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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

人はいつか死ぬ。いつ死ぬか自分ではわからない。しかし、明確にわかるときもある。それは、その「いつか」が、お偉いさんのさじ加減一つで決定される時。

ブザーが鳴った後、3人の刑務官がボタンを押した瞬間、まるでバラエティー番組のセットのように処刑台の床板が外れ、一人の人間の命が一瞬にして奪われる。

それは、法の名のもとにおいて、人間が人間を殺害する瞬間。憲法で定められている法の下の平等はこの時点で崩壊しており、生存権は剥奪されているのだ。

 

彼、あるいは彼女は、確かに第三者の命を奪ったかもしれない。

それによって、被害者の家族を含めて多くの人を悲しませ、苦しめたことだろう。

しかし、彼、あるいは彼女にも親兄弟や友だちはいるだろう。その人たちには何の罪もない。それでも、刑が執行されると、被害者の遺族同様、肉親、あるいは友人を失う、という憂き目にあわなければならない。

 

正義とは何か。

「死を持って罪を償う」という言葉の意味が自分には理解できない。
死んでしまったら何も償えないではないか。

刑が執行されることによって、彼、あるいは彼女の罪は償えたと言えるのだろうか。それで被害者遺族は納得するのだろうか。「ざまあみろ」「せいせいした」と万歳三唱するかもしれない。しかし、それで罪は消えるものでもなく、許されるわけでもなく、償えるものではない。

江戸時代に認められていた「仇討ち」は、依然としてこの国の文化として残っているのか。身内を殺されたら、殺してもいいのだ。警察が、検察が、裁判官が、刑務官が代わりとなって。

 

報復合戦の拡大を防ぐための法令であるハムラビ法典が、

「目には目を、歯には歯を」

の一文で、全く逆の意味に誤解され、広まっている。その方がこの国の人間にとっては都合がいいのだろう。

自分はない。
厳密に言うと、殺そうとしたが、失敗した。
あとちょっとのところだった。

こういう場合は、殺人未遂ということにはならないのか。

自殺は他殺か否か。

妻は虫が嫌いだ。

「あ、虫!」

という妻の言葉とともに、一瞬のうちに仕留められる。

この虫は、ただそこに存在するというだけで、なぜ殺されなければならなかったのだろう。

自分は昔から空想癖がある。

夜に寝る時、いつも何か「自分にとって都合のいい世界」を空想しながら眠りについていた。自分の記憶では、小学校1年生の頃からやっていたと思う。そのうち寝る前だけでなく、何もやることがなくて手持ち無沙汰のときなど、日常生活でもたびたび一人で空想の世界を楽しむのが癖となった。

そして、徐々に自分の意識が空想に邪魔されるようになっていった。何かをやろうとしても、いや、やっている最中でも、気がつくと空想の世界にどっぶり浸かっている。あ、いかんいかん、そう思って空想を振り払い、本来やっていることの続きをする。これは中学生頃だったと思う。

今ではそれが、自分でも病的と思えるほどひどくなった。何かをしながら、同時進行で空想をしているのだ。たとえばテレビを見ている時、食事している時、人と会話しているときなど、脳の半分ではちゃんとやることをやっていながら、もう半分では空想が回っている、そんな状態にしばしば陥るようになった。一日中頭の中で空想がぐるぐる回っているときもある。

子供の頃からの空想癖は、自分で意識して作り上げた世界を頭に描いていたのだが、最近自分の頭に現れる空想は、自分で意識して作ってない。勝手に登場人物が出てきて好き勝手しているような状態。いつの間にか頭の中で、もう一つの自分の人格が勝手に何かを空想しているようだ。もう一つの人格といっても、それは多重人格における交代人格とは違って、それもまた自分自身の人格である。

ここまでくると、もはや空想とは言えない。白昼夢が頭の中をぐるぐると回っているようだ。その内容は、身の回りのことやら、自分の過去や未来のことなどさまざま。特に最近は過去のトラウマに関して、ずっと気になっていること、今でも知りたいと思っていることについて、実際に「その人」と話をしている、という空想が多い。

面白いというか恐ろしいというか、その無意識の空想の中で、ずっと忘れていたことを思い出して、ハッとすることもある。

あの時「その人」はみんなの前で「死にたい」と言った。泥酔していたので本人は覚えてないだろうが、そばにいた自分も死にたい気分だった。

もう20数年前のできごと。なぜ今になって突然頭に浮かぶのか。無意識の領域に押し込められていた記憶が、突然よみがえる。

 

 

妻は寝るときに頭を空っぽにする、と言う。自分は「頭を空っぽにする」ということができない。常に何かを考えている。常に頭の中で何かの思考が働いている。

どうすれば頭の中を空っぽにできるのだろうか。

今日もあまり調子はよくない。特に首が異常に凝っている。揉んだりストレッチしたりしているのに、どうしてもほぐれない。ゲームに熱中したせいだろうか、目に来ているような気がする。

以前にこの日記で、自分はものが二重に見える「複視」ということがわかった、と書いた。今日は目が疲れてなかなか2つの像を一致させることができなくて、ずっと二重にみえたままなのだ。「斜視の一種」と眼科では言われた記憶がある。

友だちで斜視の人がいるのだが、ものが二重に見えるかどうか先日聞いてみたら、そんなことはないという。今日改めていろいろ調べてみたら、自分は斜視ではなく、どうも「斜位」というものらしい。参考サイトからまるまる引用するが、


 

◆斜位◆
*原因*
眼位の基本的なずれによるもので、潜伏斜視ともいう。

*種類*
斜視と同じように、内斜位・外斜位・上斜位・下斜位がある。

*症状*
両眼を開いて見ているときには、両眼の視線が集中しているが、もともとの眼の位置が完全に正しくないため、両眼を開いた瞬間には視線が目標に集中しない。 
したがって、物体が二重に見えるので、融像をはたらかせ、視線を合わせて物体を一つに見る。
斜位の程度が強いと、融像の努力をいつも強くはたらかせる必要があるので、眼が疲労し、ときには融像を保つことが無理になって視線がずれ、物体が二重に見えるようになる。

*治療*
症状がなければ放置してさしつかえない。
程度が強く、症状があるときにはプリズム眼鏡を装用させる。

 


正に自分、これである。実はプリズム眼鏡を使用しているのだが、よほどずれが大きいのか、普通の眼鏡とほとんど変わらない。プリズムレンズをもっと屈折率の大きい物に変えれば歪みは減るだろうが、足元など視野の外側に近い辺りが今度は歪んで見えて、あまり強くするのも危険だとか言われたような気がする。

今もPCの画面は2つにずれて重なって見える。不便なことこの上ない。他にも、自分にとっては当たり前と思っていたことが実はそうでなかった、ということはあるのかなあ。目をつむったり暗い所を見ると視界全体に火花みたいのがバチバチ見えるのも、自分だけなのだろうか。