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鬱るんです
躁鬱病のITエンジニア「はまー」が心と体の模様を記した雑記帳。 大手IT企業で心身ともにぼろぼろになり退職した後、ほそぼそと働いたり事業を立ち上げようとして頓挫したり、作業所に通ったり障害者雇用で働いたりと紆余曲折したが、今は無職な毎日。

月別アーカイブ: 2022年1月

昨日は22時に寝た。遅く帰ってきてからやることがたくさんあって大変だった。よく眠れはしたのだが、何回か目が覚めて、太ももがめっちゃ痛くてびびった。少し動かすだけでも痛い?なんで?昨日転んだせい?でも尻もちをついて太ももが痛くなる?寝る前に首とか腰とかも少し痛いな、と感じたのだが、太ももは大丈夫だった。明日になるのが不安だと思って寝ていた。

朝になったら、太ももの痛みはだいぶひいていた。でもまだ痛い。やはり転んだときにどこかがどうかなって、最終的に太ももの筋でも痛めたのだろうか。しかしなぜ朝に転んで夜中に痛くなる?筋肉痛じゃあるまいし。そんなこんなで8時半起床。疲れはない。年末年始の不調からは脱したようだ。手首は思ったほど痛くはない。たいしたことはなかったらしい。

今日は午後から福祉施設の職員と面談なので、その資料を午前中に作っていた。11月1日以来なので、日記を見ながら体調面と仕事面に分けてその後の経過を書いてみた。ずいぶんとアップダウンが激しい。仕事がちょっと大変だった。

午後から面談。作った資料を元に経過を説明。よく考えたら、仕事面に関する話は職場のジョブコーチと面談しているので、ここでは生活面をメインに話をしたいと思っていたのだが、それがすっかり抜けていた。まあそれは資料を元に話しながら説明することにして、話を始めた。

で、結局最後になっても生活面の話はほとんど出なかった。体調は上がったり下がったり大変だ。仕事が大変になって、急に「いついつまでに○○をお願い」と振られることが何回かあって、自分の仕事のペースが上がって休憩も取らずに昼休みも仕事をするようになって、忙しいのが一段落したのにそれが戻らない、そういうことが主な話になった。よく考えると生活面では今はあまり困っていなかった。

支援員いわく、生活面であまり困っていないというのは、仕事が忙しくなっても生活に影響していないといことで、それはいいのではないかと。うむ、そう言われるとそうである。仕事は大変だと言っても、まあ疲れたから早く寝るので自分のやりたいことができないということはあるが、それは「困っていること」ではない。つまんないけど困ってはいない。生活はきちんとできている。そして私の不調に妻があまり引っ張られていないということだと。

それから、私の働き方がちょっと変わってしまったのは、いい意味で言えばギアが一段上がったのかもしれないと話を聞いてて感じたらしい。う~ん、確かにペースは上がったが、それはいいのか。ブレイクをあまり入れられてないと言うのはよくないが、ペースが上がってそれで疲れて調子が悪くなっているわけでもない。私の不調はどちらかというと気候や天候に左右されていることが多い。

なるほどな~と思って帰ってきた。そしてカリンバを弾くのだった。ポロロン。

昨日は21時半に寝た。平常運転に戻した。よく眠れた。7時半の目覚ましが鳴るまでノンストップで10時間寝た。昨日の寒さで体がかなりダメージを受けたのか。ちょっとぐずぐずしたが、40分くらいには起きた。窓の外を見ると、道路が白い。あまり人通りのない道だが、自分の歩く道はどうだろうと心配になる。

雪の道

今日はゆっくり慎重に歩いて行こうと、いつもより10分早く家を出た。去年の大雨で革靴がずぶ濡れになった後に買った、短い長靴を履いていった。なのに、団地の入口を出て10歩くらいで滑って転んで左膝を強打した。うおおお、いてえええ、まじ滑る。膝はなんとか大丈夫そうなので、再び歩き始める。

途中、一番の難関の長い下り坂を歩いている途中で、またもや滑って転んだ。今度は右の手首を強打した。あかん、滑りすぎや。痛いよう、しくしく。一見大丈夫そうに見えるアスファルトが、あまりにもきれいに凍っていてつるつるだった。

職場にはいつもの時間に着いた。2回も転んだ、長靴を履いてきたのに、と話したら「ゴムはだめよ、私は登山靴を履いてきたわよ」と事務のお姉さま(65才)に言われた。そうだった。私も登山靴ほしいなあ、捨てなければよかった。スニーカーならまだましだったか。軽アイゼンでも買うか。

ちょっと荷物を運んだりしてるとますます手首が痛くなってきた。3連休中に痛みが増したりすると嫌なので、整形外科に行くことにした。今日は皮膚科にも行く予定だったので、14時半に早退して自宅近くの整形へ。

受付で「今日はどうされましたか?」と聞かれたので、「雪道で滑って転んで右手首を強打して」と話したら、「これらに該当しますか?」と紙を見せられた。けんかでの怪我とか交通事故、仕事中・通勤中の怪我だとか書いていたので、「通勤中です」と答えたら、「じゃあ労災となります」と言われた。「へっ?」

私は労災は使ったことがない。この時点で労災が下りるかどうか判断できないが、どうすればいいのやら。よくわからないので、いったん退いて職場に電話して登山靴のお姉さま(65才)に聞いてみた。調べてみないとわからないと言われ、担当部署に問い合わせてくれた。その結果、

「通勤災害にあたるかどうかは聞き取りをしないと判断できない。来週聞き取りをするので、今日は病院と相談して、とりあえず一時的に健康保険を使わせてもらい、労災が下りたら清算してもらうか、いったん自費で払ってから、労災が下りたらそっちから全額、下りなかったら健康保険を使ってそっちから7割戻ってくる。」

とのこと。どっちにしろめんどくさいことになったなあ。窓口でその通り伝えたら、「いったん自費でお支払いいただきます」とのこと。まあそうだと思ったよ。聞き取りのために何月何日の何時頃にどこでどういう状況で怪我をしたのか報告書みたいな物を作って職場に出さないといけないらしい。

レントゲンを取って骨に異常はないことがわかり、湿布を出してもらったら1万円ちょっとかかった。今度はバスに乗って皮膚科へ。忙しい。着いたらもう17時。なんかお金も時間も体力も無駄にした。雪に慣れてない地方に住んでるとこういう時はだめだな。そこでもかなり待って、マックで夕飯を食べて帰ってきたら19時だよ。くたくた。

湿布を貼った手

右手である。利き手でなくてよかった。来週の手続きがめんどうだなあ。

昨日は21時に寝た。微妙に早い。体調はまだまだで、18時に夕食を食べた後もずっと横になっていて、20時半に眠剤を飲んで30分だけ遊んで寝た。夜はいくつも夢を見た。7時半になって目覚ましが鳴り、しんどいと思いつつなんとか起きた。疲れは若干残っているが、危険水域は脱したような気がする。

今日はめっちゃくっちゃ寒い。さむ~い。サムイ。最高気温3℃と書いていたかな。寒い中ダウンを着て出勤。昨日ほどしんどくはなく、なんとなく仕事を進めることができた。午前中から雪が降り出して、ああ予報どおりだ、これはますます寒いと思いながらじっと窓の外を見つめていた。

帰る頃には雪がそれなりに積もっていた。転ばないように気をつけながら歩く。これくらい普段からゆっくり気をつけて何事にも取り組めばいいのだが。ぎゅっぎゅっと音がする雪の上を踏みしめて一歩ずつ歩く。自分の道は自分で作る。自分のあとに道ができる。どんな道でも道は道。あ~こりゃこりゃ。何を言ってるのかわからなくなってきたので終了。

雪の横浜

雪の横浜

明日は晴れで最高気温は9℃まで上がるらしい。それでも寒い。道路の凍結が怖いなあ。けっこう急な下り坂があるのだが、何かで滑っていけばいいのか。

昨日も19時半に寝た。2日連続である。昨日は仕事にも行けたし福祉施設のプログラムにも参加できたが、夜にしんどくて少し震えも出てきたので、しつこく超早寝。自分の時間がぜんぜんないが、とにかく体調を戻すのが最優先。19時半に寝れるかなあと思ったが、昨日も無事眠れた。

目が覚めた。21時半頃だったか。いったん起きて少し飲み食いした後、また寝た。次に目が覚めたのが1時。そしてその後眠れなくなった。じっと布団の中で時が過ぎるのを待つ。ぜんぜん眠気が来ないので、起きて何かしたかったが、そうすると生活のリズムがますます乱れる。じっとがまんして横になっていた。5時前後だったか、スマホを取り出して少し調べ物をし、こういうことを試してみようと思ったものを職場の自分のアドレスに送ったりしていた。その後はまた横になっていた。

6時半になって、さすがにそろそろいいだろうと思って起きた。この時間に起きるのは久しぶりだから寒い。起きたはいいが、なんだか体に違和感を感じる。1時から起きているから無理もない。徹夜明けのような身体感覚で、いやまあ徹夜明けに近いのだが、本当の徹夜明けはテンションが高いのだが気分はどんよりしている。夜中ずっと眠れなかったと思ったら躁転したことが何度かあるので、躁転したら厄介だなあと思っていたのだが、その心配はなさそうだ。

外に出たらめっちゃ寒い。新兵器の分厚いダウンでも寒い。なんとか職場について、なんとか仕事をしていた。頭は回っているつもりだったのだが、どうも動きが鈍い。鈍いなら鈍いなりにやるだけなので、淡々と仕事をしていた。やはりしんどくて途中で帰りたくなったが、定時まで仕事した。帰ったほうがよかったのかもしれない。

帰ってきたらへろへろ。明日は大丈夫なのか?とりあえず今夜はゆっくり眠れるといいのだが。

昨日は19時半に寝た。必殺19時半である。調子が悪いときの脱出方法「早く寝る」で、20時に寝るときも多いが、それでもだめなら19時半。起床時刻が7時半なので、12時間寝る作戦である。「なんとかなれ」「いや、なんとかなる。大丈夫だ。自分はできる子だ」「今までなんとかなってきたから、今回もなんとかなる」そう強く念じて寝た。

こんなに早く寝たら眠剤を飲んでいてもなかなか眠れないことが多いが、昨日はすぐに眠れた。朝方はたびたび目を覚まして、そのたびに、7時半になったらどうなってるだろうか、動けるだろうかと心配だったが、「大丈夫だ」「大丈夫だ」「大丈夫だ」そう思って何度も寝なおした。自分で自分を信じられなければ、いったい誰が信じてくれるか。いったい誰を信じられるか。

7時半になった。体調は、昨日よりはましになっているが、なんだかもやもやがあって、少ししんどい。起きかけたが「もう少しだけ」とまた横になってしまった。が、7時40分にむくっと起き上がって、機械じかけのように起きることができた。しんどさはあるが、動ける。「なんとかなった」そう思った。「俺は長男だったから大丈夫だったが、次男だったらだめだったかもしれない」と次男のくせに鬼滅のセリフを思い出したりしていた。次男だってできるのだ。

なんとか出勤して仕事初め。なんとか仕事はできたが、寒い。外の気温は今日はまだ最近にしては暖かいほうなのに、職場が寒い。ビル全体が冷えているようで、空調の温度を上げるようにお願いはしていたらしいが、それでも寒くてみんなコートを着たりマフラーを巻いたりして仕事をしていた。

12時になったので、今日は早退。しんどいからではなく、午後に福祉施設のプログラムに参加するため、今日ははじめから午前中だけの予定だった。家に帰ってご飯を食べてから少し横になって休み、福祉施設へ行って帰ってきた。このリカバリー系のプログラムは毎月あって、去年までは毎月参加していた。今年はどれだけ参加できるかなあ。今日は半休を取って行ったが、去年までのペースで体調不良で休んでいたら、多分休暇は今年度はもたなくて途中でなくなる。今年度の参加は今日が最後かもしれない。

冬場は体調が不安定なことが多い。どうやってこの冬を凌ぐか、これからの課題だ。