺かもしれないという不信な電話がかかってきた方はいらっしゃいますか」と尋ねたら、30人くらいのうち5人が手を挙げたのには驚いた。

最近では振り込ませるのではなく、現金手渡し型の手口が多いので、警視庁が新しい名前を募集しているらしい。

なんか脈絡がない日記になってしまった。要するに、心身ともにまだまだしんどい、ということだ。何を書いているのか自分でもよくわからなくなってきたので、この辺りで終わりにする。

しんどい。

なんかしんどい。

体もしんどいし、心もしんどい。

何もかも放棄したい。

 

と、思ったから、

 

何もかも放棄してみることにした。

またやっちまった。

今に始まったことではないが。

いろいろあって、精神的にかなり参っている。

ここに何か書こうかと思ったが、それすら気力がない。

何人か友だちにメールをしようと思ったが、その気力もない。

ちょっとしばらく、何もしたくない。

それにしても、何度も同じことを繰り返すのはなんとかならないのかと自分でも思うのだが、なんとかなるくらいだったら、こんな病気にはならなかっただろう。

あ、心配は無用。そのうち上がってくるだろう。

真冬のような寒さに襲われ、一気に体調を崩した先週。

今週に入って温かさは戻ってきたものの、自分の体調はいまいちである。

悪くなる時はあっという間なのに、回復するのには時間がかかる。

今日も午前中はしんどいながら、なんとか起きていたのだが、昼過ぎにギブアップして何時間か寝てしまった。

昨日は何にもできなかったが、今日は妻のお手伝いをして、一緒に豚肉の生姜焼きを作った。少し達成感。二人で作った夕食はおいしかった。

「手伝ってくれてありがとう」
「こちらこそ、いつもありがとう」
「いやいや、ありがとう」
「いやいや、こちらこそ」
「いやいや」
「いやいや」
「どうぞどうぞ」
「どうぞどうぞ」

よくわからない会話だが、リアルな会話である。いつもこんな感じで、妻と楽しくやっている。

それでいいのだ。

最近いろいろと書きたいことはあるのに、なかなか筆が進まない。いや、キーボードが進まない。日本語としてはかなり変か。まあいいや。

さっき、また体調が悪くなってしまったことを書いたのだが、今から思えばずいぶんと無理や無茶をやったものだ、と痛感する。

最初の会社に勤務していた頃、うつ病を発症し、かなりしんどい状態が続いていて、会社の産業カウンセラーから「しばらく会社を休みなさい」と休職を勧められたのに、頑なにそれを拒んでいた。IT業界は進歩が激しい。一度現場を離れると、もう戻ってこれないかもしれない、ということが怖かったのだ。

そのうち、産業カウンセラーは「一度お父様にお会いしてみたい」と言ってきた。自分が昔はどういう子どもだったのか、幼少時代の性格面や行動面について知りたいのかな、と思い、父親がちょくちょく出張で東京に来るので、そのときに会ってもらえるようにセッティングした。私は同席しなくてもよいとのことだった。

そして父親が会社に来たら、そこには産業カウンセラーだけでなく、自分の上司、部長、人事部の人がいて、

「息子さんに会社を休ませるように説得してください」

と言われたそうだ。結局それで私は観念して3ヶ月療養したのだが、社会人になってまで親が呼び出されるなんて、自分が情けなかった。随分無理をして働いていた。

その後に勤務した会社でも、相当無理というか、無茶をやった。うつ病の特徴である日内変動で、午前中はつらいが、夕方から夜にかけては体調がだんだん回復していく。とにかく朝がつらかった。しかしそれでは会社員は務まらない。もう完全に動けない時は休むか午後から出勤したが、無理やり会社に行ったこともあった。

朝起きてしんどいとき、這いつくばるようにして家を出てタクシーを拾い、会社に出勤した。当然ながら会社についてもしんどいのだが、しんどいまま無理やり仕事をしていた。タクシー代は4,000円くらいかかったが、なんとか1日働いて電車で帰ってくれば元は取れた。

調子をずっと崩して生活のリズムが崩れたとき、最後の手段として「断眠療法」を何度もやった。夜になると無駄に元気になってくるのに、寝て起きて朝になると、ものすごくしんどくなってしまう。だから、あえて夜は眠らずに徹夜して、朝になったら会社に出勤し、悲鳴を上げそうな体に鞭打って仕事をしていたのだ。かなり無茶をやっていた。それで生活のリズムが戻った時もあったが、逆効果の場合の方が多かった。どちらにせよ体には相当負担がかかる。

一応「断眠療法」はうつ病の治療法として本にも載っている。しかし医者には「体の負担が大きすぎるので、やらない方がいい」と言われていたり、断眠療法のことを日記に書いたら、うつ仲間からも「それは無茶だからやめた方がいい」とメールをもらったが、他人の忠告も耳に入らなかった。その時は「会社に行って仕事をしてお給料をもらう」ということしか頭になかった。

そんな無理、無茶をしたせいだろうか。今はずっと調子が悪いのが当たり前の体になってしまった。その当時はとにかく「今をなんとかしなくては」と目先のことしか頭になかった。

今はいったい何をどうすればよいのか。考える時間はいっぱいある。自分にできることをできる範囲でやりながら、じっくり考えることにしている。