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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

なんか体調が一進一退だ。
最近3日間くらいは調子よかったのに、今日は夕方から寝てしまった。
体調が安定しないと仕事もできないし探すことすらできないと思っていたが、調子が悪いときでもなんとかできるような仕事を探すしかないだろう。

とりあえず、就労支援センターに今年一番の電話を入れて、今週の金曜日に相談の予約を入れた。比較的新しい上大岡の就労支援センターは、主に精神障害者の就労に力を入れていて、去年だけでも80人以上の相談者が就職までこぎつけたという。

失業給付金ももうすぐきれる。二人分の障害年金があるので、いきなり生活に困ることはないが、このまま仕事が見つからなければ、真綿で首を絞められるように、いやいやもうちょっと速いペースで経済的に苦しくなるだろう。

なんとか春くらい、新年度には仕事をしていたいと思う今日この頃である。

久々に夜中に眠れなくて起きてきた。最近睡眠は割と安定していたのに。

眠れないと、いろいろととりとめのないことを考えてしまう。さっきまで頭の中を回っていたのは、今後自分たちはどうやって生きていけばいいのだろうか、という漠然とした不安。その不安はいつもつきまとっているのだが、誰かに話したり相談したりすると、必ず最後は「生存権は基本的人権として憲法で保証されているから、なんとかなるんじゃないの?」とか、もっと具体的に「生活保護という制度もありますよ」とのお答えをいただく。

しかしながら、私は矛盾を感じるのだ。その矛盾についてさっきまで考えていた。

憲法第25条
 1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

2.は「努めなければならない」という、努力目標的な書き方で濁しているが、1.にははっきりと「健康で」という文言が入っており、「権利を有する」ときっぱり言い切っている。

しかしながら、「健康」ではない自分がここにいる。好きで健康を害したわけではないし、好きで病気になったわけでも好きで障害者になったわけでもない。それでも「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」そうだ。文化的といえば、最低というほどでもないそこそこ文化的な生活を営んでいるが、健康ではない。これは憲法違反に他ならない。

まあ、揚げ足取りというか言いがかりというか、自分の言っていることがむちゃくちゃだということは認識している。でも、なんだかやりきれないのだ。眠剤を飲んでも眠れなく、そのくせ朝はつらい。ずっとしんどくて寝ている状態が続いて、どこが「健康で文化的」な生活なんだろう。

それにしても年末にかけて一気に冷え込んだな。
体調は低め不安定。決して良くはない。しかしまあ、毎年正月前後は体調崩しているし、この時期は仕方が無いのかもしれない。

クリスマス寒波のせいか、大きく調子を崩して一昨日、昨日とほとんど横になっていた。
毎年この時期は調子が悪い。去年もなんとか最終日だけ行ってタイムシートにサインを貰った記憶がある。

とは言っても、暖房は使ってないし、着こめばまだ寒さはしのげるので、これからもっと寒くなるのかなあ。これくらいで勘弁してほしいところなのだが。

今日は就労支援センターで2回目の職業カウンセリング。昨日は体調が悪かったが、今日はなんとか回復した。

1時間半くらい話をしただろうか。今自分がどういう状況におかれていて、どういう問題を抱えていて、どうやって前に進んでいけばいいか、頭の中でこんがらがっていたのが少しずつ整理されてきた。次回は来年だ。

カウンセラー曰く、私はまだ焦っている。もう少し休んだほうがいいらしい。そしてもっと体を動かした方がいいらしい。無理をしない程度に散歩するなど、できるだけ外に出たほうがいい。そうやって心と体のバランスが取れてきたら、週3日、1日4時間くらいの軽作業から少しずつ仕事をしていけばいいという。それに慣れたら、少しずつステップアップしていけばいい。そう言われた。

私は焦っているのだろうか。自分で自分を見失っているのか、悲しいことにそれ自体がわかっていない。