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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日の夜。

自殺未遂をしたからといって、その原因となった悩みが消えたわけでも精神的な不安定さが消えたわけでもない。
そして、また自分はキレそうになった。医師から処方された強力な鎮静剤を飲んで布団にくるまり、必死に自分を抑えていた。キレる自分も怖いし、その後の激鬱になった自分はもっと怖い。薬を飲み干した今、次におかしくなったら、今度は首を吊るか、あるいは飛び降りかねない。
いつまでこんなに不安定な状態が続くのか。いつになれば自分は乗り越えられるのか。

誰かに話を聞いてもらいたくて、一昨日の夜のように、電話をかけまくった。
やっぱりみんな出なかったけど、前はそのまま切っていたのに対して、今回は「ちょっと聞いてもらいたい話があるんだけど・・・」と留守録を入れておいた。

そして一人、電話に出てくれた友達がいた。学生時代の合唱団のサブリーダー仲間。重たい話でも聞いてもらえる数少ない友達の一人。やっと自分が抱え込んでいた話を人に聞いてもらえた。友人は、うんうんと聞いてくれて、つらいよね、と慰めてくれた。それだけでも嬉しかった。またいつでも話は聞くよ、と言ってくれた。本当に嬉しかった。

その後、一昨日の夜にコールバックしてくれた友達が電話をくれた。偶然?にも私と仲の良い友達夫婦とも一緒だった。駅から電話してくれたので、詳しい話はできなかったが、みんな元気そうで、そして久しぶりに話ができたのでとても嬉しかった。

思えば今日話ができたのは、学生時代の合唱団の技術系仲間ばっかりだった。サブリーダー4人組は特に仲が良かったし、他のメンバーとも仲が良かった。みんなと話ができて、とても嬉しかった。それだけ人とのコミュニケーションに自分は飢えていたようだ。

退院した次の日に電話した友達とは、メールで何回かやり取りした。と言っても、話がぜんぜん違う方にそれてしまったのだが、こちらはだんな様がいらっしゃるので、あまり電話しても迷惑かな、と思っている。他の友達は、独身だったり、旦那が自分の友だちだったりして、その辺は気兼ねなく喋れる。というか、重たい話を相談できる友達って、みんな女性ばっかりだ。なんでかなあ。

先週の木曜日に400錠もの薬を飲んで自殺未遂をしてから1週間と1日。ずいぶん前のことのように感じる。

退院したのが3日前。その次の日、つまり一昨日にはかかりつけのメンタルクリニックに通院。私が入院中に妻が行って話をしていてくれたので、主治医は状況を把握してくれていた。入院していた病院からの診療情報提供書を渡し、さて今後どうしましょうか、ということに。

当座のしのぎとしては、まず自分が「キレてしまう」ことに対処するために、キレそうになったときに飲む頓服を出してもらった。リスペリドンの液剤で、即効性がある。4本出してもらって、2本は妻に預けた。

そして昨日は一日中ぐったりしていた。ずっと寒気がしていたので、風邪をひいたのかと思って、葛根湯を飲んでひたすら寝ていた。

今朝、起きたら激しく鬱だった。ものすごく激しく鬱だった。改めて自分がしでかしたことの重大さと恐ろしさが身にしみて、ボディーブローのように自分を襲ってきたかのようであった。ものすごくしんどかったが、タクシーで病院まで行った。主治医は、時間はかかるかもしれないけど、ゆっくり回復を待ちましょう、と言った。自分もそれしかないと思っている。

最近はずっと妻と医者としか話をしていない。誰かと喋りたい。友達はたくさんいたのに、昔は毎日バカやったりして楽しかったのに、仕事もしていない今、合唱をはじめとしてすべての趣味を放棄した今、メールなんかではなく、誰かと喋りたい、そういう気分でいっぱいだ。退院した翌日は、とりあえず話を聞いてくれそうな友人に電話した。自殺未遂をしたと話したらものすごく驚いていて(そりゃそうだ)、でも久しぶりだったので話が尽きず、3時間くらい話をしてしまった。

それでも自分の心のなかにはぽっかり穴が空いている。今日のようにまた鬱になった時に、また自分が突発的なことをやってしまわないか、怖くてしかたがない。誰かと喋りたい。そう思って何人かに電話したが、誰も出ない。そうだよな、金曜日の夜だ。みんなどこかで飲んだり遊んだりしているだろう。仕事が大変でそれどころではないかもしれないだろう。子育てで大変だったりするだろう。

寂しい。

追記

その後、電話したうちの一人が電話をくれた。自分の日記を読んで、心配してくれていた。心配してくれてありがとう、と言うと、自分に電話をくれてありがとう、と言われた。泣きそうになった。

友達は財産である。

本稿はアップするかどうか迷ったのだが、このブログを読んでくださっているうつ病の方々、ご家族やご友人にうつ病の方がいらっしゃる方々への注意喚起として、あえて自分の体験を晒すことにする。長文かつパーマネントに残したいので、ブログとは別のページに記載した。→自殺未遂の記録

これを読んで、一人でも不幸な思いをする方が減ってくれれば幸いである。

私がWEBで日記を書き始めて、ちょうど今日で10年になる。当時は「ブログ」というシステムはなく(あったかもしれないが、一般には浸透していなかったかもしれない)、いわゆる「日記サイト」で日記を書き始めた。その後、一般のブログサイトのサービスを利用するようになって、さらにその後自分でサーバを立ち上げた時に、過去の日記サイトのログとブログサービスからエクスポートした記事を、Movable Typeでインポートできるように変換するプログラムを作成し、一気に取り込んだ。そしてこれが2832番めの記事になる。塵も積もれば山となるものだ。

このブログの一番最初の記事から過去の日記を遡って読んでいると、自分はこの10年で全く成長していないことに呆れ果てる。ずっと同じ所をぐるぐる回り続けている。いつまでも回り続けていくのだろうか。いや、昔は毎日大量に書いていたのに、今は数日か1週間に一度くらい、月に3回くらいのときもある。「毎日書かなくても別にいいんだ」と気がついただけでも少しは成長したのかもしれない。

実はその1年ちょっと前、はじめて精神科に入院したときのことだが、病院では持ち込みが禁止されている携帯端末と通信機器を使って、入院生活を日記サイトに毎日アップしていたことがある。精神科病棟の中で起こっていることを事細かく書いていた。これがかなり反響を呼んで、毎日カウンターがすごい勢いで回っていった。

しかし、匿名とはいえ、あまりにもリアルに書きすぎたために、読む人が読むと、どの病院の誰のことかわかってしまう可能性が出てきた。そんなことになっては大変なので、1ヶ月くらいで日記の公開は中止し、全て削除した。しかし、その後も自分は日記を書き続けていたので、実質的にはもう11年くらい日記を書いていることになる。

精神病院に入院するなんて、その時はもう自分はどん底まで落ちた、と思っていたが、今から思うと貴重な体験をしたな、と思う。信じられない奇跡も起こった。

しかし、もう二度と入院はごめんである。

早く仕事がしたいのに、ちっとも体調が回復しない。仕事を探すには、もっとコンスタントに調子がいい状態が続かなくてはならない。とは言え貯金はどんどん減っていく。なんでもいいから仕事をして、生活費を稼ぎたい。その焦りが出ているのか、またそういう夢をみた。

昨日出てきたのは、学生時代の研究室の先輩で、今でもIT研究の最前線で活躍している。卒業以来お会いしたことはないが、facebookを見ていると多忙な日々を送っているようだ。

そんな先輩に時間をとってもらい、なんとか自分にできる仕事を紹介してもらえないか頼もうとした。しかし先輩は自分の病気のことを知らない。「5分だけなら」と言って時間を作ってもらったものの、いざ話しだしたら「実は前の会社でこうなってああなって、それで、なんたらかんたら・・・」と前置きを話しているうちに、「話が長い!」と言われ、肝心なことを相談する前に帰ってしまった。

しばらくそんな夢を見ていなかったのだが、プレッシャーが強くなっているのだろうか。

現実は残酷だ。夢の中も残酷だ。