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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

カテゴリー:メンタルヘルス

昨日張り切ったせいか、今日は朝がかなりしんどかった。でもなんとか9時台には起きた。しんどかったけど、二度寝せずに午前中を過ごした。

お昼過ぎ、妻が大事な用事があって郵便局まで行くので、ちょっとしんどいけど一緒について行った。

体調が大丈夫そうだったら、その後に横浜駅周辺に出て、行きつけの散髪屋に行きたいと思っていたのだが、しんどかったので帰ることにした。もう3ヶ月も散髪してないので、髪の毛は伸び放題で鬱陶しいことこの上ない。もう少しマメに行けばいいのだが、お小遣いをケチるために、思い切り伸ばしてから一気に短くしている。散髪代も1,200円くらいのところなのだが、それすらも惜しい。

しかし、帰る途中、商店街の格安美容院の前を通った時である。「カット980円、丸刈りは490円」と書いている。丸刈りかあ。別にそれでいいかあ、と思って、そこで刈ってもらうことにした。せっかく丸刈りにするのだ。思い切って、

 

「スキンヘッドにしてください」

 

と言ってみた。しかし、バリカンは0.7mmまでとなります、と言われたので、それでやってみた。スポーツ刈りくらいの短髪はやってみたことがあるが、丸坊主は初めてである。

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

その結果、

 

 

坊主頭

 

 こんな無残な姿に。安田大サーカスのHIIROみたいである。

マルコメくんのようなきれいな坊主頭にはならなかった。あちこちデコボコしている。これは、頭にまで脂肪がついているのだろうか。それから、思っていた以上にアトピーで荒れまくっていて、赤い、赤い、赤い。まあ、これで薬が塗りやすく(塗ってもらいやすく)なった。

自分はすっきりしたが、顔はちょっと怖い人になってしまった。でも楽だし、これからずっと坊主頭で通そうと思って、Amazonでバリカンを注文した。2,000円台なので、すぐに元が取れる。

明日、朝起きて鏡を見たら、びっくりするかもな。

ちょうど去年の今ごろだっただろうか。自分の頭がおかしくなり始めたのは。
その頃、自分はこんな夢ばかり見るようになっていた。

・昔の友だちばかり出てくる夢
・就職できそうなのにあと一歩でだめな夢
・自殺しようとする夢

これらの複合パターンもあった。体調が安定したらまた就職活動をしようと思っているのに、さっぱりよくならなくて、焦りがピークに達していたのだろうか。現実逃避や焦燥感が色濃い。特に去年の9月12日の夢は、一番衝撃的で、今でも思い出すとやりきれなくなる。その部分をそのまま抜粋する。

以前勤務していた会社の先輩が、私の窮状を知って「うちの会社に来なよ」と言ってくれた。

喜び勇んで会社に行ったものの、自分の席はなく、先輩から「そこにずっと立っていていいから。何もしなくていいよ」と言われた。

いたたまれなくなって、もう屋上から飛び降りようと思って階段を駆け上がった。しかし屋上への扉には鍵がかかっていた。

その後は、よく覚えていない。

自分が自殺未遂を図ったのは去年の11月のことで、そのきっかけとなることが起こったのは10月のことだが、その少し前から希死念慮が既に顔を覗かせていたのだろうか。

しかし、就職や自殺に関する夢は何回かしか見なかったのに、「昔の友だちが出てくる夢」はその後もずっと見続けた。会社の同期の連中、大学の合唱団の仲間、高校時代の部活の仲間、中1のときの担任の先生まで出てきた。

やがて、夢に出てくるのは合唱団の仲間の一握りの友だちだけになり、毎日のように繰り返し出てくるようになった。目が覚めるたびに昔が懐かしくなり、同時に今の絶望感は大きくなり、「もう夢に出てくるな!」そう思ったりもした。

そして、自分は前を向くことができなくなった。

気がつくと、いつも昔、特に学生時代のことを考えているのだ。いろんなことがあったし、あるべきものがなかった。楽しいこともあれば、つらいこともあった。一番つらいことを、誰にも相談できずに苦しんでいた。いろんな悩みがあった。いろんな失敗があった。今ならもっとうまくやれるのに。後悔の多い学生時代だったから、もう一度やり直したい、

しかし、そんなことを考えても何も前に進まない。どうやってこれからを乗り越えていくべきか、なんとか模索してきた。友だちが薦めてくれるスピリチュアル系のセラピーに参加したり、レメディーを試してみたりした。鬱を克服した友だちに、通院以外に何かやってみて効果があったものがないか聞いてみたりした。

そして、自分は疲れて果ててしまった。もうやめよう。悪あがきはやめよう。そう思って、半年くらい前に自分は一切を放棄した。何もかもが自分を焦らせる。だから、いったん開き直って全てを受け入れよう。

体調が悪い?ずっとしんどい?いいよ、一生しんどくていいよ。一生がまんするよ。

仕事ができない?お金が稼げない?いいよ、一生働けなくてもいいよ。一生生活保護でも構わないよ。生きるために、なりふりかまってなんかいられないんだよ。

ちょっと極端かもしれないが、そうでも思わないと、自分の背負っているものが重すぎて耐えられないと考えたのだ。もちろん本気で「一生働かない」「一生生活保護」で暮らしたいとは思っていない。しかし、最悪の場合そういう選択肢も受け入れ、プライドも捨てて社会的責任も放棄してしまうことによって、少しでも心が軽くならないか。ここ半年くらい、そう思って暮らしてきた。

するとどうなったか。

なんにも変わりはしない。相変わらず気がつくと昔のことばかり考えている。勝手に頭に浮かんでくるのだ。そして、ふと我に返るとこれからどうすればいいか途方に暮れてしまう。

ちっとも開き直れていない自分がここにいる。

最近、夜はちゃんと眠れていたのに、昨日は眠れなかった。

布団に入っても、いくら経っても眠気が来ないので、いったん起きてから軽く軽食を食べてまた寝た。たいていはこれで眠れるのだが、昨日はそれでも眠れない。眠れないなら眠れないで、そのままじっと横になっていたらいいのに、それが我慢できずに、開き直って起きてゲームをしていた。

ようやく眠気が来たのは何時頃だっただろうか。なんとか眠ることができたが、今朝はめちゃくちゃ起きるのがしんどかった。目は覚めたが起き上がれない。しんどい。体がしんどいのではなく、気力が出ない。起きなければ、と思って、なんとか体を起こしたのはいいが、そこにお地蔵様のように固まって、呆然と座り呆けているまま時間は過ぎた。そこから前に進めないのだ。

悪戦苦闘して、結局起きたのは11時過ぎだった。午前様、ならぬ午後様にならずに済んだだけましだろう。生活のリズムを崩さないようにしなくては。

しんどい。

 

月曜日に調子が悪くなったのだが、それは前日の清掃の疲れが出ただけだと思っていた。いや、それはそうだったかもしれないが。

それからずっとしんどい。ほんのちょっとのきっかけで、体調は暗転する。

一昨日は、しんどさを我慢して起きていたが、夜になって我慢できなくなり、早々に横になったらそのまま寝てしまった。

 

昨日はもっとしんどくて、昼過ぎから寝てしまった。散髪に行きたい、乾電池の在庫が少なくなったので、ヨドバシに買いに行きがてらいろいろ新製品を見て回りたい、と思っていたのに、とてもそんな気力はなし。

夜になっても夕食後すぐに横になったら寝てしまった。妻が寝る前の薬を持ってきてくれたので、それを飲んでまた寝た。寝ている人を起こして睡眠薬を飲ませてまた寝かせる、てなんなんだ?と思ってしまう。

 

どうも波が激しくてたまらん。せっかく気温も下がってしのぎやすくなってきたというのに。

でも、今日はまた暑くなるとのこと。またこのパターンか。いい加減やめてほしい。

しんどい。

明らかに昨日の疲れが残っている。

朝8時頃、いったん起きて朝食のコーンフレークを食べたが、しんどくてまた寝た。

それから何回も寝たり起きたりしたが、ずっとしんどい。喘息まで出てきた。

困ったことに、今日はメンタルクリニックへの通院日なのだ。もう、こんな日に限ってこんなに調子が悪いとは。

しんどいので、またまた妻に薬だけもらいに行ってもらった。いつもは2人一緒に診察に行くのだが。この2週間は2~3日調子が悪い時はあったが、概ね安定していて、今日はたまたま調子が悪いということだけ主治医に伝えてもらって、薬はそのままにしてもらうように妻にお願いした。

不思議なことに、妻が「じゃあ、行ってくるね」と言って病院に行った後、しばらくしたら肩の荷がすーっと降りたような気がして、なんか体が楽になった。ただ体がしんどいというわけではなく、なんか精神的なプレッシャーがかかっていたようだ。タクシーでもつかまえて追いかければ、予約の時間には間に合いそうだったが、やめておいた。ついさっきまでしんどかったのだ。ここで調子に乗って行ったらまた無理をすることになる。この見極めが難しい。

仕事をしていた時は、こういうコンディションのとき、「今なら行ける」と遅れてでも会社に行ったはいいが、仕事をしてへろへろになって帰ってきた、ということが少なからずあった。今から考えると、あれは無理をしていた。だから状態が悪化したのだ、と今では思っている。