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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

今日は自分が自殺未遂をしてから、ちょうど1ヶ月。

「自殺未遂をする」という言葉に、最近違和感を感じるようになってきた。

あのとき、自分は「自殺未遂をしよう」としたのでない。

「自殺した」つもりだったけど、死ねずに未遂に終わっただけである。

なぜ未遂に終わったか。それは、妻が一刻も早く駆けつけてくれたからである。

薬局で市販されているような薬ではない。精神科で処方された抗鬱剤、精神安定剤、向精神薬などを大量に飲んだのだ。三環系抗うつ剤で最強と言われるトリプタノールだけでも70錠、全部で400錠近くの薬を飲んだ。数はあとから聞いて、自分でびっくりしたが。

ICUに搬送されたときに、医師が3人くらいいて、妻が「助かりますか」と尋ねても、3人が3人とも「飲んだ薬が薬ですから・・・・、命の保証はできません」と答えたそうだ。

しかし、私は臨死体験をすることもなく、この世に舞い戻ってきた。意識が目覚めた瞬間は地獄であったが、あれは本当に突然だった。眠りから覚めた、という感覚とは全く違う。いきなりこの世に自分の肉体と自分の意識が現れた、そういう感覚だった。よくドラマなどで、目が覚めてからなんとなく視界がぼや~っとして、それがだんだんはっきりしてくる、という描写があるが、そういう感じとは全く違う。0からいきなり100へ、という感じだった。「意識を失う」というのは「眠る」とは全く違うんだろうな、やっぱり。

この1ヶ月の間に、たくさんの人が自分のことを気にかけてくれていることを実感した。自分はまだ死んではならない。その人たちのためにも。

今日も二人ともくたっており、二人で枕を並べて、

「ご飯、どうしよう」

という状態。

夕方になって、久々に地震が来た、揺れは少し大きいけど、まあ大丈夫かと思っていたが、えらく長く続いたので二人とも飛び起きて、とりあえず一番安全な玄関に避難。揺れが治まってからテレビをつけたら、何?震源地は東北?しかも津波警報が出ている。

NHKのアナウンサーが必死に繰り返し叫んでいる。

「津波警報が出ました。ただちに避難してください。東日本大震災を思い出してください。振り返らずに、急いで逃げてください。高台に避難してください。近くに高台がないときは、高い建物に避難してください。いそいで逃げてください・・・」

アナウンサーの声が鬼気迫る。横浜防災情報のメールが携帯に来たので確認したら、横浜市は概ね震度3だったのに、うちの辺りは震度4だったようだ。東北地方でも震度4のところが多いのに、横浜でも震度4とは。

あんなにくたっていたのに、いつの間にか体が動いている。妻は夕食を作り始めている。しんどくて寝込んでいても、危機が迫ると体が自動的に動くのは、どういうメカニズムなのだろうか。

今日は調子が悪かった。頭にもやがかかっている。昼過ぎにメールの返事を書いていたら、だんだん頭の回転が遅くなってきた。知恵熱、ではないが、考えれば考えるほど、思考能力が明らかに落ちていく。

夕方になって、しんどくて横になった。最初から横になっていればよかったのに、と思う。今日は妻も調子が悪く、二人して布団に横になって「夕ごはん、どうしよう」という最悪の状態。どっちかが元気だったら、まだお弁当でも買いにいけるのだが。

なんとか夕食は、ご飯とふりかけ、インスタントの味噌汁、冷凍食品でしのいだ。レトルト食品、インスタント食品、冷凍食品は欠かせない。栄養バランスを考えると、とても褒められたものではないが。

最近、寝つきが悪いことが多い。

今日も眠れない。

眠れないなら眠れないで、そのまま横になっていればいいのに、そうするとよけい眠れなくなる。

そして、起きて何かを食べてしまう。お腹がすいているわけではない。「何か食べたい」なのだ。ちょっと過食気味で、体重は3桁の大台に。

食べるとすぐ眠れる。これは生理的なものなのか、精神的なものなのか。

昼間は勝手に寝てしまうのになあ。

昨日はやや低調ながらも、一昨日よりも疲れは感じなかったので、少しはしんどさもましになった。

おそらく5~6年会ってない、昨日書いた友だちとメールでやり取りして、とあるワークショップに来年の1月に参加することになった。それについてはおいおい書くとして、そのメールの最後に書かれていた言葉。

イベントこれなくっても、時間があるときにどっかでおしゃべりしよう!
大したことはできないけど、ちょっとずつ自分のできる範囲で手助けしていくよ。
一人じゃないからさ。みんなで一緒に生きていこう。

思わず泣きそうになった。

みんな、ありがとう。