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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:その他諸々

最近友達からのメールで、アンケートサイトでこつこつ答えていったら2年半で35,000円たまったという話を聞いて、ほう、ちょっとしたお小遣いを貯められるのか、と思っていたら、他の人のブログでやはりアンケートの話が出てきて、リサーチパネルというアンケートサイトを紹介していたので自分も登録してみた。

しかし、これ本当にポイントたまるの?アンケートに答えて数ポイントもらえるけど、3,000ポイント以上でやっと交換できる。何に交換できるかというと、PeXという他のポイント交換サービスを経由してPontaとかnanacoとかwaonポイントとかに交換できるらしい。しかしこの交換レート、1,000ポイントで100円である。しかもポイントの有効期限は1年で、今日獲得したポイントは、1年以内に3,000ポイントためて交換できなかったら無駄になる。1年で3,000ポイントということは毎日欠かさず10ポイントずつためていかないといけない。そんなにアンケートに答えられるのか?しかも頑張って1年続けて3,000ポイントに達してももらえるのは300円である。なんか虚しいぞ。2年半で35,000円溜まったというのはどこのサイトだろう。こういうサイトはどこも似たり寄ったりのような気がするのだが、友達に聞いてみよう。

ところでこういうサイト、個人情報の流出は大丈夫かなあ。別に住所や電話番号を入力したわけではないし(それでも町名までは書いた)、メールアドレスも専用の捨てアドだし(自分でサーバを運用しているのでアドレスは無限に作れる)、変な迷惑メールが来るようになったらアドレスを削除すればいいのだが。

東山彰良の「女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。」読了。大学を舞台に、男どもが女の子を手に入れようとあれこれ奮闘するが、しかし結局女に翻弄される話の短編集(女の子が出てこない話もある)。どの年代でも男は女が好きなのであり、手に入れるためには一生懸命なのである。でも女は悪魔なのだ。最初から最後までもてない主人公ふたりがちょっと気の毒。青春小説というかコメディだな。ホラーとも言える。オンナハオソロシイ。

読んでいて必然的にというか、自分の大学生時代を思い出した。大学生のときは混声合唱団に入っていた。別に女の子目当てで入ったわけではない。もともと歌うこと、声を出すことが好きだったので、合唱団か演劇のサークルに入りたいな、と思っていたところを勧誘され、見学に行ったらそのハーモニーの美しさに「めっちゃきれい!」と感動したのでそのまま入団した。もし男声合唱団に勧誘されていたら、そっちに行っていたかもしれない。

しかし入ってみるとそこは男女混合サークル。先輩たちを見ているとカップルだらけである。高校時代までは恋愛などとは無縁だった自分も自然と「俺も彼女欲しい」となり、好きな子ができた。友達の下宿に集まっては「お前、誰が好きやねん」と暴露させ合うというのも多分どこに行っても見られる光景だろう。私はちょっとラッキーな形で彼女ができたが(経緯は以前書いた)、他にも団内恋愛している人が多かった。ちなみにうちの学年で数えてみたら、なんと26人中13人。おおお50%ではないか、これはびっくり。結婚したのが7人、それ以外が6人である。う~ん、立派な出会い系サークルである。

ちょっと懐かしい曲を載っけておこう。TOM CAT「ふられ気分でRock’n Roll」。この小説の男どもに幸あれ。

今日は母の命日。今から8年前、2011年2月16日に母は69歳で亡くなった。早すぎた。もっともっと生きてほしかった。私は何一つ恩返しができてないのだ。母は最後の最後まで病床で私のことを心配していたらしい。ずっと心配ばかりかけてばかりいた親不孝者だった。「親孝行したいときには親はなし」という言葉が突き刺さる。母が亡くなったあとは喪失感でいっぱいだった。改めて母の偉大さを痛感し、母に感謝した。

うちはアニバーサリーみたいなイベントとは無縁の家族で、昔から父の日とか母の日とかに何もやっていなかったのだが、ある母の日、中学生の時だったか大学生の時だったか忘れたが、スーパーで花を売っているのを見て、ふとなんとなくカーネーションを1本買って帰ったことがある。母はそれをたいそう大事にして枯れるまで一輪挿しに挿していた。

母が亡くなる前年、うちの家族にしては珍しく母の日を祝う食事会が実家であった。兄や弟の家族、そしてうちら夫婦が集まったのだが、私は鉢植えの花束を持って行った。養分や水分がゲル状になって入っているお手入れ要らずのやつだ。母はそれがとても気に入って、幼稚園生だった姪が欲しがっても渡さなかった。思えばそれが最初で最後の母に捧げた花束だった。

母の三回忌のときだっただろうか、母が大切にとっていたという手紙を2通父が見せてくれた。そのうちの1通は私が母に送った手紙だった。と言ってもたいしたことは書いてない。お正月に横浜名物の崎陽軒のシウマイを送った時に、「今年もまんねりですがシュウマイ送ります。お体に気をつけてください」みたいなことを書いただけだった(実際はもう少し長い)。よく考えたら母に手紙なんてほとんど書いたことなかったので、そんな手紙でもとても大切にしてくれていたのだろう。兄弟の中では私は一番かわいがられていたし、遥か遠くの地でこんな病気になった私をいつも心配していた。最後の最後まで心配かけっぱなしだったことを申し訳なく思った。

天国の母は今でも私のことを心配しているかもしれない。いつになったら安心させてあげられるのだろうか。今の自分にできるのは、一日一日を一生懸命に生きることしかないのだ。

宇多田ヒカル「花束を君に」。宇多田が自ら死を選択した母親に捧げる曲。「普段からメイクしない君が薄化粧した」という歌詞から始まるが、これはもちろん死化粧のこと。私も次に帰省する機会があれば、母の墓前に花束を手向けよう。

昨日の夜から清水義範の「接客セブンティーズ」を読み始めた。パスティーシュ作品100選のうちの1冊である。彼のパスティーシュ作品は学生時代からずっと読んでいて、おそらく読み尽くしたのではないだろうか。もう25年くらい前なので、また読み返してみようと借りてきた。

パスティーシュとは「文体模写」と呼ばれる。パロディと似ているが、パロディがオリジナルの模倣をしつつ、その中に皮肉や風刺などの意味合いを込め、それをユーモアにするのに対し、パスティーシュは純粋に真似ることそのものでおかしさを表現する手法である(内容的にシニカルなものはある)。模倣される対象は、有名な文筆家だったり論文だったり取扱説明書だったり入試問題だったり旅の紀行文だったり、と多岐にわたり、清水義範の場合は日常の風景など文章ではないありとあらゆるものがこれまた模写される。どれを読んでも「あるある感」(あるいは「あるわけないだろ感」)満載なのである。そしてその内容がまた滑稽で面白い。爆笑必笑の世界である。

この本の三話目に「秘湯中の秘湯」が掲載されていてひときわ懐かしかった。実は私が初めて手にした清水義範の本が文庫本の「秘湯中の秘湯」で、これは本当に温泉の本を探していたときに、そういう小説とは知らずに間違えて買ってしまったのだ。そして読んでみたら抱腹絶倒だったので、一気にファンになってしまった。こういう勘違いから世界が広がっていくというのもまた楽しい。清水義範はだんだんパスティーシュ作品を離れて違う路線に行ってしまったのでちょっと残念。その方面の小説も面白いんだけどね。

岡崎体育「MUSIC VIDEO」。「MUSIC VIDEO」という名前のミュージックビデオ。それこそMVを見ながら聴かないと意味がない曲だ。岡崎体育の歌って面白いな。業界をおちょくっている曲が多い。この「あるある感」はパスティーシュ作品を読んだときの面白さに近い。

今日はバレンタインデーなので、それにまつわるエピソードを書いてみることにする。バレンタインデーは妻とつきあい始めた頃に手編みのマフラーをもらったりだとか、学生時代に彼女から手作りのチョコクッキーをもらったとかそういう思い出もあるのだが、高校時代の笑い話がある。

高校1年のときだった。私は卓球部に所属していたのだが、2月14日の練習が終わった後、制服に着替えてから下足場で靴を履き替えようとしたときだった。部活の仲間が私に「これ、渡すように預かったから」と一つの包みを手渡して「じゃあ、俺急ぐから」と言って行ってしまた。それは、きれいにラッピングされてリボンがかけられた小さな箱で、手紙が添えられていた。読んでみると、明らかに女の子の筆跡で書かれており、まごうことなきラブレターであった。ただ、差出人の名前はなかった。どう考えても「本命チョコ」である。この時点で頭がお花畑になってしまった。

それを目ざとく見つけた他の部活仲間が「何それ?何それ?」と聞いてきた。私の手元にあるものを見れば何それと聞くまでもない。すると彼らは「それ、開けてみて」と言い出した。私はなんでここで開けなあかんねん、と思ってそれをずっと無視していた。彼らは駅まで歩く途中も電車の中でも「開けてみて」と言い続けて、私が一番最初に電車を降りたのだが、その時に「はまー、ごめんなー」となぜか謝っていた。意味がわからなかった。

家に帰った私は、とりあえずその包みを開けてみた。その瞬間、意味がわかった。出てきたのは私がいつも部活帰りに駅売店で買っている100円のアーモンドチョコ。およそ本命であげるとは思えない代物である。ああ、やられた。毎日そのチョコを買っているのを知っている部活の仲間が私をからかったのだ。それで「開けてみて」と言ってたのか。開けた瞬間「お前らのいたずらかよ!」とその場でなる予定だったんだろうな。

騙されて悔しかったが、まあチョコはもらっておこうと思って開けた瞬間、心底びっくりした。中から出てきたのはチョコレートではなく、石ころだったのだ。

次の朝、授業が始まる前に首謀者と思われる友達の教室へ乗り込んで、そいつの襟首を掴んでこう言った。

「あれ、どうやってん?」

私が包みを開けたチョコは、買ったままのセロハンでラッピングされていた。それを開けるには、よくあるように細い紐みたいなところを引っ張って箱を一周させないといけないのだが、それは開けられていなかったのだ。そいつが話すには、箱の側面のセロハンが糊付けされたところを破れないように慎重に剥がし、これまたセロハンが破れないように慎重に箱を抜いて中身を入れ替え、そしてまたしてもセロハンが破れないように慎重に戻して糊付けしたというのだ。「3個めでやっと成功した」という。あほとちゃうか。

呆れ果てたというか、逆に感心した。人をからかうのにそんな労力をかけるとはなあ、お前らそのエネルギーをもっと有益なことに使え、と言いつつ自分もいつか仕返しをしてやろう、なんて考えていた。そう言えばその時の仕返しはまだだ。そろそろかな。

ちなみにラブレターはもちろん女の子の代筆である。ほんと暇な連中だ。

渡り廊下走り隊7「バレンタイン・キッス」。国生さゆりではなくAKB。