今日も低空飛行。気温は低く、外はどんより曇り空。頭の中もぼんやりしていて、日中は思考回路が鈍っている。
しかし、すっかりご無沙汰だった友人とメールでやり取りできた。
とんでもないことをやらかして、たくさんの人を心配させてしまったが、おかげでたくさんの人が自分を気にかけてくれている、とわかって、感謝感謝の毎日。
友だちは財産だ。自分自身を救えるのは、医者でもカウンセラーでもなくて、自分自身と、友だちなのかもしれない。


今日も低空飛行。気温は低く、外はどんより曇り空。頭の中もぼんやりしていて、日中は思考回路が鈍っている。
しかし、すっかりご無沙汰だった友人とメールでやり取りできた。
とんでもないことをやらかして、たくさんの人を心配させてしまったが、おかげでたくさんの人が自分を気にかけてくれている、とわかって、感謝感謝の毎日。
友だちは財産だ。自分自身を救えるのは、医者でもカウンセラーでもなくて、自分自身と、友だちなのかもしれない。
なんだか低空飛行。
今日は、しんどくて昼から夕方にかけても3時間くらい寝てしまった。夜もきちんと睡眠はとれているのに。精神的にしんどいというより、身体的にしんどい。いつも書いていることだが。
自分はⅡ型の躁鬱病であるが、最近は躁転もなく、ほぼうつ病である。
近年、「メンタルヘルス」やら「うつ病」などの言葉をメディアなどで頻繁に耳にするようになってきたが、その症状について、果たしてどれだけ理解されているのだろうか。特に、精神的な症状として扱われる「陽性症状」でなく、身体的な症状として現れる「陰性症状」について。
「とても疲れやすい」
「何もしていないのに疲れる」
気分が落ち込んでいるわけでもなく、ただただ体がしんどい。
それもまたうつ病の症状である。
自分も「名前はよく聞くけど、実際のところ細かい症状まではよく知らない病気」というものはたくさんあるから、陰性症状についてまで認知されていなくても当然だとは思う。それでも昼間から寝ていると、別に誰かに責められているわけでもないのに、罪悪感を感じる。あ、「罪悪感」は陽性症状だ。
なかなか開き直れない。
最近ずっと調子が悪く、落ち気味である。ひどい鬱ではないが、軽い抑うつ状態がここのところ続いている。
自分自身が自殺未遂をしたショックや、その発端となったことからは、自分の中では心の整理がついた。もうあんなバカなことは二度とやるまい。危ない兆候が出たら、早めに手を打つ。
それとは別に、いろいろな厄介ごとを抱え込んでいて、その中には自分はあまり積極的に関わらなくてもいいようなことまで含まれている。自分だけで悩んだりする必要はないし、家族にも相談していたりするが、結局一人で悩んでいる。なんだかいつも何か「悩み事」を見つけては、勝手に一人で悩んでいるような気がする。
昨日、誰かに話を聞いてもらいたくなって、つい友だちに電話してしまった。しかしすぐに、いやいや何をどう話せばいいのかわからない、と思って、やっぱりやめておこうと反射的に電話を切ってしまった。ああ、なんと友だち相手にワン切りをやってしまった。
だけどすぐに相手から電話がかかってきて、「どうしたの?」と聞かれた。「あ、しまった」と思った自分は一瞬頭が真っ白になって「あ、いや、なんでもないんだけど、えっと、頭の中が混乱していて」とかわけのわからないことをしゃべっていた。
とりあえず自分が一番ひっかかっていることを話しだしたら、いろいろ話を聞いてくれて、いろんなアドバイスもくれて、他のいろいろな悩みも芋づる式に出てきた。相談相手になってくれた、というより、カウンセリングを受けているようだった。だいぶ心が軽くなったような気がする。結局1時間以上、自分の話につきあってくれた。
しかし、相手に電話代を負担させてしまったことにあとから気づいて、またへこんだ。
ありがとう。そしてごめんなさい。とりあえずここで謝っておこう。
昨日はそんなに調子は悪くなかった。
しかし、夜の何時頃だっただろうか、お気に入りの肘掛けつき座椅子に座って、DSでゲームをしていたところ、急にしんどくなってきた。いつの間にかうつらうつら寝てしまっていたような気がする。
寝室に行って倒れこむように布団に潜り込んだ。妻が少し驚いたようで「大丈夫?」と聞いてくるのだが、大丈夫なのか大丈夫でないのか、自分でもわからない。妻が寝る前の薬を持ってきてくれて、それを飲んでそのまま泥のように寝た。泥って寝るのかなあ。
朝は8時頃に普通に起きれた。特にしんどくはない。昨日に突然来たあの疲れというか、だるさというか、不調はなんだったのだろう。そう思って朝の時間を過ごしているうちに、11時頃だっただろうか、また急にしんどくなり、そのまま布団へ。2時間くらい寝ただろうか。妻に起こされて、少ししんどいが起きて昼食を食べた。なんなんだろう、この「何もしてないのに急にしんどくなる」というのは。いつもとパターンが違う。
そして、今日の昼からずっと頭の中がぼんやりしている。気がつくと、頭の中はまた過去のことを思い出して、
「あのときの自分はなぜあんなことを・・・」
「あのときのあの人はいったい何を・・・」
「あのときに自分がああしていれば今頃は・・・」
などと考えている自分がいる。楽しい思い出に浸っているわけではない。自分の過去のことで、心にずっと引っかかっているようなものがいくつもある。しかし、普段ならそんなことは記憶の奥深くに眠っているのだが、なぜか自分の心が郷愁モードに入った時に、「懐かしむ」のではなく、こういう「ずっとひっかかっていたこと」が気になりだす。なぜかわからないが、勝手に頭に浮かんできて離れないのだ。
「あのときの自分に会って直接聞いてみたい」
「あのときのあの人に会って、直接話がしたい」
「あのときに戻って、別の選択肢を選びたい」
などと、非現実的な願望に頭が支配されている。
つい先日、友だちとメールを何回かやり取りして、自分がいかに過去の出来事に執着しているのかが少しわかった。しかし、わかったところですぐに自分を変えることは難しい。今日のように、いつの間にか「頭の中にタイムマシン」モードに入っていることがやはりある。
思えば、今のような境遇になる以前の自分はこんなことはなかった、というわけではない。昔から自分はぽっかり心に穴が開いた時、よく「あのときは・・・」モードに入っていた。これは性格というか、「心の癖」なのだろう。今の現実がつらくて明るい未来が見えてこない、ということが、その「心の癖」に拍車をかけている。
自分を変えることができるのは自分しかいない。過去は変えることができないが、未来は変えることができる。だから、過去のことにとらわれずに、これから先のことについて、自分は何をすればいいのか、自分はどうあるべきなのか、現実世界の自分自身と対峙しなければならない。
それでも、「心の癖」はすぐには変わらない。気がつくと、「あのときにああしていた自分の姿」が存在するパラレルワールドを頭の中に描いている。空想癖は昔からだ。
退院してから2週間が経つ。
入院中にはいろんな検査をしたのだが、その時に首のレントゲン写真で異常が見つかった。首の骨と食道の間の組織が腫れているそうだ。(と言われて写真を見せられたが、よくわからなかった。)この腫れが大きくなってくると、神経を圧迫して両手足が痺れたり麻痺したりする。一時的なものかそうでないのか、原因は何なのか、その時点ではわからなかった。退院時には経過観察ということで、2週間後にまた検査をすることになっていた。
今日改めてレントゲンとMRIの検査をしたところ、腫れはひいていて正常になっていた。beforeとafterの写真を見比べると一目瞭然だった。一時的なもので、心配ないでしょうとのこと。とりあえずホッとした。原因は特定できなかったが、自殺未遂をしてから自分が目が覚めた時に、口に大きな管が入っていて両手足が拘束されており、パニックになって頭をがんがんと打ちつけたからかもしれない、と話すと、医師もその可能性が一番高いですね、とのことだった。
とりあえず、不安要素がひとつ減ってほっとしている。医師も看護師もその他のスタッフや事務の方たちなども、みんな優しくていい人だった。病院自体もとても綺麗で設備も新しいみたいだった。院内のレストランのカレーを今日食べたのだが、これが超うまかった。次に救急車で運ばれる時には、ぜひまたこの病院をお願いしたい。
・・・・・・・いやいや、救急車はもうごめんである。救急搬送されたのはこれで4回目。入院にいたっては8回目。決して好きで病院に行ってるわけではないのだが、何の仕事も趣味もない今、自分のスケジュール帳にはいろんな病院の通院予定が書いてあるだけ。今回、またひとつ診察券が増えた。こうなったらコンプするのだ。(意味不明)