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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:その他諸々

昨日の夜に中島らも「さかだち日記」を読み始めた。最初は中島らもと野坂昭如との対談から始まるのだが、アル中のふたりがアルコールを断ってから何ヶ月で今はどうだ、という話をしているのを読んで、この本が「逆立ち日記」ではなく「酒断ち日記」だと知った。そして対談は数ページで終わり、本当に中島らもの「日記」が始まった。これがこの本のメインコンテンツなのだが、正直ただの日記でつまらない。

さかだち日記

他の人のブログを読む感覚で読んでいたが、その辺のブロガーの方がおもしろいんじゃないかな。もしかすると、元々は人に読ませるために書いた日記ではなくて自分の記録だったものを出版したのかと思ったが、そうではなく「月刊現代」にリアルタイムで掲載されていた正真正銘の作品だった。途中でやめようかと思ったが、せっかく借りたし他に読む本もないので頑張って最後まで読んだ。それにしても忙しい人だな。マルチに活動していた人だったから、やってることがバラエティに富んでいる。でも酒絶ちの話はあまり出てこない。

本の最後はまた野坂昭如との対談。今度はアルコールの話は出てこずに、ひたすらバイアグラの話で猥談が延々と続く。野坂昭如ってこんな人だったの?

この日記は2001年から書いていて、記事数は4,200を突破している。途中で書く頻度が減ってしまって、2015年の後半はほとんど更新せず、2016年の4月から2年近く途絶えてしまった。2018年の1月に約2年ぶりにブログを再開したのだが、2月に入ってこのブログの本体である自宅サーバ用PCが故障したため、新しいPCを調達するまでの間、また数日更新がストップしてしまった。そして障害が復旧した去年の2月13日から再び日記を書き出してから1年。今日で365日連続で日記を書いてきたことになる。これは自分の記録だろう。

日記を再び書くことによって、少し自分が変わってきた。前は漫然と一日を過ごしていたのだが、「なにか日記のネタにならないかな」と日常生活の中でのいろんなことに気を配ったり、今日の出来事をできるだけ覚えておかないと、と意識していたりする。観察力や記憶力をトレーニングしているようだ。これは「できるだけ頭を使うために」と去年日記を再開する時に目論んでいたことで、そのとおりの結果を出していると思う。やはり書くことは意味があるし、書くまでのプロセスも意味がある。

ただ書き散らせばいいというわけではないが、継続は力なりという言葉もある。できるだけ、一行だけでもいいから毎日更新していきたいものだ。

AKB48「365日の紙飛行機」。ちょっと短いけど。「その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか」という歌詞がいい。私も日記が何日続くかということだけにとらわれず、内容で勝負したい。

昨日の夜から辻村深月の「鍵のない夢を見る」を読んでいる。ちょっと歪んだ友情や愛情で悩む女性が描かれている短編小説集。こういう人間関係の微妙な機微を描く小説というのは、自分はちょっと苦手、というかよくわからないことが多い。多分鈍感なんだろう。ミステリーやらSFやらのわかりやすいストーリー展開、次はどうなるんだろうとわくわくしながらページを繰る手が止められない、そういう小説でないと面白いと思えないのかな。淡々と話が続いていき淡々と話が終わる。その「淡々」に退屈してしまうのだろうか。たまには意外な結末で終わることもあって、その時はあっと思ったりはするのだが。この本は直木賞受賞作なのだが、その良さがわからないというのは自分はどこか鈍いのだろうか。いや受賞作といっても世間的な評価というより単なる選考委員の評価である。それだけで一般化してもしかたがないだろう。流行語大賞もたった5人で決めてるのだ(それはちょっと違う)。単なる好みの問題だということにしておこう。

実は先日の朗読の会で「坊っちゃん(抜粋)」の練習をした時に、3年ぶりに顔を出したという若い(と言ってもおそらく30代くらいの)女の子が、「坊っちゃんのおもしろさがわからない」と言った。みんなは「個性的な先生のあだ名を付けるところ」とか「いたずらする生徒とやり合うところ」とか、私は「最後は悪いことをした赤シャツとかに鉄槌を下す勧善懲悪なところとかですかね」などと適当なことを言ったのだが、こればっかりは自分の感性との相性があるから、「これは名作だからおもしろいと思え」などと押し付けることはできない。

そう言えば昔どこかで読んだのだが、「人はそれぞれ好みがあるから、他の人がいいと言っているものをいいと思えなくても一向にかまわないが、世の中の大多数の人がいいと言っているものをいいと思えない時は、少し自分の感性を疑ったほうがいい」とあった。大きなお世話だとも思ったが、疑って出てくる結論は「自分はちょっと変わってる」なのだろうか。

とか思いつつ、でも一応読んでいるのだ。これまで読んだ芥川賞受賞作の「蹴りたい背中」「火花」「スクラップ・アンド・ビルド」なんかはとても面白かったので、私の好みは芥川賞で、直木賞はいまいちなのかもしれない。でも自分は純文学より大衆小説の方が好みのような気がするのだが?まあ賞にはこだわらないことにしよう。名作かどうかは自分が決める。と言いつつ次に予約する本を受賞作からチョイスしていたりするのだが。

「ソロモンの犬」読了。面白かった。ミステリーの展開が気になりつつも、この恋の行方はどうなるのかとそっちも気になりつつ、途中「え~!そんな~まじ~?」という展開があって、ちょっとがっかりしながら読み進めていたのだが、実は小説のトリックで、あとから「騙された~」と思ったのだった。これはミステリーではよくある手法なのか、そう言えばちょっと前に読んだ小説でもあったぞ。あの時も「騙された~」と思ったのであった。最後の終わり方は、あああこうやってじらしたところで終わるのね、というパターン。本当はその続きが知りたいのだが、そこは読者の想像におまかせしますということなんだろうけど。

これだけでは何を書いてるのかさっぱりわからんな。でも具体的に書くとネタバレになってしまうのでこれくらいにしておこう。

ところでミステリーを読んでいると、人が死ぬのだ。ミステリーだから当たり前なのだが、それが自分の思い入れが強い、自分が感情移入している人物だと、なんだかもの凄くショックである。まるで自分が殺されたような気がする。以前はそんなことなかったんだけどなあ。人の死に対して敏感になってるのだろうか。

「宮辻薬東宮」読了。先の日記に「ホラーというのは宮部みゆきから渡されたバトン」と書いたが、最初から各作家にテーマとして与えられていたらしい。4話目まではぞくっとさせられたが、5話目だけはよくわからなかった。

その5話目はプログラミングの話で、MSXとかBASICとか機械語とかスプライトとかZ80とか、懐かしい言葉が並んでて楽しかった。私も小学生から中学生にかけて、これらに関する技術を習得してプログラミングにのめり込んでいき、大学では情報工学科に進んだ。そして就職してもソフトウェア開発の道に進んだのであった。

話の中でソフト開発における「2割8割の法則」というのが出てきた。技術者のうち2割の人が成果の大部分をあげ、残りを8割の人が補っているというもので、ではその8割をリストラして2割の人員だけを残したらどうなるかというと、残ったメンバーの中で2割と8割に分かれるという話だ。

これはもっと一般化して「働きアリの法則」と呼ばれている。概要をWikipediaからそのまま引用すると、

  • 働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
  • 働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
  • よく働いているアリと、普通に働いている(時々サボっている)アリと、ずっとサボっているアリの割合は、2:6:2になる。
  • よく働いているアリ2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の分担になる。
  • よく働いているアリだけを集めても、一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
  • サボっているアリだけを集めると、一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。

ということである。2:6:2に別れた3つの群れをそれぞれ1軍、2軍、3軍とすると、自分の人生は1軍から2軍、そして3軍へ落ちていったなあと感じるのだ。サボっているわけではなくとも、アウトプットの量が少ない、という意味でそうなっていった。

一応難関大と言われる大学に入るまでは1軍だったと思う。大学の中はそれまで1軍だった人の集まりだった。そして入ってから特に成績が優秀なわけでもなかった私は2軍になった。しかしいつの間にかサボりぐせがついて3軍に落ち、留年してしまった。浪人した時はそんなにショックではなかったが(クラスの半分以上は浪人してたし、そんなもんだと思っていた)、留年した時は絶望感満載だった。

就職してからは巻き返した。即戦力としてソフトウェア開発の腕を買われ、アウトプットを出していた最初は1軍だったと思う。しかしそれから行き詰まってしまい、技術者としては凡庸な2軍に落ちた。2軍のままならまだ良かった。しかし、そこからメンタルをやられ、自分の生産性は極端に落ちてしまい、もうそこからはずっと3軍の人生のような気がする。頑張っても報われない。頑張っても裏目に出る。なんかそういう街道を歩いているような気がする。

だからどうしたと言うわけではないが、自分の人生はこのまま続いていくのかな、と寂しく思う。1軍は無理だとしても、何かの2軍くらいには上がれないものか。4軍がないことを祈る。