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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

今日、妻に付き添いでK病院の外科を訪れた。

予め病変の細胞だけを取り出して検査できれば、余計な手術はしなくて済むかもしれないのだが、それがちょっと無理な位置にあり、良性か悪性かは開いてみないとわからない、ということで外科に回されたのだ。

内科医からは、内視鏡を使用した手術で切除するのは難しく、切開して摘出する必要があるので2~3週間は入院しないといけない、と聞いていた。

しかし、今日担当となった外科の女医さん(ここ重要)によると、病変が小さいので内視鏡で手術できるらしい。穴は空けるが切開はなく、体への負担も少なくて、入院も早ければ一週間くらいで済む、との話だった。ただ、摘出した病変の病理検査の結果により、もう少しややこしい事態になる可能性もなきにしもあらず、とのこと。

10/25の金曜日に入院、10/28の月曜日にオペと決まった。入院した翌営業日に手術とは、これはまた早い。必要な検査は今日すべて済ませた。採血、X線、心電図、生理機能検査など、人間ドックのごとくスタンプラリー状態。

退院後の経過も、痛みを除けばすぐに日常生活に戻れるらしい。全力疾走などは無理ですが、と女医さん(ここ重要)は言っていた。早ければ今月中にケリがつく。さっさと終わらせたいものだ。

 

「気が変わりましたか?」

 

診察室に入ってきた妻と私の顔を見た瞬間、医師はそう言った。

 

先週の水曜日。

妻と私は、妻のCTの再検査の結果を聞きにK病院へ行った。前回のCTの時には、念のための再検査という感じだったので、二人とも楽観視していたが、現実は甘くなかった。

少し軽いノリのその医師は、2つのCTの画像を見せながら色々説明してくれた。何かオブラートで包んで話をしているような感じで、まだ経過観察の猶予はある、と言った。だが、そこに鋭く針をさすかのごとく、

「だけど、これは医者としては非常に気になる」

と、その言葉だけはかなり強い口調で言った。そこにその医師の本音があり、本当はそんなに楽観視できない事態だということを物語っていた。


「とりあえず2月くらいに再検査にしておきますか」と医師が言ったので、そうすることにしたのだが、診察室を出る間際に、

「気が変わったらいつでも来てください」

医師はそう言った。そこにも医師としての本音が顔を出していた。

 

妻はネットで調べまくった。自分と同じような症例の人が、ブログなどに体験談を書いたり、CTの画像を載せていたりした。それほど恐れることでもないようだ。 

妻は腹をくくった。やるなら早い方がいい。二人でそう話し合い、今日予約外で病院に行った。そこで、開口一番に言われたのが冒頭のセリフである。たくさんの患者を診ているのに、よく自分の言ったことを覚えているなあ、と二人とも驚いた。

それから話は早かった。院内紹介ということで、今度は改めて外科を受診することになった。担当外科医が火曜日と金曜日だけなので、明後日に行くことにした。

 

なぜこんなに病院ばっかり行かないといけないのだろう。月曜日は2人ともメンタルクリニックに通院だ。

頭が重い。
頭が重い。
頭が重い。

きっと、

台風のせいだ。
台風のせいだ。
台風のせいだ。

転がり落ち続ける人生。

もうたくさんだ。

そろそろ終活をまじめに始めよう。

自分の命日は自分で決める。

今度こそ確実に。

さっきから「その人」に関する狂気が頭の中を渦巻いている。久しぶりかもしれない。

「その人」は、今でもときどき自分の脳内に現れて、頭の中をかき回していく。

 

ずっと昔のことなのに。

 

自分は「その人」を諦めた。

「その人」も自分を諦めたと思っていた。

実際のところ、どうだったのか。

 

「その人」のことは、6~7年引きずった。

その間、「その人」はどうしていたのだろうか。

本当は今でも引きずっているから、狂気となって現れるのだろうけど。

 

結局「その人」とは何もなかった。

それは長い間、自分のコンプレックスだった。

 

悪い思い出しか頭に浮かばない。