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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

昨日のお昼前に、友人FからSkypeに入電。友人Fとは最近ちょくちょくSkypeでチャットをしている。(友人Fについては過去の記事を参照)

最初は、
「iPadやAndroidでアプリ作るのには、何から勉強したらいい?」
という質問だったのだが、しばらくチャットをしていたら話があちこちに飛んで、減薬の話題になった。減薬を勧めてくれたのは彼女なのだが、私の日記を読んで、
「減薬のペースが早すぎない?」
とのこと。

確かに、自分でも、
「少し減らしてからしばらく様子を見て、大丈夫そうだったらまた少し減らす」
という感じで、医者も慎重に減らしていくかと思っていたが、前々回の診察でデパスを3mgから2mgに減らしたばかりなのに、前回また1mgに減った。これだけ早いと逆に離脱症状が出ないか心配である。今のところは大丈夫みたいだが。

デパスとは抗不安効果や催眠効果があり、メンタルな病気でよく用いられる精神安定剤で、「エチゾラム」という成分を配当したチエノジアゼピン系の薬である。エチゾラムは抗鬱剤や安定剤、眠剤などでよく用いられるベンゾジアゼピン系の薬に近い依存性を持つ。

ベンゾジアゼピン系の薬には特に依存性があり、いきなり薬を抜くと離脱症状(禁断症状)が現れるので、減薬は慎重に行わなければならない。友人Fが教えてくれたのだが、「アシュトンマニュアル」という、ベンゾジアゼピン系を減薬するためのマニュアルがあるという。(詳しくはこちら )けっこう長いので、自分もまだ全部は読んでないのだが、とにかく減薬は慎重に行わければならないとのことだ。

しかし、医者はかなりのペースで減らしていっている。減薬は自ら希望したのだが、こんなペースで減らしていって大丈夫なのだろうか。今度の診察で、減薬についてのリスクについて、医者に聞いてみることにしよう。

それにしても、友人Fは次から次へと情報を持ってきてくれるし、アドバイスをくれる。自分が彼女に依存しないように気をつけなくては。

ここ2~3日くらい、ちょっと調子が悪い。体調に波があるのはしかたがないが、自分の自己管理もなってない。悪い時に、さらに悪い方向にいかないようにしなければいけない。悪循環を続けてはいけない。

再来週の日曜日は母の三回忌である。先日の日記では、事情があって行かない、と書いたのだが、思い直してやはり行くことにした。去年、自分は母からもらった大切な命を粗末にして捨てようとした。母が生きているときのみならず、死んでからも親不孝をするところであった。挙句の果てに、自分の勝手な都合で母の法要に行かないなど、人としてどうか、と自分で思い直した。

というわけで、再来週の土曜日に新幹線で地元大阪へ帰り、2泊して月曜日に横浜へ戻ってくることにした。せっかく久しぶりに大阪に帰るのだ。この機会に関西の友だちに会っておきたい、と思った。今回を逃すと、今後はしばらく大阪に帰る交通費も捻出できなくなる可能性が高いのだ。

学生時代に所属していた合唱団の同期メーリングリストに「再来週に大阪に帰るので、誰か会ってくれませんか」という連絡を急遽流した。みんな仕事に子育てに忙しいうえに、再来週の週末は三連休である。こんな直前に言われても予定が合わない人もたくさんいるだろう。でも、会える人には会っておきたい。

ただ、自分はあいかわらず体調が不安定である。どんなに頑張っても、しんどくて行けないかもしれない。去年の一周忌も行けなかった。でもまあ、これは自分のために集まるわけではないので、行けなくても「おかん、ごめんな」で、家族も「調子が悪いんだったらしかがたない」で済む。

法事のような集まりならそれで済むが、今回のように自分が「みんなに会いたい」といって友だちを集めておいて、でも行けないかもしれない、というのは自分的には非常に心苦しい。「約束を破る」のが嫌なのだ。約束を破ってしまうたびに、強い自己嫌悪に陥る。その結果、ここ数年は「誰とも約束しない」状態が続いてきた。そして人付き合いは減っていき、会話をするのは妻と医者だけ、という状態になっている。

幸か不幸か、去年ODしてしまってから、たくさんの人が自分を心配してくれていることを改めて実感し、いろんな人と久しぶりに電話で話したり、家に来てもらったりした。やはり、会えるときには会いたい、という気持ちが強くなってきた。

今回、「この機会を逃すと次はいつになるかわからない」という思いから、メーリングリストで声をかけた。ただ、集まるにしても、どこかお店を予約して、ということは自分にはできない。自分が行けない可能性が高い以上、自分で幹事ができないのだ。

そこで、勝手ながら誰かに幹事をお願いしたい、と書いたところ、友だちの一人が快く引き受けてくれた。誰か、といいつつほとんど指名したのだが、「こういうときは彼女の出番」というような、我ら同期の中心的存在である。持つべきものは友だちだと、何回この日記で友だちに感謝したことか。

みんな予定がいろいろあるだろうが、少しでも会えるといいなあ。そのために「体調よ、2週間後の週末は安定してくれ」という変なお願いを自分にしている。

再来週に向けて、自己管理を徹底しよう。

今日の朝刊の1面に、

新聞記事

の記事と、

新聞記事

の記事が載っていて、なんだかなあ、と思った。

物価は2%上げるのを目標にしてるのに、生活保護は7%も下げるんだ。へぇ~。

それぞれがそれぞれの思惑で動いているのはわかるが、これでは弱者が泣きをみる社会に。

年金支給額は消費者物価指数と連動するため、自分が受給している障害年金も、毎年じりじりと下がってきているのだが、減らすだけ減らしておいてそのまま、なんてことはないだろうな・・・。いや、なりかねん。

今は毎月1円単位まで厳密に家計簿をつけ、もし生活保護になったときのシミュレーションをしている。

毎月の支出から、生活保護になったら支払いを免除されるお金(国民年金保険料、健康保険料、医療費)と、さらに生命保険を解約すると仮定して、毎月払っている保険料とを差し引いた額を1ヶ月の支出として計算し、それを生活保護費から引くのだが、毎月マイナスである。

今はまだ貯金があるからなんとかなっているが、本当に生活保護になったら、「マイナス」はあり得ない。ゼロ以下はないのだ。今よりもさらに切り詰めないといけない。新聞すら取ってる余裕もなくなるだろう。

それに追い打ちをかけるように、支給額を7%も引き下げられたら、たまったものではない。個々の事情を汲んだ制度にしてほしい。よくある「あとから申請すればお金が戻ってくるよ」は通らないのだから。

今日はメンタルクリニックへの通院日。体調は幸い安定していて、早めに家を出て病院に行くことができた。

診察では、デパスを3mgの細粒から2mgの錠剤に減らしても、夜はきちんと眠れていることと、ノリトレンを1日100mgから70mgに減らしても、体調がひどく悪化することもなく、以前と変わらないことを伝えた。

このまましばらく様子を見るのかな、と思ったら、

「それならデパスはもう1ミリ減らして1mgにして、ノリトレンも、50mgに減らしてみましょうか」

と言われ、さらに減薬が進んだ。うむ、順調だ。このままどこまで減らせるか。自分は薬が多いので、毎日1日分の薬をピルケースにまとめるのだが、間違えないようにしなくては。

現在のピルケース。昼は2錠と少ないが、それ以外はまだちょっと異常に多い。

ピルケース

前回の続きで、スピリチュアルな心理ワークショップの話。今回はお誘いから参加に至るまでの経緯である。この記事は連作なので、(1)を読んでいない方は、そちらから読んでいただきたい。今回は長くなってしまった。

友人Fと久しぶりにメールをやり取りしていると、彼女からこんな話が出た。

下記、もしよかったら遊びにきませんか。
ちょうどいいタイミングでこんなイベントがあったわ。

■心理ワークショップのお誘い

月一回、心理療法の先生が東京に来るのね。
ボランティアで悩んでいる人の治療を無料でやっているの。体の悪いところも見てもらえるよ。


(以下その説明)

正直「ちょっとこれは・・・」と思った。この類の話は、通常はお断りするところである。

先月の日記でも書いたが、私のような病気を抱えていると、いろんな人がいろんな話を持ってくる。みんな善意で紹介してくれるのだが、健康食品やらサプリメントやらなんとか還元水やら怪しいスピリチュアル系のものやら宗教やら、もう様々である。

そしてそれらは、なんだかんだ言ってけっこうお金がかかるものがほとんどだし、勧められるものを次から次へと試せるわけもない。そういうわけで、どれも丁重にお断りすることにしている。これが私の基本的なスタンスである。

しかし、今回は勧めてくれたのが友人Fというところで、自分の心に少し引っかかった。前回の記事でも書いたが、彼女は特別な何かを持っていると自分は感じている。本物を見極める嗅覚といっても良いかもしれない。

かと言って、それだけで簡単に受け入れられるというわけでもない。その理由が、これが「スピリチュアル系」だということ。そしてもう一つが「無料」というところ。

まず、「スピリチュアル系」についての話をしよう。

前回の記事で「先生」と書いたのは、関西にある鍼灸院の先生である。ホームページを見たところ、鍼灸院と言っても肩こりや腰痛などの治療だけではなく、抑うつやノイローゼ、不安感、摂食障害などのメンタル面の治療もしており、身体療法や心理療法を行なっているそうで、

「身体の悩みも心の悩みも、きっと根っこは同じです」

とのこと。これはまあ、ある程度理解できる。

しかし、戸惑ったのが、そのホームページに散りばめられたキーワードの数々。

「野口整体」「心理療法」「気功」「東洋医学」「催眠」「家族療法」「易」「数秘学」「占い」「霊性」

こ、これはまさしく、間違いなくスピリチュアル系の証。「整体」や「心理療法」「東洋医学」などはまだ理解できるが、「易」やら「霊性」やら、ちょっとこの辺りになると、自分には???の世界。

このようなスピリチュアル系のものに対しては、自分自身は懐疑的である。ただし懐疑的ではあるが、全否定はしない。これに関する自分の考察は、後日また書くことにする。

話を鍼灸院に戻そう。その先生はカウンセリングのスクールもやっており、東京講座も行なっている。友人Fはその受講生で、2年間くらいカウンセリングを勉強しているという。カウンセリングといっても、臨床心理士のような国家資格ではなく、あくまでもこの鍼灸院の先生のやり方を踏襲したメソッドを身につけるものらしい。

そしてもう一つ気になった「無料」の誘い文句。

あくまでも一般論だが、「ただより高いものはない」という言葉があるように、「無料」とつくものには何か裏があるかもしれないと常々思っている。それは宗教や怪しい自己啓発セミナーの入口だったり、悪徳商法や詐欺の餌食への入口だったりする。だから、金がかかるのは敬遠するが、全く金がかからないものは、それはそれで警戒するのだ。

友人Fに、なぜ無料なのか尋ねてみた。その答えが、

無料なのは、このワークショップが教育病院的な意味合いを持っているからです。お医者さんも研修医時代があるように、カウンセラーも実際の患者さんを見つつ、研修の時期が必要であると、先生は考えているのと、またグループでやったほうが治療の効果が上がり、カウンセラーと患者の依存度が少なくて済むという見解があります。

とのお答え。なるほどそうか。って、おいおい被験者かよ、と思ったら、その続きに、

まず、治療に関しては、カウンセリングコースの卒業生3人(私とその他二人)と先生のチームで担当します。つまりグループです。一応、私も入ってるから安心でしょ。

ああ、ちゃんとグループに先生が入っているのね。それはそれで納得がいくし、私が信頼している友人Fが入っているから、安心というか、不安要素は軽減される。とは言え、やはりこの手のものには抵抗がある。

しかし、その後に彼女がくれたメールが、私の心を動かした。それは、その先生の治療方針を書いたもので、そこから抜粋すると、

まだまだ明確な方法論はないのだが、こういった方々のサポートをしていく上で、今言えることは、次の二点である。

1 精神医学であれ、心理療法であれ、ひとつの分野だけでは難しいということ。
様々な分野の芸術家、ボディワーカー、また気功やヨーガ、瞑想など心身変容技法の専門家など、いろいろな分野のプロが協力できる体制が望ましい。

薬物療法の限界を感じている私にとって、いろいろな分野から多角的にアプローチする、という考え方は、なるほどと頷けるものがあった。ただ、上に掲げられた分野には???なものも多いが。

それから、そのメールの冒頭に彼女が書いた、以下の文章。

これ読んで、もし興味あったらということなので、あまり深く考えないでね。
あと宗教団体やスピリチュアルな商売とは一切関係していないのでご安心を。
私も本業はカウンセラーじゃないから、商売とも関係ないので安心して。

宗教団体やら商売とは無関係だと言われても、はいそうですか、と簡単には思わない。それくらい私の猜疑心は強くなっている。しかし、よく考えたら彼女は知っているのだ。私が経済的に困窮していることを。

そういった経緯があり、最終的には自分の中で、彼女を信じてみようと思った。実は彼女を信頼できる根拠は10年以上前に遡る。下記は私が療養のために入院したときに、彼女がくれたメールの一部。送信日付は2001814となっている。

気分のアップダウンのある性格もひっくるめてはまーさんなんだから、そのままのはまーさんでいいんです。気楽にやればいいと思いますよ。

病院から帰ってくれば、みんなが迎えてくれます。みんなが支えてくれる。
決して一人ではないということを忘れないで下さい。

人生は長いレースだと思います。でも最後に勝つのは、ウサギではなく亀ですよ。ゆっくりやりましょう。
そして美しいものを沢山見て、美しい歌を沢山歌って・・・・。
だからそうするために、今はよく休んで下さい。

過去のメールを検索していて、このメールを発見したときは、改めて涙が出そうになった。彼女はずっと変わらない。ずっと前から自分を気にかけてくれて、支えてくれていた。

わからないことや懐疑的なことはたくさんあるが、騙されたと思って行ってみよう。そう思わせたのは彼女の人徳ゆえである。